Sunday, May 3, 2015

涸沢岳西尾根の訃報

■ 知り合いの死

雪が少ない春山合宿から帰ってきたら、なんと知人の訃報が待ち受けていました・・・。私の周囲で知っている人が亡くなったのは、3人目です。

一人目は夏山の剣で落石で遭難です。机大の落石だったそうで、ビバークした地形の選択にミスがなければ、不可抗力です。これから大輪の花を咲かせるかというところの方で、私は車で送ってもらったりしたことがあり、同年代。まだ幼い二人のお子さんを残されてだったので、非常にショックでした。

二人目は顔見知りとも言えない方でしたが、鉱泉アイスキャンディーに一緒に先輩に誘ってもらい、アイスクライミングのゲレンデでもご一緒できたらいいな~と思っていたところの人でした。この時のクライミングは成立しなかったのでしたが、ニュージーランド帰りの人だったので、ちょっとNZの話でも聞きたいな~と思って、先輩に、「あの彼は・・・」と問い合わせたところ、冬富士で遭難死されていました。滑落後ビバークして救助要請があったものの、場所を特定できずと言う事でした。私たちが快晴の冬山合宿(敗退)から帰ってきた日の出来事で、御坂山岳会からも捜索を出し、別の人を見つけたのだそうでした。彼はまだ発見されていません。

今回の遭難者は、リーダー講習で一緒だった方です。私は班が違ったので、少し言葉を交わしたことがある程度の方でしたが、聞くと、身重の奥さまをおいて、だそうなので、痛々しいことこの上ありません。

山は危険な所です。本当に良く良く危険が具体的になんであるかを知って、行動しないといけません。

その方の遭難ニュースのコピペです。

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北アルプス・涸沢岳で2人滑落、1人行方不明

読売新聞4月30日(木)22時52分

 30日午後2時15分頃、岐阜県高山市の北アルプス・涸沢岳からさわだけ(3110メートル)で、「同行者が滑落した」との119番があった。

 男性1人が行方不明となり、岐阜県警がヘリコプターで捜索したが見つからず、同日夕、日没のため打ち切った。1日午前から捜索を再開する。

 県警高山署の発表によると、行方不明になっているのは金沢市の会社員斎藤宏さん(36)で、涸沢岳西尾根の蒲田富士付近(約2700メートル)で滑落したという。登山仲間の長野県上田市、水道工事業松山信さん(46)も、斎藤さんを助けようとして約100メートル滑落したが自力で下山し、救助を求めた。松山さんは顔などに軽傷を負った。

 2人は29日に新穂高ロープウェイの登山口から入山。穂高岳山荘で1泊した後、30日午前に登山を再開していた。
ーーーhttp://news.biglobe.ne.jp/domestic/0430/ym_150430_4100692411.html より引用 赤字当方

これを読む範囲では下山中ではないかと思います。 滑落後すぐに通報したとして2時15分。雪も腐って、滑りやすい時間帯だなぁと思いました。

GWは気温が高いので、ビバークしていれば生存できますが、死因は頭を打ったことだそうでした。

私も岩の帰りに、何でもないトラバースで、クライミングギアの入った重いザックに体を振られて、2回転半して落ちて頭を打ったことがあるのです。レントゲンとってもらいました。最近ではクライミングの帰りは、ずっとヘルメットをかぶっています。クライミングの帰りのほうが滑落事故が多いからです。

あの時は自分でも驚くくらい、あっけなくザックに体が持って行かれました。それ以来、ザックの重さには気を付けています。自分が思っているより、あっけなく体が持って行かれたからです。

(体重移動の要らない、直登の登りで担げること)と、(トラバースや飛び石のように、不安定な場所やきわどい体重移動を重荷を担いでやる)のでは、ちょっと意味が違う、と言うことを理解しました。

■ 涸沢岳西尾根のまとめ

涸沢岳西尾根とはどのようなルートなのでしょうか?

