Monday, May 25, 2015

技術ではなく技能を付けよう

■ 技術と技能

昨日花谷さんの講座では、技術と技能は違う、という言葉の使い方をしていた。一般的には”経験不足”という言葉で言われる内容のことだった。花谷さんは「みなさん技術を重視しすぎだ、もちろん技術は重要だが…」と言っていた。

≪例≫
 技術          技能
 タイオフできる    どの木にタイオフするか分かる
 エイトノットができる どのような場合にエイトノットが使えるか分かる 
 アンザイレン     きちんとアンザイレンできる 場合によって使い分けられる
 懸垂          落石を起こさないで降りれる 
 登れる         美しく余裕を持って登れる
 
というような感じだ。

端的に言うと、技術は5分で覚えられる。技能のほうは、細心の注意判断力が必要だ。

実際はアルパイン1年生で技術をマスターしても、技能の面で怪しいので、技能がボトルネックとなるような山には行かない。

平たく言えば、”今の技術で行ける”山に行く。

■ 経験者がいないと、どこにもいけないのか?

それでは経験者がいないと何処にも行けないのか?というと、それも違う。

 今の技術で行けるところに行く

という言葉で表現されることが多い。その具体的な内容が、普通の人にはわからないのではないか?と思うのだが、こういうことだ。

例えば、春山合宿の真砂尾根は念のためのロープだ。ロープにぶら下がることがない、前進用ではないので、多少あやふやでもOKだ。偶発的な滑落などに備えるためのもの。普通の技術があればまず滑落はしない場所しか歩かない。

実際、3年目の人の確保は、スタンディングアックスビレイをその場で教わってから、やっていた(笑)。おまけに一度はビレイせず手を離して写真を撮っていたりして、も~ちゃんとしてよーと思ったが、別に私は死んでいないし、問題なく帰ってきている。つまり、今の技術で行ける所に行く、とは、そういう場所を選ぶ、ということだ。

ではこの人と、小川山のマルチピッチに行くべきか?というとちょっと難しいと思う。そうするには、数回以上の人工壁での、リードフォローの経験蓄積が必要だ。必要な真剣みが違うからだ。それを理解するだけの経験の蓄積が彼にはない。

■ 経験と言う言葉を避ける

花谷さんは、このように技術と技能という言葉を使って、慎重に ”経験”という言葉を避けていたのが印象的だった。

もしかして、経験、経験、とうるさいくらいに言われるのは、ウンザリという人心への配慮かもしれないと思った。若い人は大抵は聞く耳持たないものだ・・・

経験が必要と言われても、経験者と一緒に行った山で、「なるほど~経験が必要だな~」と思わされることはめったにない。

経験よりも、”常識”とか、”知性”とか、”観察力”、”洞察力”、”理解力”、”字頭力”、”先を見る目”というようなものが必要そうに見える。

なので、若いクライマーに「経験、経験」と口を酸っぱくしても、あんまり効果がないのではないだろうか???

それはベテランが力を示し損ねている、とも言えるし、実際は経験というより、

 個人の総合的な知力

による面が大きいような気がするのだ。

だって、私が尊敬する人は平たく言えば、みなすごく頭が良い人ばかりなのだ。師匠もそうだし、会の先輩もそうだし・・・尊敬できると思った人はみな賢い人なのだ。

しかし、頭の良さというのは、あまりクライミングや登山では重視されない。

でも、登山の歴史を見ると、そもそもが紳士のスポーツだったし、今もトップクラスのクライマーを輩出しているのは、大学山岳部であって、社会人山岳会ではなさそう・・・ということは、つまり、やっぱり、基本的に知力の強弱が重要なのだろうと思う。悔しいかな。
 
■ 根拠にならない年齢、性別、登山歴

繰り返しになるが、技術とは、結びの種類など。技能はどの木を支点に使うかの判断。

ほとんどのアルパイン初心者は技術を使いたがり、技能については、おなざりだ。結びができれば自分にも登れると思ってしまう。

けれども、実際は、どの木を使うか?というようなことを例に挙げると、観察力や認識力が必要になる。そのあたりは、単純に腕力が強いから優れているとは言えない。知性が必要だ。そのあたりをあまり認識していない点が、同行者に対して私が怖いなと思っている点だ。

だから、山岳会を選ぶときはもっとも安全そうな山岳会を選んだ。去年一年は会を観察して過ごした。その結果、思うのは、

 ・何年の登山経験があっても自分で山を登っていない人はダメだということ
 ・女房役をやってきた人はたとえ男性であっても、やはり判断力で人任せなこと
 ・年齢は判断力が優れているという根拠にならない
 
だ。山歴の長さは信頼するという根拠にならないし、性別も年齢さえも信頼するに足るとする根拠にはならない。その人の行動から、力を推し量るしかないのだ。

しかも、ベテランであっても常にあっているとは限らないので、サポートしてやらないといけない。サポートするのは、フォローで行っているメンバーのメンバーシップ上の義務なのだ。

≪まとめ≫
 ・登山歴
 ・年齢
 ・性別
は山で信頼するに足る根拠とはならない。 

・どんなに優れたリーダーにも、メンバーからのフォローは必要。


■ では、信頼に足るリーダーをどう見極めるか?

