Saturday, April 12, 2014

三つ峠の思い出

■ 三つ峠との出会い

三つ峠は私にとって思い出深い山だ。初めて三つ峠に行ったのは、登山ガイド氏との顔合わせ山行だった。

手前の長い尾根が府戸尾根
その頃、私と夫は雪山2年目。冬の天狗岳にはすでに何度か登頂し、黒百合ヒュッテで出会った同い年の若いガイドから、ストックではなく、そろそろピッケルを持った方が良いとアドバイスをもらっていた。東京までわざわざ出かけて、ピッケルをさっそく購入したところだった。さて、どうやって使用方法を教えてもらおうか?という段階。しかし、いきなり雪山で命を見知らぬ他人に預ける気にはなれず、信頼できる山のエキスパートを探していた。

そういう訳なので、たまたま一番近くに山行が予定されていた山に申し込んだだけで、易しい山なら何でも良かったのだった。

「山なんかどこでも良い」と連れて行ってもらう専門の、金魚の糞タイプの登山者が時々口にするのを聞く。しかし、最初は何でも良い山であっても、そこから、その山の良さや楽しみ方を色々と自分で引き出していくのが、登山の愉しみではないだろうか?

後年、振り返ることのできる、価値ある思い出を作っていくのが山だと思う。

2年前は、ただの山に過ぎなかった三つ峠、今では個人的な思い出の山だ。

■ 府戸尾根、花、地図読み

その時、歩いたルートは、「富士山を眺めながら歩く尾根です」と府戸尾根。は、歩いたものの…富士山は樹林に隠れてみえない。特に難しい尾根ではなく、誰でも歩ける尾根なので、ガイドは申し訳なさそうにしていた。まぁ当然か。

府戸尾根は、実は、私も既に地図で眺めていて、歩いてみたいと思っていた尾根だった。というのは、ちょうどその秋、白根三山を歩き、稜線歩きに開眼したところだったから。 長い尾根を歩いてみたかったので、目をつけていた。 

御坂の山は、東西に稜線が長くつづき、南北に流れる尾根というのは、そんなに長くない。だが、せっかくの府戸尾根は最後まで歩かず、なぜか最後は地図読みだった(笑)。 廃道を歩いた。

その三つ峠で、別の出会いもあった。三つ峠山荘に立ち寄り、高山植物の保護活動について簡単な説明を受けたのだった。そもそもは、ガイドが山行を充実させるために、小屋の主に少し山の話でもしてくれ、と持ちかけたのかもしれない。易しい山なのでハイライトがないから・・・。

とりあえず、私は希少な花が咲く山と理解。その1回の山行で、花と地図読みという二つのテーマができた。

■ ひと

その後、私は何度か三つ峠に一人で行き、府戸尾根も自分で歩いた。遠方からの友人や初心者を何人か案内したりもした。

三つ峠は北口登山口なら山頂まで1時間くらいで素晴らしい展望が得れるので、山歩き初心者にピッタリなのだ。悪いところがない。

アンテナ群と屏風岩
2年目の夏は、誘われて特によく出かけた。真夏の暑い中、鹿柵を作ったり(の手伝い)、雑草を抜いたりだ。

冬にもハイキングで出かけた。三つ峠は四季折々全部使える山だ。アンテナだらけなのがちょっと残念だが・・・。

しかし、そこで出会った人が、翌年、剣岳で落石にあい、亡くなってしまった。

山の知り合いが亡くなった第一号だった。なぜだか、この知り合いの死はとてもショックだった。

中央カンテ
今でもまだ考えると悲しい・・・。亡くなった人は、元々クライマーで、山岳写真家、ほぼ同い年の男性だった。


すごく親しかったわけではなく、何度か偶然、山で会ったり、花を教えてもらったり、下山口から送ってもらったり、メール交換したりした程度のことで、知り合いと言えるかどうか、も怪しいレベルだったが…。

ほとんど同い年だったからだろうか? なんとなく職歴が似ている、というのも、あったかもしれない。エコロジー志向というので共感していた。

人が死ぬことがあるのが山だとわかってはいる。だが、それを実感するのは難しい・・・。

死というものは、生と常に隣り合わせなのに、それを理解することは本当に難しい。

別に山ではなくても、運転だってそうだし、日常生活だって実はそうなのだ。 私は弟を突然死で亡くしている。弟が24、私が26の時だ。そんな人にとっても、死を理性ではなく、感情レベルで、理解するのは本当に難しいと思う。

その知り合いの死は、余りにショックだったので、私は仕事を休んで三つ峠に追悼山行に出かけたくらいだ。その山行で、今お世話になっている山の師匠に出会った。

その師匠に連れられて、三つ峠の屏風岩が、私の岩デビューとは本当に感慨深い。

■ クラミング、インスピレーション 

三つ峠屏風岩には、先週末の4月5日に登り、また7日にも行った。なぜか呼ばれるように行ったのだった。

一つには、師匠がタイブロックを岩場に置いてきたようだと言うのだが、私も買い立てほやほやのヌンチャクが家に帰ったらない。岩場しか考えられない(別所で見つかりました!)。

