Thursday, September 25, 2014
■ 百名山登山の何が悪いのか?
まずは、百名山登山の批判の矛先が、具体的に何に向けられているのか?整理しておきます。
というところでしょうか。他にもあるかもしれません。これを裏返すと、いいってことになりますね。
深田百名山リスト
日本二百名山リスト
日本三百名山リスト
新日本百名山リスト
花の百名山リスト
山梨百名山リスト
■ 中高年
百名山登山というのは、かなりの強い相関で”中高年”とセットで語られることが多い登山形態です。
中高年は、なぜ百名山行脚にこだわるのか?
2014年現在、中高年と言えば、団塊の世代が主力です。
この世代の特徴は、まず数が多いことです。圧倒的に量が多い。人間の数、多すぎなんですね。勢い、些細なことがデバートのバーゲン会場化します。そのバーゲン会場化についても、さらされる頻度が多いために場馴れしている世代と言えると思います。
そして、競争の世代です。戦争については、”戦争を知らない子供たち”、イケイケどんどんな世代です。右肩上がりの高度経済成長ど真ん中ですから、楽観的で、なおかつ、下り坂を知らない、恵まれた水準に気が付いていない世代と言えると思います。
経済破たんの主たる要因を作り出し、現在の借金漬け財政体制を受け入れたのも、この世代で、それはアメリカ式借金式経営法を自分の人生にも、行政にも取り入れたことによると思われます。つまり、何もかもローンで買う世代ですね。家も車もローンで買って、ローンの貸出可能枠が自分の経済力だ、と思ってしまう世代です。
≪団塊の世代の特徴≫
・人数が多い
・メジャー志向
・”バーゲン会場”が良くも悪くも生息域
・競争大好き
・右肩上がり信仰
・恵まれた水準にあることに無知
・よくもわるくもアメリカ礼賛
・赤信号みんなで渡れば怖くない
・借金経営平気世代
これが山ではどう発現するか?というと
・混雑した山、大好き
・百名山のスタンプラリー大好き
となるのではないでしょうか。暴論ですが、ひょっとして、この世代は、混雑大好き、もしくは、混雑したほうが、むしろ気分が高揚して良いくらいなのかもしれません。
百名山登山がどんぴしゃりだったのは、右肩上がりと競争が大好きだからではないでしょうか?この世代は、なにかにつけ競争がシビアで、”勝ち組”であることにこだわる世代です。
そして、自分の幸福のためには人を蹴落とさないといけない、と信じている世代です。Win-Winなんて言っているのは、後の世代で、この世代はWin-Loseです。
本来、自分との戦いであり、他者との競争がないのが、登山の世界ですが、そこに他者との競争という視点を持ち込むことができる唯一の登山形態が百名山登山、と言えるかと思います。
もしかしたら、そうした視点がなかったら、この世代を惹きつけることはできなかったのかも?
■ 経済効果
さらに言えば、恵まれた経済力で、百名山”スタンプラリー”が、可能になってしまうのが団塊。百名山をやる人はお金持ちです。たとえ、ツアーを一切使わないで自分で登ったととしても、1座につき、2万円の平均的な予算がかかったとすれば、2万円×100座で、200万円ほどかかることになります。ツアーを使い、5万円の予算がかかれば、500万円です。
100名山登るには、1年10座くらい登ったとして、10年かかります。一年50万円のレジャー支出。
登山人口はハッキリしません。300万人とも800万人とも言われます。最新の数字では860万人と言われています。(最新の数値は1000万人だそうです。2016.7)
http://www.pref.nagano.lg.jp/kankoki/sangakusounan/documents/06shiryou3.pdf
試しにこの860万人という数字をベースに、6割が中高年という前提とすると516万人が中高年となり、その8割が百名山をするとなると、412万人。その人たちが年間50万円を支出すると、2千億円規模の市場になります。これが交通費、山小屋費、ガイド費用になるわけですね。装備などの周辺市場は含まないでも、この額です。
この人たちは遭難者の代表的なプロフィールでもある上、百名山登山=登山と思いこむ視野狭窄にも陥っているので、オーソドックな登山の安全対策が知識として入っておらず、遭難予備軍であるので、登山界の権威筋からは、当然ながら、問題視されています。
■ 対策?
