Monday, March 4, 2013

本格的登山vs先鋭的登山


週末は悪天候で…北海道などすごい暴風雪だったようです。

高山市との林道では、救急車が二台も大急ぎで通り過ぎるのとすれ違いました。登山者でないといいけれど…

■ 自然度の高いアクティビティ
今回スノーゲインという大会に参加してみて、登山はオリエンテーリングより自然度が高いアクティビティだと思いました。

オリエンテーリングは簡単に言うと宝探しゲームです。ただ、あらかじめ人為的に設置されたポイントをたどるので、道なき道ではあっても、管理された区画内での楽しみです。そこは人為の光が降り注いでいるエリア。

しみじみと登山という行為のプリミティブさ、自然度の高さを感じました。まぁそうはいっても日本のお山はどこにも山小屋があり、食事は頼めば出てくる・・・とサービスの質はともかく内容としては、レストランと変わらないわけで、人の手が入りすぎ、整備が行き届きすぎて、本当の意味で、人為が届かない場所は本当にどこにもなくなってしまいましたけれども・・・。

けれども本来の登山は、山小屋もなく、道もない、未開の山に分け入ることです。バージンランドがない日本では高い山がバージンランド。アメリカの開拓民が西に進むとすれば、日本では上に進むのです。

たとえば、登山は、キャンプと比べても、山でのテント泊の方が自然度が高いです。なぜならキャンプサイトには炊事棟もあり、トイレもあるけれども、テント泊にはないので、結局全部背負って行かなくてはならないからです。 背負える分量が歩ける分量。

いろいろな自然アクティビティがある中で登山と言うアクティビティは本当に一番自然度が高いアクティビティなのかもしれません。

特に本質的な登山になった場合です。

■ 本質的な登山とは?

本質的な登山とは一体なんでしょう? 

高い山に登ること? 

でもそこらへんの登山者同士が槍に登った穂高に登ったと自慢しても仕方がありません。上には上がいるだけ。お金持ち自慢と同じです。

困難な山に登ること?

確かに一人で登ればその人の技術レベルはすごいです。でも登山者ならだれでも知っていることですが、一人で登るのと人の後ろをついて歩くだけなのでは難しさは大違い。だから連れて行ってもらった山は実力の範疇に入りません。それは登山をする人は皆が知るところ。だからツアーが評価されないんですよね。

結局、そうしてみると、本格的な登山は、一般ルートをたどる登山、人の後をついていくだけの登山の対極にあるのかもしれません。だから昔は初登が価値があったのでしょう。一回目と2回目では大いに違うのは、リスクの量が違うから。

自分が担いでいる衣食住それだけで自然と向き合う… 自分の足と自分の頭だけが頼り。 それが登山らしい登山、本格的な登山ですね。
 
ただ、先達の努力の結果、道ができているので、後からきた私たちは道の上を歩ける…この踏み跡を歩けること自体、先人の歴史を継承することなんですよね。実は。

踏み跡も再度踏まれなければ消えてしまうので、消えないように踏む行為もまた歴史の継承ですね。

■ 勘違いのリスク

でも…この登山と言う行為は、ちょっと間違うと、どんどん人間を過信という方向に進ませるようです。

たとえば、悪天候でも前進したり…自分が登った山の数を自慢したり、あるいは標高の高さを自慢したり…。
そういう”他者に対して自慢したい”という自己顕示欲が混じる…と、登山の行為は自然が脇役になってしまい、どんどん先鋭化します。


先鋭化してしまうと危険がどんどん高くなります。最終的には遭難という結末にたどり着かざるを得なくなります。おそかれ早かれ、遭難するトラックの上に乗ってしまう。なぜなら自然の力は絶対的に人間より上だからです。自然に挑戦して勝てるはずがないのです。まぁ現代社会は原発に見えるように自然の力に挑戦しっぱなしなんですけど・・・決して自然は負けないでしょう・・・今もって放射性の廃棄物は人間にはどうしようもありません。
ヒトは自然には勝てない・・・そこを勘違いしてしまう…その勘違いというのは、本をただせば、自己顕示欲に端を発するので、結局は、人間性の弱さ、ということです。

人間の動物としての生物の弱さではなく、人間精神の弱さ、自分を自分で認めることができない社会的動物である、という人間固有の弱さ、というわけですね。

そこに自然が漬け込んだとき…それは避けれたはずの遭難になる・・・。 

■ どんな登山を目指したいか?

というわけで、本格的だけれども、先鋭的ではない登山を目指したいな~としばらく前から思っています。

大体、先日豪雪地帯でのラッセル&冬山テント泊なんて、進行した距離はたったの2kmくらいです(笑)アプローチいれて3kmもあればいいほう。 ところが、本当に自然と戯れていました。 

本格的ではあっても先鋭ではない登山。 

それが人間が謙虚に自然と向き合った時に自然と出てくる結論かなぁと思います。

登山における充実感は、達成感であるよりも、実は自然にどれだけ様々なことを教えられるか?ということではないでしょうかね。

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