私はどうもクライミングジムが苦手みたいだ・・・。
そういえば、英語、単語が苦手だった。
実は、英語は学生時代を通じて結構苦手科目だったんだよな~と今更ながら思い出している・・・大体、赤点常連組にいました(笑)。
今日は冬支度で、模様替えを兼ねた大掃除をしていて、ベッド下から、英単語関係の本が一杯出てきた。
中学の時から、単語苦手だったよなぁ…で、時折頑張ってみるも…やっぱり駄目、の繰り返しの歴史を振り返るようでした(笑) ボキャビルマラソン苦手なんだ。
言い訳のようだが、でも、今は、ほぼTOEIC満点に近いし、英語を話していて、私の単語力に問題があると思う人はもういない。知らない単語は今でもいっぱいあるけど、想像して読めるから問題ない。
どうやって乗り越えたのか?分からない・・・ でも、部分をコツコツ積み上げるのは、私には向いていない、ということは言えるのかもしれない。
その失敗の歴史を見ながら思った。私は細部に集中するのは向いていないのだ。単調さに先に飽きがでるから。
ふと、クライミングジムのクライミングもそんな感じかもしれないなーって、思いました。
外岩でできなかった課題をジムに持って帰ると出来るようになる、のは分かるようになりました。
11月は1か月ジム通ってみようかと思っていた。11月は山が閑散期だから。
でも、私みたいにコツコツ地味なのをするのが苦手な人は、みんなのように平日はジム、土日は山ってのは向いていないのかもしれません。
クライミングが苦手なことは、ロープが出る山を否定する理由にはならない。
それも分かったし…ただ、ジムに通うと言う以外に、クライミング力を上げる方策を打ち立てないといけないのだけど、どういう方法論があるのかなぁ…。
英単語とジムのクライミングは、なんか似ている。
単語力は基礎力だ。だけど、それができたからって、話せない。すべての会話は単語で成り立っているけれど、語彙力だけいくら増えても、一生しゃべれるようにはならない。
部分は全体を成さない。
ムーブをひとつの単語とすると、単語がしゃべれる前にセンテンスがしゃべれるのか?ということになるが…
これがしゃべれるんだな(笑)。
英語は、しゃべりながら、単語を覚えた。
そんな風にして、クライミングを覚えることはできないのだろうか?
Thursday, October 30, 2014
かっこいい山ヤの判断力
■ 優れたリーダー = 優れた判断力
先日、アルパインクライマーの天野さんの地図読み講習で、雨の予報なのに、レインウェアを持ってきていない参加者がいました。
天野さんいわく
「それを集合で聞いていたら、今日は連れてきていなかった」
う~っ、かっこいい~!って思いました。さっすが~!!
これだけで 4000円払った甲斐があった!
これって実際やろうとしたら、すごく難しいです。
という理由です。
でも、この日は予報が雨の予報だったので、雨に降られずに済んだのは運でした。
でも、レインウェアを持ってきていないって、よく口に出して言えるな~。それって、「私は非常識登山者です」って、自分で言っているのと同じですよ…。
でも、それも分からないくらいの初心者だから、平気で言うんですよね、きっと。
最近、私は、優れたリーダーから、判断を学びたくて、山岳会に来たんだなぁ~と改めて、再確認しています。
■ 地図なしで、登山口敗退
これは、また聞きですが、師匠が見たことのある事例で、
登山口についたら、リーダーが地図を忘れていた。メンバーのだれも地図を持っていなかった。
それで、登山口敗退にしていた、若い登山リーダーがいたのだそうです。
このリーダーをぶっちぎりで、師匠は褒めていました。
私もエライな~と思います。
■ 赤岳6本アイゼン事件
実は、私も「ああ~今日は登山口敗退だ~、トホホ…」と、思ったことが一回ありました。
それは、雪の赤岳に、6本アイゼンで参加した人がいたときです。無知がなせる技。
でも、これは、登山口敗退になりませんでした。
今でも、あの時登山口敗退にしていた方が、その後の活動にとって、本人にも会としても、良かったのではないだろうか?と思う時があります。
リスクを軽視する登山者を作ってしまうと、本人が自分の命を軽く扱うだけでなく、周囲の人の命まで軽くなる。落ちたら助けないといけないのですから。
その考え方を続けると、山がステップアップするにつれて、いつか滑落して怪我をすることになります。根本原因が考え方にあるからです。
それが一番怖いことです。いわゆる、山を舐めている状態ですね。
今は本人も反省されているようです。
しかし、こういう風なことをすると、自分がどんな登山者なのか、知らずに宣伝する効果がありますから、要注意です。雨合羽忘れた人と同じです。
■ クリティカルな忘れ物
装備の中でも、
があります。
たとえば・・・
です。
でも、ヘッドライトを忘れたら? うーん、アウトですね~(笑)!
■ お守り化しやすいアイテムほど、必要な時は重要アイテム
登山では
・ヘッドライト
・雨具
・地図
は必携です。地図はどんなやり方でもいいけど、雨に備えて防水してあることが大切。
・レスキューシート
・コンパス
・救急キット
・笛
・ナイフ
も必携。 山では何があるか分かりません。リスクに備えるのが山です。
ヘッドライトは使わない人は使わない。のは日帰りで、保守的な行動時間にしているからで、良いことです。
雨具もそうで、”晴れの日専門登山”の1年目など出番がないと思います。私も出番がないまま、ずっと背負って歩いていました。
山って不思議で、出番がないからって持ち歩かないと、その後ステップアップした時に困ります。
そこのところは、「将来いるような山に行くのだ!」と思うのが大事なのかも?
担いでいれば、ちょうど良く体力もつくし。
持ってきていない人は 「ねん挫して歩けなくなり、暗くなったらどうしよう?」と考えると必要性が分かると思います。
登山は、「〇〇になったらどうしよう?」と考えることができる想像力の勝負のところがあります。
つまり、シナリオの想定力、です。
■ 簡単な山では水を担ぐ
一方、山をステップアップしていくと、日帰りの山の時、あんまりトレーニングにならないなーという気持ちになってしまうことがあります。
そういう時は、水を担ぐといいのだそうです。
バテたら捨てることができるから。
なるほどねーって思いました。
そういえば、こないだ伝丈沢行った時、やたら大きなザックでしたよね~若い先輩。
易しいルートは、易しいからって馬鹿にしないで、重くすればトレーニングになります☆
■ 愉しみな山行二つ
今週末は前から楽しみにしていた女子会山行です。 やっぱ女子会っていいでしょ!
八ヶ岳権現編笠。青年小屋にお泊りしたことがないので、前から行ってみたいと思っていました。
去年師匠が青年小屋前に雪洞を掘っていた・・・去年は雪洞泊、大チャンスだったのに、チャンスを生かせず、残念でした・・・ 100年に一度のチャンスだったかもしれない・・・
雪洞泊は、ベテランの知恵が必要な山なんですよね・・・今年はできるかなぁ・・・。寒ければアイスは充実するけど、雪がないかもしれない。
もう一つは地図読み山行です。これは、復習山行。
優れた岳人や会の先輩から、教わったことは世に広める義務があります(笑)。
山はペイフォーワードの世界です。
先日、アルパインクライマーの天野さんの地図読み講習で、雨の予報なのに、レインウェアを持ってきていない参加者がいました。
天野さんいわく
「それを集合で聞いていたら、今日は連れてきていなかった」
う~っ、かっこいい~!って思いました。さっすが~!!
これだけで 4000円払った甲斐があった!
これって実際やろうとしたら、すごく難しいです。
- 参加者の人がガッカリすること必須
- その分収入が減る
という理由です。
でも、この日は予報が雨の予報だったので、雨に降られずに済んだのは運でした。
でも、レインウェアを持ってきていないって、よく口に出して言えるな~。それって、「私は非常識登山者です」って、自分で言っているのと同じですよ…。
でも、それも分からないくらいの初心者だから、平気で言うんですよね、きっと。
最近、私は、優れたリーダーから、判断を学びたくて、山岳会に来たんだなぁ~と改めて、再確認しています。
■ 地図なしで、登山口敗退
これは、また聞きですが、師匠が見たことのある事例で、
登山口についたら、リーダーが地図を忘れていた。メンバーのだれも地図を持っていなかった。
それで、登山口敗退にしていた、若い登山リーダーがいたのだそうです。
このリーダーをぶっちぎりで、師匠は褒めていました。
私もエライな~と思います。
■ 赤岳6本アイゼン事件
実は、私も「ああ~今日は登山口敗退だ~、トホホ…」と、思ったことが一回ありました。
それは、雪の赤岳に、6本アイゼンで参加した人がいたときです。無知がなせる技。
でも、これは、登山口敗退になりませんでした。
今でも、あの時登山口敗退にしていた方が、その後の活動にとって、本人にも会としても、良かったのではないだろうか?と思う時があります。
リスクを軽視する登山者を作ってしまうと、本人が自分の命を軽く扱うだけでなく、周囲の人の命まで軽くなる。落ちたら助けないといけないのですから。
その考え方を続けると、山がステップアップするにつれて、いつか滑落して怪我をすることになります。根本原因が考え方にあるからです。
それが一番怖いことです。いわゆる、山を舐めている状態ですね。
今は本人も反省されているようです。
しかし、こういう風なことをすると、自分がどんな登山者なのか、知らずに宣伝する効果がありますから、要注意です。雨合羽忘れた人と同じです。
■ クリティカルな忘れ物
装備の中でも、
- 忘れてもなんとかなるものと、
- 忘れたら非常識登山者だと自分を宣伝してしまうもの
があります。
たとえば・・・
- サングラスを忘れたら…段ボールに切れ込みを入れたもので代用、
- 箸を忘れたら、その辺の枝で箸にする、
- レインウェアを忘れたら、ゴミ袋を被る
です。
でも、ヘッドライトを忘れたら? うーん、アウトですね~(笑)!
■ お守り化しやすいアイテムほど、必要な時は重要アイテム
登山では
・ヘッドライト
・雨具
・地図
は必携です。地図はどんなやり方でもいいけど、雨に備えて防水してあることが大切。
・レスキューシート
・コンパス
・救急キット
・笛
・ナイフ
も必携。 山では何があるか分かりません。リスクに備えるのが山です。
ヘッドライトは使わない人は使わない。のは日帰りで、保守的な行動時間にしているからで、良いことです。
雨具もそうで、”晴れの日専門登山”の1年目など出番がないと思います。私も出番がないまま、ずっと背負って歩いていました。
山って不思議で、出番がないからって持ち歩かないと、その後ステップアップした時に困ります。
そこのところは、「将来いるような山に行くのだ!」と思うのが大事なのかも?
担いでいれば、ちょうど良く体力もつくし。
持ってきていない人は 「ねん挫して歩けなくなり、暗くなったらどうしよう?」と考えると必要性が分かると思います。
登山は、「〇〇になったらどうしよう?」と考えることができる想像力の勝負のところがあります。
つまり、シナリオの想定力、です。
■ 簡単な山では水を担ぐ
一方、山をステップアップしていくと、日帰りの山の時、あんまりトレーニングにならないなーという気持ちになってしまうことがあります。
そういう時は、水を担ぐといいのだそうです。
バテたら捨てることができるから。
なるほどねーって思いました。
易しいルートは、易しいからって馬鹿にしないで、重くすればトレーニングになります☆
■ 愉しみな山行二つ
今週末は前から楽しみにしていた女子会山行です。 やっぱ女子会っていいでしょ!
八ヶ岳権現編笠。青年小屋にお泊りしたことがないので、前から行ってみたいと思っていました。
去年師匠が青年小屋前に雪洞を掘っていた・・・去年は雪洞泊、大チャンスだったのに、チャンスを生かせず、残念でした・・・ 100年に一度のチャンスだったかもしれない・・・
雪洞泊は、ベテランの知恵が必要な山なんですよね・・・今年はできるかなぁ・・・。寒ければアイスは充実するけど、雪がないかもしれない。
もう一つは地図読み山行です。これは、復習山行。
優れた岳人や会の先輩から、教わったことは世に広める義務があります(笑)。
山はペイフォーワードの世界です。
ロープを置く場所
■山、もとい模様替え
今日は山に行く予定でしたが、予定を変えて、冬仕様に大模様替え大会をしています… ベッド、とソファを配置換え。
私の模様替えは、大規模で知られています(←約一名に。笑)
夫はいつも「ええ~?!このソファー、どうやって一人で動かしたの~?」とびっくりしています。
秋になると、陽が当たる部屋が変わって、寝室にしていた和室に一番陽が当たるように…。それで和室は個室化できる部屋なので、今週末山で前泊に来る友達のために個室を作っておくことにしました。
長い間(といっても半年くらいですが)動かさなかった家具を動かすので、埃がいっぱい出た~!
大掃除です。でも、大模様替え、やったらいつも超スッキリします。ゴミも大漁。捨てるモノ、いっぱい。
私には10年も20年も家具の配置を変えない生活は想像もできません…
だって、陽の光の当たり具合が変わるから。
夏に快適なのは日陰ですが、冬には日向。冬は、背中に日を浴びながら、物書きしたいですよね。
■ロープの置き場
長らく、ロープ置き場に悩んでいました… 玄関に小さな物置がありますが、そこはスタッドレス置きになっている。
その上、ごっつい靴が増えてしまい、冬の靴、夏の靴、沢靴…と色々ありすぎて混雑化しています(笑)。もう履いていないハイヒールの類は、ずっと昔に押入れに引越ししたのに…。
良い場所を発見。ベッドの下です。
ベッドの下というのは風水的には蓄積や停滞を意味し、あまり埃を貯める以外は、用途の無いスペースです。ずっともう使わなくなったような英語の辞書等が入っていました。
なんとロープやクライミングシューズ、テント泊で必要になる消耗品などは、ベッド下がぴったり!
だって重いですからね~。
■ 紫外線に注意
車に積みっぱなしの時もあったのですが、紫外線による劣化が気になる…・ので、積みっぱなしはやめました。ゴムだからなぁ。
ロープは敬意をこめて扱わないと、村〇先生に怒られます(笑)
でも、ヘルメットやハーネス、ぬんちゃくなどのギアは、大体積みっぱなしです(笑)
ヘルメット忘れると登れないから。
です。沢用に15m、トップロープ用に10ミリくらいの太いシングルも欲しいですが・・・先立つものが・・・(笑)。特にトップロープ用は結構シビアに必要そうです。
■ たとえば山とか
考えてみると、甲府に来て、大変大きな生活の変化をしています。
都会暮らし 地方都市暮らし
交通手段: 地下鉄 → 車 (ないと生きていけない)
履物: ハイヒール → アプローチシューズ&クロックス
服: スーツ&Zara → パタゴニア&Gパン
外食: イタリアンに常連 → 外食はめったにしない
買い物: 宅配無農薬野菜 → 産直市場
毎週通う場所: バレエスタジオ → 山
ジム: フィットネスジム → クラミングジム
読書: ビジネス書 → 山の本
スクール: グロービス → 山岳総合センター
ふーむ。変ったことより、変わらないことが重要かもしれませんね~。
相変わらず、
・PCが情報の入り口
・読書は趣味
・音楽はクラシカル
・英語と日本語半々生活
・パンばっかり食べています
・よく歩く
です。都会にいるころは、梅田から難波くらいまで平気で歩いていましたが、舗装路なので、足が痛くなって困っていました。
今は、山を歩いても、以前痛くなったところ(長拇指筋)は痛くはなりません。豆はできるけど…。
私のひそかな野望は、、、”自給自足生活”なのですが・・・、甲府に来てから畑に取り組んだりもしてみましたが、農というのは、都会にいても、地方都市にいても遠いな~ということを実感し、頓挫しました。
野菜って作っていたら、買うより高くつきますしね。
でも、都会にいてはできないことを山梨にいる間にするのが良いと思っています。
たとえば山とか(笑)。
今日は山に行く予定でしたが、予定を変えて、冬仕様に大模様替え大会をしています… ベッド、とソファを配置換え。
私の模様替えは、大規模で知られています(←約一名に。笑)
夫はいつも「ええ~?!このソファー、どうやって一人で動かしたの~?」とびっくりしています。
秋になると、陽が当たる部屋が変わって、寝室にしていた和室に一番陽が当たるように…。それで和室は個室化できる部屋なので、今週末山で前泊に来る友達のために個室を作っておくことにしました。
長い間(といっても半年くらいですが)動かさなかった家具を動かすので、埃がいっぱい出た~!
大掃除です。でも、大模様替え、やったらいつも超スッキリします。ゴミも大漁。捨てるモノ、いっぱい。
私には10年も20年も家具の配置を変えない生活は想像もできません…
だって、陽の光の当たり具合が変わるから。
夏に快適なのは日陰ですが、冬には日向。冬は、背中に日を浴びながら、物書きしたいですよね。
■ロープの置き場
長らく、ロープ置き場に悩んでいました… 玄関に小さな物置がありますが、そこはスタッドレス置きになっている。
その上、ごっつい靴が増えてしまい、冬の靴、夏の靴、沢靴…と色々ありすぎて混雑化しています(笑)。もう履いていないハイヒールの類は、ずっと昔に押入れに引越ししたのに…。
シングル50、ダブル60、縦走用30 |
ベッドの下というのは風水的には蓄積や停滞を意味し、あまり埃を貯める以外は、用途の無いスペースです。ずっともう使わなくなったような英語の辞書等が入っていました。
なんとロープやクライミングシューズ、テント泊で必要になる消耗品などは、ベッド下がぴったり!
だって重いですからね~。
■ 紫外線に注意
車に積みっぱなしの時もあったのですが、紫外線による劣化が気になる…・ので、積みっぱなしはやめました。ゴムだからなぁ。
ロープは敬意をこめて扱わないと、村〇先生に怒られます(笑)
でも、ヘルメットやハーネス、ぬんちゃくなどのギアは、大体積みっぱなしです(笑)
ヘルメット忘れると登れないから。
- シングルは50m、
- ダブルは60m
- 縦走用は30m
です。沢用に15m、トップロープ用に10ミリくらいの太いシングルも欲しいですが・・・先立つものが・・・(笑)。特にトップロープ用は結構シビアに必要そうです。
■ たとえば山とか
考えてみると、甲府に来て、大変大きな生活の変化をしています。
都会暮らし 地方都市暮らし
交通手段: 地下鉄 → 車 (ないと生きていけない)
履物: ハイヒール → アプローチシューズ&クロックス
服: スーツ&Zara → パタゴニア&Gパン
外食: イタリアンに常連 → 外食はめったにしない
買い物: 宅配無農薬野菜 → 産直市場
毎週通う場所: バレエスタジオ → 山
ジム: フィットネスジム → クラミングジム
読書: ビジネス書 → 山の本
スクール: グロービス → 山岳総合センター
ふーむ。変ったことより、変わらないことが重要かもしれませんね~。
相変わらず、
ビレイ用のグローブ買いました |
・読書は趣味
・音楽はクラシカル
・英語と日本語半々生活
・パンばっかり食べています
・よく歩く
です。都会にいるころは、梅田から難波くらいまで平気で歩いていましたが、舗装路なので、足が痛くなって困っていました。
今は、山を歩いても、以前痛くなったところ(長拇指筋)は痛くはなりません。豆はできるけど…。
私のひそかな野望は、、、”自給自足生活”なのですが・・・、甲府に来てから畑に取り組んだりもしてみましたが、農というのは、都会にいても、地方都市にいても遠いな~ということを実感し、頓挫しました。
野菜って作っていたら、買うより高くつきますしね。
でも、都会にいてはできないことを山梨にいる間にするのが良いと思っています。
たとえば山とか(笑)。
Tuesday, October 28, 2014
桃福センター
■ 自然学校
今日は小諸に行っていました☆
「自然学校指導者養成講座」
の概要を聞きに行くためです。
ここは情報拠点らしく、様々な有名な方が集う場所のようでした。
自然観察指導員のコースは、1年の受講で3か月の座学、半年のOJTで、自然ガイドのガイドステージⅠが無試験で取得できるそうです。トータル80万円くらいなので、山小屋3か月分ですね(笑)
■ 生きる力
大人にも子供にも冒険力が必要だ!
現代社会が何もかも急ぎすぎるからです。
ともかく日本人は総体的に、豊かすぎ、恵まれすぎて、目の前のことだけに終始してしまうと、”自分が求めているもの”が分からなくなる。
それは子供の頃に種をまかれている。
■子供好き
私は、学生の頃、ベビーシッターをしていたのですが、赤ちゃんではなくて、6歳のマシューと11歳のダニエルのシッターでした。(その後、2歳の赤ちゃんと3歳のお兄ちゃんも経験しました)
それで、子供との過ごし方には、一家言あります(笑)
子供は子供時間で。
今は子供を大人時間に付き合わせすぎです。子供の時にしかできない遊びを一杯させてあげたらいいのに、人の先を越さんとばかり、お受験漬け&習い事漬けです・・・それって大人の価値観の押し付け、ですよね。
■ 自然時間
私は、山に行くのが好きな人の多くは、世俗のしがらみから、解放された、山時間が好きなのではないかなぁ・・・と思ったりします。
焚火を見ながらほっこりしたり・・・テントをたたく雨音を聞いたり・・・ きれいな空を眺めたり・・・
葉っぱも、花も、樹木にも、色々な発見が。 何より、自分自身の発見が。
何しろ人生って、思ってもみない方向に開けてきたりしますからね~!わくわく!!それは未知を発見するからです!
■ Goodデザインの安藤桃福記念自然体験活動 指導者養成センター
安藤桃福センターは、
カップヌードルの創設者が作った施設でした。
デザイナーズブランド(笑)。
私はデザイン建築好きなので、興味津々。
ツリーハウスに興味があったのですが、
残念ながら、実用ではないそうです・・・(汗)。
デザイン性を優先しすぎると、実用が犠牲になるのは、なんとかなりませんかねぇ・・・。
それが普通なの、日本だけだと思いますが。
今はグッドデザインなのに実用的!は世界スタンダードですよね!!
職員の方のご厚意で、ネットで出来たツリーハウスに登ってみた。
足元透け透けでこわーい!
この素材は建材になるんだってことが、すごい。
これはトレーラーハウス?
