Monday, February 16, 2015

天狗岳の近年の変化

■ 天狗岳の近年の変化

7回目の天狗岳へ行った時のことは、遭難の考察についてのインパクトが大きすぎて、大事なことが薄れてしまった。遭難は悲しく、大きな出来事だ。遭難があれば、個々の登山者は、他山の石として学ばなくてはならない。

が、自分の山を見極める努力をするのは、それ以上に重要だ。

7回目の天狗岳、私は実を言うと、俗化にがっかりしたのだった。

前回、厳冬期に来た時は単独だった。それから、2年。黒百合ヒュッテは、結論から言うと、様変わりしていた。

■ Easy Comes Easy Goes

渋の湯から入ると、黒百合平まで無雪期で3時間のコースタイムだが、よく踏まれた道で難所もない。私たち夫婦は、オフィスワーク主体の軟弱組だが、それでも初心者の当時から、2時間で歩いてしまう。

渋の湯Inは高速のICから近いので首都圏の人がよく使う。雪道走行になれない車がスタックしていたりと不確定要素が増える。また混雑で、駐車場が空いていなかったりもする。

渋の湯は駐車場代に1000円もかかるし、甲府は八ヶ岳には近く、あまりICから近い登山口のメリットを感じない。それで、稲子湯からの登山口に変えた。

みどり池のほとりに、しらびそ小屋がある。朝食にパンを出すことで知られている。しらびそ小屋の親爺さんについては、親しくしていたストローハットの高さんが酒を飲みすぎて、叱られた話を聞かされていた。

私がそういう話を聞かされた人だとは、小屋の人は知らない。ただ私が一方的に好意を抱いているだけだ。小さい家族経営の小屋だ。前回来た時は、いとこか何か遠い親戚だという、女性が一人で小屋を守っていた。その前に来たときは、歩荷して上がる今井さん夫婦に会った。小屋の人だと分かったのは長靴だったからだ。

私は小さい小屋が好きだ。でももっと好きなのは、本当に山好きな人しか来ない山小屋だ。

■ 観光地化

今の山小屋はミーハーな人が来すぎている。ミーハーと言うのは、みんなが行くから行きたいという意味だ。つまり観光地と同じになっているということだ。どこそこに行ってきたよ、と言うために行く場所。

私にはみんなと同じになりたいという気持ちは、子供のころから希薄で、買い物するときも「こちらのお品は人気があります」と言われると、買わないで置いて出てしまう。皆が持っているものを欲しいという気持ちになったことはあまりない。

あ・・・、話がズレた。 しらびそ小屋の話だ。 

■ 登攀具の若者

しらびそ小屋には着くと、ロープを括り付けたザックがずらっと置いてあった。5~6個あっただろうか?どれも使いこまれて古びた様子がなく、むしろピカピカと、言える状態できれいだった。この辺の登攀ルートと言えば、稲子岳南壁だ。稲子に登る人たちだろうか?

小屋の中からは、青年たちの声がしていた。あまり緊張感のない、明るい声で小屋の人と会話しているようでもなかった。それで、しらびそ小屋で一服するつもりで上がってきたが、休憩は辞めてしまった。なんとなく、違う人種の人たちに思えたのだ。

この若い人たちが、一体どこへ登ったのか?気になったので、下山の時に小屋に立ち寄って聞いてみた。すると彼らは本沢温泉へ向かったのだそうだ。硫黄岳だ。一体どこを登るのだろうか?大型ザックだったので、連泊で硫黄岳からジョーゴ沢側にでも下るのだろうか?

小屋の人によると、彼らは登攀具をずっしりと腰回りに身に着けていたそうだ。それもちょっと不思議だ。

登攀を目的に山には行っても、ハーネスを履いていくことはなく、取り付きについて準備をする。だからロープとヘルメットがザックについていれば登攀だなと分かる。でも最初から着て歩くことはない。それで小屋の人たちも「おやっ?」と思い、結局、「あれは飾りなんだろう」と自分を納得させることになったのだそうだ。

