Monday, May 6, 2013

山のコミュニケーション力


■ リーダーに必要な表現力

3シーズン目の雪山では、社会人山岳会にゲスト参加したり、公的機関の講習会に出たりしています。
偶然ですが、雪山でのテント泊。 

2つも出て感じたことは… リーダーの表現力が大切、ということです。

★リーダーは次にすべきことをすぐに明示できるべきだ。

良い例:到着地に近づいてきた
       ↓
    「さあ、みんな、どこにテントを張ろうか?」とテント適地を探すようにメンバーに声を掛けられる。

悪い例:自分だけがテント適地を探してしまう。
       ↓ 
    自分だけが探しに行き、なぜそこが適地かメンバーは分からないまま、整地が始まる。

これは一時が万事ということなのです。

テント適地を見つけるところのみならず、次は整地、整地はどの程度終わっていいか、装備はどういう風に置いておくか、テント内にいつのタイミングで入っていいのか、食事の用意はいつから始めるか、すべてにおいて重要なのは”一声かける”ということです。

つまり…これからすることを全部言葉にして表現する。 次にすることは全部表現しないといけない。 夜寝る前は「明日は4時起きの6時出発です」と声をかけ、起きたら「あと2時間で出発です」とか、「トイレは順繰りに行こうか」などです。

つまり、普段の生活なら、無意識にやっていることを、全部意識的にやる必要があるのが山です。

なぜなら、たとえば、装備をどうするか?だけの1点をとっても、非常に些末なようですが、

・木につるすべきなのか?
・その辺に無造作に指していていいのか?
・一か所にまとめるのか?
・すべての装備をカラビナ等で連結しておくのか?

などの多彩な選択肢があり、それらの判断の根拠

・木につるすべきなのか? → 豪雪により、すぐ埋まるから
・その辺に無造作に指していていいのか? → テントサイトだったり、無雪だったりして無くさなければいいレベルの危険しかない場合
・一か所にまとめるのか? → 無くさない工夫だけすればよい、リスクは少ない
・すべての装備をカラビナ等で連結しておくのか? → 雪崩で持っていかれるリスクがある場合

など… 些末なことのようであっても、経験による判断が必要だからです。

明らかに好天の下であってもそこが雪崩地形であれば、雪崩に持っていかれるリスクはゼロでないと判断して、カラビナ連結を選ぶリーダーがいるかもしれません。

その場合は、「ちょっと用心深すぎるようだけれど、ここは雪崩もありうるから連結だけはしておこうか」などと言ってくれると、メンバーも安心できます。

登山は、こうした些末で小さな判断の連続なのです…。そして、その判断を表現することこそ、リーダーの役目なのです。なぜなら、メンバーはリーダーの判断をサポートしたくてもリーダーが判断を示さなかったらサポートできないからです。

■ リーダーの表現力が足りないとパーティがばらける

メンバーが勝手な行動をし始める、と文句をいうリーダーがいますが、それは次にすべきことをメンバーより先に指示しなかった場合です。指示という言葉が適切でなければ明示。 

メンバーを迷わせたのは、リーダーの言葉による表現が遅すぎた場合です。メンバーの勝手な行動を責める前に、次にすべきことをきちんと明確にできていなかったという点を反省した方がいいのです。コミュニケーションの失敗ですね。

こうした失敗は、期待から出ます。「言わなくても、もうわかっているだろう」と思ってしまうのですね。それは分かっているだろうと思ってもくどいくらい言っておくのがいいのです。期待はしないと決める。 

なぜなら、今は昔のように一般的な登山教育というものがないからです。たとえば、リーダーがロープを束ねている間にメンバーはどうすべきか?水を飲んだり、何か食べたりして出来ることをやっておくべきですが、そういう風に今の登山者は教育を受けていません。

するとなんとなく過ごしてしまって、さぁ出発とばかりに歩き出してすぐ、「休憩したい」などと言い出します。リーダーからすれば、「えっ?さっき休憩しておいてくれなかったの?」などと考えてしまいます。 