最近、楽しみにしている
yadokari.net
も世界の面白い住居が載っていて、すごく面白いです。
どこを見ても似たり寄ったりの家で、35年ローン3000万の家ばかりで、建てては壊している日本は、
発想が貧困
なんだと分かります(笑)。
こうした面白いデザインハウスは
・実用面
・経済性
がネックですね~ デザインの世界もコンペに汚染されているからなぁ・・・。つまり競争。
競争に勝たなくても、経済的に成り立つ世界を、次世代に向けて作って行きたいものです。
大阪谷八の私んちも、一応デザイナーズですが・・・無垢の木で作ったので気持ち良かったなぁ・・・。コンペには勝っていません(笑)。
結局競争が支配しているってことは、”すごい”を決める価値観が画一的ってことなのかもしれない。
多様性とか、個性とかいうものは、競争とは、また別の価値観だ。
そこのところは、負け惜しみではなく、ホントです(笑)。
今日は小諸に行っていました☆
「自然学校指導者養成講座」
の概要を聞きに行くためです。
ここは情報拠点らしく、様々な有名な方が集う場所のようでした。
自然観察指導員のコースは、1年の受講で3か月の座学、半年のOJTで、自然ガイドのガイドステージⅠが無試験で取得できるそうです。トータル80万円くらいなので、山小屋3か月分ですね(笑)
■ 生きる力
大人にも子供にも冒険力が必要だ!
現代社会が何もかも急ぎすぎるからです。
ともかく日本人は総体的に、豊かすぎ、恵まれすぎて、目の前のことだけに終始してしまうと、”自分が求めているもの”が分からなくなる。
それは子供の頃に種をまかれている。
■子供好き
私は、学生の頃、ベビーシッターをしていたのですが、赤ちゃんではなくて、6歳のマシューと11歳のダニエルのシッターでした。(その後、2歳の赤ちゃんと3歳のお兄ちゃんも経験しました)
それで、子供との過ごし方には、一家言あります(笑)
子供は子供時間で。
今は子供を大人時間に付き合わせすぎです。子供の時にしかできない遊びを一杯させてあげたらいいのに、人の先を越さんとばかり、お受験漬け&習い事漬けです・・・それって大人の価値観の押し付け、ですよね。
■ 自然時間
私は、山に行くのが好きな人の多くは、世俗のしがらみから、解放された、山時間が好きなのではないかなぁ・・・と思ったりします。
焚火を見ながらほっこりしたり・・・テントをたたく雨音を聞いたり・・・ きれいな空を眺めたり・・・
葉っぱも、花も、樹木にも、色々な発見が。 何より、自分自身の発見が。
何しろ人生って、思ってもみない方向に開けてきたりしますからね~!わくわく!!それは未知を発見するからです!
■ Goodデザインの安藤桃福記念自然体験活動 指導者養成センター
安藤桃福センターは、
カップヌードルの創設者が作った施設でした。
デザイナーズブランド(笑)。
私はデザイン建築好きなので、興味津々。
ツリーハウスに興味があったのですが、
残念ながら、実用ではないそうです・・・(汗)。
デザイン性を優先しすぎると、実用が犠牲になるのは、なんとかなりませんかねぇ・・・。
それが普通なの、日本だけだと思いますが。
今はグッドデザインなのに実用的!は世界スタンダードですよね!!
職員の方のご厚意で、ネットで出来たツリーハウスに登ってみた。
足元透け透けでこわーい!
この素材は建材になるんだってことが、すごい。
これはトレーラーハウス?
最近、楽しみにしている
yadokari.net
も世界の面白い住居が載っていて、すごく面白いです。
どこを見ても似たり寄ったりの家で、35年ローン3000万の家ばかりで、建てては壊している日本は、
発想が貧困
なんだと分かります(笑)。
こうした面白いデザインハウスは
・実用面
・経済性
がネックですね~ デザインの世界もコンペに汚染されているからなぁ・・・。つまり競争。
競争に勝たなくても、経済的に成り立つ世界を、次世代に向けて作って行きたいものです。
大阪谷八の私んちも、一応デザイナーズですが・・・無垢の木で作ったので気持ち良かったなぁ・・・。コンペには勝っていません(笑)。
結局競争が支配しているってことは、”すごい”を決める価値観が画一的ってことなのかもしれない。
多様性とか、個性とかいうものは、競争とは、また別の価値観だ。
そこのところは、負け惜しみではなく、ホントです(笑)。
Monday, October 27, 2014
山ガールも成長する
■ 山では40代は若い
「そうだよなぁ、山ガールも成長するよなぁ」
と言ったのは、入会した会の先輩だった・・・が、当時私は自分を”山ガール”と認識しておらず、「?」と思っただけだった。
登山を始めて4年。2年目くらいまでは、しょっちゅう 「山ガールが来たから道あけて~」と言われた。
言っている相手は、中高年が多くて、別に深い意味はないのだろうけど、私は「はて?」となっていた。
ガールと言うには、年をこちらも取りすぎているからだ(笑)。
でも、実際、山では 年齢は 相対年齢 ということが、最近は分かってきた。
巷では、若いとは20代のことを言う。山では30代、40代は若い。それは60代から見るからだ。
最近は、「道をあけてあげて~」とは、言われない。のは、道を明けてもらう必要がない、誰もいない山しか行かないから(^^v)。
■ 山ガールも成長する
都会の”ホンモノ”の山ガールの人たちは、一体どうしているんだろう・・・?と思って、ちらっと聞いてみたら、”西穂~奥穂と北鎌尾根を歩いたら上がり” なのだそうだ…。
なるほどなぁ。 なんとなく、やっぱり感がある。というのは、歩ける”ガチ山おばちゃんたち”もそうだからだ。山岳会に来るような、登山を一人でやってきた男性もそうだ。なぜか皆、最終終着点は北鎌尾根。
でも、実は、山って、そこからがスタートなんだけどなぁ・・・。
みなさん、登山大系を読みましょう☆
でも、ワカラナイでもない。 今の社会には、成長した山ガールの受け皿がない。
バリエーションに行くような人は、どうやって成長して行ったらいいのだろう?
山梨では、山岳会を6つも検討し、2つに入会した。
けれど、やっぱり、高齢化の波は押し寄せているなぁ、という感じはするし、パートナーになってくれそうな同年齢の女性クライマーは、どこにもいない。
パートナーがいないとバリエーションはいけないし、いても男性だと、一緒にテント泊できない、など、宿泊がネックで、同行者としては不適だと最近わかった。
山の人の中では、同じテントなんて、普通で、恋愛関係なんて、一切なくても、そう思ってしまうのが、下界の考えだからだ。
それでも、やっぱり会に入らないよりは、入った方が、絶対に山は広がり、会の先輩たちには、とても感謝している。それに師匠にも感謝している。
■ 登山初心者 vs 地図読み初心者
昨日は、読図講習会に出てきたのだが、地図読み講習会って、何も分からない登山初心者と超ベテランの接点になっている。
地図読みは、一般に初心者向けと書いてあるので、”登山の”初心者が来てしまう。
でも、実は、”登山初心者”と”地図読み初心者”は違う。
登山の初心者ではなくても、地図読みの初心者の人は、世の中にはたくさんいる。実は、その人たちの方がむしろ、まったく登山初心者の人たちより、道迷いリスクが高い。
登山初心者は、ガイドブックで、難易度1や2の、道が明瞭な山しか行かないからだ。
でも、登山初心者じゃなくても、地図が読めない人たちは、自分は初心者じゃないと思って、講習会には来ないだろうなぁ・・・と思う。
■ 地図読みはベテランの技
教える側から言うと、地図読みはベテランじゃないと教えられない。
の3つがベテランの技を要するからだ。
連れて行きやすい山ではない。
大体、日本中の歩きやすい場所は、すでに歩かれているので、ピンクテープがない場所を探すと、登山道と比べて、傾斜が急だったり、手がかり足がかりがなかったり、倒木が多かったりして、歩きにくい道になりがちなのだ。
ので、登山初心者の人が参加すると、道が悪くて、びっくりするだろう。 高齢の人が参加しても、歩きづらくてびっくりするだろう。
昨日使ったのは、きわめて歩きやすい山だったけれど、参加者のおじさんが「雨がふったら難路」と言っていた。
でも、あれは雨が降っても、”易しい”に分類される道だった(笑)。
やはり、非一般ルートは、一般ルートしか歩いていない人にとっては、大変なんだ、と思った。
■ 女性であるメリット
思うのだが、会の男性や同僚は、こうした講習会には参加できない。
少しでも、山ヤのプライド、が生まれてしまうと、講習会などは参加しなくなるし、娯楽の山を優先すれば、学習する山はおろそかになる。
貴重な休みをどちらに使いたいか?というのは、価値観だけでなく、時間そのものの重みにもよる。仕事で疲れていれば、休みくらいは自分の愉しみに使いたいだろう。ただで先輩から教わることに慣れてしまうと、たった4000円も高い、という人もいる。
だから、私が女性だと言うのは、すごいメリットかもしれない・・・ 自分にできない技術があれば、外部に教えを請うことは、あまり難しくないからだ。
去年は
・アイスクライミング講習 1.7万円
・富士山雪上訓練 1.2万円
・雪崩講習会 2.5万円×2
に参加しているし、夏の期間は
・猪熊予報士のお天気講習会 東京遠征費用 + 2000円
に参加した。
・岩講習
・沢講習
・レスキュー
にも、出たかったのだが、瑞牆山の岩講習会は雨で流れてしまった。沢の講習会があれば、仲間を得るためにも出たい、と思っていたのだが、岳連主催の沢講習会は、参加者が少なかった。
秀山荘の沢の机上講習とか、凄く出たいな~と思ってしまう。
アイスは、今年も一回は誰かの講習を受けた方が良いと思っている。去年とおとどしは、保科さんのに出た。講習会に出ると、最新のギアを試せたり、パートナーが見つかったりするのが良いところだ。
■ 山の知り合いを増やす場
そういう場は、仲間を得る場としても使えるし、先生となってくれる人を得る場としても使えるのだ。
でも、そういう意識で、講習会を見ている人は少ない。それは、たぶん、まだパートナーが必要な山を知らないからだ。
講習会の後、「山の知り合いを増やす会」をやってくれると助かるんだがなぁ。
ガイドさんのお客さんを奪っては悪い、という見方もあるかもしれないが、教える側も、生徒同士で山に行ってくれると、助かることも多い。
のは、何から何まで教え切れないし、安全管理上、手がかかるお客さんより、手がかからないお客さんの方が上客だからだ。心配のイラナイお客さんは良いお客さんだ。
一度連れて行った山に、生徒同士で一緒に行ってくれると、安心してステップアップした山に連れて行ける。
困るのは、自分はステップアップしていないのに、連れて行ってほしい山ばかりステップアップする人。リスクだけが上がっていく。
それに基本的には、山力が上がるほうが山に行く人自身の安全が増え、山文化が栄える。
優れたガイドは、お客さん同士が行く山と、自分が連れて行く山の質の差を分かっているから、お客の取り合いとは思わないようだ。
山は学びきれないくらい、色々な知識が必要だ。それに磨かれた判断力は、一朝一夕には身につかない。
■ 先生を得る場
山は誰かに教えを請わなくてはならない。でも、今はその先生役を得るのがすごく難しい。
むかし、山岳会に蓄積していた山の知識は、先輩格の人が、みなガイドになってしまったみたいなのだ。
バレエでは、お教室に入会する前にワンレッスン無料体験を受けることができるのが普通だ。ヨガも大抵は一回目は無料で、先生や教室との相性を見てから、入会するかどうかを決めることができる。
なのに、登山ガイドをお願いするときはそれができない。
私はそれは、ガイド業において、かなりネックだと思う。見も知らない相手に命を預けることなんて、普通出来ない相談だからだ。
だから、講習会、などは、そういう意味で敷居の低いお見合いの場、としてみると、かなり有効性が高いと思う。
どんなに優れた人とでも、話の合う・合わないはあるし、上手いクライマーが教え上手とは限らない。
誰だって、一緒にいたい人と一緒にいたいのだ。
パートナーを選ぶとき、そういう視点で選んでいない人もいて、どう考えても、一緒に行けない人から誘われると困ってしまう。
■ 地図読みとクライミング
私にとって、地図読みは、まだまだ磨きたい技術の一つだ。
それは近所で、日常的に冒険的な山をしようと思うと、必要になるから。夏は沢で必要。
でも、地図読みだけでは、変わった山には、行くことはできない。
最近、伝丈沢程度なら一人で行けそう、と自信を深めているが、懸垂下降に自信がつくまでは、自分一人で、地図読み山行をする気持ちには、なかなかなれなかった。
例え茅ヶ岳であっても、だ。
尾根の末端は急なことが多い。たとえ林道があったにしても、そこが石積みや法面だったら、進退窮まる、と思ったから。最後3mくらいのことで、降りれない可能性だってあるわけだし…。
それを言ったら、ベテランに心配しすぎのように笑われたが、やっぱり昨日は、私の判断は正しかったと思った。
天野さんも、
両方揃って、地図読み山行にチャレンジできる、と言っていたから。
私はもう懸垂などのロープワークは問題ないので、たいていの山なら歩ける。
が、降りた後、やっぱり上の方が良かったな~と思っても、登り返しができない(笑)
だから、まだまだクライミング講習は必要かもしれないし、雪山のアイゼン歩行は、毎年それだけの山をした方がいいな~と思っている。油断は禁物だからだ。
今年も独評に行くかな~。燕岳で済ますかな~。
山ガール成長中・・・ |
と言ったのは、入会した会の先輩だった・・・が、当時私は自分を”山ガール”と認識しておらず、「?」と思っただけだった。
登山を始めて4年。2年目くらいまでは、しょっちゅう 「山ガールが来たから道あけて~」と言われた。
言っている相手は、中高年が多くて、別に深い意味はないのだろうけど、私は「はて?」となっていた。
ガールと言うには、年をこちらも取りすぎているからだ(笑)。
でも、実際、山では 年齢は 相対年齢 ということが、最近は分かってきた。
巷では、若いとは20代のことを言う。山では30代、40代は若い。それは60代から見るからだ。
最近は、「道をあけてあげて~」とは、言われない。のは、道を明けてもらう必要がない、誰もいない山しか行かないから(^^v)。
都会の”ホンモノ”の山ガールの人たちは、一体どうしているんだろう・・・?と思って、ちらっと聞いてみたら、”西穂~奥穂と北鎌尾根を歩いたら上がり” なのだそうだ…。
師匠と私 |
なるほどなぁ。 なんとなく、やっぱり感がある。というのは、歩ける”ガチ山おばちゃんたち”もそうだからだ。山岳会に来るような、登山を一人でやってきた男性もそうだ。なぜか皆、最終終着点は北鎌尾根。
でも、実は、山って、そこからがスタートなんだけどなぁ・・・。
みなさん、登山大系を読みましょう☆
でも、ワカラナイでもない。 今の社会には、成長した山ガールの受け皿がない。
バリエーションに行くような人は、どうやって成長して行ったらいいのだろう?
山梨では、山岳会を6つも検討し、2つに入会した。
けれど、やっぱり、高齢化の波は押し寄せているなぁ、という感じはするし、パートナーになってくれそうな同年齢の女性クライマーは、どこにもいない。
パートナーがいないとバリエーションはいけないし、いても男性だと、一緒にテント泊できない、など、宿泊がネックで、同行者としては不適だと最近わかった。
山の人の中では、同じテントなんて、普通で、恋愛関係なんて、一切なくても、そう思ってしまうのが、下界の考えだからだ。
それでも、やっぱり会に入らないよりは、入った方が、絶対に山は広がり、会の先輩たちには、とても感謝している。それに師匠にも感謝している。
■ 登山初心者 vs 地図読み初心者
昨日は、読図講習会に出てきたのだが、地図読み講習会って、何も分からない登山初心者と超ベテランの接点になっている。
地図読みは、一般に初心者向けと書いてあるので、”登山の”初心者が来てしまう。
でも、実は、”登山初心者”と”地図読み初心者”は違う。
登山の初心者ではなくても、地図読みの初心者の人は、世の中にはたくさんいる。実は、その人たちの方がむしろ、まったく登山初心者の人たちより、道迷いリスクが高い。
登山初心者は、ガイドブックで、難易度1や2の、道が明瞭な山しか行かないからだ。
でも、登山初心者じゃなくても、地図が読めない人たちは、自分は初心者じゃないと思って、講習会には来ないだろうなぁ・・・と思う。
■ 地図読みはベテランの技
教える側から言うと、地図読みはベテランじゃないと教えられない。
- 開催する山が非一般道
- そのためリスク管理が高度
- 開催する山を知っている
の3つがベテランの技を要するからだ。
連れて行きやすい山ではない。
大体、日本中の歩きやすい場所は、すでに歩かれているので、ピンクテープがない場所を探すと、登山道と比べて、傾斜が急だったり、手がかり足がかりがなかったり、倒木が多かったりして、歩きにくい道になりがちなのだ。
ので、登山初心者の人が参加すると、道が悪くて、びっくりするだろう。 高齢の人が参加しても、歩きづらくてびっくりするだろう。
昨日使ったのは、きわめて歩きやすい山だったけれど、参加者のおじさんが「雨がふったら難路」と言っていた。
でも、あれは雨が降っても、”易しい”に分類される道だった(笑)。
やはり、非一般ルートは、一般ルートしか歩いていない人にとっては、大変なんだ、と思った。
■ 女性であるメリット
思うのだが、会の男性や同僚は、こうした講習会には参加できない。
少しでも、山ヤのプライド、が生まれてしまうと、講習会などは参加しなくなるし、娯楽の山を優先すれば、学習する山はおろそかになる。
貴重な休みをどちらに使いたいか?というのは、価値観だけでなく、時間そのものの重みにもよる。仕事で疲れていれば、休みくらいは自分の愉しみに使いたいだろう。ただで先輩から教わることに慣れてしまうと、たった4000円も高い、という人もいる。
だから、私が女性だと言うのは、すごいメリットかもしれない・・・ 自分にできない技術があれば、外部に教えを請うことは、あまり難しくないからだ。
去年は
・アイスクライミング講習 1.7万円
・富士山雪上訓練 1.2万円
・雪崩講習会 2.5万円×2
に参加しているし、夏の期間は
・猪熊予報士のお天気講習会 東京遠征費用 + 2000円
に参加した。
・岩講習
・沢講習
・レスキュー
にも、出たかったのだが、瑞牆山の岩講習会は雨で流れてしまった。沢の講習会があれば、仲間を得るためにも出たい、と思っていたのだが、岳連主催の沢講習会は、参加者が少なかった。
秀山荘の沢の机上講習とか、凄く出たいな~と思ってしまう。
アイスは、今年も一回は誰かの講習を受けた方が良いと思っている。去年とおとどしは、保科さんのに出た。講習会に出ると、最新のギアを試せたり、パートナーが見つかったりするのが良いところだ。
■ 山の知り合いを増やす場
裏山ラッセル中 |
でも、そういう意識で、講習会を見ている人は少ない。それは、たぶん、まだパートナーが必要な山を知らないからだ。
講習会の後、「山の知り合いを増やす会」をやってくれると助かるんだがなぁ。
ガイドさんのお客さんを奪っては悪い、という見方もあるかもしれないが、教える側も、生徒同士で山に行ってくれると、助かることも多い。
のは、何から何まで教え切れないし、安全管理上、手がかかるお客さんより、手がかからないお客さんの方が上客だからだ。心配のイラナイお客さんは良いお客さんだ。
一度連れて行った山に、生徒同士で一緒に行ってくれると、安心してステップアップした山に連れて行ける。
困るのは、自分はステップアップしていないのに、連れて行ってほしい山ばかりステップアップする人。リスクだけが上がっていく。
それに基本的には、山力が上がるほうが山に行く人自身の安全が増え、山文化が栄える。
優れたガイドは、お客さん同士が行く山と、自分が連れて行く山の質の差を分かっているから、お客の取り合いとは思わないようだ。
山は学びきれないくらい、色々な知識が必要だ。それに磨かれた判断力は、一朝一夕には身につかない。
■ 先生を得る場
醤油樽の滝 |
むかし、山岳会に蓄積していた山の知識は、先輩格の人が、みなガイドになってしまったみたいなのだ。
バレエでは、お教室に入会する前にワンレッスン無料体験を受けることができるのが普通だ。ヨガも大抵は一回目は無料で、先生や教室との相性を見てから、入会するかどうかを決めることができる。
なのに、登山ガイドをお願いするときはそれができない。
私はそれは、ガイド業において、かなりネックだと思う。見も知らない相手に命を預けることなんて、普通出来ない相談だからだ。
だから、講習会、などは、そういう意味で敷居の低いお見合いの場、としてみると、かなり有効性が高いと思う。
どんなに優れた人とでも、話の合う・合わないはあるし、上手いクライマーが教え上手とは限らない。
誰だって、一緒にいたい人と一緒にいたいのだ。
パートナーを選ぶとき、そういう視点で選んでいない人もいて、どう考えても、一緒に行けない人から誘われると困ってしまう。
■ 地図読みとクライミング
私にとって、地図読みは、まだまだ磨きたい技術の一つだ。
それは近所で、日常的に冒険的な山をしようと思うと、必要になるから。夏は沢で必要。
でも、地図読みだけでは、変わった山には、行くことはできない。
最近、伝丈沢程度なら一人で行けそう、と自信を深めているが、懸垂下降に自信がつくまでは、自分一人で、地図読み山行をする気持ちには、なかなかなれなかった。
例え茅ヶ岳であっても、だ。
それを言ったら、ベテランに心配しすぎのように笑われたが、やっぱり昨日は、私の判断は正しかったと思った。
天野さんも、
- ロープワーク
- 地図読み
両方揃って、地図読み山行にチャレンジできる、と言っていたから。
私はもう懸垂などのロープワークは問題ないので、たいていの山なら歩ける。
が、降りた後、やっぱり上の方が良かったな~と思っても、登り返しができない(笑)
だから、まだまだクライミング講習は必要かもしれないし、雪山のアイゼン歩行は、毎年それだけの山をした方がいいな~と思っている。油断は禁物だからだ。
今年も独評に行くかな~。燕岳で済ますかな~。
Sunday, October 26, 2014
その先のシナリオを読む 地図読み講習
■ 秋の地図読み
今日は、アルパインクライマーの天野和明さんの地図読み講習会に行ってきました☆
ICIの主催です。参加者は10名。 笛吹市民の裏山、兜山です。秋の紅葉がとてもキレイでした。
今日は雨になるかもしれないという予報だったので、振られなくて良かったです。
地図読みは地味な技術ですが、好きな所を自由に歩けるようになるのが楽しいです。
天野さんいわく
地図が読めて
ロープワークができる
と、どこでも歩ける。
小さい秋、みーつけた、の図。
地図読みしていると、景色を楽しむことが後回しになりますが(笑)、今日は良い日でした。
兜山には初めて行ったのですが、ここは岩場もあるので、またぜひクライミングで行きたいですね。
乾徳山も岩場があるよなぁ・・・
今日は横浜ナンバーの車のクライマーが来ていたようだった。
それ以外は我々と、あとはオジサン一人にしかあわなかった。
■ 地図読みはベテランっぽい趣味だ