このエピソードは山で今何が起きていることを物語るものなのだろうか…

■ 初心者の多い道の特徴

この稲子湯から中山峠での道では落し物が多かった。ステップの切り方は悪く、アイゼンが不要なのにもかかわらず、アイゼンの跡がずっと続いていた。

でも、これは、八ヶ岳なので仕方がない。八ヶ岳は昔から、初心者が多い。

初心者の時は、誰に聞くこともできないため、ほとんどの人が山道具屋で相談して装備を揃える。すると山道具屋は「天狗岳に行くなら10本爪以上のアイゼン」と言う。それを聞くと、登山口に付いたとたんにアイゼンを付けていないといけないのだ、と思い込んでしまうのだ。山道具屋ではアイゼンを履くタイミングまでは教えない。

私たち夫婦もそうだった。登山口からアイゼンを履いていなくて良いと分かったのは、教えてもらってからだ。私たちの初めての雪山は、ゴールデンウィークの八ヶ岳だったから6本のアイゼンがスタートだ。今ではほとんど使わない。6本のアイゼンがいるような斜面はアイゼンがなくても、大体歩けてしまうからだ。

そう遠くない昔である当時、6本のアイゼンしか持たず、ストックしか持っていない状態で、冬の天狗岳に3度登った。

実感として、登山者が多く、良く踏みしめられ、夏道よりたやすくなっている冬道の、天狗岳に登るのに、12本爪のアイゼンが必要とも思えなかったし、ピッケルでの滑落停止が必要そうな、危険がある斜面を通ったとも思えなかった。

それは自分たちで判断した。だから、山道具屋のおやじさんには、さんざん非常識登山者呼ばわりされた。それでも、何が必要かは実感ベースだったし、自己責任なんだから、自分で考えるわ、と思った。ツアー登山見込み客を失って残念がられたともいえるし、さんざん心配をかけた、ともいえる。

3度同じ天狗岳に登り、すっかり慣れ、これ以上の山に行く事も視野に入り始めたので、ピッケルを購入した。同時にいい加減ではない、しっかりしたグリベルのアイゼンを買った。

ピッケルは持つだけでは意味がないので、ピッケルの使用法を教わろうとしたガイドさんに、その時指摘されて、しぶしぶながら冬靴を買った。予定外の買い物で、しぶしぶだった。

それまでは、夫も私も無雪期の靴で厳冬期の天狗岳に登っていたのだった。特に寒かった覚えがないのは、ずっと歩いているし、宿泊が小屋泊だったからだろう。夫はわたしの軽登山靴とは違い、富士山を登る程度のハイキングシューズだったので、足が冷たかったそうだ。それでも3回登ってしまっている。

それは徐々にステップアップして行ったので、それくらいの道具でも、問題を感じなかったから、だ。

念のため言っておくと、それでも、私たち夫婦は、2万5千の地図をそれぞれがザックに入れ、磁北線を引き、上から全面に防水加工して持ち歩いていたし、ツエルトもすでに持って歩いていた。持っていないのは、ハードシェルだ。それは雨具で代用していた。

まぁそういうわけなので、八ヶ岳に初心者が多く、初心者がアイゼンの不要な道で、アイゼンを付けて歩いているのも仕方がないし、落し物を良くするのも仕方がない。夫なんて、中山峠で、アイゼンを落としたくらいなのだから。

しかし、落し物は、中山峠までで二つ。天狗岳山頂までで、帽子が二つ。計4つだった。そのうち二つは午後も遅かったので、再度探しに同じ道を通ることはあるまいと思われたので、拾って小屋に届けた。あきらかに誰かが拾って、枝に刺しておいてくれたものだ。

■ 的が外れてはいるが、気遣い

小屋に宿泊予約の電話をしたとき、電話に出てくれた小屋のお兄さんは、慣れないバイトさんだった。素泊まり一名とテント泊一名と言ったのだが、変だと思わなかったようだった。それで慣れていない人だなと分かった。

中山峠から行くと言うと、ワカンを持ってくるようにと言う。この道でワカンが必要なことはまずなく、トレースが一部消えても、全くなくなることはドカ雪の後でない限り、考えられない。中山峠がラッセルになるのは、本当に珍しいことだ。

宿泊予約した日は、すでに晴天が数日続いており、誰かがすでに通ったことが予想された。電話の後、ヤマレコを見ると、予想通り、すでに木曜にトレースが付いていた。だから、ワカンはイラナイ。イラナイとは思ったが、バイトのお兄さんに、素人め、ちっ!と舌打ちされるのも、嫌だったので、持って入った。余分な重さだ。結局、やはり予想通り、要らなかった。