対策としては、未組織登山者 → 組織化 が挙げられますが、これは無理なんじゃないかと。
この種の人たちが、山岳会などの硬派な世界に属さないのは、むしろ歓迎すべきことではないか?と逆転の発想をしてみました。
というのは、山岳会は今指導者不足なので、こういう大量の人口がなだれ込んだら、対応できません。山岳会はおまけに”相互扶助”の組織ですが、”相互”にはならないで、”一方的扶助”になると破たんすること確実です…
幸いなことに、団塊の世代の方でも山岳会などに所属することにはあまり積極的でないようです。
この世代に、登山をよりよく楽しんでもらうにはどうしたらよいか?ってことになりますが、やはりその世代にマッチした価値観で歓迎するのが合理的選択となります。
山としては、危険個所が少なく、デカい山が合っていますね。(あっ、それって南アルプスでは?)
■ ガイド登山に誘導できるか?
団塊の世代に代表される中高年が山岳会に来ないから、と言って、ガイド登山に誘導することは、おそらく、世代の求めるものとガイド登山が提供するものが異なりすぎ、論理的に成り立たないのではないか?と思います。
近年ガイドの不足が叫ばれていますが、これも、ガイドになりたがらない人が多いのは仕方ありません。何しろガイド業は食えません。
昨今の中高年の登山スキルはかなり低下しています。たとえば先日の権現でも、ヨタヨタ歩きの人が、かなりの数でいました。スキルの低い者同士が結託しても、やはりスキルが低いことのリスクヘッジにはならないようでした。はっきり言い過ぎかもしれませんが。スイマセン。
餓鬼岳でも、ちょっとどうか?というくらい足元がヨレヨレのオジサンパーティを見ました。そもそも歩くということが、ちょっとどうかなーというくらいヨタヨタですが、平気で北アに来ます。あまり自覚はないようです。
そういう事情もあり、ガイドの必要性が各方面で叫ばれていますが、その割にガイドとなった人の年収は低く、ガイド業では300万円を超えれば御の字、と言われています。
私は登山2年目のころ、やたらガイドにならないかと誘われました…たった2年の経験しかない私なのに?といぶかしく思っていましたが、それはやはり実力がある、山男のベテランガイドなどが必要ない、丘というような山を、10人も15人も連れて歩く、”違反”ガイドツアーの方が実はどこでも人気があるからのようです。違反かどうか分からないような新参山ヤの方が、そういう低いレベルのガイド山行を引率する資質としては、優れている、ってことになります。
つまり、本格的に山をやってきて(本チャンもバンバン行くような)、まともなガイドに育った人は、団体登山をやりたがらないのは確実です。大体、登山は、3人~4人がベスト人数です。それより大きいと小回りが利かなくなるし、それより小さいとリスク対策に不安がある。団体になればなるほど、遭難というババを引く可能性は高くなります。
■ そろばん勘定
ガイド登山は、基本的に5人以下が普通です。ガイドの日当は3万円と決められているので、5で割ると、6000円。しかしこれではガイドは、何人ガイドしても、日当以上は儲からないことになります。仮に月に20日ガイドしても(そんなすごいスケジュールで山に行ける人は少ないと思いますが)、60万円にしかならず、冬季はガイド業は基本的にお休みですから、6か月60万円の収入が仮にあったと仮定しても(そんなことはありえそうにありませんが)、360万円にしかなりません。
これが、うまく行ったケースとなれば、サラリーマン世帯と比較して、一人前の男性にとって、ガイド業が成り立つとは言えません。というわけで、ガイド業は主たる生計を支えなくてよい場合の、副業的な位置づけとなります。
一般に山をよく知っているガイドさんにとっては、ガイドレシオの縛りを振り払い、団体登山に足を踏み入れるのは、大変勇気がいることです。たぶん…。団体になった途端に、暴徒とまでは行かなくても、衆愚と化すのが見えているし…。
しかし、中高年登山者を取り込むには
たくさんの人が集まる形態
でしか、充足することのできない精神的ニーズがあるのではないか?と思います。青春のフラッシュバックかもしれません。
この人たちにとっては、団体で群れる、ということがかなり意味がある活動なのでしょう。
山ガールに代表される、若い人(団塊Jr)の山ブームも、端を欲したのは
