日曜にクライミングに行ったら、またクライミングがへたくそになっていました…(汗)
あれえ…?一緒に行った先輩もビックリ!の「別人みたい…」な調子です。先週は山三昧だったからかなぁ。
登山って不思議な活動です。あんまりたくさんやるとへたくそになるみたい…(笑)?
まぁ、疲れが溜まってしまったということなのでしょう。
私は特に弱くもありませんが、だからといって、疲れを知らぬタフネス系でもないですし、疲れない体があったらいいな、とは思うけど、タフさへの憧れもありません。
ちょっと振り返ってみます…
一週間で、
・三つ峠9時間 (14日)
・小川山クライミング7時間 (15日)
・小川山散策6時間 (16日)
・瑞牆5時間 (17日)
・仙丈ヶ岳7時間 (19日)
・甲斐駒8時間 (20日)
と一週間に、トータル42時間。 一日6時間? レスト日を取ったつもりでしたが、ちょっと多いみたいですね(笑)
これは反省。 運転が間に入るのもやっぱり疲れると思います。
それにしても、おばちゃんたちはガッツリ系の、金峰山、甲武信に行っています… すごい体力ですよねぇ…。ホントに脱帽。
■ 山が薄まる…
今年は夏山バイトは控えめにすることにしていますが、すでにバイトを入れる余地がないのではないか?くらいのスケジュール混み具合です(汗)
忙しいなぁ…うれしい悲鳴?!
山には行きたいけど、忙しいと嫌なのは、一つ一つの山行の印象が薄くなることです。
山って不思議なもので、山行前に傾けたエネルギーが大きければ大きいほど、内容が充実します。
それは、たぶん、事前の調査が、実際の山行での観察眼を研ぎ澄ますからだと思います。
観察眼が研ぎ澄まされていることが、山行の面白さを左右するとしたら…
計画を誰かに任せた山行はとっても損ですね~
私は知っている山に行くのも好きですが、知っている山は地図の準備や行動スケジュールを厳密に立てなくて良いので
ちょっと計画が手抜きになります。
すると、傾けるエネルギーが小さいので、山行の印象が薄まるリスクが生まれてしまいます。
これを避けるには、同じ山に行っても、何か新しい要素を付け足す、か、見出すかする、ということが大事です。
これは毎日歩くことにしているトレーニングの裏山でも同じかもしれません。
■ テント泊縦走のススメ
今回、私は自分の母くらいの年齢の人と歩いたのですが、体力がすごいなぁと思うと同時に、もったいないなぁと思いました。
一般ルートのピークハント以外も歩けるからです。
おばちゃんたちは、別に百名山ハンターではなさそうでしたが、縦走できる山で、なおかつ、縦走できる日数で、縦走にならないというのは、山ヤからは「はて?」と思われます。
たとえば、金峰山、瑞垣、甲武信を登ろうと企画していたら、普通の山ヤ的価値観では、富士見平に泊まって、瑞牆で足慣らしをしてから、金峰山から甲武信への縦走を企てたくなります。
それが一個一個のピークハントだというので、ちょっと”?”と思いましたが、今回は、同行して、その理由が分かりました。
テント泊縦走を避けているから、です。
それはなぜか?と思うと
・重いという思い込み
・歩けないという思い込み
・難しすぎるという思い込み
などが思い当りました。でもおばちゃんたちは、若いころから山岳会に参加していたそうなので、とっくにそういう縦走はやってしまい、単純に取捨選択の問題なのかもしれませんが…。というのは、ザック結構重そうだったので。オヤツに重い甘夏やトマトが一玉出てきてビックリ。
私は、日帰りでも、果物など持ちません(笑)おやつは軽いものばかりですし、食事は山では貧相なのが当然と考えて受け入れています。
中高年の方とご一緒すると、オヤツの豪華なことにいつも驚かされますが、同じ重さを入れるなら、テントを入れたいのが山ヤさんです。
今は、実は、装備は非常に軽いので、テント泊でも装備さえ工夫すれば、10kg前後しか重さはありません。ツエルト泊ができるなら、もっと軽くて済みます。そうすると行動の自由が増えます。
つまりツエルトを持って、体力的に息詰まったらそこで終わりにする山旅ですね。水さえあればどこでも行動を辞めることができるので、沢はそういう意味ではおススメです。
山行途中で寝る…という選択肢を、最初から捨てているのは、とっても、もったいない選択だと思いました。
実際、後立を4泊5日で縦走して思いましたが、テント泊縦走はラクラク縦走です。今は小屋で軽食を出してくれたり、テント泊の人も夕食を食べれたりするので、小屋がある縦走路なら、ひもじい思いや苦しい思いをすることはほとんどありえません。
中高年の誰にでも彼にでも薦められることではありませんが、健脚の人(60代なのに標準コースタイム以下で歩ける人)は、ぜひテント泊縦走にチャレンジされることをおススメします。予想以上に快適です。