男性陣は、私が不安がるので、結び目を作って見せてくれることが多い。 でもいくら結び目が出来ていても、問題はそれがどの木に結ばれているか?つまり技能なので、あまり安心の材料にはならないのだ。残念ながら…。

結び目が結べることは、信頼に足るとする十分条件ではなく、必要条件に過ぎない。 

■ 不整合は不安要因になる

プアな支点
120点のアンザイレン
例えば、この左のトップロープ支点は、ある男性が作ってくれたものだ…後ろにもっと良い選択肢があるので、適正な解とは言えない。

が、アンザイレンはラビットと安環付カラビナ2枚だ。しかし、普通は別にアンザイレン用のノットがラビットではなく、エイトノットだからと言って問題ではないし、安全環付カラビナが1枚で2枚であるからと言って非常識クライマーとは言えない。このラビットは100点満点でいうと、120点となるほどの念入りのアンザイレンだ。

しかし、このトップロープ支点の充実度とアンザイレンの充実度がミスマッチしているというのは、言える。

この不整合さが不安の元凶となる。 もちろん、

・人は成長して行くもの
・このプアな支点でもこの場合は十分用足し

の2点の理由で、この人が危ない登山者であるとは言えない。が、成長して行く謙虚さがあるかどうか?自己反省力があるかどうか?は重要なポイントだ。

■ 整合事例 信頼に足ると確信できる事例
120点のと支点


120点のアンザイレン

しかし、この組み合わせの場合はどうだろう?支点の安全さとアンザイレンの安全への配慮具合に、ミスマッチ感がない。

同じ姿勢、同じ思想が貫かれている感じがするし、実際その通りだろう。

つまり、ミスマッチ、技能の濃淡、がないというのが、安心感の大元だ。

■ 隠された条件判断を読み解く
 
ちなみに、私も師匠も、アンザイレンは、普通にタイインループにエイトノットで結ぶ。

ラビットノットでアンザイレンするのは、ゲレンデクライミングでトップロープ主体だと、

 ・登り手が頻繁に入れ代わり、
 ・そのたびにエイトノットを解くのが面倒で時間の無駄になるから

だ。それ以外では、安環みたいに重いものを余計に持つ根拠はないかもしれない。

必要がない場所での重い荷物はそれだけでリスクを増すのだ。

■ 一貫性

つまり、一口に技術がある、ないと言っても、技術そのものよりも、

 状況にあった技術を選ぶ能力
 技能

のほうが重要なことは少なくない…。たとえ、少しくらい余計に時間がかかっても、エイトノットをきちんと結んでくれたほうが、上等なラビットを安環付カラビナ2枚で結ぶより良い場合がある。

たとえば、一度結んだら、当分結びっぱなしのアルパインクライミングで、重い安環付ビナを2枚も余計に使ってアンカー用が足りなくなれば、本末転倒だ。

もし普通にエイトノットで良いアルパインクライミングで、ラビット×安環付2枚でやっている人がいたら、熟練より、未熟さやクライミング全般に対する視野の狭さを感じさせるだろう。ああ、ゲレンデクライミングしか知らなかったんだな~この人、と思う、ということだ。

だから、未熟さというのは、一貫性の不在で分かる。それを一般的には、人は

 分かっている

という言葉で表現する。「あの人はわかっていないから・・・」などだ。

山行に合わせた技術を選ぶというのも、その人の、理解度(視野の狭い、広い)を伝えてくれる材料になる。

一言で言えば、適切かどうか?となるが、それだけでは説明され尽くせないし、そこが本格的な、という形容詞で形容される登山のむずかしさであり、面白さかもしれない。

≪まとめ≫
・一貫性が実力を見抜く鍵
・バカのいっちょ覚えではなく、適した技術を採用する力=実力

いぜん読んだ本で、強みをPRしているつもりで、欠点をPRしているかもしれない、という言葉があったが、そうならないような注意が必要だ。

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