Sunday, May 5, 2013

GWの仙丈ヶ岳


たった今、仙丈ヶ岳から帰ってきました☆ 今回のお山は素晴らしい山日和でした。ヤマレコ

楽しい出会いもあり、素晴らしい山経験に♪  

今回の仙丈ヶ岳はクランポンがよく効いて、天候も悪くなく、ちょうど私たち夫婦二人にとって背伸びのない雪山でした。

素晴らしい雪の南アデビュー。
(ま、南アは鳳凰三山に厳冬期に行っているんですが、鳳凰三山は南アの前衛で、南アルプスには加算されていませんからね、日本登山大系によれば(笑)。)
 
甲斐駒も予定していましたが、雪交じりの岩稜帯のアイゼンワークから考えて、重心移動がきちんとできていないと危ないと思ったので、今回はパスしました。 まぁ夏にいくべきですしね、最初は(笑)

快晴でしたが、午後から曇りの予報で山頂付近ではガスってトワイライトゾーンでした。下山時に森林限界手前で少し雪がちらつき、ホワイトアウトの可能性もチラリと・・・ちょっとだけドキッとしましたが、数時間後には晴れました。GWは午前中に山頂が良いようです。

同じ日でも午前中は青空バックの山だったようです。(が今回は日焼けしたくなかったので、むしろ曇りでよかった♪) 

■ 特権

最近、登山における”自立”ということに対して、少し考えを変えました。

はたちの頃、渡ったアメリカで、私は初めて運転免許を取ったのですが…免許センターにデカデカと掲げてあったのは、
”Driving is NOT your right, it's PREVIREDGE!”(免許はあなたの権利ではありません、特権です)
という警句でした。

登山ということも同じことが言えるのかもしれません。

登山に必要な、体力、知力、判断力、どれを欠いても、登山はできないし、一旦、遭難ともなれば、多大な迷惑がかかる。

危険を伴う活動に必要な能力を備えているというお墨付き=免許。登山も危険を伴う活動、それに伴うリスク回避能力=そうした資質を持つ人たちの特権だったことが、権利化してしまった…一般人の、権利感覚になってしまった、そのことが、昔から山を知っている人には、山に向かう姿勢の甘さ、裏を返せば、登山者の態度のデカさ、と映るのかもしれません。

すべてを兼ね備えた人、までも行かなくても、兼ね備えようと努力している途上にある人であれば、自分の力量を超えたことはしません。

それが謙虚ということ。ところが、登山そのものに対する垣根が下がったせいで、あたかも、たやすく登れるようになり、その結果、登れてしまった人たちの感想が流布して、それが結果として、最近の登山者は謙虚さや山への真摯さに欠けているように思われるのかもしれませんね・・・

今回もあきらかに山脈の位置関係を理解していないパーティや必要もない場所でムカデ競争みたいになっているパーティに会いました・・・

■ 過信

力量を超える行為 = 過信

です。

過信こそが、遭難への最短距離…ロシアンルーレットと同じで、たまたまの運でなんともなくても、いつか遭難する線路の上を走っていることには変わりありません。

登山に必要なスキルのうち、何が足りないか?それを自覚していることが最も大事。さらにいうと自覚する能力はもっと大事。

余談ですが、ヨガにおいては自覚する能力がすべてです。自覚できないことを自覚すること=悟り、と言われているくらいです。

山においては、自覚とは、自分で思っている体力と実際の体力のギャップを常に監視していることですね。

人は年を取り年月は流れますから、現実と自分の感覚との差を常に埋めよう、という意識、つまり、認識力が必要です。私も中学の頃はテニス部でしたから、当時の体力と比べ、今の体力の劣っていることをしみじみ感じます。だって大学のころは、一日8時間デスクワークしたあとは、体を動かさないと気持ちが悪くて、夜にグランドを走りに行っていたくらいなのです。

運動習慣があれば、運動しないことが気持ち悪くなる…それが気持ち悪くならなくなったら…ギアがローに入って、体力はワンランク下がったっていうことですね。あれでワンランク下がったし、社会人になってさらに下がり、30代に入ると途端に痩せづらくなりました。40歳では何も特段変化を感じませんでしたが、体の線はふんわり曖昧になったような気がします(笑)肉が霜降り化?