地図読みは、地味だし、実際の山ではほとんど使わないで済んでしまう技術だが、それだけに、地図読みを面白いと思うか?思わないか?で、登山の適性が決まるような気もする。
面白いと思わない人は、山と対話していないかもしれない、登山のただスポーツ的な側面しか、楽しんでいないのかもしれない。(と、何が面白いの?と、不満げな参加者を見て思った)
無論、登山には、色々な面があり、どんな風に楽しんでも良い。
だが、登山の愉しみの大きな部分は
山との対話
にあり、その対話を捨ててしまうことにもつながる要素とそうでないものがある・・・
たとえば”小屋泊”を捨てても、山との対話を捨てることにはならないだろう。
天気図を書く、は、ヤマテンに置き換えることもできる(笑)。
でも、地図読みを捨てたら?それは金魚の糞登山限定になってしまう。
それは、言ってしまえば、山を捨てる、ことになるかもしれない。
地図読みはやはり登山で欠かすことのできないスキルだと思う。
海外のアルパインでは使わないかもしれないけど・・。
天野さんはヨーロッパで役に立ったと言っていました。
今日は、他にも色々と、なんだか相談に乗ってもらったような気がします(^^)。とっても勉強になりました。
■ 初級地図読み
地図読みは、教え方にも講師によっていろいろ特徴がある。地図から現在地を確認すること、を優先する人もいるし、コンパスをセットして、尾根を降りて、目標物に正確に辿り着けることを重視する人もいる。
今日は
が具体的な習得目標だったようだ。
また、思想的には
が重要だと感じた。
つまり、
その先のシナリオを想定する力、
だ。
最近、リスク管理について考えていて、クライミングでも、山でも、
その先のシナリオからリスクを想像する力、
が、一人の岳人の危機管理能力の要諦ではないか?と思うようになった。
つまり優れた岳人は、その先を読む力が大きい。一手先だけでなく、二手、三手先を読んでいる。
もちろん、一手読む人より、二手読む人のほうが優れている。
さらに言えば、たくさんのことを想定でき、読み取れる人の方が、より優れている。
無論、疑心暗鬼に駆られたり、根拠のない思想に駆られたりする必要はないのが。
それにこれまで、何人か、プロガイドになるような、優れた岳人と接する機会があって、気が付いたのだが、やはり優れた岳人は、山のあらゆる側面を楽しむ方法を知っているようであり、登攀型とか縦走型とか、アイスをする・しないとか、色々とスタイルの違いがあっても、やはりどこか、同じ価値観に動かされている感じがある。
今日は、アルパインクライマーの天野和明さんの地図読み講習会に行ってきました☆
ICIの主催です。参加者は10名。 笛吹市民の裏山、兜山です。秋の紅葉がとてもキレイでした。
今日は雨になるかもしれないという予報だったので、振られなくて良かったです。
地図読みは地味な技術ですが、好きな所を自由に歩けるようになるのが楽しいです。
天野さんいわく
地図が読めて
ロープワークができる
と、どこでも歩ける。
小さい秋、みーつけた、の図。
地図読みしていると、景色を楽しむことが後回しになりますが(笑)、今日は良い日でした。
兜山には初めて行ったのですが、ここは岩場もあるので、またぜひクライミングで行きたいですね。
乾徳山も岩場があるよなぁ・・・
今日は横浜ナンバーの車のクライマーが来ていたようだった。
それ以外は我々と、あとはオジサン一人にしかあわなかった。
■ 地図読みはベテランっぽい趣味だ
地図読みは、地味だし、実際の山ではほとんど使わないで済んでしまう技術だが、それだけに、地図読みを面白いと思うか?思わないか?で、登山の適性が決まるような気もする。
面白いと思わない人は、山と対話していないかもしれない、登山のただスポーツ的な側面しか、楽しんでいないのかもしれない。(と、何が面白いの?と、不満げな参加者を見て思った)
道はないけれど、踏み跡明瞭 |
無論、登山には、色々な面があり、どんな風に楽しんでも良い。
だが、登山の愉しみの大きな部分は
山との対話
にあり、その対話を捨ててしまうことにもつながる要素とそうでないものがある・・・
たとえば”小屋泊”を捨てても、山との対話を捨てることにはならないだろう。
天気図を書く、は、ヤマテンに置き換えることもできる(笑)。
でも、地図読みを捨てたら?それは金魚の糞登山限定になってしまう。
それは、言ってしまえば、山を捨てる、ことになるかもしれない。
地図読みはやはり登山で欠かすことのできないスキルだと思う。
海外のアルパインでは使わないかもしれないけど・・。
天野さんはヨーロッパで役に立ったと言っていました。
天野さんが持ってきてくれた行動食 |
店長おススメ 行動食 |
谷地形のところを懸垂で帰ろうとしたら、落石でコレはダメだと思ったのだそうです。尾根を拾って無事下界にたどり着いたのだそう
今日は、他にも色々と、なんだか相談に乗ってもらったような気がします(^^)。とっても勉強になりました。
■ 初級地図読み
地図読みは、教え方にも講師によっていろいろ特徴がある。地図から現在地を確認すること、を優先する人もいるし、コンパスをセットして、尾根を降りて、目標物に正確に辿り着けることを重視する人もいる。
今日は
- 尾根と沢を読む
- ピークとコルで現在地を特定する
が具体的な習得目標だったようだ。
また、思想的には
- どれだけ先を読めるか、
- どれだけ多くのことを読めるか
が重要だと感じた。
つまり、
その先のシナリオを想定する力、
だ。
最近、リスク管理について考えていて、クライミングでも、山でも、
その先のシナリオからリスクを想像する力、
が、一人の岳人の危機管理能力の要諦ではないか?と思うようになった。
つまり優れた岳人は、その先を読む力が大きい。一手先だけでなく、二手、三手先を読んでいる。
もちろん、一手読む人より、二手読む人のほうが優れている。
さらに言えば、たくさんのことを想定でき、読み取れる人の方が、より優れている。
無論、疑心暗鬼に駆られたり、根拠のない思想に駆られたりする必要はないのが。
それにこれまで、何人か、プロガイドになるような、優れた岳人と接する機会があって、気が付いたのだが、やはり優れた岳人は、山のあらゆる側面を楽しむ方法を知っているようであり、登攀型とか縦走型とか、アイスをする・しないとか、色々とスタイルの違いがあっても、やはりどこか、同じ価値観に動かされている感じがある。
■ どこにでも道がある日本
今日は、もちろん、地図に記載のない道を歩いたのだが、それでもやっぱり踏み跡はあった(笑)。
でもそれは、地図を読まなければならない、と思っている参加者には、あまり気づかれることはないようだ(笑)。
日本には踏まれていない尾根はないのではないか?と思える。市や町の境界線も大抵は歩かれている。それは、それだけ登山の層の厚みが厚いということなのだろうか?
すると、神峰なんてピーク名が出てきたりして、地図にない地名というものも、たくさんあるんだろうなぁ・・・
地名には日本の歴史が詰まっている。
日本を知ることは、日本人である自分のルーツを知ることにもつながる気がする。
■ 甲州アルプス
天野さんは大菩薩の麓、日川あたりがご実家だそうです。
今、小金沢連嶺を ”甲州アルプス”として売りに出しているのだそうです(笑)
私は、ここは以前から、藪の薄くなる秋か、3月の雪のあるとき、縦走したいな~と思っていたりしたのですが、アプローチの前後に車が2台必要そうで、まだ実現していません。
でも、歩くことリストに入っています。
八ヶ岳東面のバリエーションもいい、と天野さんも言っていたのですが、どこを思っていたのかなぁ・・・。
まさか、権現東尾根(笑)? 聞いておけばよかったです。
私は、11月は最初の週は、女友達と小屋締めの手伝い山行、最終週は燕山荘で雪山テント泊リハーサル山行を予定しています。
12月に入ると、もうアイスシーズンです。
ゲレンデは、南沢小滝から開始ですかね。金ヶ窪沢も2シーズン目。今年はジョーゴ沢行けるかなぁ・・・。清兵衛沢やおとめの滝も同行者がいれば、行ってみたいです。仙波の滝は今年は凍るでしょうか?去年でさえ、一瞬しか機会がなかったですが・・・
今年も保科さんの講習を一回くらいは受けるかもです。
鉱泉、岩根山荘のアイスツリーは行く機会あるかなぁ・・・もうアイスツリー作りに入っているそうです。
ルートは、12月後半に、峰の松目沢に行きたいと思っています。
イボイノシシ、ICIには置いていない、と言ったら、置いてくれるそうです(笑)
スクリューは13cmでも結構大丈夫なんだそうです。なんか支点崩壊しそうで怖いけど、そういうのも、経験で怖くなくなっていくのかもしれません。天野さんはミックスアイス派みたいでした。アックスはノミック。
そんなこんな話をして、会の先輩と歩いているような感じの講習会でした☆
今日は、もちろん、地図に記載のない道を歩いたのだが、それでもやっぱり踏み跡はあった(笑)。
でもそれは、地図を読まなければならない、と思っている参加者には、あまり気づかれることはないようだ(笑)。
日本には踏まれていない尾根はないのではないか?と思える。市や町の境界線も大抵は歩かれている。それは、それだけ登山の層の厚みが厚いということなのだろうか?
すると、神峰なんてピーク名が出てきたりして、地図にない地名というものも、たくさんあるんだろうなぁ・・・
地名には日本の歴史が詰まっている。
日本を知ることは、日本人である自分のルーツを知ることにもつながる気がする。
■ 甲州アルプス
天野さんは大菩薩の麓、日川あたりがご実家だそうです。
今、小金沢連嶺を ”甲州アルプス”として売りに出しているのだそうです(笑)
私は、ここは以前から、藪の薄くなる秋か、3月の雪のあるとき、縦走したいな~と思っていたりしたのですが、アプローチの前後に車が2台必要そうで、まだ実現していません。
でも、歩くことリストに入っています。
八ヶ岳東面のバリエーションもいい、と天野さんも言っていたのですが、どこを思っていたのかなぁ・・・。
まさか、権現東尾根(笑)? 聞いておけばよかったです。
私は、11月は最初の週は、女友達と小屋締めの手伝い山行、最終週は燕山荘で雪山テント泊リハーサル山行を予定しています。
12月に入ると、もうアイスシーズンです。
ゲレンデは、南沢小滝から開始ですかね。金ヶ窪沢も2シーズン目。今年はジョーゴ沢行けるかなぁ・・・。清兵衛沢やおとめの滝も同行者がいれば、行ってみたいです。仙波の滝は今年は凍るでしょうか?去年でさえ、一瞬しか機会がなかったですが・・・
今年も保科さんの講習を一回くらいは受けるかもです。
鉱泉、岩根山荘のアイスツリーは行く機会あるかなぁ・・・もうアイスツリー作りに入っているそうです。
ルートは、12月後半に、峰の松目沢に行きたいと思っています。
イボイノシシ、ICIには置いていない、と言ったら、置いてくれるそうです(笑)
スクリューは13cmでも結構大丈夫なんだそうです。なんか支点崩壊しそうで怖いけど、そういうのも、経験で怖くなくなっていくのかもしれません。天野さんはミックスアイス派みたいでした。アックスはノミック。
そんなこんな話をして、会の先輩と歩いているような感じの講習会でした☆
≪参考サイト≫
イボイノシシって何?って方はここ
Saturday, October 25, 2014
秋の小川山
クライマー御用達 ナナーズ |
今日は久しぶりのクライミングデーでした。外岩、久しぶりだなぁ・・・
というか、登ること自体も久しぶりな感じですが、まぁそこは・・・。
今日は 甲府は寒かったのに、小川山に着いたら、快晴だった。
同じ道を通るのが嫌いと言う悪癖が出て、明野あたりでウロウロしてしまったが、2時間半前とゆとりを持って出たので、ナナーズ開店前に到着。 8時半についてしまった・・・
ナナーズ前から見えた山 |
今日は岩場が混んでいそうで、ちょっと心配に・・・
ナナーズで知り合いに合う・・・業界は非常に狭そうです(笑)
初段一撃だって~すごいなー!
私はクライミングは、あんまり上手でないのです。
目指しているのは、5級マスター。
つまり、5.9なら落ちない人です。
5.10以上は、登山とは別のたしなみ、と考えることにしました。
5.12とかのマルチピッチをしかも高山でやっている人たち・・・つまり、高難度マルチ、ですが・・・雲の上の話です。
へたくそ組にはカンケーないなーと、緊張はもうしなくなりました。
5.12とか、13とか、凄すぎて意味が分からないですもん。
フリークライミングは、遊びなのです。
ナナーズには100円の自販機がズラリ。
今日の小川山は紅葉が美しく、このような紅葉の日には、森林浴こそするべきだと思いました(笑)
■ クライミング派ではないですが・・
最近、初めての本格的なバリエーションルートにの前穂北尾根に行って、色々と憑き物が落ちたかのように「こういうことか」と理解したので、今回の小川山フリークライミングは、ショートピッチだと思って、超リラックスで臨みました(^^;)。
5.8や5.9の易しい課題ばかりをトライ。
弟岩 「春の雨上がり」 5.9
「ジョイフル・ジャム」 5.8NP
母岩 「命の母」 NP&B
「エイトマン」 5.8
「ジャックフロスト」 5.9
でした。ぜんぶ易しいルートなので、特にムーブを必要とせず登れ良かったです(笑)
「エイトマン」は、ラクラクだったので、「ジョイフル・ジャム」が、同じ5.8とは、誰もがなかなか納得いかず。
「春の雨上がり」は、カムを差し込んでみたりで、3度トライしてみました。「ジョイフル」より、「小川山レイバック」が簡単に感じました。弟岩の2本は、ビレイの足場が悪いです。「エイトマン」もビレイの足場が悪いです。
「ジャックフロスト」 5.9はとても簡単でした。 グレードの感覚ってよく分かりません。
春の雨上がり |
「母の命」は、たった5.5の課題ですが、、以前、これ、「小川山物語」に連れて行ってもらった時に、一目見て リードできそう!と思い、「リードする~」とルンルンと、取り付こうとしたら、なんと先輩が(頼んでもいないのに・・・笑)先に登り、ちょんちょんとチョークの後をつけてくれたのでした・・・ 先輩も心配だったんでしょう。
あのころは無邪気だったなぁ~(笑)。
当時、私は、マルチピッチにデビューしたばかりで、楽しく、ロープが出ない山はツマラナイ、と感じるくらいで、全然何の不安も持っていませんでした。
でも、きっと先輩は不安だったと思うのですよね。
今は、とりあえず一撃。ゆとりつき。でも当然か。ここ、5.5だもんねぇ・・・(笑) 短いしねー。
でも、へたくそ組はココから、ココから。急いてはことを仕損じる、です。
今日は先輩がカムのセットをチェックしてくれました。4つの歯全部噛んでいたらOKだと。
いや~、5.7とか5.8をリードしたら、そりゃ疲れるわなー。
というのは、”行けないのに行く” のが、一番危険だから。行けないか?行けるか?は、トライするまで分からないので、その境界線を知るのが大事かも。
エイトマン |
■クラック
今日はクラックのルートを少し練習したのですが、「小川山レイバック」で感じたほどのバチ効き感はなかったのですが、とりあえず、ジャミングはマスターしたいと思いました。なんかそっちの方が、小さいカチを拾うより私には良さそうです。カムもキライじゃないし。水はそっちだな。
■ 「スイマセン」
私がビレイを信用しているのは、先輩たちと、あとはビレイパートナー、師匠、以上終わり。
エイトマンの上から |
私のビレイ初体験は、南沢小滝でのアイスです。トップロープでしたが、ローワーダウンの時に両手でやっていないと言って、クライマーから上から叫ばれました。
とっさに出てきたのは、「すいません!!」 トップロープが弛んでいたときも、「すいません」と謝りました。
「すいません」が出てこないビレイヤーは、怖い。
先輩も「このトラバース、プロテクションになっていないよ~」と私が怖がったら、「すいません」だった。
無邪気なままで、アレ?と思って墜落死させることになったら一大事ですよ~ 知人にパートナーを落としてしまった人、知っています。
ブレーキハンドが下になっていないビレイは怖いです。確保器の仕組みを知りましょう。確保器の溝に引っかかっていないと、ロープは流れますよ~。一旦流れたら、握力が強くても、制動するのは、格段に難しくなります。ロープすごく早いんで。
「先輩は落ちないから」と、墜落を止める気がないビレイもビレイになっていません。そんなこと口が裂けても言ってはいけません。
■ テーピング
テーピング用のテープは 「ニチバン」か「ジョンソン&ジョンソン」だと聞いていました。
すると、はがす時に顕著な差が!なんとはがす時にいたくない! いいです!手の甲のプロテクションだったら、2枚指のと重なるところのなので、痛くない方が良いので。
粘着力はこすれる箇所には必要なので、ベストソリューションは
手の甲に直接貼る部分 → 粘着力の弱いもの
指の股に貼る部分 →ニチバン
手首 → ニチバン
が良いと思いました。はがした後も、ニチバンだと皮膚に粘着物が引っ付いてしまう。
Friday, October 24, 2014
本チャンって何だ?
■歯科
今日は素晴らしいお天気でしたが、一気に寒くなりました・・・朝から、バタバタと忙しくしています。
今朝は、歯のインレイが出来上がってきて、インレイを詰めたところです。セラミックインレイ。 クラウンでなく、インレイで済んでよかったなー。右下の5番です。最近はセラミックの材質が進化し、2次カリエスのリスクが、非常に少ない材質だそうです。
カリエス、つまり、虫歯ですが、厄介なのは、一回虫歯になると、かならず2次カリエスで、再治療になることです。
それは詰め物との間に細菌が残るか、入るかするからで、これを防ぐ方法は一切なく、どのような詰め物が入っていても、必ず再治療になります。
また虫歯に一切ならない現代人はいません。なので、作戦は、再治療までの期間をいかにして、長く取るか?ということになります。治療が頻繁なほど、寿命は短くなります。まぁ、歯は、骨なんかと同じで、自分の寿命より、持てばよしです。
山ヤさんは、「膝は消耗品」と、言いますが、それとちょっと似ています。
■ 本チャンデビュー!
最近、前穂北尾根に行ったのですが、クラシックルートとか、アルパイン入門とか、色々言ってみたのですが、なんとなく、しっくり来ない・・・うーん?
で、思い出した! 本チャン です。 そう、本チャンっていうと、しっくりきます。
でも、「本チャン」って、ちょっと変な言葉だ。
だって、”本”は本番の本、と分かりますが、”チャン”って?大阪では、アメのことを「アメちゃん」と言いますが、同じなのでしょうか? 敬称(笑)?愛称(笑)?
本チャンは、平べったく言うと、本番、って意味です。ということは、他のは、非・本番(笑)?
つまり、同じマルチピッチでも、ゲレンデは、”練習”です。
だから、三つ峠は、本チャンの練習ゲレンデです。
しかし、同じマルチピッチでも、小川山になると本チャンの練習とはちょっと違う。小川山は、フリーの岩場ですが、マルチピッチのルートもあります。しかし、これは、本チャンとは言えない。流通している言葉の中では、やっぱりマルチピッチか、トラッド(Trad)が一番ピッタリ来ます。
本チャン = 夏山のアルプスのルート
トラッド = フリーの岩場のマルチピッチやクラック
マルチピッチ = ショートルートではなく、リード&フォローで登るルート
ゲレンデ = 三つ峠、小川山、十二ヶ岳の岩場などの練習用の岩場の総称
それにしても、アルパインクライミングって?海外の本チャン、はアルパインクライミングなのだろうか?それとも冬壁のことをアルパインクライミングというのだろうか?
なぜか冬壁は本チャンとは言わない。雪稜のルートも本チャンとは言わない。冬期登攀と冬壁は違うのだろうか?アイスのルートはマルチピッチだけど、一体どういう位置づけになるのだろうか?
でも、みんな、冬季のクライミングは、アルパインとは言うような気がする・・・。どうなのかなぁ?
ウィキペディアのアルパイン・クライミングの項。
■ 登山の延長線上にある本チャン
考えてみると、本チャンは、普通の登山の延長線上にあります。
無雪期の想定ですが、
ハイキング → 日帰り登山 → 小屋泊 → テント泊 → 連泊縦走 → クライミングデビュー→ 外岩デビュー → フリーのマルチピッチデビュー → ゲレンデ通い → 本チャンデビュー
という一連の流れになるかと・・・。
昔はインドアクライミングは無く、アウトドアの易しい岩場から入ったそうです。インドアは、クライミング力を加速的に伸ばすことはできても、外岩とは全く違います。
それぞれのフェーズで、身につけなくてはならない重要なことを身に着けている必要があるのかも・・・?
というのは、本チャンに行っても、ハイキングに一人で行けなければ、自信にはつながらないみたいだからです。
ハイキングはハイキングで身に着けるべきことがあり、日帰り登山では日帰り登山で身に着けるべきことがあり、小屋泊では小屋泊の・・・なのかもしれません。
■ クライミングから入ると、歩きが課題に
不思議なことに、クライミングで育つと、クライミングの延長線上には、本チャンはないみたい・・・?
ボルダリング → 外岩ボルダリング → 開拓 → ゲレンデ
スポーツクライミング → コンペ → 優勝 → 連勝 → 有名人 → ルートセッター?!
インドアクライミング → 外岩 → ゲレンデ → 高難度フリークライミング → 5.15で世界記録?!
つまり ”歩く”という要素は、クライミングに発展していくが、クライミングと言う要素は、なかなか”歩く”に発展して行かない宿命にあるようです。
私は、都会と山梨では、都会にいた頃の方が歩いていました。平日の、その運動量の差を、休日に歩く山歩きで埋め合わせしているような気がしないでもないです(笑)。
今日はとてもきれいな快晴でどこかを歩きたくなってしまいました☆
さて、明日は小川山です。明後日は、アルパインクライマーの天野さんの地図読み講習です☆
余談ですが、大抵の山雑誌は9月は地図読み特集です。それは、10月とか、11月に地図読みの山をしましょう、って意味なのかも?秋になると一気に藪が薄くなり、地図読みの山がやりやすくなります。
今日は素晴らしいお天気でしたが、一気に寒くなりました・・・朝から、バタバタと忙しくしています。
今朝は、歯のインレイが出来上がってきて、インレイを詰めたところです。セラミックインレイ。 クラウンでなく、インレイで済んでよかったなー。右下の5番です。最近はセラミックの材質が進化し、2次カリエスのリスクが、非常に少ない材質だそうです。
カリエス、つまり、虫歯ですが、厄介なのは、一回虫歯になると、かならず2次カリエスで、再治療になることです。
それは詰め物との間に細菌が残るか、入るかするからで、これを防ぐ方法は一切なく、どのような詰め物が入っていても、必ず再治療になります。
また虫歯に一切ならない現代人はいません。なので、作戦は、再治療までの期間をいかにして、長く取るか?ということになります。治療が頻繁なほど、寿命は短くなります。まぁ、歯は、骨なんかと同じで、自分の寿命より、持てばよしです。
山ヤさんは、「膝は消耗品」と、言いますが、それとちょっと似ています。
■ 本チャンデビュー!