Google先生からのまとめです。

≪涸沢岳西尾根≫
・日本第2位の高峰奥穂高岳、冬期その高峰に至る最短ルートとして人気の高い涸沢岳西尾根。
・テントを背負って登る、このルートは、まさにアルピニズムの原点を感じさせる、感慨深いルート。
・涸沢岳西尾根は雪崩をさけて尾根筋を辿る冬の穂高のメインルート
・でも大型連休のこの時期にわざわざトレースする方はそうはいない
・通常は2400m付近で幕営し、そこから蒲田富士、涸沢岳を経て奥穂高岳までをピストンするという長丁場となり、痩せた雪稜や岩稜も辿る技術的、体力的に易しいルートではない

≪あるガイド登山での募集要項≫
「涸沢岳西尾根~奥穂高岳」
・一般登山 初級者以上
・定員2名(つまりガイドを入れて3名) 
・2泊3日プラス予備日(テント泊)    
・登山時期12月~3月(最適期年末年始)
・技術: ルートは概ね歩行中心だが途中急雪壁や岩稜帯があり ロープでの確保が必要な場合がある
・体力: 1日10時間までの行動 もしくは1000m以上の高低差や大きなアップダウンがある。
      テント泊経験が必要。

知人が亡くなった鎌田富士付近では、去年もGW期に遭難がありました。

≪当方の去年の記事≫
防衛大学生の遭難

山岳会であることと、19歳、29歳と若い方の滑落です。滑落した場所も似ています。だいぶ下の方の樹林帯です。
涸沢岳西尾根遭難救助の記事
http://bochiiko8.blog14.fc2.com/blog-entry-169.html
鎌田富士敗退記
http://homepage3.nifty.com/yappariyama/030426kamatafuji.htm

厳冬期がメインの時期で、GWに登られた記録はないかと探しました。

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 5月5日、涸沢岳西尾根を 9人パーティーで下山中、先頭を歩いていた 1人(男性・19歳)が、標高2,200メートル付近で足を滑らせブドウ谷へ滑落、同行者で付近を捜索していたところ、さらにもう1人(男性・29歳)が滑落し救助要請。
すぐさま、常駐中であった航空隊と警備隊が現場へ急行し捜索を開始、ブドウ谷の標高1,800メートル付近で動かない 1人を発見、さらに 100メートル下部でもう1人を発見し、現場付近は天候が安定していなかったものの、航空隊と警備隊の連携により、遺体となった 2人を収容した。
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調べていたら、平成26年度の北アの遭難白書をみつけました。
http://www.kitaalpsgifu.jp/image/h26hakusyo.pdf

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3月22日 涸沢岳 〃 3 有 65 男 無職 兵庫県 1 滑落
3人パーティーで涸沢岳から下山中、西尾根の標高約2,700メートル付近の岩稜帯で1人がスリップして滑落し、同行者から救助要請。翌日、鉱石沢の標高2,100メートル付近で発見、収容。2 22

5月5日 涸沢岳 大学山岳部 9 有 1929 男男 大学生 公務員 神奈川県 神奈川県 2 滑落 9人パーティーで涸沢岳西尾根を下山中、先頭を歩いていた1人が滑落した ため、同行者で付近を捜索中していところ、もう1人がさらに滑落したため救 助要請。 1 13 警察
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位置関係が分からないと理解できないので、概念図を出しておきます。 左の方にあります。


http://www.geocities.jp/takehana056138/Japanmountain/karasawa_nishione.html より引用。

上記のサイトによると、世界で最初に3大北壁冬期登高した人が遭難した、ということですが、誰なのでしょうか?

その三人は、

 小西政継 1996年10月1日- マナスルに登頂後、消息を絶つ。 長谷川恒夫?
 遠藤二郎  ???
 星野隆男 星野隆男 昭和48年12月穂高で事故死。33歳

ということなので、星野隆男さんでしょうか。

ともかく、涸沢岳西尾根、鎌田尾根付近は油断禁物、ということです。

地図上でも見ても、取り立てて悪いところがあるように見えないところがトリッキーなのかもしれません。

後日談 2015.5.07

穂高岳山荘ぼちぼちいこか、より引用
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今年はこの時期としてはちょっと考えられないくらい雪が少なく、普段であれば岩と雪のミックスとなるルートの多くが完全にドライコンディションとなり、アイゼンを必要とする場所とそうでない場所とが極端に分かれてしまっている状態でした。