このコースでは、北八つ方面のマイナーなルートでワカンが必要になる。私はまだ歩いていない道があり、それは私にとってなかなかチャレンジの道だが、知り合いが余計な事をしてくれて、私が見つけた場所を彼はいつも先に歩いてしまう。去年、私が行きたがっていたアイスのルートも、彼が先に歩き、腹ただしかった。私は未知の場所に魅かれるので、何があるのか、写真を見せられても、うれしくもなんともないし、誰も歩かないルートを発見した功績を横取りされたような、残念な気持ちだ。まぁその人には、恩もあるので、良いルートを紹介してあげた、と思っている。

そういうわけで、小屋のバイトさんが若いお兄さんだけど、きっと初めての山です!みたいな人が多くて、装備不足の人が大勢やってきて、困っているんだろうなぁと予測できた。

的が外れてはいるが、気遣いをする必要がある状況だということを意味しているからだ。

■ 混雑 

黒百合平につくと、テントサイトを最初に物色した。先に張っているのは1張だけで、どこでも選び放題だったので、できるだけ雪で高く風よけが積んであるサイトにした。でもここより、樹木の下の方が良かったように今となっては思う。風の通り道をまだうまく予想できない。

とりあえず、ザックを降ろして、財布だけ持って小屋に受付に行く。

小屋につくと、気になったのは、内外にいる大勢の中高年だった。若い人はあまり見ない。今着いた人は全員が渋の湯入山組だ。渋の湯からの道はもちろん最短ルートだ。

小屋前につくと大仰そうに、どっかとザックを降ろしていた。みると、古典的山ヤルックに、石原慎太郎がしているようなサングラスのおじさんだった。パーティのリーダーのようだった。

でも、みんな小屋泊みたいで、続々と小屋に入って行っている。でも小屋泊なのに、なんでザックが50ℓも60ℓもあるんだ? 

重い者はみな他の者に担がせ、写真を取られたがる人のことを思い出す。写真では山行の内容は分からない。どのルートがどんな道かも、写真を見た人は分からない。息切れして歩いても、そうでなくても分からないのだ。

小屋の中心にあるストーブを囲んだテーブルは、すでに中高年でいっぱいだった。非常ににぎやか、と言ってよい状況だったと思う。

そういうわけで、入るなり、小屋の人気にびっくりした。いや小屋泊の人気と言うべきだろうか?混んでいる小屋にはうんざりだ、というのは夏でも冬でも変わらない。

とりあえず、ラーメンを食べ、テントを張りに行ったら、先にテントを張っているのは、3張に増えていた。若い人ばかりのようだった。

■ 場所取り

登頂は楽だったので、良い気分で帰ってきた。そのままテントに行けばよかったのに、小屋でティータイムをしてしまった。夫は素泊まりなので、お茶やかりんとうはもらえるはずだけれど、私がテント泊なので、遠慮したのだ。

小屋のお茶が飲めるスペースは、大勢の中高年ですでに盛り上がっており、玄関わきの小スペースに先に入っている女性の二人組に入れてもらうことにした。が、この2人、先に入った者が、権利があるのよ、とばかり席を寄せてくれない。都会の人は、椅子の上にモノを置いて席取りするのが普通で、その感性で山の中を歩く人が増えているのだ。私も都会人だったから分かる。

でも、自然の中というのは、そういう風には決まっていない。誰だって”ひとり分”が必要なのだ。体の大きい人に小さくなれと言っても出来ないから、大きい人は大きい一人分がいる。小さい人は小さい一人分で済む。

でも、誰も一人分以上を要求することはない。人間は、一着以上の服を持っていても着れないし、一足以上の靴を持っていても履けない。だからといって、小さい靴をあてがわれても履けない。そういうことだ。

都会の人はこういう法則には不慣れで、バイキングでは、同じお金を払ったのなら、と食べれる以上のモノを食べようとして、たくさんの食べ残しを作り、同じ入場料なんだから使わなきゃ損と、入浴すればジャンジャン水道を流しっぱなしにする。