が、それらの2つの理由は、三つ峠に行くことを単に後押しする理由だったような気がする。

登攀具は自分が拾う立場だったらラッキーと持って行ってしまうだろうし、おそらくクライミング2日後の岩場にはありそうにないのは、自分でも十分分かっているので、行っても同じことだろうと予測できた。

が、なんとなく行った方が良いという感じがあった。自分自身が紛失したことを納得したいのかもしれないと、行くときは漠然と考えていた。

私はよく瞑想をしている。その成果か、時々そのようなことがある。絶対やった方が良いとか、行った方がよいとか、自分が起こす行動に、確信みたいなものがある時がある。インスピレーションというか、そんな感じですね。

今回もそういう感触があり、なぜか行くべきだと思ったので、支度もすぐ済んだ。まぁ三つ峠は支度が要るほどの山ではない。何しろ歩くのは1時間くらいなのだ。装備は長靴。

二日前も通った道をトレーニングがてら、あまり運動にならないので、下の林道も含めて歩き、小一時間で三つ峠山荘前。途中登山者を2組追い抜く。

山荘前で富士山を見ていたら、どこかで見覚えがある女性が富士山の写真を撮っているところだった。先方も私を覚えていると言う。最後に会った時から、色々キャッチアップし、連絡先を交換して別れた。共通の友人がいることも分かった。この人とは家も近いのだが、甲府は車社会なので、山に来ない限り、出会うことは決してなかっただろう。

そのついでで、普段は立ち寄らない山荘に立ち寄り、コーヒーまでいただいてしまった。山荘は大勢の来客を迎えて、忙しそうだった。シーズンが始まるのだ。

■ 三つ峠のこと

四季楽園とアンテナ
三つ峠は、そもそもは信仰の山でもあり、そして、クライマーの登竜門的山でもあり、ここにしか咲くことのできない希少な花の山でもあり、富士山を撮る写真家たちの集う景観の山でもあり、アイスクライミングをする人にとってはルート練習の山でもあり、沢ヤにとっては、沢の山でもあり、そして、一番人口の多い、ハイキングの山でもある。

渡りの鳥や蝶にとっては、オアシスみたいな場所でもある。

そうしたことは、百名山ハントなどをしていると分からない…三つ峠は百名山には入っていない

幾通りもの楽しみ方のある山だ。

多彩な楽しみ方ができると言うことを考えると、御坂山塊の盟主は、黒岳と言うよりも、三つ峠なのではないか?と思う。

何しろ、三つ峠以外で、山小屋がある山は、御坂山塊にはない。山小屋は四季楽園三つ峠山荘の2軒もあり、登山口はメジャーなものだけでも4つもある。さらに言えば、ホームページを持っている山は富士山以外では三つ峠だけではないかと思う。

バリエーションルートも実はある。 もっと言ってしまえば、残念なのは遭難も多い。

■ 自衛隊、動物、スミレ

この日は三つ峠、自衛隊の訓練が入っているようだった。新人なのか、グリベルのヘルメットで色分けされたグループが何組もいた。迷彩服にブーツ、重そうなザックを背負い、登攀具を腰にぶら下げた若い男性の団体は活気があった。

腰にぶら下げている登攀具を見てみると、仮固定が簡単にできる、耳付きエイト環をぶら下げていた。

耳付きエイト環のことは、山岳会の同僚が自衛隊員で、前日に南沢大滝で話に聞いていたので、翌日現物を目にするとはびっくりだった。

岩場で少しゆっくりするつもりだったが、その自衛隊の人たちが忙しそうだったので、さっさと下山して帰ってきた。

この日三つ峠では、鳩くらいのサイズの変わった声でなく鳥を見た。

鳥は双眼鏡がないと見れない。双眼鏡、毎年この時期になると欲しくなる。

三つ峠では、猪、猿、カモシカ、雉、リス、に会ったことがある。たったの登山経験4年でだ(笑)。 山頂には甲斐犬が2匹いる。頭のいいのと、悪いの。

暇なので、帰りに金ヶ窪沢に立ち寄ったら、すごい雪渓になっており、抜けて、落ちたらシャレにならないので、取り付きで引き返した。
どこかに鳥が写っているはずなんだが
3週間前は登れたとは思えない



雪解けの淵 青い
この日は、ろうばいが咲き、沢の水は雪解けで、大きな音を立て、淵は青く澄んでいた。

三つ峠は、スミレレンゲショウマでも有名だが、今年は雪が多く、スミレが咲くのは、まだまだ先のようだった。

御坂道の林道で、ヘアピンカーブのところは南面に針葉樹の植林があり、そこは常に凍ってしまってアイスバーンで滑りやすいのだが、その脇はスミレの群生地がある。

が、今年は樹林が伐採されてしまっており、もしかして環境が変わってもうスミレは咲かないかもしれない…

というわけで、三つ峠は、ある意味、既に、MYホームグランドの山なのだ。

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