Thursday, April 16, 2015

飯盛山で創造的な登山を思う

今日は、カメラをやっている友達と飯盛山に行ってきました。

飯盛山は八ヶ岳の展望が良い山です。奥秩父縦走の終着点。はるか笠取山あたりから縦走することもできます。

私は金峰山から甲武信まで縦走した時に、金峰山で終らずに、横尾山へ足を延ばし、飯盛山で終ることができればいいなぁと地図を見て考えていました。つまり、分水嶺を忠実に辿る旅です。

飯盛山も横尾山も単体で行くには小さく、端山と言っていい山なので、自然観察とか、親睦とか、その他の特別な目的があったらいいな、という思いがありました。

今日は、その思いが叶えられた形で、友達との親睦の山です。

■ 時代の変遷

人は自分の生まれた時代の思想を知らず知らずに身に着けているもの…。いつの時代も、若い人は否定されます。なんとアリストテレスの時代から、年長者は「最近の若い者は…」と言い続けてきたそうです(笑)。

今の時代はどのような時代か? 

それは、現在登山の世界で主力の中高年たちが生きた時代とは、まったく正反対の時代です。

右肩上がりの時代と、右肩下がりの時代。

ハングリー精神が通用した時代と、すでに何もかも揃って生まれてきた時代。

今から何かが起こる期待にあふれた時代と、すでに面白いことは(破たんも含めて)起ってしまって、その残渣を集めるような時代。

希望がある時代と希望がない時代。

親より子供が豊かになることが普通だった時代と、親より子供のほうが貧しくなる時代。

私は年配の山のお友達と山に登るのも、長年蓄積した山の知恵を授かる機会に思えますが、師匠は、「今の人は不幸だ。夢がない」と言います。

言われてみるまで、登山に大志を抱くことなど、思ってもみないことだったので驚きました。

言われてみれば、確かに、昔の人は分かりやすい夢がありました。一ノ倉沢。滝谷。ヒマラヤ。エベレスト。ヨセミテ。万人が共通して見ることができる夢です。

昔の人は、エベレストに無酸素で!と言えば、登山のド素人でもエベレストが凄いことや無酸素と言う意味は分かりました。何が凄くて何が凄くないか、もう明らかすぎるくらい単純だったのです。

今では、”キャシャール”って言って、登山を趣味にしている人の中でも分かる人って、どれくらいいるでしょうか?

アダム・オンドラが5.14を登っていることは知っていても、それがどこの国にある、なんていう岩場か分かる人がどれだけいるでしょうか?

それは何も登山の世界だけに限ったことではなく、私が知っている世界で言えば、コンピュータの世界もそうだし、英語の世界もそうです。

昔のように、ただ漠然と遠くに見える星を目指したり、世間に与えられるものをそのまま受け取って愚直に頑張っていれば、幸せにたどり着ける仕組みには、今の時代はなっていません。

つまり、山岳会に入会しさえすれば先輩が導いてくれた時代は過ぎ去った過去のことです。

自ら取捨選択し、自ら歩む人でないとどこへもたどり着けません。

ただ普通に頑張れば、普通の幸せがあった時代は過去のこととなり、今は、ゴールも不明瞭です。

それに、そもそも、ゴール自体が見えない世界で、誰もNo1なんて目指したいと思わないのかもしれませんよね。 

だから、ただ愚直に頑張るっていう作戦は役立たないのです。もう、みんなすでに同じことをやっていて、それではどこにも何にもぬきんでないのですし、ぬきんでたところで、辿りつくところは、昔のように分かりやすい場所ではないのは分かっているのですから。

■ 新しい登山

私は、山梨に来てからは、

 山さえできたら、まぁ文句は言うまい

と思って過ごしてきました。

 世の中で何が掛け値なしに価値があるだろうか?

