Tuesday, January 8, 2013
加藤文太郎像?
先日、暴風雪の中の登山をした人に感想を聞いたら「加藤文太郎みたいだった」との返事。
ん?
きっとその人は”風雪のビバーク”のほうを言っていたんではないか?と思うのですが・・・。
参考までに以下ウィキペディアからの抜粋。
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当時の登山は、戦後にブームになった大衆的な登山とは異なり、装備や山行自体に多額の投資が必要であり、猟師などの山岳ガイドを雇って行く、高級なスポーツとされていた。
その中で、加藤文太郎は、ありあわせの服装をし、高価な登山靴も持たなかったため、地下足袋を履いて山に登る異色の存在であった。単独行であることと、地下足袋を履いていることが、彼のトレードマークとなった。
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加藤文太郎さんは言わずもがなの、『孤高の人』のモデルになった人なのですが… ガイド登山や
ツアー登山とは最も遠い登山者として知られています。なにしろ有名になったのが「単独行」…(笑)
■ 森君?
私たち夫婦は、登山の文化については疎く、漫画の『孤高の人』の森君のイメージ…(汗)(スイマセン)
新田次郎の小説が有名なそうなのですが、新田次郎と聞いたとたん、なんだか地下鉄で恥ずかしげもなく、週刊文春を広げているような、そんなオヤジ臭がダメで、触ったことさえない。
でも、加藤文太郎が書いた『単独行者』は読みました。
さすがにマンガのイメージのままでは、まずかろうと…(笑)森君は多少偏執狂ちっくでしたしね。クライマーだった。
けれど、加藤文太郎は、岩はやらないとアレコレ言い訳ちっくな文章を書いていたりもします(笑)
『単独行者』 実は、加藤文太郎、本人が書いた本は、これだけだったりします。
なのでご本人を知るよすがとしては、新田次郎のフィクションをあてにするよりも、本人が書いたものを読むほうがよほど正解に近いと思われ・・・
という訳で、読んでみたら、世に言われるようなヤツ(孤高)ではなかった(笑)
加藤さん… イメージ大幅修正。 むしろ孤高は消極的選択の結果ですね。初期は山友達とちゃんと登っていますし、遭難死した北鎌尾根もちゃんと2人で行っている。
印象的だったのは、小心とも言える臆病さ。内気さ。誠実さ。1月の剣沢での話は特に印象的です。加藤さんは1人でもちろん登っています。ほっとして小屋に着くと6人のパーティがいる。
そこで彼はパーティに入れてくれないかと申し出、突っぱねられるのです。その突っぱね方も、現代に充分通じる突っぱね方で。(つまり、いや~な感じ)
「君はパーティと言うものが分からないだろう。けれど、パーティの中に1人でも知らない人がいると不愉快なんです。」(めっちゃ嫌な感じの言い方ですね~!昔の人のほうがハッキリしている・・・)
「この小屋に泊まりたいと思うなら案内者を連れてきなさい。案内者に払う金が惜しいのなら、山に登らないほうが良いでしょう」(小屋番でもないのに・・・ヒドイ・・・)
このような返事をもらい、結局加藤さんはその小屋に宿泊するのを諦め、剣に向かうが途中で敗退。そのまま下山します。敗退とはいえ、1人で行けるところまで行ったという充実感を持って。
ところが、この剣沢小屋でこのパーティは就寝中に雪崩に遭い命を落とすのです。
山の世界と言うのは、今も昔もあんまり変わっていないんだなぁ…と思ったのです。
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