4月30日の涸沢岳西尾根の事故はそうした「雪が無さ過ぎたがゆえ」とも思われるのです。
現場は蒲田富士からの下りの古いフィックスロープが残置してある岩稜付近。
山荘から涸沢岳稜線、蒲田富士と全く雪を踏まない下降路にあって事故現場付近にはわずかな残雪があったそうです。
おそらくその雪を避けようと本来のルートと反対のブドウ谷側を巻こうとして事故に至ったのではないかと推測されます。
遭難された方はアイゼンを装着していなかったとのことですが、それがミスであったともぼくには言えません。
山荘からあそこまでアイゼンをつけずに降りたのなら、おそらくそのほんのわずかの雪のためにわざわざアイゼンをつけるかどうか自分としてもわからないです。

そもそも例年であればこの時期の涸沢岳西尾根をアイゼンをつけずに降りるなんてことはあり得ないのですから。


ある年の6月に西穂〜奥穂縦走をやった折、天狗のコルからジャンへの登りで前後は全く雪が無いのに急峻な雪のルンゼの横断に4、5回もアイゼンの脱着を強いられてウンザリしたことがあります。
ただあの時は他に選択肢がなかったからそうしたのであって、もしも脇に巻けるような岩稜があればそちらを行ったかもしません。
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御坂の春山合宿真砂尾根では、ずっとアイゼンを付けたまま岩稜とハイ松のミックス帯や岩稜帯を行きました。まるでアイゼントレみたいでした・・・

ーーーーーーーーーーGoogle先生からの検索情報ーーーーーーーーーーーーー

検索結果1)ヤマレコ

蒲田富士まで、岩場の巻き道の急登と、1ヶ所岩をよじ登るところがあり注意箇所か。雪質はさらさらで踏ん張りが効かなかった。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-379145.html

検索結果2)ブナの会

涸沢岳西尾根〜奥穂高岳は積雪期穂高の入門ルートとされているものの、難易度としては多くのルートガイドでは中級として十分手応えがあるという評価となっています。森林限界を超えてからの雪稜〜オープンバーンの斜面では雪の状態によっては気を抜けるところがほとんどなく、持続的な緊張を強いられます。雪庇や雪の状態を評価できる氷雪技術、知識、アイゼンワークが必要。ネット情報では簡単に記載されているものもありますが、滑落事故も頻繁に起こるルートなので、初級者を帯同する可能性があるからこそ慎重に企画したいルートです。
http://www.bunanokai.jp/archives/7842

検索結果3)
アルプス北壁三冠王と言われた有名な登山家が、西尾根のテント場付近で雪庇を踏み抜き滑落死してしまった。油断大敵である。
http://www.geocities.jp/takehana056138/Japanmountain/karasawa_nishione.html

検索結果4)
http://www17.plala.or.jp/kouno0622/130104/20130104.html
蒲田富士直下は急な雪壁を右上します。FIXロープがありますが凍って半分埋まっていますのでアテにはなりません。ダブルアックスなら安心ですが、下降時は雪の状態次第でFIXの残置を利用して懸垂する方がよいと思います。

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どうでしょうか?これを見て ”昔から鬼門”と理解できるほどの、シリアス度があるルートとは感じられないかもしれません。

あわせて、こちらもお読みください。



6 comments:

  1. 積雪期の涸沢岳西尾根は昔から鬼門です。
    70年代80年代も毎年のように滑落死亡事故がありました。 
    年末の蒲田富士でチビ谷側に落ちて亡くなったのは星野隆男さん(山学同志会)です。
    私は大学山岳会の初めての冬山で穂高を経験し、帰京した矢先にその訃報を聞いたと記憶します。 

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    1. 昔から鬼門だったのですか・・・ そのような情報はネット上どこを探しても出てこないかもしれません。
      ガイド登山の募集のセリフでも、過去の遭難事例や危険個所については触れていないし・・・まぁ触れたら誰も来なくなるのかもしれませんが、来なくなるくらい脅しておいて、それでも登りたい人だけが行くというのが本筋なのかも… 講習仲間だった人なので、とても残念です。体力があって強そうな人でした。が経験はそれほどでもない印象の方でした。

