■リード
今日はボルジムに行って主にリード壁に取り組んできました。
私はまだ5.8はリードギリギリです。出来たけど、ギリギリで腕もパンプして大変でした。
5.7ならゆとりを持ってリードできます。
今日はトップロープで5.8の壁、トップロープなら精神的にアップアップになりませんが、リードになると、クリッピングのヌンチャクの場所を考えたり(振られない場所)、どっちの手でクリッピングするのが合理的か考えたり、レストしている間にも指がダメになっていくので、レストも上手にならないと全然腕のスタミナが持ちません…
腕のスタミナが持たないのは精神的理由です。怖いと思って腕を曲げてしまいパンプしてきてしまうのです。慣れの問題ですね。
というのは、トップロープではどっちのラインも、「ん?何が難しいの?」って感じに終わってしまうからですね(笑)
今日は5.7の壁でリード、では精神的圧迫がこんなにも違うのかってことが理解できました。いやトップロープって素晴らしい。
■ ハイグレード登山術
最近、菊池敏之さんの『ハイグレード登山術』を再読しました。
今年は、講習会等に出て、無縁と思っていたロープワークにも触れ、ロープシステムの基本的なところは理解したので、改めて菊池さんの本を読んでみると、登山の考え方について、ものすごく納得感がありました。
山初心者の頃に読んでも、「ふーん、そうか」と思い、「無縁な世界だけど一応知っておこう」程度に思っていたんですよね。
今では非常にリアルに描いてあることが身に染みました。
菊池さんの『ハイグレード登山術』では、積雪期の赤岳~横岳~硫黄岳の積雪期縦走を題材にロープを出すシチュエーションを詳細に書いています。
それは”歩く人がスキルがないから必要なロープワーク”ではなく、”一か八かを確実に安全にするため”のロープワークです。
私が目指したいのは、こういう山の歩き方なんだよな~と思いました。私は登山初心者の最初の頃にこうした考え方に触れたので、無意識のうちに、危険を安全に、不確実を確実にしていくには、何をしたらよいか?という考え方をしているようになったのでしょう。何事も初期の頃にどんな考えに触れるか?というのは大事なことのようですね。
そして今私が思っている疑問にピッタリの回答が、Q&Aに寄せられていました。
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Q: 私はロッククライミングを目指しているわけではないし、このようなレベルの高い技術は必要ないと思うのですが…
A: うーん、「高い技術」というより「確実な技術」と考えてもらったほうが良いですかね。ここで岩登りをするというのは今まで登れなかったところを登れるようにすると言うのではなく、今まで怖かったところ、あるいは危かったところを、危なくないようにする、という意味にとらえてください。
そうすれば、結果的に難しいところも登れるようになるかもしれないが、それが目的ではない、ということです。
Q:「岩登り」にジムやゲレンデでのトレーニングも必要でしょうか?
A:理想を言えば必要です。しかしトレーニングの仕方に注意が要ります。ジムやゲレンデは、基本的に肉体能力を高めて今まで登れなかった難しいところを登るという目的意識を持った人がほとんどです。
しかし、”今ある肉体能力で楽に岩を登る”そういう動きを身に着けることが目的です。カラダが固い人は固い人なりの、指の力が弱い人は弱い人なりの登り方があるし、岩登りがうまい人というのは、自分のカラダの使い方がうまい人なのです。必要なのは肉体能力ではなく慣れであって、それを目指してジムに通うと言うのであれば、きっとためになるでしょう。
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なるほどなと言う感じです。 だから私はクライミンググレードを上げることにはそんなに熱中できなかったんですね。でも、慣れの必要性はとても感じます。リードも今日は高さへの慣れだなぁと思いました。
■ 肉体能力への執着
私が持つ違和感は、登山でもクラミングでも、”肉体能力を上げること”への執着かもしれません。
突き詰めるとナルシシズム。肉体能力は高めれば高まります。体はやっただけ答えるので本当に嘘はつきません。
ヨガの場合、毎日決まった時間にやっていると固い人も必ず柔らかくなります。けれど、柔らかさはその人本来の姿を取り戻しただけだと考えます。
肉体能力も同じではないかと…その人本来の能力を発掘するだけなのではないかと…経済成長の曲線のように、右肩上がりになるのが楽しくてやっている人は、成長曲線が水平を描き始めると挫折と感じます。
でも、永遠に成長するのはおかしなことです。自然界には永遠の成長はありません。単純に水平を描き始めたとき、それがその人の本来の姿なのかもしれませんよね。
私も20代の時にできたポーズが今は難しく感じます。ただ人は老いるのが普通だし、老いれば筋力は衰え、柔軟性も落ちるのが普通です。痛みや疲れ、病、そうしたものは永遠の成長を求めるものにとってはネガティブなメッセージですが、実際、それはカラダにとってなくてはならない重要な危険回避のシステムで、痛みがあれば「やらない」でという体からのメッセージ。
たとえば、ガンなどに始まる現代病、生活習慣病は、そうした習慣を改めよ、というメッセージですよね。
生活がその人の命を縮めているなんて考えてみたらおかしな話です。太りすぎの野生動物はいないと言われますが、死に近づくような活動はそもそもしない回路を肉体の中にもっているのが本来の人間という種のはずです。
なのに、なぜかこぞって、過剰なタバコ、お酒、飽食、過剰な運動など、死に向かう活動、自己破滅的活動に向かってしまうのが現代人の不思議です。
そして、病や痛み、疲れを敵視します。しかし、そうしたものがなかったら、死へ一直線なのかもしれないのです…
ちょっと話が逸れましたが、菊池さんの本にあるように危険な一か八か、不確実性を確実性に変えていくような山をしていきたいなと思ったのでした。
死を回避するように人間はできているはずですから。
登山は基本的に肉体を用いつつ、知性も必要となるとても知的なアクティビティだと思います。
ヨガにおいて体の快適さというのが一つの成功したヨガの指標になるように、登山においては、山を深く知ることの面白さ、というのが一つの成功の指標になるのかもしれません。
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