Wednesday, February 12, 2014

山の実情のアレやコレや・・・ 山の世界を考える1

今回はとりとめなく、山の実情をいろいろ書きます☆

■ 技術を求めて山岳会に入る?

知人の、知人の、そのまた知人くらいが、

   技術を求めて山岳会に入ったんだけど、何にも教えてくれない

と不満を持っているそうです。

はあ~(ため息)その人、超勘違いしています。 山岳会は技術を求めて入るところではありません。

残念ですが、その人のお門違いなんです。それは二つの点でお門違いです。

 その① 山岳会は相互扶助

 その② 山岳会は低落久しい

山岳会なんて、低落が叫ばれ始めて久しく、山岳会に技術を求めて入るなんざ、一体その人の現実認識力はどうなっているのか(笑)? 

誰が見ても山岳会に技術力を求めて入るなんて馬鹿げている。

■ 技術は個人に属す

当然ですが、技術は個人に属しています。

登攀力も、懸垂下降も、支点構築も、ぜんぶ個人に属すものですよね。そんなの改めて言わないでも、当然過ぎますよね。

というわけで、山の技術力は個人に帰す。山の技術が集団に属すことはありません。技術力がない人が何人いても技術力ないままなんです。

たとえば、私はアイスの初心者を連れて金ヶ窪沢に行きたいのですが…支点トップロープのなら作れるので…しかし、私が連れて行ってもらうゲレンデも、自分が連れて行くとなると、その場所の状況次第では、リードしないと支点まで辿り着けないかもしれません。すると、私はまだリードできないので、支点まで行けない。トップロープ張れない。なら、アイスに登れる初心者二人が一緒に行っても、2人とも登れないことになりますよね(笑)。

(余談ですが、なので、こういうレベルの人は、トップロープが裏から梯子で登って張れる、アイスキャンディにしか行けない、ってことです。つまり2000円払えと(笑)。 人工氷壁が流行るのは、指導者クラスがいないことの裏返しかもしれませんね)

ところが、一人技術力がある人が混じると、その集団は他のメンバーが技術力を高めるチャンスを得たことになります。

だから、技術を求めるなら、技術力がある個人を探して、そういう人がいそうなところを探す・・・ わけです。

すると、必然的に山岳会や講習会、ガイド講習会などになるわけです。つまりこういうモノの順序なわけで、山岳会という組織に技術を求めても無駄です。

求めるべきは個人です。

だから、山岳会に入るなら、その山岳会に誰がいるのか?誰に技術が属しているのか?を見るべきです。

たとえば、同好会的な山岳会だと、リーダーが務められる人(つまり技術がある人)は一人しかいなかったりします。

長く続いている山岳会だと、技術不足については、分かってはいるものの、後継者がおらず、仕方がないので、ハイキングの山でお茶を濁していることもあります。

そうなると、後継者としてふさわしい自分であることを、技術を持っている人に認めてもらわないといけません。

■ 世代間断絶

世代間断絶については、これは山だけの問題ではないでしょう・・・もっとも大きな断絶は団塊の世代から、団塊二世への断絶です。

団塊の世代は一方的な勝ち組世代、団塊二世世代は一方的な負け組世代です。今の30~40代は、就職率でみても、大卒新卒で25%なんて時代です。運よく会社に入った人も、自分一人しかおらず同僚がゼロ、なんてのがザラで、さらに下が入らないので、万年新人扱いで下っ端―ずです(笑)。これは上にも悲劇で、上の世代も、「なんで俺50才なのにまだ図面引いてるんだ…」と、順繰りにバトンタッチしてきた仕事がバトンタッチできません・・・。のはあまたとある企業での風景。

同じことが山の世界にも言えます。 

昔入会した人が年を取ってそのままスライド式に会は高齢化・・・、断絶の、活断層のあたりは、たぶん50代くらいかとおもいますが・・・、ある意味、先輩に無料で教えてもらった技術を、有料で売りさばいている人=ガイドと言えるかもしれません。

なにしろ、「〇〇さんはどうやってこの技術を学んだんですか?」とガイド諸氏に聞くと、「会の先輩に教えてもらいました」が90%の答えだからです。

いいですね、まだ伝統という美しい仕組みがあった時代・・・。しかし、ちゃんと認識しましょう、今の時代、それはありません。

伝統の断絶の歩みは、日本社会が豊かになった、という流れと一緒です。豊かさの代償なのです。

他の要因で言うと、山が一人ではいけないほど嶮しくはなくなった。一人で行けるなら、一緒に行く他の理由が要りますが、一緒に行くより一人でいる方がマシ、というような人とだと一緒に行きたくないかもしれませんねぇ…(笑)。

(笑)と書きましたが、これは、ゆゆしき問題です。 〇〇さんと一緒に行きたい!というような愉快な仲間であることは重要です。 誰も一緒に行ってくれない人は、自分を振り返ってみるべきなのかも???