最近、前穂北尾根に行ったのですが、クラシックルートとか、アルパイン入門とか、色々言ってみたのですが、なんとなく、しっくり来ない・・・うーん?
で、思い出した! 本チャン です。 そう、本チャンっていうと、しっくりきます。
でも、「本チャン」って、ちょっと変な言葉だ。
だって、”本”は本番の本、と分かりますが、”チャン”って?大阪では、アメのことを「アメちゃん」と言いますが、同じなのでしょうか? 敬称(笑)?愛称(笑)?
つまり、同じマルチピッチでも、ゲレンデは、”練習”です。
だから、三つ峠は、本チャンの練習ゲレンデです。
しかし、同じマルチピッチでも、小川山になると本チャンの練習とはちょっと違う。小川山は、フリーの岩場ですが、マルチピッチのルートもあります。しかし、これは、本チャンとは言えない。流通している言葉の中では、やっぱりマルチピッチか、トラッド(Trad)が一番ピッタリ来ます。
本チャン = 夏山のアルプスのルート
トラッド = フリーの岩場のマルチピッチやクラック
マルチピッチ = ショートルートではなく、リード&フォローで登るルート
ゲレンデ = 三つ峠、小川山、十二ヶ岳の岩場などの練習用の岩場の総称
それにしても、アルパインクライミングって?海外の本チャン、はアルパインクライミングなのだろうか?それとも冬壁のことをアルパインクライミングというのだろうか?
なぜか冬壁は本チャンとは言わない。雪稜のルートも本チャンとは言わない。冬期登攀と冬壁は違うのだろうか?アイスのルートはマルチピッチだけど、一体どういう位置づけになるのだろうか?
でも、みんな、冬季のクライミングは、アルパインとは言うような気がする・・・。どうなのかなぁ?
ウィキペディアのアルパイン・クライミングの項。
考えてみると、本チャンは、普通の登山の延長線上にあります。
無雪期の想定ですが、
ハイキング → 日帰り登山 → 小屋泊 → テント泊 → 連泊縦走 → クライミングデビュー→ 外岩デビュー → フリーのマルチピッチデビュー → ゲレンデ通い → 本チャンデビュー
という一連の流れになるかと・・・。
本チャン中 |
それぞれのフェーズで、身につけなくてはならない重要なことを身に着けている必要があるのかも・・・?
というのは、本チャンに行っても、ハイキングに一人で行けなければ、自信にはつながらないみたいだからです。
ハイキングはハイキングで身に着けるべきことがあり、日帰り登山では日帰り登山で身に着けるべきことがあり、小屋泊では小屋泊の・・・なのかもしれません。
■ クライミングから入ると、歩きが課題に
不思議なことに、クライミングで育つと、クライミングの延長線上には、本チャンはないみたい・・・?
ボルダリング → 外岩ボルダリング → 開拓 → ゲレンデ
スポーツクライミング → コンペ → 優勝 → 連勝 → 有名人 → ルートセッター?!
インドアクライミング → 外岩 → ゲレンデ → 高難度フリークライミング → 5.15で世界記録?!
つまり ”歩く”という要素は、クライミングに発展していくが、クライミングと言う要素は、なかなか”歩く”に発展して行かない宿命にあるようです。
私は、都会と山梨では、都会にいた頃の方が歩いていました。平日の、その運動量の差を、休日に歩く山歩きで埋め合わせしているような気がしないでもないです(笑)。
今日はとてもきれいな快晴でどこかを歩きたくなってしまいました☆
さて、明日は小川山です。明後日は、アルパインクライマーの天野さんの地図読み講習です☆
余談ですが、大抵の山雑誌は9月は地図読み特集です。それは、10月とか、11月に地図読みの山をしましょう、って意味なのかも?秋になると一気に藪が薄くなり、地図読みの山がやりやすくなります。
Thursday, October 23, 2014
天野さんの地図読み講習
■ 地図読み講習
実は、先週は伝丈沢に行っていて、第一回目の地図読み講習に出るのを忘れていたのですが(^^;)・・・ すいませーん・・・ついさっき、机上講習に出て帰ってきました☆
天野さんは、ひょろひょろ~としていて、ごっつくパワフルな山男という感じではなく、なんとなく講習会の高橋講師を思わせました。
登れる人はひょろっとした体系の人なのかなぁ~
会の先輩も、登れる先輩はひょろっと系です。
天野さんが用意してくれた、地図読みの山は兜山の奥だそうです。 ゲレンデのついでにみつけたのかなぁ・・・(笑)
地図読みって、地図読みに適した場所を探すのが一苦労なんですよね。
というのも、今の日本の山は、ピンクテープだらけ! どこにでも、ここにでも、ピンクテープがあります(汗)。
それによく見れば踏み跡があったりして、”導かれ感”がない場所のほうが、探すの難しいんです。
なので、兜山と聞いて、へえ~と思いました。超ご近所。
今日は、2万5千の地図を一枚買わされました・・・ええ~もう持ってるよ~大菩薩・・・と思いましたが、まぁ仕方ありませんね~。家に同じのが2枚とかあっても困るんだよなー
実は最近、2万5千の地図は、陰影がついたものに変わったはずですが・・・今日買った奴は、古いのらしく、陰影はついていなかった・・・
私は、北穂池からA沢のコルに上がる時に、どんな風にルートファインディング、彼ならするか?とか聞きたいのですが・・・
今週末、聞けるかなぁ・・・。
■ 今日習ったこと
今日は1時間半の机上講習で
以上終わりでした。こういうのって一人でやると10分。でも、皆でやるとトークを入れて、1時間かかります。
細かいことを言えば、コンパスの使用法にはいくつかありますが・・・とりあえず1時間半では基本のキ、だけで終わりです。
私は 地図読みには机上講習がないと絶対にみんな分からない!と、ずっと強く主張してきたのですが、やっぱり参加者の様子を見ていると、机上講習は必要だと思います。
大体、いきなり山行しても、みんな、磁北線が入っていない地図持ってきちゃうんですから・・・。
磁北線がないと地図は役に立ちません。
コンパスの当て方は、現地でも教えられます。でも、結構脳トレで、皆でやると必ず分からない人がいますし、時間がかかります。家で、一回、2回やってくるだけで全然違うと思います・・・が、宿題にしても、やってこない人が必ずいるし、机上講習は、そのために必要だと思います。
経験からそう思います。だって、やったことあっても、久しぶりだと戸惑いますもん。久しぶりにブーリン結びをやると、忘れているみたいなのと同じです。
印象に残ったのは
を重要だと言っていたことです。そういう、”姿勢”とか”ものの考え方”、というのが、登山家から学ぶべきことかと・・・。
ナビゲーションというのは、どう進むか?ということですが、人生にも当てはまりますよね。
常に自分を疑い、先に出てくるものを予想しておけば、間違いに早く気が付ける・・・ 常に間違いを内包しつつ、進むわけです。
人間は、認知バイアスと言って、一旦信じると、物事を自分の良いほうに解釈するようになっているのだそうです。
こういうので、”スーパー雑談”が聞きたいですね~ いったいヒマラヤとかで、地図読みは役立つのだろうか?
■ 先輩からルートファインディングを引き継ぐ
道も迷いながら、進むのも楽しいですし。こないだの北穂池は、少し道を探しています。
P2814に行く途中で池をみようとちょっと尾根の方に歩いて行っています・・・ここ、一瞬ですが皆で不安に駆られたところ・・・↓
ちなみに、私の現在の地図読み力で行くと、こう歩きそうになってしまいます・・・緑の線・・・
黄色い丸のあたりは、岩塊斜面なんですよね。で、広いルンゼなので、緩やかな斜面ですが、一応谷地形です。
尾根の方が安全かな~とは思うのですが、尾根はブッシュが出たりしていた・・・ので、
どの程度、安全性と歩きやすさをバランスするか?
というのを知りたい。
そういうのって、地図から判読できるのでしょうか?やっぱり現地判断なのでしょうか?
現地で判断するとしたら、自分の中の、”歩いてもいい”という基準が、このGPSの軌跡、ということになりました。それって、先輩の基準が=私の基準に、引きつがれたってことですよね。
これが先輩から、山を教わるってことなんだろうなぁ・・・。
私は2度目は先輩の歩いたラインで歩けると思いますが、初めてだったら尾根の際を行ってしまいそうです。
・・というか、”導かれ感”って、この写真からありますかね? 上から見るとハイ松の中に一筋、道があるような、ないような気もしたのですが・・・
もしかして、10回通れば、10回とも違った道を通ったりして(笑)
でも、まぁA沢のコルという目標地点に、さえたどり着ければいいのですが・・・
実は、先週は伝丈沢に行っていて、第一回目の地図読み講習に出るのを忘れていたのですが(^^;)・・・ すいませーん・・・ついさっき、机上講習に出て帰ってきました☆
天野さんは、ひょろひょろ~としていて、ごっつくパワフルな山男という感じではなく、なんとなく講習会の高橋講師を思わせました。
ネットで拾った画像 |
会の先輩も、登れる先輩はひょろっと系です。
天野さんが用意してくれた、地図読みの山は兜山の奥だそうです。 ゲレンデのついでにみつけたのかなぁ・・・(笑)
地図読みって、地図読みに適した場所を探すのが一苦労なんですよね。
というのも、今の日本の山は、ピンクテープだらけ! どこにでも、ここにでも、ピンクテープがあります(汗)。
それによく見れば踏み跡があったりして、”導かれ感”がない場所のほうが、探すの難しいんです。
なので、兜山と聞いて、へえ~と思いました。超ご近所。
今日は、2万5千の地図を一枚買わされました・・・ええ~もう持ってるよ~大菩薩・・・と思いましたが、まぁ仕方ありませんね~。家に同じのが2枚とかあっても困るんだよなー
実は最近、2万5千の地図は、陰影がついたものに変わったはずですが・・・今日買った奴は、古いのらしく、陰影はついていなかった・・・
私は、北穂池からA沢のコルに上がる時に、どんな風にルートファインディング、彼ならするか?とか聞きたいのですが・・・
今週末、聞けるかなぁ・・・。
■ 今日習ったこと
今日は1時間半の机上講習で
- 磁北線を引く
- コンパスの当て方を学ぶ (1,2,3)で
以上終わりでした。こういうのって一人でやると10分。でも、皆でやるとトークを入れて、1時間かかります。
細かいことを言えば、コンパスの使用法にはいくつかありますが・・・とりあえず1時間半では基本のキ、だけで終わりです。
私は 地図読みには机上講習がないと絶対にみんな分からない!と、ずっと強く主張してきたのですが、やっぱり参加者の様子を見ていると、机上講習は必要だと思います。
大体、いきなり山行しても、みんな、磁北線が入っていない地図持ってきちゃうんですから・・・。
磁北線がないと地図は役に立ちません。
コンパスの当て方は、現地でも教えられます。でも、結構脳トレで、皆でやると必ず分からない人がいますし、時間がかかります。家で、一回、2回やってくるだけで全然違うと思います・・・が、宿題にしても、やってこない人が必ずいるし、机上講習は、そのために必要だと思います。
経験からそう思います。だって、やったことあっても、久しぶりだと戸惑いますもん。久しぶりにブーリン結びをやると、忘れているみたいなのと同じです。
印象に残ったのは
- 常に自分を疑うこと
- 常に先を読むこと
を重要だと言っていたことです。そういう、”姿勢”とか”ものの考え方”、というのが、登山家から学ぶべきことかと・・・。
ナビゲーションというのは、どう進むか?ということですが、人生にも当てはまりますよね。
常に自分を疑い、先に出てくるものを予想しておけば、間違いに早く気が付ける・・・ 常に間違いを内包しつつ、進むわけです。
人間は、認知バイアスと言って、一旦信じると、物事を自分の良いほうに解釈するようになっているのだそうです。
こういうので、”スーパー雑談”が聞きたいですね~ いったいヒマラヤとかで、地図読みは役立つのだろうか?
■ 先輩からルートファインディングを引き継ぐ
道も迷いながら、進むのも楽しいですし。こないだの北穂池は、少し道を探しています。
P2814に行く途中で池をみようとちょっと尾根の方に歩いて行っています・・・ここ、一瞬ですが皆で不安に駆られたところ・・・↓
ちなみに、私の現在の地図読み力で行くと、こう歩きそうになってしまいます・・・緑の線・・・
黄色い丸のあたりは、岩塊斜面なんですよね。で、広いルンゼなので、緩やかな斜面ですが、一応谷地形です。
尾根の方が安全かな~とは思うのですが、尾根はブッシュが出たりしていた・・・ので、
どの程度、安全性と歩きやすさをバランスするか?
というのを知りたい。
そういうのって、地図から判読できるのでしょうか?やっぱり現地判断なのでしょうか?
現地で判断するとしたら、自分の中の、”歩いてもいい”という基準が、このGPSの軌跡、ということになりました。それって、先輩の基準が=私の基準に、引きつがれたってことですよね。
これが先輩から、山を教わるってことなんだろうなぁ・・・。
私は2度目は先輩の歩いたラインで歩けると思いますが、初めてだったら尾根の際を行ってしまいそうです。
・・というか、”導かれ感”って、この写真からありますかね? 上から見るとハイ松の中に一筋、道があるような、ないような気もしたのですが・・・
もしかして、10回通れば、10回とも違った道を通ったりして(笑)
でも、まぁA沢のコルという目標地点に、さえたどり着ければいいのですが・・・
山岳会の新人に必要なちから
■ 判断力を学ぶ
一般的に、山岳会の新人というものは、入会したら、憧れのカッコいいルートにバンバン行ける!
と思って、無垢な気持ちで、ルート集をウルウルした目で眺めているものだと思う…
「白馬主稜行きたいんですぅ~」 みたいな…
そうすると、会の先輩としては、
「そりゃ行きたいだろうけど、行きたいのと行けるのとは違うんだよなー、困ったな~」
というような、嬉しいけど、参ったな的な微妙な気分だろう…。
会の新人の実力は、よく分からない。一般的傾向として、(行きたい気持ち)>(実力)。
その溝をどうやって自覚させるか? この辺は、なかなか、さじ加減が難しい。
あんまり連れて行かないと、「入会したのに連れて行ってくれない」と拗ねてしまうかもしれないし…
連れて行ってくれないのは、自分の実力が足りないため、だとは、新人はつゆほどにも思っていないのだ(笑)。
それは、当人側から見ると、当然で、いまどき過去の遺産と化しつつある山岳会に、わざわざ入会しよう、というような奇特な人は、一般登山者の枠に入りきらないから、それを本人も分かっていて、来ていたりするんである。
つまり、ありていに言えば、ちょっと天狗になっている。実際、そう言葉に出して言う訳じゃないが、「ガイドブックにあるような山なんて、楽勝じゃん」そう思っていると思う。たとえば「赤岳楽勝」。
それは、情状酌量の余地がないではない。昨今のガイドブックは、あまりに、大衆化しすぎ、実力が、低くなりすぎた登山者像に合わせてある。それは、北ア周辺のエアリアの地図の、標準コースタイムに現れている(笑)。
私自身もガイドブックがあまりに脅すので、「そうか」と思って、素直に万全の態勢で臨むと、「あれ…意外に何ともないんだけど」と肩の力が抜けることがあった…。
だから、真面目な人でも、なんだか自分の実力の位置が、定規のどこの位置を指すのか?だんだん、良く分からなくなってしまうのだ。
■ 異なる、ものさし
山岳会が使用する、登山者の実力を測る ”ものさし”は、一般登山のガイドブックに書いてある”ものさし”とは全く違う。
一例で言うと、一般登山者の”ものさし”は、”行動時間10時間以上=上級 体力度5” だ。
山岳会の物差しは、”行動時間10時間=ごく普通” だ。
標準コースタイムなんて、コース自体が存在していない山では、全く意味をなさない。
歩荷力も同じだ。以前、温泉で会った、山おばちゃんが、「12kg以上は背負えない」と話していて、「へぇそうなのか・・・」とザックの重さを計ってみたことがない私は思った。それで、私の中では、12kg=大変、と思ったが、やってみたら15kgとか16kgは、最初から私には負担にならない。
一般に山ヤさんは、ザックの重さなんて計らない。重ければ、重いものを担ぐだけだ。それはどっちにしろ、必要で削れないものしか入っていないのだから。
■ 判断力
登山者に必要な実力は、体力だけではない。それより、むしろ、もっとも重要なのが、判断力だ。
一例で言うと、ヒマラヤにおけるポーターとガイドの差だ。ヒマラヤトレッキングのポイントは、ガイドとポーターの違いを知ることだそうだ。
つまり、
ポーター:荷物運び。判断力を期待することはできない。むしろ、ポーターがきちんと水を飲んでいるか、寒ければ服を着ているか、ちゃんと見てやる責任は、雇い主のあなたにある。ポーターが動けなくなったら、あなたの責任だ。ポーターは道も知らない。
ガイド:あなたの安全確保まで、責任を持ってやってくれる。判断がつかない困難なケースに的確に判断がつくはずだ。
つまりガイドの実力の要諦は、判断力、というもの。
昨今のガイド登山では、ガイド氏はなぜかポーターも兼ねているので、負担倍増みたいだが。
たぶん、ガイドにとって、体力はただの前提で、実力を分けるセールスポイントは、判断力、のはずだ。ガイドを雇う人は彼の判断力を買う。
しかし、自力登山の人は、自分で自分の判断力が、どこまで確実なのか、誰からも評価された経験がない。
アブナイ判断をする登山者なのか?それとも保守的な判断をする登山者なのか? 外からは判別がつかない。
それにいくらすごい山にいくつ登ってきても、それが自らの判断に基づく山なのか?誰か他から判断力と言うサポートをもらっている登山なのか? 外からは判断がつかない。
道迷いの経験、予定外のビバークをした経験、滑落した経験、ヘッデン下山になった経験、それらは、みな、”判断の失敗”経験であり、、もしその登山者がそこから何かを学び取っていない、とすれば、”危険な判断をする可能性がある登山者”であることを示すにすぎない。
そこのところをわかっていない人はどういうことをするか?
それは、失敗談を吹聴するのである。一時間の雨量100ミリとか120ミリなのに歩いて平気だったとか、、雷が鳴っている稜線を歩いた、とか、と自慢して回る。それが自分の実力の高さを示す、と誤解しているのだ。
だから、熟練の山の達人達は、そうした「自分は馬鹿です」と自ら吹聴して回る方たちを、ただ黙って避ける。
それを吹聴している時点で、素人丸わかりだし、そうした人に付き合って、危険登山に巻き込まれるのは、犬死だからだ。
■ 新人に必要な力
そうこう考えると、登山者が成長することに最も必要な力は、
自覚力
であり、
自分を客観視できる力
であり、
自分の目ではなく、先輩の目から想像できる力
かもしれない。相手の立場に立つ、ということ。
先輩たちが教えなくても、態度から盗んでくれる、
観察力
も、そうかもしれない。そういう意味では登山は知的な活動なのだ。
それは先輩たちは教えたいと思っていても、「あなたは客観視できていないよ」とは、言えないものだし、なかなか教えられないのだろう、と思う。
誰だって、新人には楽しく山に登って、成長して行ってほしいのだから。
何しろ、新人を初めてのルートに連れて行くときなんて、先輩は命がけだ。
先輩が、「あなたには、まだこのルートは早いのではないかと思う」と言ったら、それは、なんらかの意味合いで、足手まといになる、ということだ。
それは、率直に登山者の実力としての、
・体力
・判断力
・生活力
・ルートファインディング力
・精神力
等のどれかかもしれないし、分類できない、ささいな、単純な、ちょっとしたことかもしれない。
たとえば、山に行くのに、「トイレがないとできない」なんて、いちいちめんどくさいことをピーピー言っている山ガールが来たら、トイレを探すのに時間がかかって、山行自体が成立できないかもしれない。
先輩は、きっと山ヤの勘で、
「コイツはパッキングが遅くて、それを自覚していない」 とか
「後続のことを考えず、一人で歩いて行ってしまう」 とか
「なんでこんな危険地帯で休憩してるんだ」 とか
「食当、上手だね~」
とか、色々見ているものなのである。それはどういう時に見ているか?というと、たぶん、ごく普通の山行の時に、見ているのである。
だから、ごく普通の山行を「一人でも行けるから」と馬鹿にして一緒に行かないと、一生連れて行ってほしい山にも連れて行ってももらえない。
それは、先輩達が「キミのこと知りたいよー」と言っているのに、単純に返事をしていないってことなのだ。
会の親睦山行っていうのは、そういう意味なのだ。
一般的に、山岳会の新人というものは、入会したら、憧れのカッコいいルートにバンバン行ける!
