私は学生時代からパソコンを使っている。大学の頃のバイトは、新入生(貧乏な母校ではなく、リッチな他校の)に、メールソフトやブラウザの使い方を教えたりするバイトや、企業に出向いて新入社員用のファームウェア設定など。HTMLは先輩に1時間ほど教えてもらっただけで、あとはすぐに自分で辞書を引きながら使った。社会人になり、仕事は、組込系のソフトウェアエンジニアでスタートした。ので、一応プログラミングはプロだ。パソコンは日曜プログラマーレベルはあると思う。
だけど、今の時代、ホームページを作るのに、別にプログラミングの知識はいらない。現代では、HP作りは、ネット上にテンプレートが用意されているので、テンプレートを選ぶだけ。現代的なデザインのサイトが自動的に出来る。 便利な時代だ。
≪無料ホームページサイト 例≫
WiX
http://www.webnode.jp/
http://jp.jimdo.com/#ref=a1002642
私の、このブログはBloggerだが、これも、ただ選んだだけで、デザインを着せ替えのように、替えることができる。
つまり、以前は必須とされたHTMLが読めなくても、別にホームページは作れる。
なので、そうしたデザインテンプレートを利用する限り、限りなくプロである必要がなくなってしまった。
今ではアマチュアが余暇を使って、デザインをちょいちょいと選び、ウェブサイトを作る時代だ。特に、それが商用でない限り、有料のサイトをプロに依頼する意義は限りなく小さい。ハッキリ言って、一頃昔のように、サイトに1ページ5万、10万円もかけるのは、よほどの無知な人か、自分の手間より他人の手間の方が安いというお金持ちだけだ。
一般にホームページと言うものは、作ることよりも、更新しつづけるということが難しいものなのだ。
コンピュータにおいて、HTMLを読め、プログラミングを知っているというのは、登山においてバリエーションルートを歩けるというのと同じことだ。バリエーションが道なき道を歩くことであるように、何もないゼロからHTMLファイルを立ち上げることができる。ただ、めんどうなのでそれをアシストするソフトがあるというだけだ。
私はいかにも手打ちでHTMLを打ち込んでいると分かる(ある意味ダサい)サイトにとても好感をもっている。HTMLで手打ちするのは、20年以上前の原始的な技術だが、それでもその人がホンモノであることを表す。カッコいいサイトは知識不要で誰でも作れるからだ。
ウェブサイトはビットの並びなので、手作り感というと可笑しい気がするが、手作り感が漂っている。それに従い、その人の山岳会や登山者の個性がよく表れると思う。
≪HTML手打ちサイト事例≫
・町内の山
・山の仲間 浮雲
・石田登山塾
・菊池敏之クライミングスクール&ガイド
まぁ、現実的なところは、今ではいちいちゼロからHTMLファイルを作ると、
・不必要に時間がかかり、
・他の人がメンテや更新できないし、
・プログラムコードとして美しくもないし、
・見た目もイマイチ
なので、既存のモノに必要最低限のカスタマイズを加えるのが、かかる手間と出来栄えのバランスが取れている、ということに結局なろうかと思う。
≪既存のテンプレートを転・活用した事例≫
・FirstAcsent
・保科クライミングスクール
一から作れなくても、カスタマイズしたほうが見栄えも良く、更新も楽で、作業も共有しやすい、ということを考えると、無料でデザインを選ぶだけで作れるサイトを作るにしても、最低限、これだけはスキルがあった方が良い知識は一応ある。トラブルに対応できないからだ。この点もロープワークをやらない一般登山者が不測の事態に対応できないのとすごく似ている。
≪ウェブサイト管理者の最低限のスキル≫
・テキストファイルとHTMLファイルの違い(拡張子)くらいは知っている
・HTMLが何か?くらいは知っている
・CSSが何か?くらいは知っている
・FTPが何か?くらいは知っている
・16進数で色を指定できる
・画像ファイル(巨大なデータをネット上にいきなりリンクすると重い=迷惑です)くらいは分かる
・必要になるソフトウェアのインストールくらいはできる
・ピクセルが何か?くらいは知っている
■ 山岳会のホームページはどうあるべきか?