野外フェス
であると言われています。野外フェスも団体で楽しむイベントですよね。
ということは、時代は今、
多くの人がコロニーのように集まって何かを共有できる場
を求めているのかもしれません。余談ですが、ヨガのクラスも、団体化が一旦加速すると、規模が大きくなればなるほど人を惹きつけるようです。一旦始まった大規模化は止められない勢いのようです。そうすると本質的なことは失われますが、そのことより、集まる、群れる、という集団の陶酔、のようなものが重要な要素なのかもしれません。
それは私自身の登山の志向性とは全く反対ですが、時代がそういう、いまだに満たされていないニーズを持っている、ということは、各種のデータや社会現象が如実に表現しているところかもしれません。
大事なことは、そのニーズ、エネルギーを社会が良くなる方向に方向づける、という先見の明かもしれません。
というわけで、団体登山という群れは維持しつつ、百名山登山をガイド登山で可能にする形態を試考してみました。
≪新・これなら安全にいけるんじゃ百名山≫
まずは、百名山登山の批判の矛先が、具体的に何に向けられているのか?整理しておきます。
- 深田百名山は深田久弥が選んだ山であり、オリジナリティがない
- 深田久弥と同じルートで登っていない
- 雨だろうが台風だろうが行く、弾丸登山スタイル
- 山のスタンプラリー
- 山の良さを見ていない
というところでしょうか。他にもあるかもしれません。これを裏返すと、いいってことになりますね。
- オリジナリティのある登山を行う
- 深田久弥と同じルートで登る
- 弾丸登山はしない
- スタンプラリーと揶揄されるような、日程を詰めこんだ、急ぎ足登山は辞める
- 山そのものの良さを味わう
深田百名山リスト
日本二百名山リスト
日本三百名山リスト
新日本百名山リスト
花の百名山リスト
山梨百名山リスト
■ 中高年
百名山登山というのは、かなりの強い相関で”中高年”とセットで語られることが多い登山形態です。
中高年は、なぜ百名山行脚にこだわるのか?
2014年現在、中高年と言えば、団塊の世代が主力です。
この世代の特徴は、まず数が多いことです。圧倒的に量が多い。人間の数、多すぎなんですね。勢い、些細なことがデバートのバーゲン会場化します。そのバーゲン会場化についても、さらされる頻度が多いために場馴れしている世代と言えると思います。
そして、競争の世代です。戦争については、”戦争を知らない子供たち”、イケイケどんどんな世代です。右肩上がりの高度経済成長ど真ん中ですから、楽観的で、なおかつ、下り坂を知らない、恵まれた水準に気が付いていない世代と言えると思います。
経済破たんの主たる要因を作り出し、現在の借金漬け財政体制を受け入れたのも、この世代で、それはアメリカ式借金式経営法を自分の人生にも、行政にも取り入れたことによると思われます。つまり、何もかもローンで買う世代ですね。家も車もローンで買って、ローンの貸出可能枠が自分の経済力だ、と思ってしまう世代です。
≪団塊の世代の特徴≫
・人数が多い
・メジャー志向
・”バーゲン会場”が良くも悪くも生息域
・競争大好き
・右肩上がり信仰
・恵まれた水準にあることに無知
・よくもわるくもアメリカ礼賛
・赤信号みんなで渡れば怖くない
・借金経営平気世代
これが山ではどう発現するか?というと
・混雑した山、大好き
・百名山のスタンプラリー大好き
となるのではないでしょうか。暴論ですが、ひょっとして、この世代は、混雑大好き、もしくは、混雑したほうが、むしろ気分が高揚して良いくらいなのかもしれません。
百名山登山がどんぴしゃりだったのは、右肩上がりと競争が大好きだからではないでしょうか?この世代は、なにかにつけ競争がシビアで、”勝ち組”であることにこだわる世代です。
そして、自分の幸福のためには人を蹴落とさないといけない、と信じている世代です。Win-Winなんて言っているのは、後の世代で、この世代はWin-Loseです。
本来、自分との戦いであり、他者との競争がないのが、登山の世界ですが、そこに他者との競争という視点を持ち込むことができる唯一の登山形態が百名山登山、と言えるかと思います。
もしかしたら、そうした視点がなかったら、この世代を惹きつけることはできなかったのかも?
