さてと、私は『第七級』も読んでいるのですが、この本は、山の世界の超有名人 ラインフォルト・メスナーが書いた本ですが、学生の頃であろうと思われる筆致で、当時のクライミングの日常が描写され、楽しく読めます。
私はてっきりメスナーさんというのは、すでに亡くなった過去の偉人くらいに思っていたので(だって登山史に出てくる人って100年前の人…)あら?生きてる方?!って感じです。
そして、この本は登山を志す若者の心を熱くかきたてたであろう…ということが非常によく分かります。
そして、私は前言を撤回しなくてはなりません。
『第七級』と『生と死の分岐点』を同時に読むことになったのは、アクセルとブレーキと言いましたが、実際は、第七級に描写されているようなクライマー魂は、決して安全確保をおろそかにしたわけではなく…アクセルとブレーキと言うよな対立概念ではありません。
最も安全であること…を選んだとき…それが単独であり、ロープなしであった…ということ。
真摯に取り組んだ結果が偉大な成功となった。事故がなかったのは幸運ではなく、その結果なのです。
事故につながる要素を排除していく・・・低めていく…ということの一番目にクライミング技術を高める、ということがあるわけです。登山なら歩く技術を高めるということですね。なぜなら、ロープワークは基本バックアップだからです。
その辺は誤解を受けやすく、単独でありロープがなかったという事実だけを見れば”無謀”ですが…
逆に言うと、単独と言うのは、パートナーの不完全な結び目を心配してやる必要もなく、ザイルワークに時間を取られる必要もない。
中途半端なロープワークは逆に危険だ、という例が『生と死の分岐点』にはたくさん報告されています。
どんなパーティであっても、相手から安全をもらう代わりに不都合やそれに伴う危険のアップも甘受しなくてはならない…メスナーは、そういうトレードをしなかったというだけのことなんだな。
すべては天秤です。 つい一か月前には、私たち夫婦は夫婦で行くのが一番安全なのではないかと先輩と話したくらいです…
たとえば私が72歳の登山者と一緒に山に登れば、私にとって安全性は低下し、72歳にとって安全性は向上するでしょう。
結局、安全を追求しつつ、それぞれの個人が自分の能力を高め、各自、自分の限界を常にプッシュすることのみに集中する…それが登山である、という意味では、どちらの本も本質的に同じことを訴えています。
その時、取れるもっとも安全だと思える方法を取れ。困難を予測し備えろ。
実は、”生と死の分岐点”に描かれているようなミスは、ちゃんと考えてさえいれば防げたのではないか?というような事件も多いです。
代表的なのは、ブーリン結び。今ではエイトノットのとって代わられている結び目ですが、その由来を聞いてみると、ブーリン結びが気の毒にならざるを得ません。だって、ブーリン結び自体がほどけやすいのではなく、ブーリン結びで作った輪の中にカラビナを掛けて輪を引っ張ったからほどけたのです(リング荷重)。
結び目にほどけやすい方向と固まる方向があるのは当然のことで…でなくては、ほどけなくなってしまいます…。
その当たり前のことを事故や人の死をもって確認するほど人類はマヌケなのだなぁ…と、まぁ基本的に門外漢だから言えることなのでしょうが…思ってしまいます。だってそっちに引っ張ったらほどけて当然でしょう…。基本的に使い方のミスなのです。
また、その後の対応が思考停止をうかがわせます。なんと、ブーリンは登山の世界では追い出され、エイトノットだけに。
山の世界は、このように基本的に考えることを停止したい、という気持ちの表れが時々伺えます。
まぁ人間界はすべてそうなのですけど…。
私は考えるなと言われても自分が分かって納得が行くまで、考えて納得して山に登りたいものだと思いました。
■ クライミング界は急展開の途中
しかし、メスナーさんが生きている偉人だとすると、クライミングの進化の歴史と言うのは、ここ数十年レベルのことですね…
最近はボルダリングジムが一気にブームらしいですし、クライミングということがすごく身近になった、大衆化したんですね。
最近のコンペ優勝者は子供たちのようですし… 困難な山は登りつくされ、初登はもうなくなってしまった今、登山は大衆化し、そして、先鋭的な登山といえるクライミングの世界は一体どこに向かうのでしょう?
大衆化した一般道の登山道は、夏のピーク時などオーバーユースが問題になるくらいで、すっかり神々しさは失っています。
かといって、バリエーションなど、本格的な山に行く人はとても少ない…岩をやる人の半分以上は、実際の山にある外岩ではなく、ボルダリングジムの人工壁のことですし、外岩に行く人も、ゲレンデと呼ばれるアプローチの楽な場所に行くのであって、実際人工の建物で環境バッチリだったりするわけでしょうから、本当に昔の山の若い人があこがれたような、大きな山を登る人はめったにいない…人間の限界をプッシュというのは、年齢的な限界をプッシュしている三浦さんくらいかもしれません。
登山の世界も、他の世界と同様に、大衆化と少数精鋭化というわけで、二極化の度合いが強くなり、両者の乖離が広がるばかり…
そして、世代間の断絶… 先輩から後輩へと続いた技術伝達が途切れる… 会社が人を育てなくなった…良く聞く愚痴です。間をとりもつ世代がいない…これも飲み屋で一人は必ず言っている愚痴だなぁ…
山の世界、なんだかどこか下界でも見たような光景が広がるのでした…
No comments:
Post a Comment