と思って、無垢な気持ちで、ルート集をウルウルした目で眺めているものだと思う…
「白馬主稜行きたいんですぅ~」 みたいな…
そうすると、会の先輩としては、
「そりゃ行きたいだろうけど、行きたいのと行けるのとは違うんだよなー、困ったな~」
というような、嬉しいけど、参ったな的な微妙な気分だろう…。
会の新人の実力は、よく分からない。一般的傾向として、(行きたい気持ち)>(実力)。
その溝をどうやって自覚させるか? この辺は、なかなか、さじ加減が難しい。
あんまり連れて行かないと、「入会したのに連れて行ってくれない」と拗ねてしまうかもしれないし…
連れて行ってくれないのは、自分の実力が足りないため、だとは、新人はつゆほどにも思っていないのだ(笑)。
それは、当人側から見ると、当然で、いまどき過去の遺産と化しつつある山岳会に、わざわざ入会しよう、というような奇特な人は、一般登山者の枠に入りきらないから、それを本人も分かっていて、来ていたりするんである。
つまり、ありていに言えば、ちょっと天狗になっている。実際、そう言葉に出して言う訳じゃないが、「ガイドブックにあるような山なんて、楽勝じゃん」そう思っていると思う。たとえば「赤岳楽勝」。
それは、情状酌量の余地がないではない。昨今のガイドブックは、あまりに、大衆化しすぎ、実力が、低くなりすぎた登山者像に合わせてある。それは、北ア周辺のエアリアの地図の、標準コースタイムに現れている(笑)。
私自身もガイドブックがあまりに脅すので、「そうか」と思って、素直に万全の態勢で臨むと、「あれ…意外に何ともないんだけど」と肩の力が抜けることがあった…。
だから、真面目な人でも、なんだか自分の実力の位置が、定規のどこの位置を指すのか?だんだん、良く分からなくなってしまうのだ。
■ 異なる、ものさし
山岳会が使用する、登山者の実力を測る ”ものさし”は、一般登山のガイドブックに書いてある”ものさし”とは全く違う。
一例で言うと、一般登山者の”ものさし”は、”行動時間10時間以上=上級 体力度5” だ。
山岳会の物差しは、”行動時間10時間=ごく普通” だ。
標準コースタイムなんて、コース自体が存在していない山では、全く意味をなさない。
歩荷力も同じだ。以前、温泉で会った、山おばちゃんが、「12kg以上は背負えない」と話していて、「へぇそうなのか・・・」とザックの重さを計ってみたことがない私は思った。それで、私の中では、12kg=大変、と思ったが、やってみたら15kgとか16kgは、最初から私には負担にならない。
一般に山ヤさんは、ザックの重さなんて計らない。重ければ、重いものを担ぐだけだ。それはどっちにしろ、必要で削れないものしか入っていないのだから。
■ 判断力
登山者に必要な実力は、体力だけではない。それより、むしろ、もっとも重要なのが、判断力だ。
一例で言うと、ヒマラヤにおけるポーターとガイドの差だ。ヒマラヤトレッキングのポイントは、ガイドとポーターの違いを知ることだそうだ。
つまり、
ポーター:荷物運び。判断力を期待することはできない。むしろ、ポーターがきちんと水を飲んでいるか、寒ければ服を着ているか、ちゃんと見てやる責任は、雇い主のあなたにある。ポーターが動けなくなったら、あなたの責任だ。ポーターは道も知らない。
ガイド:あなたの安全確保まで、責任を持ってやってくれる。判断がつかない困難なケースに的確に判断がつくはずだ。
つまりガイドの実力の要諦は、判断力、というもの。
昨今のガイド登山では、ガイド氏はなぜかポーターも兼ねているので、負担倍増みたいだが。
たぶん、ガイドにとって、体力はただの前提で、実力を分けるセールスポイントは、判断力、のはずだ。ガイドを雇う人は彼の判断力を買う。
しかし、自力登山の人は、自分で自分の判断力が、どこまで確実なのか、誰からも評価された経験がない。
アブナイ判断をする登山者なのか?それとも保守的な判断をする登山者なのか? 外からは判別がつかない。
それにいくらすごい山にいくつ登ってきても、それが自らの判断に基づく山なのか?誰か他から判断力と言うサポートをもらっている登山なのか? 外からは判断がつかない。
道迷いの経験、予定外のビバークをした経験、滑落した経験、ヘッデン下山になった経験、それらは、みな、”判断の失敗”経験であり、、もしその登山者がそこから何かを学び取っていない、とすれば、”危険な判断をする可能性がある登山者”であることを示すにすぎない。
そこのところをわかっていない人はどういうことをするか?
それは、失敗談を吹聴するのである。一時間の雨量100ミリとか120ミリなのに歩いて平気だったとか、、雷が鳴っている稜線を歩いた、とか、と自慢して回る。それが自分の実力の高さを示す、と誤解しているのだ。
だから、熟練の山の達人達は、そうした「自分は馬鹿です」と自ら吹聴して回る方たちを、ただ黙って避ける。
それを吹聴している時点で、素人丸わかりだし、そうした人に付き合って、危険登山に巻き込まれるのは、犬死だからだ。
■ 新人に必要な力
そうこう考えると、登山者が成長することに最も必要な力は、
自覚力
であり、
自分を客観視できる力
であり、
自分の目ではなく、先輩の目から想像できる力
かもしれない。相手の立場に立つ、ということ。
先輩たちが教えなくても、態度から盗んでくれる、
観察力
も、そうかもしれない。そういう意味では登山は知的な活動なのだ。
それは先輩たちは教えたいと思っていても、「あなたは客観視できていないよ」とは、言えないものだし、なかなか教えられないのだろう、と思う。
誰だって、新人には楽しく山に登って、成長して行ってほしいのだから。
何しろ、新人を初めてのルートに連れて行くときなんて、先輩は命がけだ。
先輩が、「あなたには、まだこのルートは早いのではないかと思う」と言ったら、それは、なんらかの意味合いで、足手まといになる、ということだ。
それは、率直に登山者の実力としての、
・体力
・判断力
・生活力
・ルートファインディング力
・精神力
等のどれかかもしれないし、分類できない、ささいな、単純な、ちょっとしたことかもしれない。
たとえば、山に行くのに、「トイレがないとできない」なんて、いちいちめんどくさいことをピーピー言っている山ガールが来たら、トイレを探すのに時間がかかって、山行自体が成立できないかもしれない。
先輩は、きっと山ヤの勘で、
「コイツはパッキングが遅くて、それを自覚していない」 とか
「後続のことを考えず、一人で歩いて行ってしまう」 とか
「なんでこんな危険地帯で休憩してるんだ」 とか
「食当、上手だね~」
とか、色々見ているものなのである。それはどういう時に見ているか?というと、たぶん、ごく普通の山行の時に、見ているのである。
だから、ごく普通の山行を「一人でも行けるから」と馬鹿にして一緒に行かないと、一生連れて行ってほしい山にも連れて行ってももらえない。
それは、先輩達が「キミのこと知りたいよー」と言っているのに、単純に返事をしていないってことなのだ。
会の親睦山行っていうのは、そういう意味なのだ。
Wednesday, October 22, 2014
山、第三章・・・
■雨です
今日は冷たい秋の雨です。これから一雨ごとに寒さが身に染みる季節になって行くでしょう。
今日は、朝から会のニュースレターに載せる前穂北尾根の記事を書こう!としているのですが、事細かに書いても、小学生の夏休みの日記のようになってしまい、自分でさえ、読むのがうっとうしくなってしまいます・・・(^^;)
困ったなぁ・・・3泊4日もの旅は、一言で語るには、長いし・・・何字くらいがベストな量なのか?
恐れていた混雑は、それほどでもなく、台風からも無事に逃げ切り、素晴らしい山を堪能したのですが、素晴らしいことを素晴らしいと言ってしまうのが、凡才と聞いているので、そう言わずに、いかにそれを表現しようか・・・と考えると、白髪が増えそうです(笑)
台風が来たことで、混雑が緩和され、かつ快晴も得られ、旅の成否を分けたポイントでした。
■ 鉄則集
御坂の山行は、
・テント泊が基本
です。みんなで分担して、よいこらしょ!と担いで行きます。なので、一人でも欠けると大変。テント泊も、登攀装備が入ると、さらに重くなり、大変度がアップします。
・生米から炊く
というのも、鉄則みたいです。 あとは、
・ゴミはザックの中に入れる
です。
今回は先輩に
・自分で持ち込んだものだけでやりくりする
という美学を教わりました。小屋で出している食事などを活用はしない。基本は何もない荒野に出向いていく、という前提です。たとえ、小屋が、わんさかあるところ、と知っていても・・・。
■ ビールとソフトクリーム
ただ、”その持ち込んだものだけで何とかする”には、生ビールは入っていないみたいです(笑)。
ま、生ビールがないと、山が成り立たないわけでないから、いいのか。
男性が生ビールなら、女性はソフトクリームかもしれません。今回は、それでも、ソフトクリームのご褒美を2回も、見送ったのです(笑)。
下山で、徳澤園で、リベンジしましたが、登りに徳澤で食べ、翌日北穂池のご褒美に涸沢小屋で食べ、下山では、歩荷のご褒美に河童橋で、はちみつかけソフトを食べるべきだった・・・3回を1回にしたんだから、まだ遠慮した方なんです(^^)。すると、ちなみにソフトクリーム予算は1500円になります。
今度から涸沢詣ででは、バテる前にソフトクリーム補給です(笑)。
■ 導かれ感
今回の旅は、キーワードが、”導かれ感”でした。つまり、ルートファインディングです。
基本的には、先人の足跡を追うのですが、足跡なんて、つかないザレの上にも、なんとなくある、導かれ感・・・
そして、決定的なルートの困難度の差は、一般道と非一般道の質の差。
特に北穂池は、北穂前尾根と比較しても、踏まれていない秘境で、クライミング要素を除けば、こちらのほうが難しいルートと言える場所でした。落石やねん挫などの危険度も高いです。
クライミング要素で言えば、前穂北尾根は3ピッチしかなく、それに核心は1ピッチだけで、あとは2級や3級で歩ける場所です。だから、クライマーは登り足りないらしくて、四峰でフェースを見つけて遊んでいました(笑)。
それでも、クライミングができると、一般道の難路、大キレットの飛騨泣きなど、易しく感じます。
でも北穂池への道などの、そもそも踏まれていない道は比べられない。タイプが全然違うものです。
■ 本チャンで必要となる高い集中力、それを支える体力と補給
そして、ゲレンデと違い本チャンは、長い時間、途切れることのない集中力が必要という、本来の登山の力が必要でした。
一般向けガイドブックで使われる難路5、体力度5という物差しで表現すると、難路7、体力度8って感じです。
つまり、難路7、体力度5ではなかった・・・今までの体力に、クライミング力だけが加わっただけであっさり切り抜けられるところでもなかった・・・。
困難度が小刻みでなく、一気に上がった感じがしました。
転滑落のリスクは、クライミングが終わっても、一般道でも同じです。行程は14時間に渡りました。 私の個人山行の一番長い行動時間と同じです。
そうなると、補給作戦も重要になります。今回は、小屋がいっぱいあるルートだったので、認識が甘く、乾パンの行動食ではバテました。
山でバテたのは初めてです。軽量化で、行動食が少なかっただけでなく、水ボトルが破損して、水も不足したからです。
穂岳岳山荘で、ポカリを飲んだのに、その日は一日、一回もトイレに行かなかったくらいです。
そのため、下りはヘッデンのお世話にならず、下れるギリギリ・・・普段なら、小一時間早く降りれたと思います。
それでも、非常に充実感があって、山ってやっぱりいいな~と思ったのでした。
■ 冒険的ルートが好きだと言うことを発見
私は前穂北尾根は目標にすべきルートとして、気に入りましたが、北穂池は個人的に特別気に入りました。
北穂池のほうが、発見と、冒険的な要素が強かったからです。私はこんな性格のルート、大好きだと言うことが分かりました。
一つ自分を発見。
前穂北尾根は、一回先輩に連れて行ってもらったところで、次から人を連れていけるような場所ではない、ということが分かりました。
つまり、このルートを自分の力で歩けるようになること、を、これからの目標にすべきだと言うことが分かりました。
■ 登山者にピッタリの課題を与える技術
こうした背伸びのルートは、登山者にちょっとした目標を与えます。
一人の登山者に、今の実力にピッタリの課題を与えることができる、というのは、やっぱりベテランの力かな~と今回も思いました。
私は登山2年目で、残雪期のツルネ東稜に行ったのですが、そのときもそう思いました。
これを自力で行けるようになるためには、一体何をすればいいのだろう?
その問いが今後の行動の指針になります。そうしたルートを与えることができるルート選択の凄さ、というのがやっぱりベテラン力、というようなものかもしれません。
■ 視野の広がり
私は、人があまり知らず、それでもちょっと雰囲気の良い場所を楽しく冒険したいのです。それも、お金が余りかからないなら、なおよし。
山をどんどんステップアップする必要は、そんなに感じていません・・・そんなことをしても、すぐに行き尽くしてしまうからです。
山のグレーディングは、何のためにあるのか?それは、ステップアップするためではなく、行きたい場所に行くとき、自分の力量を大きく超える山に間違って行ってしまわないようにするため・・・
ジムや室内壁は何のためにあるのか?それは、難しい課題にチャレンジするためではなく、山でもらってきた課題をジムという安全な環境で、反復練習するため・・・。
そのことが分かって、なんだか肩の荷が下りた、また視野が広がった山行でした。
■ 小さい山に技術を生かす
実は、穂高でへばってヘロヘロだったくせに、帰って、すぐ、二日後に伝丈沢に行きました。また行くの~と飽きれられると思いますが、山で満腹していなかったから、ではありません。
ここしばらく会っていなかった山の友達に会いたかった、ということが、第一にありました。
なんとなく、山で分かったことを、その人に報告する必要があるような気がしたのです。
伝丈沢は易しい沢で、登攀スキルは不要。けれども、ロープワークは必要、地図読みは必要、それに、道なき道を歩く、冒険的要素が強い場所です。
そんな場所を彼と歩きたかったのは、一通り、どこでも歩けるようになって、目標を失った彼に、大きく派手な山ばかりが、山じゃないよ、ということを、なんとなく伝えたかったのかもしれません。
何のための山スキルだったのか?それは強くて優しい、たくましいパパになるためだったのかもしれません。
今目の前にあるものに感謝する心を山ははぐくんでくれます。大事なものとは、些細で、毎日手元にあるもの…手元にある時には、持っているものの価値が見えにくいのです。晴れの日のように。
それでも失って初めて分かる必要はありません。雨の日にならないと、晴れの日のありがたさを実感できないわけではありません。
山には色々な面があります。登れりゃいいんだろ、て訳でもないし、担げればいい、って訳じゃない。
今あるリソースを最大限に活用して、素晴らしい経験を作ることにつなげていく・・・様々な要素が、ジグゾーパズルのピースのように、ぴったりと、はまってこそ良い山行が出来上がります。
その複雑な形のピースを組み合わせるのは、一種の芸術みたいなものです。
その時、その時にピッタリの山、そんな山を作ることができる達人になってほしいな~と、姉さんはちょっと思ったりしたのでした。
今日は冷たい秋の雨です。これから一雨ごとに寒さが身に染みる季節になって行くでしょう。
今日は、朝から会のニュースレターに載せる前穂北尾根の記事を書こう!としているのですが、事細かに書いても、小学生の夏休みの日記のようになってしまい、自分でさえ、読むのがうっとうしくなってしまいます・・・(^^;)
困ったなぁ・・・3泊4日もの旅は、一言で語るには、長いし・・・何字くらいがベストな量なのか?
恐れていた混雑は、それほどでもなく、台風からも無事に逃げ切り、素晴らしい山を堪能したのですが、素晴らしいことを素晴らしいと言ってしまうのが、凡才と聞いているので、そう言わずに、いかにそれを表現しようか・・・と考えると、白髪が増えそうです(笑)
台風が来たことで、混雑が緩和され、かつ快晴も得られ、旅の成否を分けたポイントでした。
■ 鉄則集
御坂の山行は、
・テント泊が基本
です。みんなで分担して、よいこらしょ!と担いで行きます。なので、一人でも欠けると大変。テント泊も、登攀装備が入ると、さらに重くなり、大変度がアップします。
・生米から炊く
というのも、鉄則みたいです。 あとは、
・ゴミはザックの中に入れる
です。
・自分で持ち込んだものだけでやりくりする
という美学を教わりました。小屋で出している食事などを活用はしない。基本は何もない荒野に出向いていく、という前提です。たとえ、小屋が、わんさかあるところ、と知っていても・・・。
■ ビールとソフトクリーム
ただ、”その持ち込んだものだけで何とかする”には、生ビールは入っていないみたいです(笑)。
ま、生ビールがないと、山が成り立たないわけでないから、いいのか。
男性が生ビールなら、女性はソフトクリームかもしれません。今回は、それでも、ソフトクリームのご褒美を2回も、見送ったのです(笑)。
下山で、徳澤園で、リベンジしましたが、登りに徳澤で食べ、翌日北穂池のご褒美に涸沢小屋で食べ、下山では、歩荷のご褒美に河童橋で、はちみつかけソフトを食べるべきだった・・・3回を1回にしたんだから、まだ遠慮した方なんです(^^)。すると、ちなみにソフトクリーム予算は1500円になります。
今度から涸沢詣ででは、バテる前にソフトクリーム補給です(笑)。
■ 導かれ感
今回の旅は、キーワードが、”導かれ感”でした。つまり、ルートファインディングです。
基本的には、先人の足跡を追うのですが、足跡なんて、つかないザレの上にも、なんとなくある、導かれ感・・・
そして、決定的なルートの困難度の差は、一般道と非一般道の質の差。
特に北穂池は、北穂前尾根と比較しても、踏まれていない秘境で、クライミング要素を除けば、こちらのほうが難しいルートと言える場所でした。落石やねん挫などの危険度も高いです。
クライミング要素で言えば、前穂北尾根は3ピッチしかなく、それに核心は1ピッチだけで、あとは2級や3級で歩ける場所です。だから、クライマーは登り足りないらしくて、四峰でフェースを見つけて遊んでいました(笑)。
それでも、クライミングができると、一般道の難路、大キレットの飛騨泣きなど、易しく感じます。
でも北穂池への道などの、そもそも踏まれていない道は比べられない。タイプが全然違うものです。
■ 本チャンで必要となる高い集中力、それを支える体力と補給
そして、ゲレンデと違い本チャンは、長い時間、途切れることのない集中力が必要という、本来の登山の力が必要でした。
一般向けガイドブックで使われる難路5、体力度5という物差しで表現すると、難路7、体力度8って感じです。
つまり、難路7、体力度5ではなかった・・・今までの体力に、クライミング力だけが加わっただけであっさり切り抜けられるところでもなかった・・・。
困難度が小刻みでなく、一気に上がった感じがしました。
転滑落のリスクは、クライミングが終わっても、一般道でも同じです。行程は14時間に渡りました。 私の個人山行の一番長い行動時間と同じです。
そうなると、補給作戦も重要になります。今回は、小屋がいっぱいあるルートだったので、認識が甘く、乾パンの行動食ではバテました。
山でバテたのは初めてです。軽量化で、行動食が少なかっただけでなく、水ボトルが破損して、水も不足したからです。
穂岳岳山荘で、ポカリを飲んだのに、その日は一日、一回もトイレに行かなかったくらいです。
そのため、下りはヘッデンのお世話にならず、下れるギリギリ・・・普段なら、小一時間早く降りれたと思います。
それでも、非常に充実感があって、山ってやっぱりいいな~と思ったのでした。
■ 冒険的ルートが好きだと言うことを発見
私は前穂北尾根は目標にすべきルートとして、気に入りましたが、北穂池は個人的に特別気に入りました。
北穂池のほうが、発見と、冒険的な要素が強かったからです。私はこんな性格のルート、大好きだと言うことが分かりました。
一つ自分を発見。
前穂北尾根は、一回先輩に連れて行ってもらったところで、次から人を連れていけるような場所ではない、ということが分かりました。
つまり、このルートを自分の力で歩けるようになること、を、これからの目標にすべきだと言うことが分かりました。
■ 登山者にピッタリの課題を与える技術
こうした背伸びのルートは、登山者にちょっとした目標を与えます。
一人の登山者に、今の実力にピッタリの課題を与えることができる、というのは、やっぱりベテランの力かな~と今回も思いました。
私は登山2年目で、残雪期のツルネ東稜に行ったのですが、そのときもそう思いました。
これを自力で行けるようになるためには、一体何をすればいいのだろう?
その問いが今後の行動の指針になります。そうしたルートを与えることができるルート選択の凄さ、というのがやっぱりベテラン力、というようなものかもしれません。
■ 視野の広がり
私は、人があまり知らず、それでもちょっと雰囲気の良い場所を楽しく冒険したいのです。それも、お金が余りかからないなら、なおよし。
山をどんどんステップアップする必要は、そんなに感じていません・・・そんなことをしても、すぐに行き尽くしてしまうからです。
山のグレーディングは、何のためにあるのか?それは、ステップアップするためではなく、行きたい場所に行くとき、自分の力量を大きく超える山に間違って行ってしまわないようにするため・・・
ジムや室内壁は何のためにあるのか?それは、難しい課題にチャレンジするためではなく、山でもらってきた課題をジムという安全な環境で、反復練習するため・・・。
そのことが分かって、なんだか肩の荷が下りた、また視野が広がった山行でした。
■ 小さい山に技術を生かす
実は、穂高でへばってヘロヘロだったくせに、帰って、すぐ、二日後に伝丈沢に行きました。また行くの~と飽きれられると思いますが、山で満腹していなかったから、ではありません。
ここしばらく会っていなかった山の友達に会いたかった、ということが、第一にありました。
なんとなく、山で分かったことを、その人に報告する必要があるような気がしたのです。
伝丈沢は易しい沢で、登攀スキルは不要。けれども、ロープワークは必要、地図読みは必要、それに、道なき道を歩く、冒険的要素が強い場所です。
そんな場所を彼と歩きたかったのは、一通り、どこでも歩けるようになって、目標を失った彼に、大きく派手な山ばかりが、山じゃないよ、ということを、なんとなく伝えたかったのかもしれません。
何のための山スキルだったのか?それは強くて優しい、たくましいパパになるためだったのかもしれません。
今目の前にあるものに感謝する心を山ははぐくんでくれます。大事なものとは、些細で、毎日手元にあるもの…手元にある時には、持っているものの価値が見えにくいのです。晴れの日のように。
それでも失って初めて分かる必要はありません。雨の日にならないと、晴れの日のありがたさを実感できないわけではありません。
山には色々な面があります。登れりゃいいんだろ、て訳でもないし、担げればいい、って訳じゃない。
今あるリソースを最大限に活用して、素晴らしい経験を作ることにつなげていく・・・様々な要素が、ジグゾーパズルのピースのように、ぴったりと、はまってこそ良い山行が出来上がります。
その複雑な形のピースを組み合わせるのは、一種の芸術みたいなものです。
その時、その時にピッタリの山、そんな山を作ることができる達人になってほしいな~と、姉さんはちょっと思ったりしたのでした。
Tuesday, October 21, 2014
雑草育ち・・・いかにして、前穂北尾根へ至ったか?