■ 経済効果
さらに言えば、恵まれた経済力で、百名山”スタンプラリー”が、可能になってしまうのが団塊。百名山をやる人はお金持ちです。たとえ、ツアーを一切使わないで自分で登ったととしても、1座につき、2万円の平均的な予算がかかったとすれば、2万円×100座で、200万円ほどかかることになります。ツアーを使い、5万円の予算がかかれば、500万円です。
100名山登るには、1年10座くらい登ったとして、10年かかります。一年50万円のレジャー支出。
登山人口はハッキリしません。300万人とも800万人とも言われます。最新の数字では860万人と言われています。(最新の数値は1000万人だそうです。2016.7)
http://www.pref.nagano.lg.jp/kankoki/sangakusounan/documents/06shiryou3.pdf
試しにこの860万人という数字をベースに、6割が中高年という前提とすると516万人が中高年となり、その8割が百名山をするとなると、412万人。その人たちが年間50万円を支出すると、2千億円規模の市場になります。これが交通費、山小屋費、ガイド費用になるわけですね。装備などの周辺市場は含まないでも、この額です。
この人たちは遭難者の代表的なプロフィールでもある上、百名山登山=登山と思いこむ視野狭窄にも陥っているので、オーソドックな登山の安全対策が知識として入っておらず、遭難予備軍であるので、登山界の権威筋からは、当然ながら、問題視されています。
■ 対策?
対策としては、未組織登山者 → 組織化 が挙げられますが、これは無理なんじゃないかと。
この種の人たちが、山岳会などの硬派な世界に属さないのは、むしろ歓迎すべきことではないか?と逆転の発想をしてみました。
というのは、山岳会は今指導者不足なので、こういう大量の人口がなだれ込んだら、対応できません。山岳会はおまけに”相互扶助”の組織ですが、”相互”にはならないで、”一方的扶助”になると破たんすること確実です…
幸いなことに、団塊の世代の方でも山岳会などに所属することにはあまり積極的でないようです。
この世代に、登山をよりよく楽しんでもらうにはどうしたらよいか?ってことになりますが、やはりその世代にマッチした価値観で歓迎するのが合理的選択となります。
- ”群れ”志向
- 面倒なことは誰かにお任せ志向
- 節約よりむしろ、お金で娯楽を買いたい志向
- オリジナリティーは求めず、メジャー志向
- 詰めこみスケジュールのストレスには強い
- 数値志向
- 積み上げたがる
- アメリカン志向
山としては、危険個所が少なく、デカい山が合っていますね。(あっ、それって南アルプスでは?)
■ ガイド登山に誘導できるか?
