Sunday, May 10, 2015

”正解が一つだけでない”山

■幸せ満喫の休日

今日は甲府はホントにカラッとした、さわやかなお天気で、気持ちが良く、山になんて出かける必要はどこにもない(笑)。

こういう素晴らしいお天気に出会うと、人間の幸せなんて、お日様が適度に照って、心地よい風が頬を撫でる、というくらいのことでしかないんだよな~、と思う。

昔シャトレーゼがあったところに、チェーン店風の店構えで寿司屋ができた。見た目の、そのチャラさに敬遠していたのだが、入ってみたら見た目より板さんの動きが良く、気に入って来店2度目。職人の働く姿を見るのが気持ち良い。

調べたら香港資本のすしチェーン店で、日本に来た留学生が起業した会社だった。時代を感じる。日本人でそうした起業をする人は、若い世代には、なかなかいないだろう。日本人の若い人には起業は割に合わない苦労、と感じられるだろう。

お寿司屋さんは繁盛しているようだった。のは、店全体が活気を醸し出しているからだろう。

その後、斜め向かいの気に入っているカフェ、寺崎コーヒーで立ち話しながら、アフォガードをもらい、そのまま舞鶴城へ。空いていて誰もいない芝生の上でしばし、転がって、お昼寝(また~)。

何も持って行かなかったので、お尻が痛くなってきた頃合いで、県立図書館へ。日本登山大系など、今後の山の計画立案に必要な書籍類を借りてきた。

図書館はもうエアコン。それにしても、お天気が良く、図書館にいるのさえ、もったいない… 家の中も快適で、ベランダの前の木の梢が揺れる音が心地よい。後はクラシック音楽とおいしいコーヒーで、何も要らない。

幸せ満喫の休日。

■ ”正解が一つだけでない”山

昨日はオフ会で、人と歩く山。茅ヶ岳はホームグランドだし、県外の人と一緒だと頼まれてもいないのに案内者の気分が出てしまう。それで、茅ヶ岳東尾根を提案したのだけど、次回から一人で歩くべきだと感じた。

単純に一本隣の尾根を行くだけだが、カラマツの新緑が美しく、ミツバツツジが満開で、曇り空だったこともあって、すごく幻想的だった。この季節に来たのは、初めてだったので、ルート自体は来てよかったと思った。素晴らしい道。

私は放浪しながら歩くような山が好き。

この間兜山と棚山を、女性の先輩二人と兜山を歩いたときは、ルートを決めずに山に行き、現地で相談して、ルートを決め、結果、みんなして、降りる尾根を一つ間違ったが、「これであってるの?!」なんて聞く人はおらず、単純に各自がルート維持を気にしていて「あれ?今、乗ってるの、思ったのより一つ隣だったみたい」「あら、ほんとだ」という程度の話だった。

「この辺で尾根に乗る?」「そうね~行って見ようか」そんな程度で誰も遭難を心配する人はいない。そもそもどの範囲内にいるのか分かっているし、違うな~と思ったら、同定したらいいだけなんだから、どこを歩いたっていいわけだ。

一般ルートの山は、敢えて言うなら正解が一つだけの山だ。登山道から下手したら1mも入っただけで、違反だ。ああ、堅苦しい。

それに比べ、地図読みの山は、色々な正解があるのがいい。広い尾根はどこを歩いたって正解だ。好きな所を歩けばいいだけの時に後ろをピッタリ歩かれるとウットオシイ。狭い尾根は、歩くべき場所が分かりやすい。そんなとき、違うところを歩いている人は、山を分かっていないんじゃないかと思う。どうやってもいいことに対して質問されるのもキライだ。

私は好きなようにやれる山が好きだ。好きなように歩きたい。一つの正解を強要されたくない。あっていてもいなくても、死ななければすべて正解。行って見て、こっちの方が楽だったなと分かればいいんじゃないか。

道があるところを歩くのが好きなのではなく、歩いたところが道。雪山なら、振り返れば自分の歩いたトレースが見える。誰にも踏まれていない雪原に自分の足跡を付ける。そういうのが好きだ。

それは、結局わがまま、ということなんだろうな。ここ丸1年ほど、単独で歩く山が足りていないのかもしれない…。

ま、低山はもう地図読みシーズンは終りました。藪でない普通の一般道でも朝いちばんに歩くと、蜘蛛の巣一杯。引っかからないで歩くのはもう不可能。

■ 厳しい環境に身を置きたいのか?