人の能力は素晴らしくて、たとえば柔軟性は、若いころの柔軟性と同じくらいは行ける、とバレエでもヨガでも教えられました。実際私も今は、14歳の頃と同じ柔軟性を持っていると思うので、そういって生徒さんを励ましています。

けれど、体力は、おそらく、その人の若いときのピークを超えることはない…のではないか?と思います。20代でも10代よりは弱いですし、人は絶対若い時より弱くなります。

■ バテは水不足

また、人よりバテと自覚している人ほど、喉が渇いていないからと水もなかなか飲みません。確かに昔からやっている山ヤさんは、水もあまり飲ます、山ヤの価値観の中に水は少ししか飲まない、という価値観も含まれていそうです。

が、これは運動生理学的に、水を飲むべきですから。 いくら本人が喉が渇いていないと言ってもバテていたら水不足なのです。

夫は、バテは水分不足からくると、去年は夏のテント泊で学んだのにやっぱり飲まない=学ばないのです・・・。どうしてなんだろう???
たぶん、過去の経験を生かそうという発想が欠いているのです。 今、喉が渇いてなければ大丈夫、と思ってしまうんでしょうね。 そして、たぶん、水分補給について、意識的でない=気を付けていないから、気が付いたら、すでに脱水してしまうのです。

要するに、自分自身を自覚する力が不足、という風に傍からは見えてしまうんですね…  用心が足りない。

 ■ へたれ

ところが、逆に用心深すぎて、頑張ればできることをできない、というのは、謙虚さではなく、ヘタレ、ということになります。このさじ加減が難しい。

安全が確保されているシーンでは、果敢に限界をプッシュするほうに立ち向かわないと、単なる甘ちゃんです。
私も実際、ちょっと悩みます… 重いザックを背負う必要がない山にしか今まで行っていないので・・・どれくらい担げるのか分からない(汗)

必要がない山にわざわざ重荷を背負って行くのは、リスク管理から見て本末転倒だ、と思うけれど…いざ、遭難とでもなった時に夫一人くらい背負えるようでないと、本来は夫と2人で山になんか行ってはいけませんよね。本来は、パートナーくらい担ぎ下ろす気概がないと、危険が一杯の山=ウィルダネスになんて行ってはダメでしょう!
でも、現代は全般的に人間が弱体化していますから、社会の方もそれに答え…50kg担げなくても…まぁ25kgくらいで…勘弁してやろう…という流れのようです。それはあくまで ”ピンチが来た時のシミュレーションとして” です。

私自身、ここ何十年も自分の体力の限界を試したことがありません。徹夜などは仕事で何度もありましたが、そうした種類の体力がピークの三十代でしたし…倒れるまで運動する、ということなんて、中学以来やっていないと思います・・・(汗)。いやそんな目に遭いたくないものです(笑) 

だから結局、自分が、本当は何時間を何キロ担げるのか?なんて、わかっていないのです。いつも快適ゾーンから出ないので、本当の限界は不明です。 快適ゾーンから出たときにこそ、その人本来の実力が試される。(セイフティネットなしにやると単なる無謀ですので、無謀かどうかはきちんと判断してやりましょう)

快適ゾーンから出る勇気が必要です。本当の人生は快適ゾーンから出たときから始まる、と言われますが、登山だってそうなのかもしれません。

■ ピンチでどうするか?

ピンチにあった時に、頑張れるか、頑張れないか? 

それを分けるのは何だろうと今回はしみじみ考えました。 ”もうだめ”の閾値・・・閾値自体が低いのは個人の能力に寄りますから、仕方ありません。

しかし、そうではなくて、自分から”もうだめ”を演出することで、相手の同情を引き、頑張らないで済ませよう、という作戦については、どうでしょう? 仮病と同じですね。

アメリカでは、たとえば、万引きやスリなどの軽犯罪を犯して、何度も刑務所にやってくる犯罪者が多いのだとききました。それは刑務所が快適で安全、なおかつ自分で考えなくて済むからなのだそうです。そう、ホームレスにでもなってしまえば、自分で考え自活しないと生きていけませんが、刑務所なら楽です。それを聞いて、ホームレスは自立しているだけ、ましなんだなぁと当時考えました。だって刑務所にいる軽犯罪者は、税金喰いですから。そういう意味では、現代における野生人間とも言えるホームレスのおじさんらは偉いのです…