団塊の世代に代表される中高年が山岳会に来ないから、と言って、ガイド登山に誘導することは、おそらく、世代の求めるものとガイド登山が提供するものが異なりすぎ、論理的に成り立たないのではないか?と思います。
近年ガイドの不足が叫ばれていますが、これも、ガイドになりたがらない人が多いのは仕方ありません。何しろガイド業は食えません。
昨今の中高年の登山スキルはかなり低下しています。たとえば先日の権現でも、ヨタヨタ歩きの人が、かなりの数でいました。スキルの低い者同士が結託しても、やはりスキルが低いことのリスクヘッジにはならないようでした。はっきり言い過ぎかもしれませんが。スイマセン。
餓鬼岳でも、ちょっとどうか?というくらい足元がヨレヨレのオジサンパーティを見ました。そもそも歩くということが、ちょっとどうかなーというくらいヨタヨタですが、平気で北アに来ます。あまり自覚はないようです。
そういう事情もあり、ガイドの必要性が各方面で叫ばれていますが、その割にガイドとなった人の年収は低く、ガイド業では300万円を超えれば御の字、と言われています。
私は登山2年目のころ、やたらガイドにならないかと誘われました…たった2年の経験しかない私なのに?といぶかしく思っていましたが、それはやはり実力がある、山男のベテランガイドなどが必要ない、丘というような山を、10人も15人も連れて歩く、”違反”ガイドツアーの方が実はどこでも人気があるからのようです。違反かどうか分からないような新参山ヤの方が、そういう低いレベルのガイド山行を引率する資質としては、優れている、ってことになります。
つまり、本格的に山をやってきて(本チャンもバンバン行くような)、まともなガイドに育った人は、団体登山をやりたがらないのは確実です。大体、登山は、3人~4人がベスト人数です。それより大きいと小回りが利かなくなるし、それより小さいとリスク対策に不安がある。団体になればなるほど、遭難というババを引く可能性は高くなります。
■ そろばん勘定
ガイド登山は、基本的に5人以下が普通です。ガイドの日当は3万円と決められているので、5で割ると、6000円。しかしこれではガイドは、何人ガイドしても、日当以上は儲からないことになります。仮に月に20日ガイドしても(そんなすごいスケジュールで山に行ける人は少ないと思いますが)、60万円にしかならず、冬季はガイド業は基本的にお休みですから、6か月60万円の収入が仮にあったと仮定しても(そんなことはありえそうにありませんが)、360万円にしかなりません。
これが、うまく行ったケースとなれば、サラリーマン世帯と比較して、一人前の男性にとって、ガイド業が成り立つとは言えません。というわけで、ガイド業は主たる生計を支えなくてよい場合の、副業的な位置づけとなります。
一般に山をよく知っているガイドさんにとっては、ガイドレシオの縛りを振り払い、団体登山に足を踏み入れるのは、大変勇気がいることです。たぶん…。団体になった途端に、暴徒とまでは行かなくても、衆愚と化すのが見えているし…。
しかし、中高年登山者を取り込むには
たくさんの人が集まる形態
でしか、充足することのできない精神的ニーズがあるのではないか?と思います。青春のフラッシュバックかもしれません。
この人たちにとっては、団体で群れる、ということがかなり意味がある活動なのでしょう。
山ガールに代表される、若い人(団塊Jr)の山ブームも、端を欲したのは
野外フェス
であると言われています。野外フェスも団体で楽しむイベントですよね。
ということは、時代は今、
多くの人がコロニーのように集まって何かを共有できる場
を求めているのかもしれません。余談ですが、ヨガのクラスも、団体化が一旦加速すると、規模が大きくなればなるほど人を惹きつけるようです。一旦始まった大規模化は止められない勢いのようです。そうすると本質的なことは失われますが、そのことより、集まる、群れる、という集団の陶酔、のようなものが重要な要素なのかもしれません。