立山の春合宿は良かったし、取り立てて困難がなかった。なんだか、先輩なしでも歩けそうに思ったんだけど、行くと言ったら、安全地帯から離れているので、心配されることは免れないだろうと思う。

ただ、今年も2年連続でなんとなく、雪稜が充実しなかった気分が抜けない。それは結局、どうしてだろうと考えると、厳しい寒さを十分に味あわなかったからかもしれない。

ピリッとしたー20°の寒気。宿泊を伴わなくても、そういう空気に早朝から触れて、その寒さがどれくらいの否定的要素になるのかを感じながら山を歩くのが好きなのかもしれない。寒さだけでなく、ラッセル、それにある種の悪さ。

振り返っても見ると、いい思い出になった山は、どれも悪い。夫と初めてテント泊デビューした両股からの北岳の縦走が暴風雨の中というのもよかったし、中津川滑沢のアイスも悪かったのが良かった。厳冬期の鳳凰三山も悪かったから気に入ったのだ。逆に良いだけで取り立てて困難がなかった厳冬期の甲斐駒など、あまり印象に残っていない。良いだけの山はどうも好きでないらしいのだ。それが今回の立山で感動が少なかった理由と思うのだが、そうなると連れて行った先輩は気の毒だな(笑)。

ギリギリは求めていないけど、それでも、ラクラクも退屈ならしい・・・(^^;) いや、スイマセン。

■ 他人への関心の薄さ・・・

ヤマレコ人口はどれくらいいるのだろう。皆ヤマレコの記録をよく読んでいるのに驚いた。

私は他の人の記録はとんと興味がなく、事前研究するときに、たまたま検索でヒットしたものを見る程度で、誰がどういうルートに良く行くのか?全然知らなかった。

みなその辺が周知のようだったので驚いた。他人に興味が薄い性格は、愛情が薄いように見えるかもしれず、すいません。

師匠はよく自分の書いた記事を読んだか?と私に聞く。頻繁な確率で読んでいなくて、申し訳ないと思う。

どんなに優れた人であっても、その誰かの80%縮小コピーになるのはツマラナイ。それに、いくら山を教わっている相手でも、相手が行きたくないところには行かないし、行けない。上越の山には声がかからないし、私がしたいと思うような雪稜は今のところ行く相手が誰もいない。

会にもいないし、男性は岩なら行くと言うだろうが、雪稜好きは少ない。男性は寒いの苦手な人が多いもんね。

壁の花と言う言葉は、社交界で着飾って、指をくわえて、すてきな男性に声を掛けられるのを待っている若い娘のことだが、そういう立場に陥る気はない。

山に行きたければ一人で行ったほうが心が満たされると思う。

■ ヤマレコ?

ヤマレコは登山を初めて1年後につけ始めたが、最近は、書く山と書かない山半々だ。

真砂尾根は、もともとヤマレコの記録にある尾根だから、書いても良いだろうと判断して書いたが、例えば、クライミングの某所の山は書いていない。

一般ルートを歩いていない山は基本的に書かない方針だ。中高年登山者のような、地図を読まない一般登山者が迷い込んだら困るため。

一般の人のGPSの使い方は、他の人が歩いたGPSをダウンロードしてナビに使うのだそうで、思いもつかない使い方でびっくりした。

それでは、私がGPSをアップするのは、世の中が良くなる方向ではなく、悪くなる方向に加担していることになってしまう。

少なくとも私の本意ではない。不本意な結果を招くことになる。

機械にナビされて歩くような山は、すてきな山行、とは思えないな。

私はGPSは自分が歩いた記録ログ用。山行後の愉しみ用。万が一の保険。万が一の保険としても、最近は、イラナイなとさえ思う。山行管理されているからだ。

■ 沢

丹沢の傍に住んでいたら、初心者としてはラッキーかもしれない。

沢は、岩とは似ていない。岩は、ビッグプランだ。命の危険のリスクを排除したフリーのクライマーになって、ゲレンデに通うとしても、やっぱりビッグプランで、到達する点が、例えば、平山ユージだったり、小山田大だったり、アダム・オンドラやクリス・シャーマだったりしても、どうなってもやっぱりビッグプランで、功名心をかきたてるものだ。まして、アルパインのや山野井泰史さんや長谷川恒夫という名前を見てると命がけのビッグプランだ。

