最近考えていると言うか、しみじみ身につまされつつ感じることは、
アルパインの始め方
は、誰にとっても難しいのではないか?ということです。
指導する側から見るとHow to育成。
新人の立場の視点では、自ら学ぶにはどうしたらいいか?
英語だとTeachYourselfと言ったりします。
私がもらったベテランの助言は、同じような立場の人と分かち合うべきなのではないか?
と思ったりします。それで、このブログではいくつか教えてもらったことを分かち合うための記事を書いていますが、
習熟
という段階に来ると、一人ではできないことがフラストレーション化するアルパインクライミング(^^;)。
■ 欲しいのはパートナーではなく、練習仲間では?
一通りの知識を授けられてから、その後と言うのは、誰もが教えられたことを使いたくて、たまらなくなるのではないか?と思うのですが…
それには、どうしたらよいか?と言うことの答えに大抵の人は
ザイルパートナーを持つ
を答えるのだと思います。
でも、少し感じることは、
それは、正確ではないのではないか?
ということです。 本当は欲しいのは、
練習を一緒に出来る人(クライミングメイト)
なのではないでしょうか?
山って一緒に行くのは、結構大変なことです。その大変さは、デートと結婚生活の差に例えられるかもしれません。
デートをする相手は、一時のこと。
結婚って、一生のこと。
それくらいの濃度の差があるのではないかなぁと思うのです。でも、デートがないと結婚もないノダから、バンバンデートするのはいいことのような気がしますケド。
山は、ザイルパートナーというよりも、一緒にいて楽しい人、行きたい山が合う人がいい。
■ 同じ山に行っても、違う意味付け
色々考えると、会の中でも、それぞれの会員のそれぞれの山行の特色は色々です。
同じ山に行っても、百名山ハンティングになる人もいるし、ならない人もいる。
同じルートに行っても、硬派なバリエーションになる人もいるし、軟派バリエーションの人もいる。
地図読みの山に行っても、探検や発見の喜びというより、修業になる人もいる。
同じクライミングをしていても、一緒に育て合う仲間もいれば、競争する仲間もいる。
その人が、一つの山行をどう位置付けるか?それはそれぞれ違う。
山行の意味が共有できていなければ(厳密な意味での100%相違のない共有はないのでしょうが…)同じ山に行っても行っていないのと同じなのかもしれません。
そういう意味では、
互いの思いがある程度一致することが、山行前に山行の成否を決めてしまう
のかもしれません。
No comments:
Post a Comment