Friday, May 22, 2015

幸福とは何か?の個人的回答

■ 駅まで送って行く

今日は夫は出張で、朝はのんびり10時半の特急あずさに乗ればよい、ということで、一緒に駅まで出かけた。

わたしに勤めがあった時は、毎朝一緒に出社していて、通勤電車も、途中までは一緒だった。都会の朝の通勤ラッシュはツライものだ。

一緒に通勤が始まったのはどうしてだっただろうか・・・・

夫の実家は大阪のほぼ最南端、光明池にあり、出社するのは門真市で、当時、2時間半くらいかかった。これは東京首都圏の人にとっては大した出勤時間ではないが、関西圏の人にとってはとんでもなく長い通勤時間で、常識的には一時間くらいの通勤時間が普通だ。

一方、私は、北部の吹田市にある豊津という下町情緒あふれる町にいて、風呂なし、トイレ共同の家賃3万円の長屋に住んでいた。

夫からすると、豊津の、この家のほうが通勤に便利だった。通勤は一時間かからないくらい。梅田経由で行くと混んでいるが、大阪万博公園で乗り換えて、モノレールで行けば、そう混まずに済んだ。

周囲には商店街があり、ベテランのおばあちゃんの美味しいたこ焼きを買って帰ることもできたし、梅田までは、ほんの20分。近くに銭湯があった。

豊津時代は、面白かった。そもそも豊津に住んだのは、アメリカから帰ってきたとき、頼りにした大学の先輩が、たまたま豊津にマンションを買っていたからで、奥さんは、嫌々そうだったが、4日間ほど先輩の家に上がり込んだのだった。だって、帰ってきたときも、5万円しかお金をもっていなかったしね(笑)。

翌日から当日払いのバイトには行ったけど、とにかくどこかに家を借りなくてはいけないというので、その先輩についてきてもらって、不動産屋へ行った。不動産屋の中でも、墨と朱で、達筆な貸し間の広告を藁半紙に書いて出しているような、昔からの不動産屋さんをわざと探した。

■ 冷蔵庫

最初に紹介された長屋が松和荘だった。その長屋は隣にある大家のおばあちゃんの年金代わりなのだそうだった。下に6部屋、上も6部屋、半分くらいは空いていた。敷金15万円、家賃3万円。女性だというので2階をあてがってもらった。玄関は共同、シンクはタイル張りだった。

引っ越し時は、ホントに何もなく、また私はお金がなかったので、近所の電気屋さんの裏口に冷蔵庫が捨ててあるのを見て、電気屋さんに赴き、「もらっていいですか?」と聞いたら、「いいよ」との話。そうしたら、「どこに住んでるの?」と聞かれ、「松和荘です」と答えると、「じゃあ運んであげる」とのことだった。いいのか?!と思ったけれど、到底女一人では運べないので、ありがたく運んでもらった。

その冷蔵庫は、しばらく家で活躍していたが、3か月ほどで動かなくなってしまった。それを電気屋さんに言いに行ったら、「もっといいのがある」ということで、交換?してくれた。 その時も運んでくれ、「ここに名前と住所を書きなさい」と電気屋さんが言うので、書いておいたら、その年の暮れに”粗品”が送られてきた(笑)。ソックスだった。何も買っていないのに。

松和荘の時代は、そんなこんなで、テーブルや椅子もみんな近くのお金持ちエリア、丸山町から拾ってきたものだ。粗大ごみの前の日に夜でかけたり、会社帰りに発見したり。そこには豪華な壺や鉄の茶瓶なんてものもあった。だから、日本は豊かな国だなと思った。

テーブルは、廃業した喫茶店のもの。綺麗に汚れを落として、ペンキで塗装、椅子も表面の張地を張り替え、塗装してから使っていたので、誰も拾ってきたものとは思わない。引っ越すときは、欲しいと言う人がいて、みな大学の後輩にもらわれて行った。

大学4,5年と、社会人になってから2年のトータル4年間を過ごしたが、その時代は、家にほとんどいることがなく、大学にいるか、会社にいるかで、寝るだけの家だったので、壁は薄く、隣の音は、筒抜けだったが、家に帰るのは夜10時近く、朝は8時には出ているので、全く何も問題なしだった。

ハーブを育てたいと思って、拾ってきたすし桶をプランター代わりにして窓辺に垂らしていたのだが、そこにヤモリが棲みついて、出てきたハーブの芽を全部食べてしまったり、びっくりするような大きなタランチュラが部屋の中をどうどうと突っ切って行ったり、窓を開けて寝ていると、蜂が巣をつくりそうになったりして、色々と面白い家だった。

数年前、大阪に帰省した時に、あの家はどうなったのだろうか…と思い、通りがかりに見てみたら、もう無くなっていた…。きっと大家のおばあちゃんが亡くなって、年金の必要がなくなったのだろう…。

まぁ、何を思い出したかと言うと、そういう時代から、夫とは一緒に出勤していた、ということで、私の基本的な幸せはそこにあった。

今は甲府では車通勤になってしまい、夫と肩を並べて歩くには、わざわざ機会を設けなくてはならない。

そのせいで、山に登っているのかもしれないと時々思う。

夫が出張に出るときは、私は新大阪まで一緒に行って送り出し、私が海外出張の時は、夫も空港まで送ってくれたり、迎えに来てくれたりした。

今までもそうして来たし、ずっとそうして行けたら、あとのことは大した問題ではないのだろう。


7 comments:

  1. 業務中にも関わらず、興味深く読ませていただきました。

    光明池には約20年 住んでたんですよね。って前にも書きましたっけ?!

    諸事情で江坂や豊津はウロウロしてた数年間があったし、
    吹田の竹見台ってとこに住んでた時も豊津方面は色々歩きました。

    あぁ懐かしい~。

    なんにしろ、夫さんは恵まれてますね♪

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  2. ってゆうか最南端は岬町やし!

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    1. ね~ 後から和泉中央が出来て、そこに家をたてた上司が大変そうにしていました・・・岬町って駅あるのかな?

      光明池は最初は寂しい郊外って感じでしたが、今帰省で年に一度帰ると、活気ある郊外になっていて驚きます

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    2. 岬町、もちろん駅おまっせ。みさき公園ってゆう遊園地があるんですわ。まー北のほうに住んでたら知らんかっても普通です。

      光明池より和泉中央のほうが栄えてるみたいですね。在りし日の光明池を知る者としては寂しい限りです。高齢化ってやつですわ。

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    3. たしかに、光明池より、和泉中央の方が始発だし立派ですね~。 大阪市内はどんどん空洞化していたのですが、大阪はどうなったのかなぁ・・・もう7年も離れていてすっかり仙人です・・・

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    4. 大阪って、梅田とかのことですか? JR大阪の改修は終わったし、グランフロントとかも出来たりして、7年前と比べると綺麗に整頓された感じですよ。30年ほど溯って、私が小さい時は、電車乗る時、並ぶ人なんか居なかったし、ジャンジャン横丁は もっとカオスで怖い感じやったのに、電車は並ぶようなったし、通天閣周辺も なんか こざっぱりしてるし、なんか、まぁ時代ってやつですかね。
      21世紀になったとはいえ、行くとこ行けば昭和な香りがガンガン残ってますけど。

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    5. 懐かしいですねぇ!通天閣もすっかり綺麗になって、庶民的な雰囲気が亡くなってしまったみたいですね。グランフロント?何それって感じです・・・すっかりウラシマ太郎だ・・・ 時の流れの速さをしみじみ感じますね。オソロシイ・・・

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