■ ビレイをマスターするのにリードが必要だということ
「リードしたくない人に、リードはないな~」
と言ったのは、最初に山の扉を開いてくれた先輩だった。
しかし、リードをしないと、そもそも、ちゃんとしたビレイヤーにはなれない。
初心者は、そこを理解するのが、第一関門だ。
■ トップロープの弊害
トップロープしか知らないと、ビレイと言うのは、ただロープを引っ張ることだと感じてしまう。
リードのビレイでは、細かくロープを出し入れしないと、ちゃんとしたビレイができない。
それには細心の注意力を擁する。一挙手一動を凝視していないといけない。
■ 安心できないビレイヤー = フリーソロと同じ
しかし、私も最初はビレイをマスターするのに、リードする必要があるとは分からず、師匠がしきりに、リードさせようとするので(それもアイスで!)、すごく不安になっていた…。
その意味するところは、私に難しいところを登らせよう、というのではなく、自分がリードするときに安心を増やすためだったのだ。つまり、その時点で、私は師匠にとっては、全然、安心できるビレイパートナーではなかったのだ。この人のビレイでは落ちれないと感じていたと思う。
そんな状態でのリードはフリーソロと同じだ。いやロープが煩わしい分、フリーソロ以下かもしれない。 命を掛けてまで、山に付き合ってやらないといけないとは!初心者とは大変なものだ。
つまり、分かっていない初心者と言うのは、どれほど大変なお荷物であることだろう!育てるのは命がけだ。
■ 理解が先で、行動が後のワタクシ
そこのところが理解するのに、リードを経験する必要があった。
私自身、ビレイを分かっていない人に、リードでビレイしてもらって、落とされそうになった。
リードをするのは、ちゃんとしたビレイヤーになるためだ、と、理解できれば、私はやろうとする。
しかし、先に理解がないと、途端に何に向かって進んでいるのか分からず、不安に陥る。行動を停止する。
わたしには自分で自分を運転している感じが必要なのだ。
そういう意味で、”黙って俺についてこい、そのうち分かる”式の教授法は、私には全く向いていない。
■ 本能?
昔、水泳部でそういうのがあった。弟には良かったみたいだったが、私はてんでダメ。
子供をドブン!と、水に入れて、後ろから、竹刀で追い立てれば、勝手に泳ぎ方なんて覚える、という方式、私にはまったく合っていなかった。
単純に恐怖で、縮み上がってしまうのだ…前にも後ろにも、手も足も、一歩も、何も出ない。金槌だ。
大人になって、水泳教室に通ったら、あっけなく泳げた。
つまり、私は泳げない人ではなく、単純に泳ぎ方を知らない人だったのだ。
クライミングは水泳に似ている。
上手な人は教えなくても上手だし、ちゃんと教えれば、私のように、どんなにどんくさい人だって、ある程度は登れる。
それに上手な人は教えるのが下手だ(笑)。
■ 前穂北尾根への道を振り返る・・・
今年は、アルパイン元年で、ひと夏をそれに捧げた。ただ、成長が急だったので、とっても精神的に疲れた。
以下は今年の岩登りのリストだ。
2014年10月10~13日 北穂池・前穂北尾根 つるべ
2014年10月4日 御坂 十二ヶ岳の岩場 つるべ
2014年9月4日 御坂 十二ヶ岳の岩場 トップロープ
・・・・ここで息切れ・・・
2014年8月23日 奥秩父 太刀岡山左岩稜 セカンド
2014年8月13日 御坂 三つ峠マルチピッチ 初めてのダブル つるべ
2014年8月4日 奥秩父 瑞牆山 カサメリ沢 モツランド トップロープ
2014年7月14日 奥秩父 太刀岡山 小山ロック クライミング トップロープ
2014年7月13日 小川山 春のもどり雪 マルチピッチクライミング つるべ
2014年7月12日 御坂 三つ峠 マルチピッチ クライミング つるべ
2014年6月30日 小川山 親指岩 小川山レイバック トップロープ
2014年6月29日 小川山 八幡沢 春のもどり雪 つるべ
2014年6月22日 御坂 十二ヶ岳の岩場 つるべ
2014年6月15日 小川山 父岩母岩 小川山物語 トップロープ リード
2014年5月25日 小川山 八幡沢 春のもどり雪 マルチピッチ入門 セカンド、リード
2014年5月22日 小川山 屋根岩2峰セレクション マルチピッチ入門 セカンド
・・・・岩通いスタート・・・
2014年5月18日 十二ヶ岳の岩場 岩入門 リード
2014年4月5日 御坂 三つ峠 屏風岩 マルチピッチ デビュー セカンド
2014年1月18日 御坂 十二ヶ岳 ゲレンデ アイゼントレーニング セカンド
去年1月のアイゼンクライミングの前に、会で、城山でのクライミングの機会があったけれども、私は岩登りは、この時はまだ怖くて、辞退している。
外岩から昔の人は入ったので、本当は外岩から入ってもいいのだろうけど、「あまり早くに外岩に連れて行かない方がいい」と言う人もいる。一体どちらが正しいのだろう?
パートナーとして大事に育てたい人がいれば、たぶん怖がらせず、岩に慣れてもらう時間を長く作るだろう。いわゆる温室育ちだ。それは、セカンドで何度も岩に連れて行ってもらう、ということを意味する。
結局のところ、私は、セカンドでは、ほとんど連れて行ってもらっていない・・・最初の一回だけで、それは誰もに必要な時間に過ぎない。2回目からは、つるべか、リードだ。18山行中10回は、リードかつるべ。
だから、セカンドで守られ、岩を単純に楽しいと思う時間をたぶん十分、過ごしていないのではないか?と今年の夏は思った。
私の岩への精神的緊張は、それに根差しているのでは?と思ったのだ。つまり、練習不足・経験不足の自己認識だ。
運転の教習でも、一定の目安となる時間がある。慣れが成否を分けるものであれば、おなじようにクライミングもロープワークも慣れが左右するわけなのだから、一定の目安となる時間が必要となって、然りだろう。
そして、へたくそは、才能で登れる人より、より多くの時間を掛けないといけないハズだが、私はへたくそなのに、逆に全く時間をかけ損なっているのではないか?と想像した。
というのは、以前、他会の人だが、丁寧に育てられた新人の山行リストを見て、びっくりしたことがあるからだ・・・十二ヶ岳の岩場レベルの易しい岩場に、これでもか、というくらい先輩が何度も連れて行っていたからだ。
反復練習にまで付き合ってくれるような暇は、先輩には、通常はないので、その辺は、新人同士で片づけて欲しいところだと思う。
それで、その彼はエリート育ちだなぁと思った。それと比すると、クライミング頻度が低くて、ほとんど経験がない段階からリードしつるべが前提の、私の、この成長の軌跡は、要するに雑草系だと思う。
■ 山の一部として
私は、岩登りは、岩登りに特化した活動(つまりフリークライミング)というより、山登りの一要素として、岩登りのニーズを感じていた。
だから、自分の山がステップアップする速度で、ちょうど必要になる分だけ、岩登りスキルも、ステップアップすればいいと思っている。(でも、山に行くと、フリーも頑張らなきゃな~、とは、率直に思う)
山の初心者が来た時、クライミングを多少でも良いからしておかないと、いわゆる”本格的な山”にはまったく連れて行けない。一般道止まりになってしまう。
だから、山岳会に来たら、誰もがクライミングの洗礼を受けるし、クライミングをしたくないと言えば、山岳会に来た意味自体が希薄になってしまう・・・
・・・というのは、ちょっとした悪場で、ロープをイチイチ出すわけには行かないからだ。
そんなことをしたら、日が暮れてしまうし、そんなことをしたら、ガイド登山になってしまう。山岳会はちょっとしたところではロープは出さないのだ。頻繁にどこでもロープを出してくれるのはガイドだけだ。
でも、このレベルのクライミング力はそんなに高くない。5.8がリードできれば十分だ。
このことは初心者にはとても理解が難しいと思う。
■ 初めての岩場で
初めての岩場に行った時のことだ。登山道なら、ちょっとした難所になるところがあった。一瞬に過ぎないが、こけると危険だった。
先輩が、「ここは一般道ならロープを出すんだが…」と言って、不安そうに私の方を見た。私がその箇所を、問題なく超えたときの、「あ、平気なの?」という、ホッとした表情は今も忘れない。
そこは、その日、なんとフィックスロープを張ってくれた。今は誰も目にも留めない。
力量が分からない、初めての人を岩場に連れて行くのは、それほどまでに、連れて行く人の心理的負担が大きい。
初心者は、無垢で全く、何も知らないので、連れて行く人は、連れて行った相手の安全に、120%責任を持たないといけない。
■ 師匠との三つ峠
その3か月後、師匠が初めてのマルチピッチで、三つ峠に連れて行ってくれた。
この時は、岩場に”トポ”というものがあるのさえ、全く知らなかった。
師匠は、私のロープワークの技量は全くと言っていいほど、知らず、セカンドの確保ができるのか、どうか?さえも、不明だったと思う。(ちなみに、今でも知らないと思う。) もう一人いた女性は、わたしよりさらに問題があり、懸垂下降のセットさえ、何をしたらよいのか、分からない様子だった。
これも120%、連れて行ってもらった山だ。
だから、ケーキはおごり(笑)。ケーキ代くらいで、命を懸けてくれたのだから、安いものだ。
というのは、あながちウソではなく、この日は、まだ登山道には雪が大量に残っており、指が、かじかんで、登攀の難易度はワンランクアップだった。先鋭的で知られる横浜の会が、前日、”まだ三つ峠は冬期登攀だった”と言って敗退している日だった。
そのため、師匠は1ピッチ目で、あやうく墜落しかけた。さらに相方になった女性は、リードのビレイで、師匠を引っ張り落としそうになった。師匠は青くなっていた。自分で落ちるなら、まだしも、おとされたら、たまらない。
これが私のマルチピッチデビューだった。師匠には、とても感謝している。普通はロープワークを自分の目で監督していない相手を連れて行くことはないと思う。
■ ”いきなりリード”
それから、次に十二ヶ岳の岩場へ誘われたので、完全にエンジョイクライミングの、トップロープ祭りだと思っていそいそと出かけたら、それは最初の1本だけで、2本目からリードだった…(^^;)。
自分でもよく登れたな~、と思う。
支点は自分の身長毎に取ったくらい、頻繁に取ったけれど、私の”いきなりリード”は、かなり急激だったと思う。何しろ、外岩、ショートピッチのクライミングなんて、全く知らない。
けれど、この日はロープワークをパートナーを組んだ人に教える役目も果たしたので、そちらのほうが強烈に印象に残り、自分がどうやってリードしたのか、今もって雲をつかむような感じだ。覚えていない。
私は、昔から責任感が強い。教えたことが間違っていないか、相手の安全を自分がきちんと確保できているか?そちらのほうが心配になってしまう。
この時、初めて人にロープワークを教えたが、易しいとはいえ、マルチの壁で、自ら志願してリードした。
というのは、まったく、初めて支点を作る人と私と、では、どう冷静に考えても、たぶん、まだ私の方がマシだろう、と思ったからだ。
中間支点の場所など、トポって何?状態の初心者が、セカンドとして登ったところで、意識して覚えているわけもなく、まったくの初見と同じことだった。4か月もたっていたし。
オマケにビレイヤーも初心者なので、ビレイも当てにできない。つまり、フリーソロ状態だ。
その後、より支点が充実した、小川山屋根岩2峰や、春のもどり雪に連れて行ってもらい、これらは先輩のリードで、ほぼ終始セカンドだったので、心も軽く、体も固くならず、楽しく登れた。なんという違いだろう!安心の傘!!
それでも、最後のピッチで、私は確保器を落としてしまい、懸垂下降がムンターになった。ほぼ垂直の懸垂で、次の確保支点は、ハンギングなのに…(笑)。
■ 初見リードでスタートとほぼ同じ
そこから先は、もう相方と二人で、いきなり岩場に行って、つるべを練習していた。というか、むしろ私が案内役だった。
十二ヶ岳の岩場もだし、三つ峠天狗岩もだ…易しいと言っても連れて行く方は緊張するし、天狗岩は私にとっても完全初見だ。
だから、私には、セカンドでぬくぬく登っていた時代と言うのは、ほんの一瞬しかない。正直なところ、セカンド時代を長く過ごせた人が羨ましいくらいだ。
私たちがつるべで通ったのは易しい場所だが、お互い”初見リードでスタート”と、ほとんど変わりがない・・・(汗)。さらに言ってしまえば、お互いフリーソロ、と変わりがない。
クライミングの才能がないのに・・・(^^;)
つまり、メンタルなキャパシティを、天に試されているような気がする・・・(--;)
初心者で、トポってなあに?状態の人は、中間支点の位置も、もちろん記憶していないし、一回トップロープで登ってスタンスを覚える、というような発想に、まだ全然ない。それが普通だ。
だから、三つ峠も2回目でリードした時は、まったく真っ白と一緒のことだった。
先日連れて行った初心者の男性も、岩講習を受けた後だ、という話にも関わらず、岩講習を一回も受けたことがない状態の私より、しどろもどろの様子だった。
「ほんっとに何にも覚えてないでしょ」とすまなさそうに、茶目っ気たっぷりに言ってくれたが、それは裏を返せば、”ザイルの反対側にいる私の安全は、ぼくは保障しないよ”っていう意思表明だ。
でも、この言葉を言うことから、そのことも分かっていないのだろう・・・と推測できる。「私にはパートナーの資格がありません」と、自ら言っているようなものだからだ・・・。
でも、やはり、
・・・だった。でも、こういうのは想定内のことなので、初心者なら許されることだ。
つまり、まだ自分で自分のケツも拭けない。(汚い表現でスミマセン、ただ最初に教えてくれた先輩が、そう言うので・・・)
ただ岩登りが出来て感動!うれしい!!と、舞い上がっているので、それは致し方ない。この時点では、喜びをそぐほうが、害が大きいかもしれないと思う。
わたしだって、三つ峠や屋根岩2峰では、そういう状態だっただろう。師匠命がけ(笑)、先輩も命がけ(笑)
だから、そういう状態だった人が、2回目に同じ場所を登っても、それは、初見とほとんど同じことになってしまう(汗)。
というわけで、私は今年は一杯、初見で登ったような気分で、「本気トライなさったら」と言われても、実はもう一杯本気トライした後で、精神的に、もぬけの殻なのであった…(^^;)。
つまるところ、精神的ストレスと、夏の疲れが相まって(毎年夏は調子が悪い・・・)、8月のお盆休みは、もぬけの殻になっていた… 師匠は、そんな私を見て、このまま、山を去るのではないか?と思っていたほどだ・・・。
■ 懸垂では失敗できない
フリークライミングのショートピッチで岩を始めると、懸垂下降を知らないままに過ごす時間が長い。
だが、懸垂下降は、退路を作る技術で、そして、なにより、失敗が決して許されない。
懸垂下降を、私は最初に習った。登ることより、退路を断たない、ということが先だった。
けれど、一般にクライミングする人は、最後にしか教わらない。
相方は、そういう順番で習っていたのだと思う。室内壁での練習で、バックアップのセットが怪しかったので、凄く心配し、経験の量で行くと、まだ私の方がマシそうだったので、生まれて、まだたった2回目の三つ峠では、私が先にトップで降りた。空中懸垂になるところがあると分かっていたからだ。そんなところで失敗されたら!奥様に顔向けできない!
小川山は寝ている壁だったので、懸垂は二回とも先に降りてもらった。私はアイスでルートに出たおかげもあり、懸垂下降はセットミスはもうほとんどない。ただロープが足りないとか、途中停止、すっぽ抜け、回収不能などの経験はまだない。
■ 経験が圧倒的に不足
やはり、マルチピッチでは、ルートに出た経験の量の方が重要で、いくらショートのゲレンデをたくさん経験していても、経験の内容的に、懸垂や支点作成の部分が積み重なっていかない。もちろん、ルートでも、漫然とセカンドで登っていても、全然経験の量として蓄積していかない。
相方と私では、どちらもどっちで、お互いに信頼に足る経験が足りておらず、互いにビレイは信用できないし、支点もお互いチェックし合わないといけないし、二人で一緒にいても、互いにフリーソロ状態なのと変わりないことになってしまう。
そうなると、より心配性で、クライミング力が低い、私のほうの心理ストレスが強くなってしまうのは道理だ。クライミング力は相手ではなく、自らの安全を守るものだからだ。
いくら登れる相手と組んでも、自分の安全は増えるわけではないのは覚えておくべきだろう。自分の安全は自分のクライミング力で守るものなのだ。
・・・というわけで、8月、私は急激すぎる岩通いに精神的に疲れていた。
セカンドとして、もっと普通に岩登り自体を楽しいと思う時間が必要なのではないか?と思った。つまり、担っている責任が重すぎると感じたのだ。
岩に登って楽しいとか、興味がわく前に、リードする恐怖に立ち向かうことになったので、心の方がついていけなくなったのだ。
■ 課題
一方、課題は多かった。コールは余計なことを言うと、間違ってビレイを解除してしまう危険があった。さらに、もっと問題は、ロープが流れなくなることだ。つまり、中間支点の作り方がマズイ。
ロープそのものも問題だった。落ちること前提のスポーツクライミング用のシングルをダブルで使うので、重くて、登るのに支障が出るのだ。ロープの重さが足手まといになっていた。
さらに、そのロープは、使い込まれて痛んでおり、少々信頼性に欠けた。あるベテランさんに、そのロープでトップロープを張ってもらったら、ローワーダウンでなくて、体重を掛けないよう、クライムダウンした。そのクライマーさんは、見るからに熟練者だったので、その判断を見て、私はそのロープをさらに信用しなくなった。
■ 5.8リードはえらくないか?
もちろん、私が登っている岩は、5.8レベルで、クライマー諸氏は目をつぶってでも、登れる易しいルートばかりだ。
しかし、信頼できないビレイヤーのビレイで登っているリードなど、単純にフリーソロと同じになってしまう。
これはどんなレベルか?と言うと、5.12が登れるクライマーでも、フリーソロと同義のソロクライミング(ソロイストを使ったりなど)は、5.7レベルしかやらない。
つまり、立派に登れ、優れたクライマーだって、やっとこさ、確実だと感じられるレベルだ。
岩登り事態の経験が、そもそも片手で数えるくらいのレベルの人が、緊張に晒されないわけがない。
リードする人の安心につながるのは、主に
の2点であり、自分のクライミング力への信頼は後回しだ。絶対に落ちない、というのは、それくらい断言が難しいことなのだ。
初心者の人は、自分のビレイ技術に問題があるかもしれない・・・などとは、想像もできないし、想像もしない。ビレイ技術の未熟さを指摘されると、逆切れして、拗ねて、腹を立ててしまう人もいる。
でも、まともな墜落を一回も止めたことの無い人のビレイなんて信頼できるはずがない。(と、先輩は、誰もが口をそろえて言っている。)
先輩たちは信頼できないビレイヤーでは、難しいところは決して行かない。
だから、だらりんビレイで、ビレイして許されると思っている新人は、自らどんどんリードして、だらりんビレイでのリードがいかに恐ろしいものか?を理解させられるのだ。
一方、登りたがりの人は、登ることに魅惑されているので、ビレイが登るための精神的支柱になっていることには全く気が付いていない。
そこに気が付くまでに、一度大きな墜落を経験しないといけない人もいる。そうして、初めて、自分を結ぶ命綱が、文字通り、命綱だったということに気が付くのだ。
そうやって、クライマーはだんだん用心深くなっていくものらしい・・・。
ただ、”愚者は経験から学び賢者は歴史から学ぶ”。何も落ちた経験から学んだ人を愚者呼ばわりするのではないが、何も自分が落ちて、痛い目に遭わなくても、周囲には、そんな生き証人がたくさんいて、そんなことはとっくに新人は耳たこになるほど聞かされているべきなのだ。
ある先輩は、「もう絶対リードはしない」と公言する。
それでも、その人は、確実なビレイをしてくれるから、重要な戦力だ。確実な登攀には、突破力だけが必要なわけじゃない。
というわけで、リードしないとビレイも上達しないの法則の話と、今年ひと夏の苦労の感想でした。
ところで、この苦労は前穂北尾根になったので、十分報われました☆
「リードしたくない人に、リードはないな~」
と言ったのは、最初に山の扉を開いてくれた先輩だった。
しかし、リードをしないと、そもそも、ちゃんとしたビレイヤーにはなれない。
初心者は、そこを理解するのが、第一関門だ。
■ トップロープの弊害
トップロープしか知らないと、ビレイと言うのは、ただロープを引っ張ることだと感じてしまう。
リードのビレイでは、細かくロープを出し入れしないと、ちゃんとしたビレイができない。
それには細心の注意力を擁する。一挙手一動を凝視していないといけない。
■ 安心できないビレイヤー = フリーソロと同じ
しかし、私も最初はビレイをマスターするのに、リードする必要があるとは分からず、師匠がしきりに、リードさせようとするので(それもアイスで!)、すごく不安になっていた…。
その意味するところは、私に難しいところを登らせよう、というのではなく、自分がリードするときに安心を増やすためだったのだ。つまり、その時点で、私は師匠にとっては、全然、安心できるビレイパートナーではなかったのだ。この人のビレイでは落ちれないと感じていたと思う。
そんな状態でのリードはフリーソロと同じだ。いやロープが煩わしい分、フリーソロ以下かもしれない。 命を掛けてまで、山に付き合ってやらないといけないとは!初心者とは大変なものだ。
つまり、分かっていない初心者と言うのは、どれほど大変なお荷物であることだろう!育てるのは命がけだ。
■ 理解が先で、行動が後のワタクシ
そこのところが理解するのに、リードを経験する必要があった。
私自身、ビレイを分かっていない人に、リードでビレイしてもらって、落とされそうになった。
リードをするのは、ちゃんとしたビレイヤーになるためだ、と、理解できれば、私はやろうとする。
しかし、先に理解がないと、途端に何に向かって進んでいるのか分からず、不安に陥る。行動を停止する。
わたしには自分で自分を運転している感じが必要なのだ。
そういう意味で、”黙って俺についてこい、そのうち分かる”式の教授法は、私には全く向いていない。
■ 本能?
