Thursday, November 28, 2013

スキルがあればロープが要らないっていう誤解は根強い

■ 遺伝子に組み込まれている

スキルがあればロープが要らないっていう誤解は根強い。だから、登山者は無謀さを競う。大雨の中、稜線を歩き、確保が必要な場所でロープなしの一か八かの危険な登降を繰り返す。

小さな男の子たちは、基本的に、無謀さで勇気の量を競う動物だ…

 「この階段、何段から飛べる?」
 「俺は5段から飛べるぜ」
 「僕は6段!」
 「それならおいらは7段」
 「えーい8段!」

・・・という具合にだんだんエスカレートしていき、もう誰も飛べないくらいの高さに行ってしまう…

「…10段!」と沈黙を破って誰かが言ったとたんに、みんなが彼を見る。懐疑のまなざしだ。

そして、言った子は後に引けなくなる… 「あいつ10段跳べるなんて嘘言ってやがるぜ」

「飛べるもん!」 そして、その子は飛ぶ。誰もまだ挑戦したことのない10段を。

そして、当然怪我をするわけなんだが…(笑)、怪我をしてもしなくても、その子はその仲間内では英雄であり、ヒーローであり、ガキ大将として、確固として揺らぐことのない地位を築ける。

でしょう?男性のみなさん(笑)

私が知っているのは、弟がいたからであり、こうした男の子の世界をシラケた目で見ていたのが子供時代の私だったからです(笑) あーあ、男の子って幼稚でばっかみたい、と思っていました。

弟は生傷が絶えず、大きなけがも何度かし、救急車に乗ったこともありますが、私は一度も針で縫うような怪我をしたことはありません。

■ 誰にでも確保は要ります

というわけで、無謀さを競うのは、もうこれは男性の本質と言っていいくらいです…。

だからこれが男のロマンである登山において男性的ナルシシズムと相まって、一つの価値と感じられてしまうのは、情状酌量の余地があると思いますが、それでも、登山において無謀さを競うのは、おろかと言うものです。

最近私が理解したところ、ロープワークには二つあります。

 1)”初心者がいる場合ロープが必要”と書いてある = 転ぶはずの無いところで転ぶかもしれないからロープが必要

 2)ロープが必要 = スキルに関係なくロープを出すべき


これを登山を知らない人は混乱して理解してしまいます。

≪誰にでも確保がいるケース≫

たとえば、ボルジムでトップロープで5.7の壁を練習したい時、お店の人はビレイされながら、7m登ってくれます。

もしスキルがあればロープが要らないのであれば、お店のお兄さんは5.7なんてラクラク登れるはずですから、ロープなんて付けずに上に登ってしまうはずです。何しろ、ジムの壁、ホールドが外れるなんてことはありません。

しかし、登れるからってロープをつけないなんてことはない。

これとバリエーションは同じです。スキルの有無ではなく、ルートの自体の危険性による判断でロープが必要です。 

”いちかばちか”を”だいじょうぶ”に変える。 

赤岳ー横岳ー硫黄岳の積雪期縦走は、2)ロープが必要 = スキルに関係なくロープを出すべき、縦走路です。

私の周辺では、阿弥陀南陵はP3で回り込んだところでロープを出すべきだという定説になっていますが、一般登山者の記録を見るとロープを出している記録はほとんどありません。つまり一か八かです。

私は山岳総合センターの講習に出ていますがそこで知り合った人でさえ、一か八かの登降を私に勧めてきます。

■ 一般道から難易度が上がったのがバリエーションってわけではない

しかし、一方で一般道でも滑落死は発生するのに、ロープを出して確保することはめったにありません。

一般道はスキルの有無で滑落しないで歩ける道だとされています。不帰の嶮だってキレットだってそうなのです。スキルがあれば確保はイラナイ。

であれば、それらの難易度が上がっただけの、バリエーションでも、スキルさえあれば、確保がいらないんじゃないかと登山者が誤解しても仕方ないですよね?

これには雪稜も含みます。 雪稜は無雪期の難易度の一つ上とされていますが、その考え方がまちがっているのかもしれません。困難度、難易度ではなく、雪と言う不安定なモノの上に立つ、危険がより高まっている、と考えるべきなのかもしれません。

■ 知る者の義務

どこからが1)でどこからが2)か?というのは、一般の登山者には理解が難しいです。

そこは登山のベテランが指導すべきことのように私のような新参者からは見えますが、なぜか指導者層は沈黙を守っているようです。

それは一体なぜなのでしょうか? お金の都合?いわゆる”大人の事情”?

登山は基本的には楽しいアクティビティです。

いまさら”岩登りは楽しいよ”と強調されなくても、誰だって自然の中に過ごすのは快適だと感じるはずです。

青い空や澄んだ空気、星空、木漏れ日、涼やかな風、清流、こうしたものを否定する人間がいるとは思えません。

なのに登山において指導者層は、危険やリスクを強調せず、登山の良い面ばかりを強調しているような気がします。

登りたいばかりでリスクに無知な登山者を作るのは、大変な社会的無責任だと思うのですが、どうでしょうか?


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