到達点は、明瞭で光り輝いていて、憧れの対象とたりうる明確さを備えている。

一方、沢は、どちらかというと、里山に似ている。里山をいくら歩いても、ビッグネームにはなれない。沢も同様。そんなところが沢が好きな理由だ。

沢が好きとは言いつつも、私が行きたい沢は、登攀要素の少ない癒し系なので、沢にも色々ある。

基本的に、私は登りヤではなく、登ることそのものに魅力を見出しているわけではなく、むしろ自然の美しさを味わうのが好きだ。

だから、里が美しいときに、わざわざ出かけていく必要を感じないのかもしれない。

■ ブログ

このブログは、きりの良いところで、終了しようと思っているが、そのためには、アルパイン一年生の人たちに役立つように、整理しなおさないといけない。

その整理について、これ、という上手いまとめ方が見いだせず、だらだらと続いている。このままだと良くないなーとは思っているのだが。

御坂山岳会では、御坂ニュースと言うものを発行している。私は御坂ニュースのためにわざわざ未発表の文章を(もちろん、作家でもなんでもないので、未発表も何もないのだが)をわざわざ書いているが、その文章は残しておきたいし、御坂ニュースのほうはあまり長い文章を歓迎でないと言うことで、まぁその文章の要約程度のほうが実はありがたかったりするらしいのだ。それにしても、会の全精力を傾けている、と言って良い報告書が、非公開で、活動内容が外から全く見えないのは、なんとももったいないと入会した時から思っている。

手始めに御坂ニュースの文章を移植でもするかな。

≪関連記事≫
自分の山を考える
去年も同じようなことを考えていたようだ・・・

6 comments:

  1. 時々、一緒に遊んでくれる雪稜好き男子いてはりますよ。
    雪稜好きに男女差があるなんて目からウロコです♪

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    1. クライマー体型の人は皮下脂肪が少ないからか?と思っていました。私は皮下脂肪なら充分あります(笑) 余談ですが、岩が上手な人に取っては、アイスはムーブが単純で、すぐどんな形のアイスも登れるようになってしまって退屈かも…。アイスより難しい、冬壁はたぶん、若いときはやりたいと思えても、年を取るとギアの重さがつらくなるのでは(笑)?アイスでも相当ギアだらけです。冬はとかく重いのが難点ですね。

      雪稜、ラッセルが嫌って言うので、残雪期の山行がメインになるんだろう、と考えていました(笑)。

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    2. 身近に接する機会のあった人たちだけに限って言うと
      雪稜に魅了される男子は たくさん居て、
      雪稜に行きたいがためにアイスクライミングをやってるという人も結構いました。

      まー、人それぞれということなんでしょーねー♪

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    3. きっと若いのか?と想像しました。50を超えると、寒いのが堪えるみたいですよ~(笑) ガクンと体力が落ちるラインがそのあたりにあるらしい・・・。

      アルパイン系の男性は、山が終わりになる年齢が若いです。 女性の方は、あんまりすごい山は若くても若くなくても、できないけど、その代り、70でも、下手したら80でも、登っている人が多いです。

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    4. ご想像通り、ワタシの知人の雪稜好きは50歳未満です。

      なるほどですねー♪

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    5. 年齢があがると、やっぱり、フリー寄りになるんですよ。雪稜は厳冬期から残雪期メインになるだろうし、クライミングもアルパインから、フリーになり、フリーもゲレンデで十分楽しくなるのだと思います。その中で老若男女楽しめるのが、沢かな~と。もちろん、あんまり登攀要素の無い沢ですが。

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