昔、水泳部でそういうのがあった。弟には良かったみたいだったが、私はてんでダメ。
子供をドブン!と、水に入れて、後ろから、竹刀で追い立てれば、勝手に泳ぎ方なんて覚える、という方式、私にはまったく合っていなかった。
単純に恐怖で、縮み上がってしまうのだ…前にも後ろにも、手も足も、一歩も、何も出ない。金槌だ。
大人になって、水泳教室に通ったら、あっけなく泳げた。
つまり、私は泳げない人ではなく、単純に泳ぎ方を知らない人だったのだ。
クライミングは水泳に似ている。
上手な人は教えなくても上手だし、ちゃんと教えれば、私のように、どんなにどんくさい人だって、ある程度は登れる。
それに上手な人は教えるのが下手だ(笑)。
■ 前穂北尾根への道を振り返る・・・
今年は、アルパイン元年で、ひと夏をそれに捧げた。ただ、成長が急だったので、とっても精神的に疲れた。
以下は今年の岩登りのリストだ。
2014年10月10~13日 北穂池・前穂北尾根 つるべ
2014年10月4日 御坂 十二ヶ岳の岩場 つるべ
2014年9月4日 御坂 十二ヶ岳の岩場 トップロープ
・・・・ここで息切れ・・・
2014年8月23日 奥秩父 太刀岡山左岩稜 セカンド
2014年8月13日 御坂 三つ峠マルチピッチ 初めてのダブル つるべ
2014年8月4日 奥秩父 瑞牆山 カサメリ沢 モツランド トップロープ
2014年7月14日 奥秩父 太刀岡山 小山ロック クライミング トップロープ
2014年7月13日 小川山 春のもどり雪 マルチピッチクライミング つるべ
2014年7月12日 御坂 三つ峠 マルチピッチ クライミング つるべ
2014年6月30日 小川山 親指岩 小川山レイバック トップロープ
2014年6月29日 小川山 八幡沢 春のもどり雪 つるべ
2014年6月22日 御坂 十二ヶ岳の岩場 つるべ
2014年6月15日 小川山 父岩母岩 小川山物語 トップロープ リード
2014年5月25日 小川山 八幡沢 春のもどり雪 マルチピッチ入門 セカンド、リード
2014年5月22日 小川山 屋根岩2峰セレクション マルチピッチ入門 セカンド
・・・・岩通いスタート・・・
2014年5月18日 十二ヶ岳の岩場 岩入門 リード
2014年4月5日 御坂 三つ峠 屏風岩 マルチピッチ デビュー セカンド
2014年1月18日 御坂 十二ヶ岳 ゲレンデ アイゼントレーニング セカンド
去年1月のアイゼンクライミングの前に、会で、城山でのクライミングの機会があったけれども、私は岩登りは、この時はまだ怖くて、辞退している。
外岩から昔の人は入ったので、本当は外岩から入ってもいいのだろうけど、「あまり早くに外岩に連れて行かない方がいい」と言う人もいる。一体どちらが正しいのだろう?
パートナーとして大事に育てたい人がいれば、たぶん怖がらせず、岩に慣れてもらう時間を長く作るだろう。いわゆる温室育ちだ。それは、セカンドで何度も岩に連れて行ってもらう、ということを意味する。
結局のところ、私は、セカンドでは、ほとんど連れて行ってもらっていない・・・最初の一回だけで、それは誰もに必要な時間に過ぎない。2回目からは、つるべか、リードだ。18山行中10回は、リードかつるべ。
だから、セカンドで守られ、岩を単純に楽しいと思う時間をたぶん十分、過ごしていないのではないか?と今年の夏は思った。
私の岩への精神的緊張は、それに根差しているのでは?と思ったのだ。つまり、練習不足・経験不足の自己認識だ。
運転の教習でも、一定の目安となる時間がある。慣れが成否を分けるものであれば、おなじようにクライミングもロープワークも慣れが左右するわけなのだから、一定の目安となる時間が必要となって、然りだろう。
そして、へたくそは、才能で登れる人より、より多くの時間を掛けないといけないハズだが、私はへたくそなのに、逆に全く時間をかけ損なっているのではないか?と想像した。
というのは、以前、他会の人だが、丁寧に育てられた新人の山行リストを見て、びっくりしたことがあるからだ・・・十二ヶ岳の岩場レベルの易しい岩場に、これでもか、というくらい先輩が何度も連れて行っていたからだ。
反復練習にまで付き合ってくれるような暇は、先輩には、通常はないので、その辺は、新人同士で片づけて欲しいところだと思う。
それで、その彼はエリート育ちだなぁと思った。それと比すると、クライミング頻度が低くて、ほとんど経験がない段階からリードしつるべが前提の、私の、この成長の軌跡は、要するに雑草系だと思う。
■ 山の一部として
私は、岩登りは、岩登りに特化した活動(つまりフリークライミング)というより、山登りの一要素として、岩登りのニーズを感じていた。
だから、自分の山がステップアップする速度で、ちょうど必要になる分だけ、岩登りスキルも、ステップアップすればいいと思っている。(でも、山に行くと、フリーも頑張らなきゃな~、とは、率直に思う)
山の初心者が来た時、クライミングを多少でも良いからしておかないと、いわゆる”本格的な山”にはまったく連れて行けない。一般道止まりになってしまう。
だから、山岳会に来たら、誰もがクライミングの洗礼を受けるし、クライミングをしたくないと言えば、山岳会に来た意味自体が希薄になってしまう・・・
・・・というのは、ちょっとした悪場で、ロープをイチイチ出すわけには行かないからだ。
そんなことをしたら、日が暮れてしまうし、そんなことをしたら、ガイド登山になってしまう。山岳会はちょっとしたところではロープは出さないのだ。頻繁にどこでもロープを出してくれるのはガイドだけだ。
でも、このレベルのクライミング力はそんなに高くない。5.8がリードできれば十分だ。
このことは初心者にはとても理解が難しいと思う。
■ 初めての岩場で
初めての岩場に行った時のことだ。登山道なら、ちょっとした難所になるところがあった。一瞬に過ぎないが、こけると危険だった。
先輩が、「ここは一般道ならロープを出すんだが…」と言って、不安そうに私の方を見た。私がその箇所を、問題なく超えたときの、「あ、平気なの?」という、ホッとした表情は今も忘れない。
そこは、その日、なんとフィックスロープを張ってくれた。今は誰も目にも留めない。
力量が分からない、初めての人を岩場に連れて行くのは、それほどまでに、連れて行く人の心理的負担が大きい。
初心者は、無垢で全く、何も知らないので、連れて行く人は、連れて行った相手の安全に、120%責任を持たないといけない。
■ 師匠との三つ峠
その3か月後、師匠が初めてのマルチピッチで、三つ峠に連れて行ってくれた。
この時は、岩場に”トポ”というものがあるのさえ、全く知らなかった。
師匠は、私のロープワークの技量は全くと言っていいほど、知らず、セカンドの確保ができるのか、どうか?さえも、不明だったと思う。(ちなみに、今でも知らないと思う。) もう一人いた女性は、わたしよりさらに問題があり、懸垂下降のセットさえ、何をしたらよいのか、分からない様子だった。
これも120%、連れて行ってもらった山だ。
だから、ケーキはおごり(笑)。ケーキ代くらいで、命を懸けてくれたのだから、安いものだ。
というのは、あながちウソではなく、この日は、まだ登山道には雪が大量に残っており、指が、かじかんで、登攀の難易度はワンランクアップだった。先鋭的で知られる横浜の会が、前日、”まだ三つ峠は冬期登攀だった”と言って敗退している日だった。
そのため、師匠は1ピッチ目で、あやうく墜落しかけた。さらに相方になった女性は、リードのビレイで、師匠を引っ張り落としそうになった。師匠は青くなっていた。自分で落ちるなら、まだしも、おとされたら、たまらない。
これが私のマルチピッチデビューだった。師匠には、とても感謝している。普通はロープワークを自分の目で監督していない相手を連れて行くことはないと思う。
■ ”いきなりリード”
それから、次に十二ヶ岳の岩場へ誘われたので、完全にエンジョイクライミングの、トップロープ祭りだと思っていそいそと出かけたら、それは最初の1本だけで、2本目からリードだった…(^^;)。
自分でもよく登れたな~、と思う。
支点は自分の身長毎に取ったくらい、頻繁に取ったけれど、私の”いきなりリード”は、かなり急激だったと思う。何しろ、外岩、ショートピッチのクライミングなんて、全く知らない。
けれど、この日はロープワークをパートナーを組んだ人に教える役目も果たしたので、そちらのほうが強烈に印象に残り、自分がどうやってリードしたのか、今もって雲をつかむような感じだ。覚えていない。
私は、昔から責任感が強い。教えたことが間違っていないか、相手の安全を自分がきちんと確保できているか?そちらのほうが心配になってしまう。
この時、初めて人にロープワークを教えたが、易しいとはいえ、マルチの壁で、自ら志願してリードした。
というのは、まったく、初めて支点を作る人と私と、では、どう冷静に考えても、たぶん、まだ私の方がマシだろう、と思ったからだ。
中間支点の場所など、トポって何?状態の初心者が、セカンドとして登ったところで、意識して覚えているわけもなく、まったくの初見と同じことだった。4か月もたっていたし。
オマケにビレイヤーも初心者なので、ビレイも当てにできない。つまり、フリーソロ状態だ。
その後、より支点が充実した、小川山屋根岩2峰や、春のもどり雪に連れて行ってもらい、これらは先輩のリードで、ほぼ終始セカンドだったので、心も軽く、体も固くならず、楽しく登れた。なんという違いだろう!安心の傘!!
それでも、最後のピッチで、私は確保器を落としてしまい、懸垂下降がムンターになった。ほぼ垂直の懸垂で、次の確保支点は、ハンギングなのに…(笑)。
■ 初見リードでスタートとほぼ同じ
そこから先は、もう相方と二人で、いきなり岩場に行って、つるべを練習していた。というか、むしろ私が案内役だった。
トポってこんなの |
だから、私には、セカンドでぬくぬく登っていた時代と言うのは、ほんの一瞬しかない。正直なところ、セカンド時代を長く過ごせた人が羨ましいくらいだ。
私たちがつるべで通ったのは易しい場所だが、お互い”初見リードでスタート”と、ほとんど変わりがない・・・(汗)。さらに言ってしまえば、お互いフリーソロ、と変わりがない。
クライミングの才能がないのに・・・(^^;)
つまり、メンタルなキャパシティを、天に試されているような気がする・・・(--;)
初心者で、トポってなあに?状態の人は、中間支点の位置も、もちろん記憶していないし、一回トップロープで登ってスタンスを覚える、というような発想に、まだ全然ない。それが普通だ。
だから、三つ峠も2回目でリードした時は、まったく真っ白と一緒のことだった。
先日連れて行った初心者の男性も、岩講習を受けた後だ、という話にも関わらず、岩講習を一回も受けたことがない状態の私より、しどろもどろの様子だった。
「ほんっとに何にも覚えてないでしょ」とすまなさそうに、茶目っ気たっぷりに言ってくれたが、それは裏を返せば、”ザイルの反対側にいる私の安全は、ぼくは保障しないよ”っていう意思表明だ。
でも、この言葉を言うことから、そのことも分かっていないのだろう・・・と推測できる。「私にはパートナーの資格がありません」と、自ら言っているようなものだからだ・・・。
でも、やはり、
- ビレイしてもらおうとしたら、確保器が上下逆さまだったり、
- 自分のセルフビレイ用のスリングをセットするのも出来なかったり、
- 手袋を落としたり、
- さらには懸垂のセットで、支点にロープを通していなかったり(!)
・・・だった。でも、こういうのは想定内のことなので、初心者なら許されることだ。
つまり、まだ自分で自分のケツも拭けない。(汚い表現でスミマセン、ただ最初に教えてくれた先輩が、そう言うので・・・)
ただ岩登りが出来て感動!うれしい!!と、舞い上がっているので、それは致し方ない。この時点では、喜びをそぐほうが、害が大きいかもしれないと思う。
わたしだって、三つ峠や屋根岩2峰では、そういう状態だっただろう。師匠命がけ(笑)、先輩も命がけ(笑)
だから、そういう状態だった人が、2回目に同じ場所を登っても、それは、初見とほとんど同じことになってしまう(汗)。
というわけで、私は今年は一杯、初見で登ったような気分で、「本気トライなさったら」と言われても、実はもう一杯本気トライした後で、精神的に、もぬけの殻なのであった…(^^;)。
つまるところ、精神的ストレスと、夏の疲れが相まって(毎年夏は調子が悪い・・・)、8月のお盆休みは、もぬけの殻になっていた… 師匠は、そんな私を見て、このまま、山を去るのではないか?と思っていたほどだ・・・。
■ 懸垂では失敗できない
フリークライミングのショートピッチで岩を始めると、懸垂下降を知らないままに過ごす時間が長い。
だが、懸垂下降は、退路を作る技術で、そして、なにより、失敗が決して許されない。
懸垂下降を、私は最初に習った。登ることより、退路を断たない、ということが先だった。
けれど、一般にクライミングする人は、最後にしか教わらない。
相方は、そういう順番で習っていたのだと思う。室内壁での練習で、バックアップのセットが怪しかったので、凄く心配し、経験の量で行くと、まだ私の方がマシそうだったので、生まれて、まだたった2回目の三つ峠では、私が先にトップで降りた。空中懸垂になるところがあると分かっていたからだ。そんなところで失敗されたら!奥様に顔向けできない!
小川山は寝ている壁だったので、懸垂は二回とも先に降りてもらった。私はアイスでルートに出たおかげもあり、懸垂下降はセットミスはもうほとんどない。ただロープが足りないとか、途中停止、すっぽ抜け、回収不能などの経験はまだない。
■ 経験が圧倒的に不足
やはり、マルチピッチでは、ルートに出た経験の量の方が重要で、いくらショートのゲレンデをたくさん経験していても、経験の内容的に、懸垂や支点作成の部分が積み重なっていかない。もちろん、ルートでも、漫然とセカンドで登っていても、全然経験の量として蓄積していかない。
相方と私では、どちらもどっちで、お互いに信頼に足る経験が足りておらず、互いにビレイは信用できないし、支点もお互いチェックし合わないといけないし、二人で一緒にいても、互いにフリーソロ状態なのと変わりないことになってしまう。
そうなると、より心配性で、クライミング力が低い、私のほうの心理ストレスが強くなってしまうのは道理だ。クライミング力は相手ではなく、自らの安全を守るものだからだ。
いくら登れる相手と組んでも、自分の安全は増えるわけではないのは覚えておくべきだろう。自分の安全は自分のクライミング力で守るものなのだ。
・・・というわけで、8月、私は急激すぎる岩通いに精神的に疲れていた。
セカンドとして、もっと普通に岩登り自体を楽しいと思う時間が必要なのではないか?と思った。つまり、担っている責任が重すぎると感じたのだ。
岩に登って楽しいとか、興味がわく前に、リードする恐怖に立ち向かうことになったので、心の方がついていけなくなったのだ。
■ 課題
一方、課題は多かった。コールは余計なことを言うと、間違ってビレイを解除してしまう危険があった。さらに、もっと問題は、ロープが流れなくなることだ。つまり、中間支点の作り方がマズイ。
ロープそのものも問題だった。落ちること前提のスポーツクライミング用のシングルをダブルで使うので、重くて、登るのに支障が出るのだ。ロープの重さが足手まといになっていた。
さらに、そのロープは、使い込まれて痛んでおり、少々信頼性に欠けた。あるベテランさんに、そのロープでトップロープを張ってもらったら、ローワーダウンでなくて、体重を掛けないよう、クライムダウンした。そのクライマーさんは、見るからに熟練者だったので、その判断を見て、私はそのロープをさらに信用しなくなった。
■ 5.8リードはえらくないか?
もちろん、私が登っている岩は、5.8レベルで、クライマー諸氏は目をつぶってでも、登れる易しいルートばかりだ。
しかし、信頼できないビレイヤーのビレイで登っているリードなど、単純にフリーソロと同じになってしまう。
これはどんなレベルか?と言うと、5.12が登れるクライマーでも、フリーソロと同義のソロクライミング(ソロイストを使ったりなど)は、5.7レベルしかやらない。
つまり、立派に登れ、優れたクライマーだって、やっとこさ、確実だと感じられるレベルだ。
岩登り事態の経験が、そもそも片手で数えるくらいのレベルの人が、緊張に晒されないわけがない。
リードする人の安心につながるのは、主に
- ビレイヤーがしっかりしている、
- 中間支点は頻繁で信用できる
の2点であり、自分のクライミング力への信頼は後回しだ。絶対に落ちない、というのは、それくらい断言が難しいことなのだ。
初心者の人は、自分のビレイ技術に問題があるかもしれない・・・などとは、想像もできないし、想像もしない。ビレイ技術の未熟さを指摘されると、逆切れして、拗ねて、腹を立ててしまう人もいる。
でも、まともな墜落を一回も止めたことの無い人のビレイなんて信頼できるはずがない。(と、先輩は、誰もが口をそろえて言っている。)
先輩たちは信頼できないビレイヤーでは、難しいところは決して行かない。
だから、だらりんビレイで、ビレイして許されると思っている新人は、自らどんどんリードして、だらりんビレイでのリードがいかに恐ろしいものか?を理解させられるのだ。
一方、登りたがりの人は、登ることに魅惑されているので、ビレイが登るための精神的支柱になっていることには全く気が付いていない。
そこに気が付くまでに、一度大きな墜落を経験しないといけない人もいる。そうして、初めて、自分を結ぶ命綱が、文字通り、命綱だったということに気が付くのだ。
そうやって、クライマーはだんだん用心深くなっていくものらしい・・・。
ただ、”愚者は経験から学び賢者は歴史から学ぶ”。何も落ちた経験から学んだ人を愚者呼ばわりするのではないが、何も自分が落ちて、痛い目に遭わなくても、周囲には、そんな生き証人がたくさんいて、そんなことはとっくに新人は耳たこになるほど聞かされているべきなのだ。
ある先輩は、「もう絶対リードはしない」と公言する。
それでも、その人は、確実なビレイをしてくれるから、重要な戦力だ。確実な登攀には、突破力だけが必要なわけじゃない。
というわけで、リードしないとビレイも上達しないの法則の話と、今年ひと夏の苦労の感想でした。
ところで、この苦労は前穂北尾根になったので、十分報われました☆
Monday, October 20, 2014
読了『そこに山がある』今西錦司
■ 読了『そこに山がある』今西錦司
私は登山では、過去の優れた岳人のものの考え方に、触れるのも重要なことだと思っています。
ところが、最近は、どのような分野であっても、断絶の時代。母から娘に受け継がれてきた、家庭料理だって、断絶に憂き目にあっていますが、事態はそれに限ったことではありません。
日本では戦後60年で、ありとあらゆる文化的な活動が、伝統の断絶の憂き目にあっています・・・。
どのような分野においても、昔は、何にも考えなくても、年配者から若年者への知のバトンタッチが脈々と受け継がれており、かくあるべしというロールモデルが得られたものでしょうが、今の時代は、自ら求めなくてはなりません。
それで、ちょっと気になった名前の著者は、とりあえず、検索することにしています。それで、読んでみようと思ったら、3~4冊本を借りてきます。
この本は、そのうちの、取りかかりとして読みやすい一冊でした。
この本を読んでいる限り、山を取り巻く状況は、実は今とあんまり変わりがないようで、そのことにびっくりしました。山って進化していないんだなぁ・・・。
たとえば、自然保護されねばならなくなったような山は、実はもう山としてのありがたさを失っているのではないか?という指摘。そして、そのような山に訪れるという、山を知ろうともしない一般大衆の波のこと・・・。
今西錦司さんは1992年に亡くなっています。この本は、1973年にまとまられています。40年前。私が1歳の頃。すでに新聞社の連載記事になって、その後、書籍にまとめられた本です。うーむ。10年ひと昔といいますし、ネットの世界はドッグイヤーと言いますが、その反対語ってあるのでしょうか… スネークイヤー?あんまり山の事情は変わっていないのらしいのが、かなり驚きです。進化が遅い世界です。
気に入った部分を抜き出します。
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道のあるところだけを登るのが山登りではない。がけにあおうが、密林に出くわそうが、どんなところが出てこようとも、そこを自由自在に歩けてこそ、初めて一人前の山登りということができるのである。
そのためには基礎訓練をしっかりやって、あらゆる技術を身につけておく必要がある。だから我々の学生時代には、ひとつの特技だけを身に着けたスペシャリストになることを避けて、オールラウンドの訓練をやるようにやかましくいったものだ。たとえば岩登り専門の人は、岩ばかりを求めて山を忘れてしまう。
一口に山と言っても、道標があり、登山道がちゃんとついている山もあれば、また炭焼き、樵の通る道を利用できるだけ利用し、最後は道なき道をかき分けて登らなければならない山もたくさんある。
山に登ってもすっきり登れることもあるし、つまずくときもある。いくら前もって資料をたんねんに集めたからといっても、それで百発百中とはいかないところに、いつまでたってもやめられない学問や登山の面白みがある。長年の経験がものをいうということもあるが、これはどこまでも理屈ではないと私は思っている。
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なるほど、私はこのような思想を、図らずも受け継いでいるようですね。ふーむ。
(念のため、断っておくと私がすでにそのようなスキルを身に着けているという意味ではありません。単純に尊敬する山ヤがマタギめいた人だと言うことです)
■ 創造的な登山
最近、私はふと思うのですが、達成感による登山いうなれば、スポーツ的な登山。
というのは、案外限界がすぐに来てすぐに飽きてしまうものではないのか?と。
自分のスキルをどんどん高めて、登れる山が増えるのは楽しいことです。スポーツは、単純に気持ち良くて、さわやかですよね。
しかし、クライミングの本などを見ても、大体どんなところでも登れるスキルと言うのは、創建な男性なら、身に着けるのはそう難しいことではなさそうです。ある程度、登れるようになったら、後は現状維持で良さそう…ある種の倦みというものが生まれてくるもののようです。
というわけで登山という趣味を長く続けて行くための秘訣は、もしかしたら、達成感にあまり重きを置かない、ということかもしれません。
達成感=垂直方向の進化ですね。では、水平方向の進化、行ったことのある山をどんどん増やす、という方向はどうでしょうか?これも、すぐに資金的な限界が来そうです・・・(汗)。山コレクター、ルートコレクターは師匠も嫌っているのですし、私も行ったことがあるだけの場所をいくら数で増やしても・・・、と思います。
となると、限られた資金で、出来るだけ、味わい深く、山を愉しもう、と思うと、どうしても、何かを深める方向にしか進化しようがありません。
深めるには、知識を深める、か、観察眼を深めるか、自らの感受性を鋭くしていくか、どれかしかないですし・・・。
私は日本の自然は再生力が強く、諸外国に比べて多産なので、自然観察的な方向に進化して行くのが良いような気がしてきます。山岳部出身で学者に進化した人たちは、結構、楽しそうにしているしなぁ。
なにしろ、自然はどこに行っても自然ですが、その語りかけるところを読み取れない人には、全然、自然は語りかけてきません(笑)。一方歩けば1時間の道で、2時間も3時間も楽しめる人もいます。