こうして、メンバーが各自のタイミングで休憩を取りたがったりすれば、メンバーが多ければ多いほど、どんどん行程は押してしまい、結果として予定時間より長くかかることになります。逆に遠慮がすぎるメンバーもいて、声をかけないと休憩さえも自分で取れません。服を着るか着ないかまでリーダーが支持してやらないとできない人もいるくらいです。

そうこういう理由で時間が余計にかかれば、精神的プレッシャーも増しますし、何もいいことはありません。
つまり、メンバーが多ければ多いほど、言葉による当たり前のことの表現は重要になります。

パーティの分断は回避できることであり、リーダーの力不足によるものです。 手慣れたリーダーなら自然とできていると思います。

■ 拘束

私は自立したタイプなので、団体行動は苦手です。拘束が嫌いです。でも、考えてみれば、リーダーシップがちゃんとしているときは嫌でなかったんですよね。いわゆる仕切り屋でも、嫌味でない仕切り屋もいます。

リーダーはたぶん、メンバーから値踏みされることに耐える精神力を持つべきです。メンバーがついて来ない、という場合、たぶん、リーダーシップに疑問符を抱かれているかもしれません。 

が、その疑問符を抱かせたのは、リーダー本人かもしれません。判断力というのは、リーダーだけでなく、メンバーにもあるからです。山は自己責任なので、リーダーの判断力より自分自身の判断の方が自分の命を守れると判断したときは、メンバーは自分の判断に従うでしょう。 実際、遭難現場では自分で判断した人ほど助かっているわけなので。

私が最近した自己判断は、岩場で一人で勝手に先を行ったことです。というのは、ご一緒したのが70才を超えた方だったので、リーダーにはその方のフォローに集中してもらった方が良いと思ったのです。判断の根拠は

・リーダーに登れない人に集中してもらうため
・その岩場はまったく問題なく一人で通過できる場所だった
・待たせている人がいると登るほうはアセる

リーダーシップが、リーダー個人のメンツやプライドと連結している場合、こういう行動はたぶん「身勝手」として、非難を受けるかもしれません。これは私のメンバーとしての判断でリーダーの判断ではないからです。リーダーの側からするとたぶん「ああ、一人で行きたかったんだな」と思ったくらいかもしれませんが、それでよいと思います。このケースでは、先の安全地帯で到着を待ちました。危険地帯はさっさと通過するのがセオリーだからです。

■ 普通のことを表現する・・・ヨガの例

考えてみると、普通のことをあえてわざわざ表現する、というのは、ヨガと、とても似ています。たとえば、ただ立つだけの山のポーズ。ヨガの基本中の基本で、サンスクリット語でタダサナと言われています。

①足は骨盤幅以下に開いて立つ
②足は、小指の腹、親指の腹、かかとの内側、かかとの外側の4点で立ち、完全に両足を並行にする
 たいていの人はかかとが近すぎ、足は外側に開いているのでかかとを近づけすぎない。
③両足の鉛直のラインが、骨盤のちょうど真ん中、膝の真ん中、足首の真ん中、最後は第二指、第三指の間を通っているようにする。
④骨盤は前傾も後傾もしないで水平を保つ。そのためにはおへその向きに注目する。
⑤おへそを引き上げる。(=丹田の力を抜かない。丹田から力が抜ける場合は、疲労や病気で生命力が弱っているケース)
⑥上半身はリラックスする。
⑦胸は開き、肩から力を抜き、肩峰と耳は横から見たときに同じラインにある
⑧⑦をすると腕は、上腕は自然に外旋する。そのままだと下腕も外側に開くので軽く内転して内側に戻す
⑨あごは軽く引く。(首が前に出すぎている人が多いため)
⑩視線は鼻先を見る
⑪リラックスした呼吸をつづける

とまぁ、こんな具合に立つだけでもやることが11個!!もあるのです。実は、これは基本しか書いていない…(汗)

ので、実はもっと表現すべきことがあります… たとえば、土ふまずを引き上げる、とか…。

これを毎回マシンガンのようにしゃべっているわけなんですが…その経験と比べると登山で必要な表現力は、ここまで微視的でなくて良いような気がします。

山とヨガの共通点… は、当たり前のことを丁寧に表現する必要がある、ということでした。

まぁそれを考えてみると、人生そのものも、当たり前のことを丁寧にやることが幸せへの近道のような気がします。



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