山岳会のホームページは、入会したいと思う人が最初に見るサイトだ。
というより、入会希望者にはそれ以外の情報が与えられていないのに等しい。その意味で、山岳会のホームページの意義は大きい。
しかし、そこで飾る必要はないのではないか?むしろ、その山岳会の等身大の姿が反映しているのがよろしい。
私は山梨で6件の山岳会を検討した。(山梨岳連のサイト)
その中で思ったのは、ホームページを見る際に、入会希望者はデザインなんかは全く考慮しないということだ。
デザインに魅かれて入会を決めるような入会者は、美人に魅かれて求婚してくる男性と同じであり、本質的なことは見ようとしていないので、すぐに飽きて出て行ってしまうのではないだろうか?実態以上におしゃれなサイトを作っても、振り回されて損をするのではないだろうか?
たとえば、地元の由緒ある会に、アークテリクスやマムートの輸入ウエアで全身固め、単独登山なのに、スリングやヌンチャク、確保器を腰にぶら下げ、どこを降りるの?と聞いたら地蔵尾根と答えて、赤岳でガッツポーズ、それが山だと思っている若者が来たら、先輩は、なんとなく気持ちが乗らないのではないだろうか?(これは私が遭遇した事例です)
私が入会希望者の立場で重要だと思うのは、見た目が良いホームページより、
・どの山に (Where)
・いつ (When)
・何人ぐらいで (Who)
・どのようにして (How、What) 月例山行、教育的山行、合宿など・・・
・行ったのか?
という情報が明らかなことだ。 よく言われる5W1Hだが、これが分からないと、山が合うかどうかワカラナイ。
それと、最低でも、一か月に1回くらいの更新だ。更新がないと、活動自体がない、ということだと思う。(といっても、既存会員の紹介がないと入れないというクローズドな会はそれでよいかもしれない。)
山岳会のホームページが毎日更新されている必要はない。毎日更新なんてされていたら、そのほうが気持ちが悪いかもしれない。しかし、1年も前の山行では何の参考にもならない。(それでもましな方で、5年前という会もある)
入会希望者が知りたいのは、
1)山が合うか(自分にも行けそうな山行が企画されているか?)
2)どれくらいの頻度で山が企画されているか?
3)教育的山行はあるか?
4)義務的行事はどのようなものがあるか?
であり、それには最低限
1)山行のリスト
2)最低限の頻度での更新
が必要だ。 この二つができないで、デザインや個性を考えるのは時期尚早ではないだろうか?
というのは、ほとんどの山岳会というものは、新人には来てもらいたくても、来た新人を教育する肝心の指導者層は層が薄いのが現状だからだ。
指導できない…のに、指導されたい人ばかり集めても仕方ない。
私が思うには、一番手がかかるのは、まったくの登山初心者である。そういう人は、ある程度山がどんなことかを分かるまで、有料のガイドさんにお願いするのがよいのではないだろうか?あちらは、有料なのだから、きっちりしっかり教える用意がある。依存的になってしまうリスクはあるが、良いガイドならガイドしつつも、依存的な登山者を育てないと思う。
そうでないと、山岳会は無料のガイド組合だと思っている人が来てしまう。地図を読むための勉強もする気がなく、ただ連れて行ってもらいたい人が来てしまう。
連れて行ってもらいたい人は、連れて行っても自分が中心でないと喜ばないし、教育しても、たぶん9割は徒労に終わってしまう。そうすると、指導者層は自分の行きたい山に行く時間が無くなり、会の活力がそがれてしまう。
ただ、その山岳会が、そもそもサロン的な会で、気の合う人を見つけるための会ならそれでよいと思う。ただ、それもそうとホームページなどで分かるつくりにならないと、本気のアルパインの人が来ても浮いてしまって合わないだろう・・・ そう思うと、やはりホームページという外見が中身を表していることが重要だ。
・年齢層
・山行が大きいか小さいか
・ハイキングよりかアルパイン寄りか
先日は、「八ヶ岳に行きたいんです」という入会希望者がいたけれど、聞いてみると一般ルートもよく知らない。八ヶ岳なら自分で行ってくればいいのであり、なぜ山岳会に入会したいのか? それでは全然意味が分からない。
私は八ヶ岳が好きなので、どこかに連れて行ってあげられるかな・・・と思って聞いたのだが、連れて行ってあげたくても、どこに連れて行けばいいのやら・・・。自分に困難なルートとそうでないルートさえ、自己申告はできない。
せめて「阿弥陀南陵に行きたいんです」と言えるようになってから、来てほしいと言うのが、正直な所、標準的な山岳会のホンネであるのではないだろうか?
≪参考≫
山岳会のホームページに思う
山梨の山岳会事情
1月、地蔵岳に向かう・・・寒かった |
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