ある程度、学術的な視野で、自然を見ることができるようになる、というのは、山という趣味を長く愉しみ続ける秘訣でもあるかもしれないと最近、水を試し中です。
自然への観察眼を磨くと言うことですね。まぁ、私はまだ山に倦む、というような、そんな段階にいないので、あんまり今から心配しなくても良いのですが、周囲の人たちを見ていて、そんな感想を得ています。
私は登山では、過去の優れた岳人のものの考え方に、触れるのも重要なことだと思っています。
ところが、最近は、どのような分野であっても、断絶の時代。母から娘に受け継がれてきた、家庭料理だって、断絶に憂き目にあっていますが、事態はそれに限ったことではありません。
日本では戦後60年で、ありとあらゆる文化的な活動が、伝統の断絶の憂き目にあっています・・・。
どのような分野においても、昔は、何にも考えなくても、年配者から若年者への知のバトンタッチが脈々と受け継がれており、かくあるべしというロールモデルが得られたものでしょうが、今の時代は、自ら求めなくてはなりません。
それで、ちょっと気になった名前の著者は、とりあえず、検索することにしています。それで、読んでみようと思ったら、3~4冊本を借りてきます。
この本は、そのうちの、取りかかりとして読みやすい一冊でした。
この本を読んでいる限り、山を取り巻く状況は、実は今とあんまり変わりがないようで、そのことにびっくりしました。山って進化していないんだなぁ・・・。
たとえば、自然保護されねばならなくなったような山は、実はもう山としてのありがたさを失っているのではないか?という指摘。そして、そのような山に訪れるという、山を知ろうともしない一般大衆の波のこと・・・。
今西錦司さんは1992年に亡くなっています。この本は、1973年にまとまられています。40年前。私が1歳の頃。すでに新聞社の連載記事になって、その後、書籍にまとめられた本です。うーむ。10年ひと昔といいますし、ネットの世界はドッグイヤーと言いますが、その反対語ってあるのでしょうか… スネークイヤー?あんまり山の事情は変わっていないのらしいのが、かなり驚きです。進化が遅い世界です。
気に入った部分を抜き出します。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
道のあるところだけを登るのが山登りではない。がけにあおうが、密林に出くわそうが、どんなところが出てこようとも、そこを自由自在に歩けてこそ、初めて一人前の山登りということができるのである。
そのためには基礎訓練をしっかりやって、あらゆる技術を身につけておく必要がある。だから我々の学生時代には、ひとつの特技だけを身に着けたスペシャリストになることを避けて、オールラウンドの訓練をやるようにやかましくいったものだ。たとえば岩登り専門の人は、岩ばかりを求めて山を忘れてしまう。
一口に山と言っても、道標があり、登山道がちゃんとついている山もあれば、また炭焼き、樵の通る道を利用できるだけ利用し、最後は道なき道をかき分けて登らなければならない山もたくさんある。
山に登ってもすっきり登れることもあるし、つまずくときもある。いくら前もって資料をたんねんに集めたからといっても、それで百発百中とはいかないところに、いつまでたってもやめられない学問や登山の面白みがある。長年の経験がものをいうということもあるが、これはどこまでも理屈ではないと私は思っている。
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なるほど、私はこのような思想を、図らずも受け継いでいるようですね。ふーむ。
(念のため、断っておくと私がすでにそのようなスキルを身に着けているという意味ではありません。単純に尊敬する山ヤがマタギめいた人だと言うことです)
■ 創造的な登山
最近、私はふと思うのですが、達成感による登山いうなれば、スポーツ的な登山。
というのは、案外限界がすぐに来てすぐに飽きてしまうものではないのか?と。
自分のスキルをどんどん高めて、登れる山が増えるのは楽しいことです。スポーツは、単純に気持ち良くて、さわやかですよね。
しかし、クライミングの本などを見ても、大体どんなところでも登れるスキルと言うのは、創建な男性なら、身に着けるのはそう難しいことではなさそうです。ある程度、登れるようになったら、後は現状維持で良さそう…ある種の倦みというものが生まれてくるもののようです。
というわけで登山という趣味を長く続けて行くための秘訣は、もしかしたら、達成感にあまり重きを置かない、ということかもしれません。
達成感=垂直方向の進化ですね。では、水平方向の進化、行ったことのある山をどんどん増やす、という方向はどうでしょうか?これも、すぐに資金的な限界が来そうです・・・(汗)。山コレクター、ルートコレクターは師匠も嫌っているのですし、私も行ったことがあるだけの場所をいくら数で増やしても・・・、と思います。
となると、限られた資金で、出来るだけ、味わい深く、山を愉しもう、と思うと、どうしても、何かを深める方向にしか進化しようがありません。
深めるには、知識を深める、か、観察眼を深めるか、自らの感受性を鋭くしていくか、どれかしかないですし・・・。
私は日本の自然は再生力が強く、諸外国に比べて多産なので、自然観察的な方向に進化して行くのが良いような気がしてきます。山岳部出身で学者に進化した人たちは、結構、楽しそうにしているしなぁ。
なにしろ、自然はどこに行っても自然ですが、その語りかけるところを読み取れない人には、全然、自然は語りかけてきません(笑)。一方歩けば1時間の道で、2時間も3時間も楽しめる人もいます。
ある程度、学術的な視野で、自然を見ることができるようになる、というのは、山という趣味を長く愉しみ続ける秘訣でもあるかもしれないと最近、水を試し中です。
自然への観察眼を磨くと言うことですね。まぁ、私はまだ山に倦む、というような、そんな段階にいないので、あんまり今から心配しなくても良いのですが、周囲の人たちを見ていて、そんな感想を得ています。
わらしべ長者
私は、実はちょっと変わった職歴を持っている。
初めての職場は、電機メーカーで、産業用ロボットの開発室だ。私は英文科の卒業なので、ちょっと違和感がある。弱小チームでの評価担当だった。
学生時代は、4年間、司書として大学図書館に勤めた。最後の一年は、通訳のバイトをしていた。通訳というのは、簡単なものから、プロフェッショナルなものまであるが、他の、より専門的な仕事の入り口になる仕事だ。クライアントは、より安い人を使いたがる。TOEICは750しかいらず、TOEICさえあれば誰でも入れる。
それで、学生の時、金網工場が、工作機械をドイツから輸入した際の、インスタレーションに通訳としてついた。その頃は、色々な学生バイトで食いつないでおり、、国際会議の事務方とか、企業のグループウェアの導入とか(懐かしのロータス1,2,3・・・)、企業内LANの導入、あるいは大学内で新入生にインターネットの使用法を教える講習の講師などをしていた。
それで、その金網工場が導入した工作機械は、直交型ロボットだったので、産業用ロボットの仕事が来た時に、直感的にできるな~と思った。
ロボットには原型となる型がいくつかあって、直交型、水平多関節、垂直多関節など…そういうことも、私は自分で調べるタイプで、先方は驚き、最初は意欲を買われたのだ。通訳者と言うものは徹底的に調べるのが仕事なのだ。何しろ、相手は通訳者は神のように何でも知っていると誤解している人たちが相手だから・・・
それは司書時代の得たスキルによる。図書館勤務時代、私は整理係りという部署にいた。その部署では、図書の整理、つまり、その本が歴史の本なら歴史に置き、経済の本なら経済の本に置く、というような仕事をしていて、この仕事には調査力が必要だった。
当時はまだGoogleはなく、地道に図書館のレファレンス室で、百科事典を引く。その他、よく分からない言語のもやった。アイルランド語とか、スウェディッシュとか。それで、分からなければ、専門家を呼んできて、教えてもらう。
大学図書館というのは、伝統的に、ネット社会的には一般家庭よりは進んだ環境だが、ネット社会の中では、非常に保守的で遅れている。
その遅れ具合がマッチしたというか、ロボットに入った時、ロボットのOSの世界は、IT関連の中では取り残されつつある、レガシー的な遺産だった。まだアセンブラの時代だった。
レガシー。 そう…私はなぜかレガシーと相性がいい。
実は、その後ロボットから、色々と紆余曲折あり、最終的には、メインフレームのソフトを販売する会社にいた。メインフレームは、死にゆくダイナソーに例えられる。最先端ではなく、レガシー。考えてみれば、昨今の山岳会と言うものも、レガシーに入るかもしれない。
ま、そういうわけで、通訳バイトしていたから、ロボットの仕事ができ、英語が話せたから、通訳ができたのでした(^^)。英語ができたのは、海外に自分で行ったからです。わらしべ長者です。
ロボットの仕事には4年半いて、最後の半年は、デキる師匠に弟子入りして、研究所所属になった。その間、磁気軸受とか、電動アシスト自転車等の仕事で、オシロで波形を取ったり、恒温室でテストしたり、簡単なソフトを組んだり、バグ出ししたり、仕様書を書いたりして、ソフト屋さんも、ハード屋さんも、めんどくさくて、したがらないような、助手的雑用を、英語も話せる、中途半端なエンジニアとして、楽しく仕事をしていたのでした。半田ごてとドライバーが板につき、一般職OLと違い、作業服に安全帽が誇りでした(笑)。作業服は正装と言って、はばからぬ師匠についていました。
あれを続けていれば、一体、何屋さんになったのだろうか…。今頃ラダーの専門家になっていたりして…。今でも、メーカーの人とは話が合います。日本のメーカーはどこも似ている。
その後、市場調査の会社に行ったが、結婚したら、海外に一か月に何度も行く仕事は、継続できなくなり、翻訳で食いつなぐ。一般職は、楽でいいなぁという印象。開発に戻っても、中間管理職みたいな、中途半端な立場だったし、もう少し専門性が強い仕事をしたいと、メインフレームのソフトウェア販売会社を見つけ、営業補佐兼マーケティング兼広報兼ライターみたいな仕事で、海外のソフトを見つけてきたり、営業用の資料を作ったりと、海外のエンジニアとの接点が多い仕事をした。英語も生かせるし、ITの基本的な知識も、貪欲な学習意欲も生かせた。私は呑み込みが何でも早いのが取り柄だ。
その後、福岡に夫が転勤になり、福岡では商社に勤める機会を得た。今、山梨での生活に生かされているのは、この商社での経験が大きい。
まず、予定を作る。出かけ、人に会う。それをレポする。その中から、やるべきこと=次の仕事を自ら作り上げる。テーマを持つ。
私は、女性であって良かったと思う。これだけ多彩な経験ができたのは、女性だからこそだ。
初めてのことに、何をしたらよいか分からない、ということは、今の私には、そんなにない。それは、今までの仕事のおかげだ。
エンジニアしか知らなかった頃は、営業で人に会うのが異様に怖かった。人に会うのは苦痛だったが、今は誰にでも気軽に声を掛けられる。
海外の未知の土地に出向くのは、学生の時から好きだったが、仕事で行くと、またこれが異なる…。
楽しく屋台でフォーを食べていたら、腹痛で明日の調査ができないかもしれない。ホテルは仕事場だ。ファックスがあり、LANが無料で使えること。そういう観点でホテルを選ぶ。さらに、運転手と通訳を雇ってくるにも、どの企業に出向いたら良いのか、を知るにも、JETROに出向かなくてはならない。営業に行くならアポ取りは女性の声が良い。けれど、出向くなら年上の男性とのペアが良い。
今はネットさえあれば、海外でも日本でも、情報格差はほとんどない。実際、私は、学生の20年前にTOEICを受けてから、あまり点数が落ちていないのは、日常的に英語に接して、ニュースの半分は、今でも、英語で読んでいるからではないか?と思う。不要な情報はカットし、必要な情報は、古かろうが新しかろうが取りに行く。
そうしたことは皆、仕事で学んだことだ。
仕事で学んだことがプライベートの充実に生かせる、というのは、ほとんど男性の生活には、ないのではないだろうか?
時々、男性にとっては、仕事は生活の時間を奪われるもの、否定的なものに感じられるときがある。あるいは家族という存在も、自分がやりたいことを実現するための、ちょっとした足枷せ、のように感じられるときもある。
しかし、実際は逆で、家族がいればこそ、頑張れる自分がいる。
誰かの役に立ちたい、と思うから、人は頑張れる。
けれども、やはり、そこには、人のために役立ちたい、という気持ちだって、本質的には自分自身のためだ、という基本がなくてはならない。
仕事をしていたとき、きっと、私は少し頑なだったかもしれない。頑張りすぎだ。
夫は、私が稼がなくても稼いでも、同じように私を愛してくれる。しかし、当時は、給与明細の額は、私の価値のようにも感じられた。
今グレードを追いかけている人は、グレードだけが自分の価値のように感じられているのではないだろうか。もちろん、楽しく追いかけている間はいいのだけれど、周囲の人に厳しく当たるようになったら、それは自分に厳しく当たりすぎているという傍証だ。
往時の稼ぎがないことに、罪の意識や残念な気持ちを、私は今も少し感じている。しかし、それは過去の駄賃のようなものだと分かる。成長するためには置いてこなくてはならないものなのだ。
たぶん、今は、頑張る動機が変わったのだ。以前は、自分を証明するために、頑張っていたのかもしれない。私は親のために役立つ娘であろうとした子供だったので、同じ方法で、夫をも愛そうとしたのかもしれない。
今は、そういう時代は、すでに過ぎ、私は自分に自分で十分、自分を証明したと思う。
では、なぜそれでも頑張るのか? 人は常に前進しなくてはならないし、それにはエンジンが必要だ。
それは、やっぱり、恩返しと言う感じだ。
だから、今私は、いつか後輩ができたとき、安全に連れて行ける、自分になりたいと思って、頑張っている。
今まで世話になった人たちや、師匠、先輩を、どこかの秘境に案内し、びっくりさせてあげたい。
あるいは、山の愉しみを失ってしまった人に、もう一度素晴らしい冒険を味わってほしい。
そういうのが頑張る動機だ。そういう意味では、私は行きたいところはもうない。
残念ながら、今現在、私は直接自分の職歴やスキルを生かすような仕事はしていない。
ただ色々と振り返ってみると、日曜プログラマーレベルのIT力は、ブログに生かされているし、調査力は、山の予習で行かされている。山行を企画したり、リスク管理したり、自分の役割を考える、そういう、”考える力”は、これまでの仕事で培ってきたものだ。
つまり、今までの経験は、みな山で開花しているってことなんだよな(笑)
ま、何か得をしたような、損をしたような、よく分からないような気持ちだが、とりあえず、甲府にいる間は、私の職歴をどうにかしようという試みは、あまり発展性が見込めないので、これで良しとしている。
初めての職場は、電機メーカーで、産業用ロボットの開発室だ。私は英文科の卒業なので、ちょっと違和感がある。弱小チームでの評価担当だった。
学生時代は、4年間、司書として大学図書館に勤めた。最後の一年は、通訳のバイトをしていた。通訳というのは、簡単なものから、プロフェッショナルなものまであるが、他の、より専門的な仕事の入り口になる仕事だ。クライアントは、より安い人を使いたがる。TOEICは750しかいらず、TOEICさえあれば誰でも入れる。
それで、学生の時、金網工場が、工作機械をドイツから輸入した際の、インスタレーションに通訳としてついた。その頃は、色々な学生バイトで食いつないでおり、、国際会議の事務方とか、企業のグループウェアの導入とか(懐かしのロータス1,2,3・・・)、企業内LANの導入、あるいは大学内で新入生にインターネットの使用法を教える講習の講師などをしていた。
それで、その金網工場が導入した工作機械は、直交型ロボットだったので、産業用ロボットの仕事が来た時に、直感的にできるな~と思った。
ロボットには原型となる型がいくつかあって、直交型、水平多関節、垂直多関節など…そういうことも、私は自分で調べるタイプで、先方は驚き、最初は意欲を買われたのだ。通訳者と言うものは徹底的に調べるのが仕事なのだ。何しろ、相手は通訳者は神のように何でも知っていると誤解している人たちが相手だから・・・
当時はまだGoogleはなく、地道に図書館のレファレンス室で、百科事典を引く。その他、よく分からない言語のもやった。アイルランド語とか、スウェディッシュとか。それで、分からなければ、専門家を呼んできて、教えてもらう。
大学図書館というのは、伝統的に、ネット社会的には一般家庭よりは進んだ環境だが、ネット社会の中では、非常に保守的で遅れている。
その遅れ具合がマッチしたというか、ロボットに入った時、ロボットのOSの世界は、IT関連の中では取り残されつつある、レガシー的な遺産だった。まだアセンブラの時代だった。
レガシー。 そう…私はなぜかレガシーと相性がいい。
実は、その後ロボットから、色々と紆余曲折あり、最終的には、メインフレームのソフトを販売する会社にいた。メインフレームは、死にゆくダイナソーに例えられる。最先端ではなく、レガシー。考えてみれば、昨今の山岳会と言うものも、レガシーに入るかもしれない。
ま、そういうわけで、通訳バイトしていたから、ロボットの仕事ができ、英語が話せたから、通訳ができたのでした(^^)。英語ができたのは、海外に自分で行ったからです。わらしべ長者です。
ロボットの仕事には4年半いて、最後の半年は、デキる師匠に弟子入りして、研究所所属になった。その間、磁気軸受とか、電動アシスト自転車等の仕事で、オシロで波形を取ったり、恒温室でテストしたり、簡単なソフトを組んだり、バグ出ししたり、仕様書を書いたりして、ソフト屋さんも、ハード屋さんも、めんどくさくて、したがらないような、助手的雑用を、英語も話せる、中途半端なエンジニアとして、楽しく仕事をしていたのでした。半田ごてとドライバーが板につき、一般職OLと違い、作業服に安全帽が誇りでした(笑)。作業服は正装と言って、はばからぬ師匠についていました。
あれを続けていれば、一体、何屋さんになったのだろうか…。今頃ラダーの専門家になっていたりして…。今でも、メーカーの人とは話が合います。日本のメーカーはどこも似ている。
その後、市場調査の会社に行ったが、結婚したら、海外に一か月に何度も行く仕事は、継続できなくなり、翻訳で食いつなぐ。一般職は、楽でいいなぁという印象。開発に戻っても、中間管理職みたいな、中途半端な立場だったし、もう少し専門性が強い仕事をしたいと、メインフレームのソフトウェア販売会社を見つけ、営業補佐兼マーケティング兼広報兼ライターみたいな仕事で、海外のソフトを見つけてきたり、営業用の資料を作ったりと、海外のエンジニアとの接点が多い仕事をした。英語も生かせるし、ITの基本的な知識も、貪欲な学習意欲も生かせた。私は呑み込みが何でも早いのが取り柄だ。
その後、福岡に夫が転勤になり、福岡では商社に勤める機会を得た。今、山梨での生活に生かされているのは、この商社での経験が大きい。
まず、予定を作る。出かけ、人に会う。それをレポする。その中から、やるべきこと=次の仕事を自ら作り上げる。テーマを持つ。
私は、女性であって良かったと思う。これだけ多彩な経験ができたのは、女性だからこそだ。
初めてのことに、何をしたらよいか分からない、ということは、今の私には、そんなにない。それは、今までの仕事のおかげだ。
エンジニアしか知らなかった頃は、営業で人に会うのが異様に怖かった。人に会うのは苦痛だったが、今は誰にでも気軽に声を掛けられる。
海外の未知の土地に出向くのは、学生の時から好きだったが、仕事で行くと、またこれが異なる…。
楽しく屋台でフォーを食べていたら、腹痛で明日の調査ができないかもしれない。ホテルは仕事場だ。ファックスがあり、LANが無料で使えること。そういう観点でホテルを選ぶ。さらに、運転手と通訳を雇ってくるにも、どの企業に出向いたら良いのか、を知るにも、JETROに出向かなくてはならない。営業に行くならアポ取りは女性の声が良い。けれど、出向くなら年上の男性とのペアが良い。
今はネットさえあれば、海外でも日本でも、情報格差はほとんどない。実際、私は、学生の20年前にTOEICを受けてから、あまり点数が落ちていないのは、日常的に英語に接して、ニュースの半分は、今でも、英語で読んでいるからではないか?と思う。不要な情報はカットし、必要な情報は、古かろうが新しかろうが取りに行く。
そうしたことは皆、仕事で学んだことだ。
仕事で学んだことがプライベートの充実に生かせる、というのは、ほとんど男性の生活には、ないのではないだろうか?
時々、男性にとっては、仕事は生活の時間を奪われるもの、否定的なものに感じられるときがある。あるいは家族という存在も、自分がやりたいことを実現するための、ちょっとした足枷せ、のように感じられるときもある。
しかし、実際は逆で、家族がいればこそ、頑張れる自分がいる。
誰かの役に立ちたい、と思うから、人は頑張れる。
けれども、やはり、そこには、人のために役立ちたい、という気持ちだって、本質的には自分自身のためだ、という基本がなくてはならない。
仕事をしていたとき、きっと、私は少し頑なだったかもしれない。頑張りすぎだ。
夫は、私が稼がなくても稼いでも、同じように私を愛してくれる。しかし、当時は、給与明細の額は、私の価値のようにも感じられた。
今グレードを追いかけている人は、グレードだけが自分の価値のように感じられているのではないだろうか。もちろん、楽しく追いかけている間はいいのだけれど、周囲の人に厳しく当たるようになったら、それは自分に厳しく当たりすぎているという傍証だ。
往時の稼ぎがないことに、罪の意識や残念な気持ちを、私は今も少し感じている。しかし、それは過去の駄賃のようなものだと分かる。成長するためには置いてこなくてはならないものなのだ。
たぶん、今は、頑張る動機が変わったのだ。以前は、自分を証明するために、頑張っていたのかもしれない。私は親のために役立つ娘であろうとした子供だったので、同じ方法で、夫をも愛そうとしたのかもしれない。
今は、そういう時代は、すでに過ぎ、私は自分に自分で十分、自分を証明したと思う。
では、なぜそれでも頑張るのか? 人は常に前進しなくてはならないし、それにはエンジンが必要だ。
それは、やっぱり、恩返しと言う感じだ。
だから、今私は、いつか後輩ができたとき、安全に連れて行ける、自分になりたいと思って、頑張っている。
今まで世話になった人たちや、師匠、先輩を、どこかの秘境に案内し、びっくりさせてあげたい。
あるいは、山の愉しみを失ってしまった人に、もう一度素晴らしい冒険を味わってほしい。
そういうのが頑張る動機だ。そういう意味では、私は行きたいところはもうない。
残念ながら、今現在、私は直接自分の職歴やスキルを生かすような仕事はしていない。
ただ色々と振り返ってみると、日曜プログラマーレベルのIT力は、ブログに生かされているし、調査力は、山の予習で行かされている。山行を企画したり、リスク管理したり、自分の役割を考える、そういう、”考える力”は、これまでの仕事で培ってきたものだ。
つまり、今までの経験は、みな山で開花しているってことなんだよな(笑)
ま、何か得をしたような、損をしたような、よく分からないような気持ちだが、とりあえず、甲府にいる間は、私の職歴をどうにかしようという試みは、あまり発展性が見込めないので、これで良しとしている。
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