それは私自身の登山の志向性とは全く反対ですが、時代がそういう、いまだに満たされていないニーズを持っている、ということは、各種のデータや社会現象が如実に表現しているところかもしれません。
大事なことは、そのニーズ、エネルギーを社会が良くなる方向に方向づける、という先見の明かもしれません。
というわけで、団体登山という群れは維持しつつ、百名山登山をガイド登山で可能にする形態を試考してみました。
≪新・これなら安全にいけるんじゃ百名山≫
- ガイドが寄り集まって、登山者組織を作る。
- 会員制組織にする 会員優待を作る
- 募集型ガイドツアーを催行する
- その際、百名山登頂をプログラム化する。低い難易度の山をクリアしていないと、次のステージに進めない。(ゲーム感覚)
- 10座、30座、50座、などのキリのいい数字で、記念品を渡す
- 深田百名山と同じルートで登る
- 深田百名山の該当部分を各回配布する
- 催行は15名~20名でも、実際は小パーティに分け、引率者は4~5名にする。
- パーティを分け、少し時差をつけて登山する(山へのインパクトを軽減するため)
- 宿泊地で全員集合。小屋泊にして、小屋には、できるだけ現金を落とす。
- 小屋生活では、その団体が迷惑登山者にならないマナーを誘導しておく(ウルサイ、散らかす、汚す、傷病者を放置するなど)
- 夜は山のお天気や音楽の夕べなどの、時節にあったイベントを毎回行う(そうしないと騒いでウルサイので)
- アメリカンな小物などの量販会も買ってくれるでしょう
- 朝はまた小パーティに分かれ、時差出発する
- 皆でバスに同乗して団体気分を維持して帰る
- 引率者から、到達度評価をその都度渡す
要するに、山への行き帰りと小屋でだけ団体で、歩くときは団体でなくてもいいんじゃないか?ってことですが。
それとやはり無知な部分はリスクヘッジを引率者でしつつ、山のことは山で教えるしかないので、達成感志向という面を上手に利用して、知識の面でも達成感を与える何らかの枠組み作りを薦めたら良いのではないか?と思います。
啓蒙、という形では絶対に啓蒙されないような?
はじめまして。
ReplyDelete百名山が何となくイヤでネットを縦走していたら、こちらにたどり着きました。オショロコマ
団塊と登山に関する考察に、思わず膝を叩いてしまいました(笑)
≪新・これなら安全にいけるんじゃ百名山≫の提案は大変、興味深い内容でした。
団体感の維持と達成指向の活用は、ほんとに肝になりそうなキーワードです。
私は、北海道のとある山脈の東の麓に住んでおり、山脈の西には山脈最高峰の百名山があります。百名山はアクセスも長く過酷なルートで毎年ではありませんが、団塊世代の遭難事故がたまに発生します。
また、最高峰から縦走で多くの方が国境稜線上の峰を訪れています。
個人的に団塊世代のマナーは、大変気になっており、啓蒙にもいずれ限界が来ると感じていましたので、この記事を次なる取り組みの参考にしてもよろしいでしょうか?
大変、おもしろい内容の記事をありがとうございます。
つたない記事を読んでいただいて恐縮です☆
Delete北海道と言えば、”本格的な山”ですね。山小屋がないので、ちゃんとした山技術が必要だと思いますが、とっても中高年に人気のようです。トムラウシのような大きな遭難も耳にします。
(団体感の維持)(達成志向の活用)ぜひご自由に活用なさってみてくださいね。うまく行くかの保証はないですが(^^;)。
中高年の方は、ホント山に熱心な方は熱心ですから。ただ方角がスタンプラリー化してしまうのがまずいってだけで、努力や熱意はすごいし、その資源(金)があるっていうのもすごいことです。
今は若い人には時間と言う資源も、カネと言う資源もなく、山を教えてくれる山岳会もなく、四面楚歌な状態ですが、それと正反対にコントラストをなすのが中高年の百名山登山のような気がします。
山に登っているってこと自体は、健康的で素晴らしくて、もっと”山とは何か?”って方向に発展すればいいだけのことのような気がしています。