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  2. おそらく昔からの死亡者は10人を越えてると思います。 
    運よく助かった方も負傷か無キズかに拘わらず沢山いると思います。 
    どうしてもキレットやジャンダルムなどの主稜線や滝谷など穂高の有名所の事故に目が行ってしまいがちですが、積雪期限定の尾根として、事故の多さは特殊なところだと思います。 

    日本のネット普及は1995年頃から(当時勤めていたソフト製造販売会社での記憶)ですから、社会の諸データのデジタル化はそれ以降ですし、過去のデータはほとんどアナログのまま眠ってますから、ネットで検索しても無理ではないかと思います。

    経歴の長いガイド達は知ってると思います。 しかし、募集文にネガティブなことは書かないでしょう。


    ところで、Google先生からのまとめ、とした「涸沢岳西尾根」ですが、
    「アルピニズムの原点を感じさせる、感慨深いルート」という説明には違和感があり、賛同しかねます。
    近くにある前穂高北尾根、ジャンダルム飛騨尾根、滝谷の諸尾根、などを指してそう言うなら頷けますが、そういった主役級のクラシック・ルートを差し置いて、「原点」だ、「感慨深い」だ、は全く理解できません。

    そもそもここは白出沢や涸沢といった雪崩の危険が高いルートを避けて穂高の主稜線に登るラインとして、冬期に限定して、それも主に戦後になってから辿られるようになったところです。 
    「日本のアルピニズム」が隆盛した昭和初期の、穂高主稜線や滝谷の冬期登攀開拓期にあって、涸沢岳西尾根は主役になったことはありません。

    私の所属した大学山岳会の先輩たちも、槍~奥穂の縦走隊に対して、サポート隊がこの尾根を登ってチャンスがあれば奥穂にも登頂するという春山合宿(2月~3月期)を2回行っています。
    私は社会人山岳会で前穂北尾根から奥穂や滝谷を狙ったときに下降路と考えてましたが、北尾根か4峰正面壁だけで敗退したので奥穂には辿りつけず、この尾根を辿ったことはありません。 

    なお、日本第2位の高峰は奥穂高岳ではなく北岳です。

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    1. yosemiteさん、私も” 「アルピニズムの原点を感じさせる、感慨深いルート」という説明には違和感があり、賛同しかねます。”のところに違和感を感じて、アルピニズムの原点って、この方、何を指して言っているのだろう?と思い、後で調べました。 私にとっては前穂北尾根がアルピニズムの原点と言うのにふさわしい場所です。

      しかし、それにしても、それほど遭難が多い場所とは・・・。そうした情報こそ重要な情報なので、共有する手段を確立してほしいなと思います。山岳会による口承伝承は、もう機能しなくなって何十年もたっているようですので・・・。

      経歴の長いガイドさんたちも今ではお金を稼ぐのに一生懸命で、登山のあるべき姿を伝える、ということより、TVや雑誌に出て有名になること、を目指しているような感じ。衣食足りて礼節を知る(ちょっと違うか)、まぁそんな感じのような印象です。

      もし他に有名な事故が多いルートをご存知でしたら教えてください。

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  3. 恐らくこの方は、冬期の北鎌尾根、前穂北尾根、西穂~奥穂、南岳~奥穂の稜線といった槍穂高の一流どころを経験したことがないのだろうと想像します。
    上から目線で申し訳ありません。
    がしかし、「アルピニズム」というコトバを持ち出す限り、山のルートとして総合的な難易度・危険度・隔絶度などによるヒエラルキーを無視することはできません。
    そして、その上でさらに歴史と風格を兼ね備えたルートでなければ、「原点」というコトバで形容するにふさわしいとは言えませんね。

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    1. そうなんですよね、「アルピニズムの原点」とか書いてあるから、どういう点が原点なのか?と思ってしまいます。でも、単純にテントを担いでいくことを指しているみたいです・・・(汗) 

      ちょっと話が逸れますが、最近の人は、自分で登山道も調べられないのに、いきなり厳冬期奥穂らしいです。 たまたま涸沢岳西尾根を検索していてヒットしたのですが、なんだか、山岳会にもこういう人いるよな~と思いました。この人がもし行くことにすると、先輩はついて行かないと行けなくなりそうですね。
      http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1445625024

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