 ・豊かになった(協力しなくても山に行けるようになった)
 ・ロープウェーや登山道整備などで山がラクラクになった
 ・一緒に行きたい楽しい人が少なくなった(皆がわがままになった)

まぁどこの会に入ってもお荷物だとみなされた人は、単独かガイド登山に行くしかありません。

■ 連れて行ってもらって当然の人

言うまでもないことですが、一人で山に行くと、自分の実力の8の山にしかいけません。

実力100%の山に行っては不測の事態に対応できないからです。人を連れて歩くとなると、6の山にしか連れていけません。

ところが、人を連れて行ったことがない人は、自分が連れて行ってもらっている山は、常に12の山なので、12の山の次には14の山に、14の山の次には16の山に、連れて行ってもらえないと我慢ができなくなります。こらえ性がない。つまり子供っぽいってことです。

そういう人は、連れて行くことの大変さが分かっていないので、連れて行ってもらって、逆に「こんな山にしか連れていけないのか」という顔をする始末です・・・。

一回連れて行ってもらったら、今度はお返しに連れて行ってあげる、そういうのが正しい山友達です。

連れてもらう一方の何が問題か?というと、不測の事態が起こった時、その人が機能停止に陥るからです。山行を企画をしていなければ、

 ・下山に何時間かかるのかも知らず、
 ・最寄りの山小屋がどこかも知らず、
 ・携帯が入るかどうかも無頓着、
 ・あるいはエスケープルートも知らない、
 ・何時までが下山の判断ポイントかも知らない

とまぁこんな状況になります。これはガイド登山でも結局一緒です。

例え、ガイドレシオ1:1であったとしても、ガイドさんが全面的に頼りになるはずはないですよね?

ただの雪山のアコンカグアだって凍傷で指全部なくなります。訴えることはできても指は生えてきませんしねぇ・・・。

結局、(連れて行ってもらう)も(連れて行ってあげる)も、当人のためにならないだけでなく、連れて行く人のためにもならない。

すべては何かあった時にどうにも対処できないから、です。リスクに無関心というのは、ホントに本人がアブナイのです。

景気が良い時にだけ機能するビジネスモデルと一緒です。だから連れて行ってあげるよ~の甘い声?に騙されてはいけない(笑)。

■ 面倒が楽しいのが山 

山は楽しみで行くのに、なぜ企画などのめんどくさいことをしないといけないのか?という反論も聞こえます。

登山口までのアプローチや、何時間かかる山なのか、調べる手間、それに対価を支払っている、と考えるタイプの人のガイド登山の考え方です。

この発想も、昨今の、ツアー全盛の時代背景から分からないではアリマセンが…ただのいいカモになっているんですよ。

たとえば、私は海外はツアーで行ったことありません。だって、飛行機のチケットを取るのも、現地でホテルを予約するのも自分でやった方が安いですし、外人はフツーにカウンターに行って発見してもらいますよね。なんで日本人だけ別?

でも、日本人が海外に行くとき8割はツアーです。申し込んでお終い。それしか手段がないと思い込んでいるのは、旅行ビジネスの陰謀です(笑)。それで余計なお金を払っているわけですね。

あとは安い以外にも、自分でやった方が楽しいです。その楽しさを知らないから、人生がつまらなくなります。

人生の愉しみの大部分はツマラナイと喧伝されていることにあるんです。騙されないようにしてください(笑)


■ 技術が欲しければ金を払え

結局、山岳会は、一言でいえば、相互扶助の世界なので、技術をもらいたい!と思うならば、技術を教えます、と公言している場に出向くべきです。

それはどこか?というと、ガイドが開いている講習会などです。

ガイドさんでも講習会をしていない人は、技術を教えたい、とは思っていないので行くべきではありません。

講習会を志向しているガイドさんは、教えるからには、ということで、最新で現在もっとも確実だと思われる技術を教えてくれます。

たとえば、ただ、ぼけーっと先輩から懸垂下降を習うと、

  ただ下降器にセットして降りてお終い

です。

が、山岳総合センターのリーダー講習では、

 支点へのロープセット、結び目、ロープの投下、確保器のセット、バックアップのセット、

まで教えてくれます。

それでも、講習会だけでは、技術力は身に付きません。

なぜなら、一回習っただけで身に付くのが技術ではないからです。

というわけで、継続的に同じ仲間と技術習得に向けて切磋琢磨したい、と考える人が出向くべきなのが山岳会です。

■ 山岳会の門をたたく前にすることあるでしょ

とまぁ、私の個人的な意見は、山岳会の門をたたく前にすることあるでしょ、です。

山は、自助努力の世界です。山は、自己責任、とも言います。

そこが岳人としての最大の資質ですから、

そこのところが分からないレベル、たとえば、日向山にハイキングの行く段階から、誰かに連れて行ってもらおうという人は、その依存的な性格からして、そもそも山に登るべき人ではないかもしれませんね。入れてくれているのは、その人が変化する可能性に掛けているわけでしょうが、そういう人はそもそも自分が期待されている役割を認識する力にも欠けているので、期待する成長をすることは稀です。

というわけで、山岳会というのは、入る人を選ぶ、組織です。

基本的に、自分が何かしてもらう一方の考え方の人は不向きです。

私が思うには、山が何か?を分かるくらいまでは一人で登っていてもあまり危険なことはないと思います。(私は危険危険と言われ続けて登りました。どこが危険だったんだろう?)

山岳会に入るまでにするべきこと

 1)山とはどういうものかを自覚する
 2)ロープが要る山とイラナイ山の違いを理解する
 3)ガイドの講習に出て一通りの山の常識を体得する (たとえばヘッドライトをザックの底にしまわない)
 4)一体どんな山に行きたいのか、自分が何が分からないのか、分かるレベルに達する
 5)クライミングスキルを身に着けるニーズを自覚する (最低でも5.9は要ります)


さてと今日は今からボルジムです。





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