結局、頑張りどころで

頑張れるか、頑張れないか?というのは、能力の問題、
頑張るほうを取るか、頑張らない方を取るか?は、心の問題

です。 自らヘタレの道を取る、という選択肢を選ぶことは、人間の尊厳やプライドとしてやってはいけないよなぁ・・・と思いました。最低限のプライドは持ちたいものです。自分で自分をヘタレにしてしまったとき、他の人がそのヘタレ精神を回復させ、自信を取り戻させるのは不可能です。なぜなら、人は自分で自分に嘘はつけないからです。 

よくいるのは、頑張らないという選択肢をとったのに、能力がないから仕方ないと相手に認めさせようとする人です。それは仮病と同じ嘘なのですから、自分自身がそれを一番よくわかっているはずです。

■ 歩き方が重要だということ…片足重心

前回行った針ノ木雪渓で講師をしてくださった方は、歩くということの重要さを強調していました。

歩くということ。 つまり、雪上歩行です。 つまり、基本はキックステップということになるのですが…
今回の仙丈ヶ岳は、霜取り機能のない昔の冷凍庫の霜のように、固まったサクサクした雪面で、非常によくアイゼンが利き、アイゼン歩行の練習に最適でした。

私にしてみれば、いつもの黒百合ヒュッテへの道(笑)。踏まれ、固められ、アイゼンがよく刺さり、どこに足を置くべきか考える必要もない感じでした。特に森林限界から上は。

私が思うには、キックステップに代表される、しっかり片足ずつに重心移動した歩行は、アイゼン歩行の登りではできていなくても、ほとんど歩行スピードに差が出ません。登りは太ももの筋力の無駄遣いで登れてしまうのです。一回一回の山行で太ももばかり筋肉痛になる人は無駄な歩き方をしている、といえるかもしれません。

それに、たとえば林道のようなほとんど勾配の無い道では、むしろ、重心が片足に乗り切るタイミングまで待っていては遅くなるので、重心移動を待たずに足を出す平地向きの歩き方のほうが早いでしょう。林道は得意だけど、勾配が苦手、というのも歩行技術が不足しているサインかも?

けれども、片足重心、ということができているか?いないか?が、どこで分かるか?判別できるか?というと下山ではないかと思います。 

走って降りれるか? もちろん、こけて滑っては死んでしまうような雪面ではこういうことはできないし、すべきでもありませんが、踏まれていない、ふかふかの湿雪であれば、踏んだ箇所がグリップになってしまうので、しっかり片足の乗ることさえ覚えれば、あとは体重を重力に任せるだけです。 

体重を重力に任せる…ことができるのは、要するに鉛直のラインに片足で立っているということですよね?下りでは、片足に体重を乗せ、重力に任せた結果、勾配が大きければ大きいほど一歩が大きくなってしまいます。 ですから、下りで、ポン、ポン、と走れれば、重心をしっかり片足に載せているってことです。鉛直のラインに乗れていれば安全です。

腰が引けると鉛直に乗れない=つまり片足で立てない=つまり、片足とピッケルの2点指示が不安定=危険

なので、危険が増します。

今回の仙丈ヶ岳は、私たち夫婦が雪山にハマったきっかけになった雪の黒百合平までの道…夏道より歩きやすい道…と同じでした。

アイゼン歩行の練習にはぜひおすすめ。それに小仙丈ヶ岳の下の雪面は、滑落停止の練習にちょうどよい長いスロープでした。雪もあまり滑らないし、滑落なんてありえない雪面。ぐさぐさでした。

■ 経験から学ぶ力=推測力

夫と私は2人で登っているので、山歴は同じで、山経験値も同じです。

夫がボーイスカウト歴10年以上なんですが…アウトドアにいた時間の長さで言うと圧倒的に夫の方が長い・・・
今回は、私が前日に用事があったので、彼に山の準備をお願いしていきましたが・・・うーん・・・彼は、春山って何度言っても、厳冬期と同じ装備で行ってしまう・・・。天気も気温のところ、あまり参考にしていないみたいなのです。先月は、金峰山にも行ったし、厳冬期の雪山はいつも一緒に行っていて、今回は春山だよ、って、分かっていても…です。 

テント泊だって言っていても、夕食のメニューを考えるわけでもなく、軽量化を考えるわけでもない・・・仙丈ヶ岳は2回目で地図は持っているのに、わざわざ何枚も印刷してしまう・・・。春の雪山は私たちの登山事始め。そこから少しづつステップアップして装備をそろえ、厳冬期に向けて準備してきたのに、いま、雪と聞きさえすれば、厚手の毛足の長いフリースにダウンに冬の綿入りパンツにウールのタイツ、と思ってしまう・・・(汗)。登山を始めたころは装備がなくて、プアな道具から始めたわけですから、登山スキルとしては後退してしまっています・・・(汗)

つまり一回一回の山が経験値として積み重ならない。

それはなぜか?