普通に一人分食べる、普通に一人分の水を使う、ということがどうしてもできない。のは、電車には背中を駅員さんに押し込んでもらわないと乗れないのが普通だからだ。都会では、きちんと自己主張できないと、当然の権利も与えられない。つまり、何台見送っても、電車に乗れなくなってしまう。後ろから来た人がどんどん我先に乗って行ってしまうからだ。

そういう都会が嫌で、自然を味わいに来たはずなのに、人間と言うのは、やっぱり習い性をしてしまうのだ。

■ キャラクター商品

また小屋はお土産物がさらに充実していた。

山で男らしい強さがありがたがられるように、小屋では女性らしい家庭的な心遣いがありがたい。

誰でも寒風吹きすさぶ屋外から帰ったら、温かい飲み物でホッとしたいし、それは女性的な、家庭的なものだ。だから、そうしたホットドリンクのメニューが増えることには好感を持っていた。

けれども、今回はなんだか違った。なにが増えていたのかというと、オリジナルキャラクター手ぬぐいというわけだった。鈴木みきさんのイラスト。

断っておくと、私は鈴木みきさんが嫌いではない。むしろ共感する。のだけれど、どういうわけか、彼女を持ち上げて、山に行くひと達には、同じ精神は共有されていないような気がする。

なぜキャラクター手ぬぐいを買いたくなるのだろうか?私なら、山に行った感動を形にするために残すなら、その小屋の伝統的なもの、長く受け継がれたものが良い。山を思い出せるように、山なみに山名が書いてある手ぬぐいは八ヶ岳の初心者なら、ピークを覚えるのに役に立つだろう。

■ 下山での擦れ違い

下山では、11名の中高年について、すれ違ったか?と小屋で聞かれた。もちろん、良く覚えていた。

というのは、登山道、前をあまり見ない登山者が多く、私は前を見るので、最初に「こんにちは」を発する側になるからだ。

すれ違った時は、すでに横殴りの雪が降りだしていた。先頭の人は、下ってきている私たちには、気が付かず、うつむいて、修業のように歩いていた。どこの会も先頭を歩く人は荷が重いのだろうと思った。

その後ろには、中高年がズラリだった。1名のリーダーに10人。一般的な冬山のガイドレシオは1:5程度だ。無論憶測に過ぎないが。

後ろの人たちのウエアは真新しく、顔色は先頭と違って、明るく、降りしきる雪を心配している様子はなかった。 「どこの会?」と聞くと、各会の寄せ集め部隊だと教えてくれた。 

登りで身体は温まっているし、大丈夫だろう。でも、まぁ今日は小屋までだろうと思った。

■俗化

そういうわけで、私がこの旅で強く感じたことの一つは、俗化現象、だった。

八ヶ岳は夫と二人で、思い出を作って行った山なので、とても残念だ。

西麓ではなく、東麓でさえも、もう俗化からは逃れられないのかもしれない。おそらく硫黄岳付近も同じ状況だろう。

私は雪の山を美しいと思う。そうした美しい山を見るのが好きだ。


たとえばこの写真では、雪の斜面が、エアブラシの作品のように、なんとも滑らかな襞を作っているのが分かる。こうした自然の造形には率直に言って、感動がある。

山に出かけていく人が増えることが悪いこととは思えない。自然がどのようなものであるか?を理解するには自然に触れる機会が重要だ。

では一体、何がかけちがったのだろうか? 

小屋でバイトをしていたとき、夏山のお客さんと冬山のお客さんは全く違う客だ、と教わった。その夏山のお客さんが冬山に進出し始めていた。

俗化した世界で山が蹂躙されているのを見るのは心が痛む。

山を愛している人ならだれでも知っているが、稜線に小屋があること自体が、人間の我ままにすぎず、本当に自然愛護を叫ぶのなら、稜線の小屋は全部撤去することだ。

本来は申し訳なさそうに(自然に対して)建っていた小屋は、今では大手を振って、あたかもそこにいることが権利であるかのようになってしまった。

2 comments:

  1. 昔、感動したPL花火…、時の流れとともに小規模になって…
    ということを思い出しました。

    人の居ない沢、雪山は まだまだ よーけ おまっせー♪
    私はあまり会うことがないので、山で人に会うと、なんだか嬉しくなります。

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    1. うれしくなるような人もいます。会ってうれしくない人もいます。 人に会う事より、誰に会うのか?が違うのかもです・・・

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