■ 同行者のニーズ
しかし、おばちゃんたちがなぜそうしないのか?と考えると、まぁ色々な方面から中高年登山のプレッシャー(平たく言うと、アブナイアブナイの大合唱の批判)を浴びてきたんだろうなぁ・・・と思います。
というのも、私もそうだったからです。やたら批判される。馬鹿呼ばわりされる…(汗)
でも、これは断言できますが、アブナイ人たちは別の人たちです。
登山計画を立てず、地図も見ない人たちであり、雨の日、雷の日と分かっていて、帰りのスケジュールに間に合すために稜線に突っ込んでいく人たちです。つまりツアー参加者であり、自分で山行計画を立てる人は当てはまりません。小屋もその辺は分かっています。
結果的には、私がウケたアブナイアブナイの大批判は、私を用心深く、さらに強くしたので、良かったのですが、きっと健脚者の女性の中高年の人がさらされる社会からの批判的な眼差しは、30代後半の山初心者として、私が浴びてきた批判よりかなり強いものなんだろうな~と思いました。
そこに年齢が若いガイドの社会的存在意義の一つがあるかもしれません。
つまり、ガイドをつけていたら誰も文句は言わない。
大体、若者、高齢者交じりのパーティになれば、誰だって、若いほうが荷を担ぎ、高齢のほうが陣頭指揮を執ります。
それが役割分担と言うものです。大体、若者は体力余っているんですから、少しくらい背負わせてやったほうが相手のためです(笑)
これは通常ガイド登山で、ガイドがテントを背負ってくれるのと同じです。
テント泊になれば、小屋泊代が浮きますから、浮いた小屋泊代をガイド費用に回すくらいのことは、担がないで済むメリットを考えると誰だって問題なく感じるわけですから、逆に言えば、まぁ浮いた小屋泊代くらいが適正なガイド価格でしょう。
となるわけで、こういう健脚者のためのガイドというのは、社会のゆがんだ視野が生んだニーズって感じです。
一方ガイドができるような力がある、若い人の側から見ても、ピークハントや易しい縦走というような山は、トレーニングに恰好な上、できれば、トレーニングにかかる経費を安く上げたいですから、そういう意味で、ガイドというのは、若くて屈強な男性の山ヤには、うってつけのお小遣い稼ぎというか経費削減策です。
ただ問題はこの二者をつなぐものが何もないことで、一般に高齢者はネットユーザーではなく、大きなマーケットは誰からも取りこぼされていることです。
■ 仲間入りの山
山登りが気に入ると、誰でも一通り、仲間入りを満たすための山に行きたくなります。
その顕著な例が、中高年の皆さんが団体ツアーで行く槍穂です。皆が行っているから、行きたい山です。
山梨だったら、鶏冠山なども含まれるかもしれません。100名山の中で難山という種類の山です。
つまり、その山に登っていることがステータスシンボルになるということ自体が、100名山登山の価値観なわけです。
ステータスシンボルの山を求めているという行為自体が、その人の登山観が、登山という広い世界全体ではなく、百名山登山という限られた一視野での登山、視野狭窄に陥っていることを示します。
登山には、ハイキングもあれば、雪もあり、沢もあり、岩もあり、高所もあり… 色々あるわけなので…。
さらに言ってしまえば、登山の伝統には、「人が行ったことがないところに行きたい」という伝統的価値観があり、それが「皆が行っているから行きたい」という価値観と真っ向から反対…(^^;)
それはともかく、登山ということを考えれば、全体像が見えているほうが、もちろん見えていないより良いわけです。
おそらく、まっとうな登山教育を受けてきた世代の、まっとうな山ヤさんたちが、百名山登山をなんとなく違うよな~と感じるのは、この視野狭窄のためです。
「山ってそういう話だったっけ?」って思うわけですね。
私は登山の新参者なので、最初の頃はだいぶ百名山的価値観の攻撃(?)を受けました(笑)
まぁ私の数少ない美点の中に、”人は人、自分は自分”というのがあり、売られた競争は受けて立たない主義です(笑)が、やっぱりいやな人種というのはいます。
たとえば、五竜の山頂にいるのに、山そっちのけで、鶏冠山登山の自慢話ばかりしている、おばちゃん登山者などには閉口させられました・・・。何しに来ているんだろう??? 今山を見ないでいつ山を見るんだろう???
と、まぁ愚痴っぽくなってきたので、今日のところはこの辺で辞めます。
今日はしっかりレストを取って、明日の沢に備えたいと思います(笑)。
明日は丹沢の沢で、初の本格的な沢。
楽しみにしています。
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