結局、前後の経験から推測する、という発想が欠けているのかもしれません。思いつかなかった、ということです。つまり、考えていなかった、ということなんですね。そうなると、どうなるか?というと、成り行き任せ、です。 

だから危ない。

温度○○℃の時に△△だったから、今回は、ZZで大丈夫だろう、…などという推論の力です。推論で補強しなかったら、経験なんて、何度重ねたところで山は毎回違いますから、何度経験しても初めての経験と同じことになりますよね…。

これが、彼が不必要な衣類をザックに詰め込んで重くし、遅くなり、勝手に疲れて、山を嫌いになっている理由だとしたら…お山に人格があるとしたら、ちょっと僕のせいにしないでくれない?とでも言いそうです。

典型的な山の推論をわざわざ明示的に教えないといけないのかもしれません。

 春山 → 天候の急変、春の嵐、季節外れの雪、寒さより濡れ、寒暖の差の大きさ

 テント泊 → 軽量化 食料が悪くなる気温かならない気温か、タンパク質はどう取るか?

 雪山 → 雪のコンディションはどうか?くさった雪=ツボ足、新雪=わかん、ラッセルありかなしか

 天候 → 日々の気温の差=クラスト(氷化)=アイゼン、解凍=ツボ足、緩んで滑る転落の可能性、雪崩の可能性、日焼けの可能性

 林道歩き → 余分な疲れ

 小屋あり → リスク軽減、売店の商品によりザックの重さ軽減、遭難時の対応への安心感、混雑の可能性

 臨時バス → 例年登山者が来ていること=安心感

■ 大型ザックは優れもの

今回は、夫とは装備を一緒に見直してもらい、テントと6食分の食事を担ぎましたが、不要なものはそぎ落とさせてもらい、結局、2人合わせて22kgで済みました。 それでもよく山を吟味していればイラナイと事前に予想できたであろう、手袋も予備やテントシューズ、要らなかったショベルや余分の行動食も一杯入っています(^^;)。
一人11kgなら、空荷と変わらない速度で歩ける重さ。やっぱり、不必要なものを入れていたから重かったのでしょうね。それでは疲れて当然かもしれませんが、それでも15kg以上背負ったことはないと思います・・・。

だから、夫が疲れた疲れた、連発するのでおかしいなと思っていたんですよね… だって周囲の人は22kgとか18kgとか背負っています。今日林道であった同い年くらいのご夫婦は夫22kg、妻18kgだそうでした。2泊3日。夫が夕飯は要らないというので食材はほとんど持って帰ってきてしまいましたが・・・。

ということで、今回分かったのは、体力アップなしにはこれ以上の山にいくべきでない、ということでした。私たちは仙丈ヶ岳止まりです。等身大の山=テント泊での残雪期の仙丈ヶ岳、ってわけです。

彼は帰りは運転できず、家に帰ってからはすぐ横になっています・・・(汗)仙丈ヶ岳って、雪があると言っても、登り林道1時間プラス4時間、下り2時間強の山なのに・・・(汗)前回の金峰山黒平とくらべたってラクラク・・・権現なんて日帰りで10時間歩いているんだけど・・・もう意味不明です。

私は家に帰ってすぐ横にならなければならないほど疲れたことはないので、もしかしてのザックは重さを背負うのに向いていないのかもしれません。前回なんてラッセルありの5時間だったのに・・・

私は大型ザックを見直しました。 前回針ノ木雪渓までの山行で、大沢小屋まで90分程度歩きましたが、16kg背負っても快適でした。今回は夫と分担して11kgなのにバリアントに入れていって重さを感じました。林道歩きは6kmで、一時間で北沢駒仙小屋に着いたのに… これはザックの差としか考えられません。

というわけで意外にも、活躍しそうなモンベルアルパイン60のショート。 考えてみると、最初は日帰りの山用にミレーの28Lのザックを買い求め、そのザックで小屋泊の縦走まで何の問題も感じずに済みました。次はバリアントで38L。これでもソロテント泊だって1泊二日なら何の問題も感じず…。2泊三日だって夫と二人で問題なしでした。つまり少しづつザックに無理させています(笑)。

3代目は20Lアップの60L・・・これでまた山のランクアップというわけですね。

 

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