と考えたとき、

 自然の中で過ごす時間

は、その後の人生において財産となるだろう、と考えたからです。

都会では”自然”や”ゆったり流れる時間”、”今日のお天気が分かる生活”や”静けさ”は、最大の価値があるものです。

今山梨にいる今しかできないことをして過ごそう、そう思ったのは、ハーフエンプティを憂いて過ごすより、ハーフフルを見て、有意義に過ごしたいからです。

でも、率直に言って、私は今現在逆境ですよね。仕事も失い、子供も産めない女性の人生に残されたものはなんでしょうか?お金もなく子供もなく、お先真っ暗とはこのことでは(笑)? 

仕事もあれば、子供もいて、親が世話した家に住んで、私よりもうんと恵まれた豊かな人生を送っている人に、よく妬みを買うのですが、何もかもを得るのは無理ってものではないでしょうか?私は仕事を取っていた時代には、趣味に費やす時間などなく、すべての時間を仕事に捧げていましたが・・・(笑)?

山梨に来て、よく幸不幸を逆転して考えている人に出会う気がします。そういう人はどんな立場に立っても、自分こそ不幸と考えるのではないでしょうか?

■ 中高年登山も、ガイド登山も講習会も違った

登山の世界でも、世間が与えるままに受け取ると、ろくなことはありません。

山の世間から最初に与えられようとしたのは、”中高年登山”でした。「危ない」の大合唱…それで言うとおりにすると、「そっちのほうが危ないんでは?」と思える具合でした。

象徴的なのはギアです。中途半端な、爪の出ていない10本歯アイゼン…は、それくらいの半端な品で十分であるような山にしか行くなと言う意味です。すでにその商品に、”あなたにはこれくらいね”と価値観が込められています。押し付けですよね。

次に、与えられるままに受け取るとなると、”ツアー登山”です。ブレーメンの音楽隊のようにぞろびいて歩くのが登山ですよ、と言うのです。「アナタのためだから」。ホントでしょうか?むしろ、山ではもっとも危険が大きいのがツアー登山のように見受けられました。何しろ雷がなっていても、稜線へ行く人たちですからね!しかも30人で。

次に、与えられたものは、”ガイド登山”です。むろん、ガイドさんが良い人だったので教わったことは価値があることだったのですが。でも、実際ガイドさんが自分の利益になるように進めるためには、できるだけ登山技術を教えないほうがいいのです。犬の散歩のようにつながれて歩く登山ですが、「それって登山なの?」って問えば、どんなガイドだって「自分で登る山がホントの山だ」と答えます。じゃあ、違うんじゃん?でも、教えるのは嫌なのです。客でなくなるから。

つまり、今、初心者の登山者がいて、山の世界がその登山者に与えようとするものに、もし一言も”No”と言わなければ、

半端なギアで行ける程度の山(ホントは自分で歩ける)へツアー登山orガイド登山で連れて行かれる、という非自立の世界へ、否応なしに導かれる

ということです。良い子は騙されてはいけません(笑)。自分の目で見て、自分の頭で何が自分にとって価値があるのか、正解なのか、判断しましょう。

それは今まで通用した生き方が、もはや通用しないことと相似形です。

親や学校…つまり世間…が進めるままに進路を選ぶと、今の成績で行ける学校へ行き、親のコネでそこそこの会社への入社を選ばされ、早めに結婚して親に半分出してもらって家を建てる、それがあるべき幸せの形だ、という話と似ていませんか。

安全かもしれませんが、その安全は本当に今もそうなのでしょうか?そして何より、そこにはあるのは、誰のための人生なのでしょうか。一体誰が何をしたいのでしょうか?

そうしたことは約束が脅かされない限り問われません。ですが、約束された幸せや安全を反故にされた人は周りにはいっぱいいませんか?あるいは、35年ローンのために幸せでないにもかかわらず何かを変えることはできなくなって、身動き取れなくなっている人は周りに一杯いませんか?

昔はそういう人は見えづらかったのに、今の時代は石を投げれば当たるほどいっぱいいます。だったら、そういう人が理解したことを、自分がそうなる前に理解しても良いのでは?

そういう意味では、私は登山の世界で、与えられるままに受け取ることを良しとせず、

 ただ自分の身に、より大きな危険が及ぶと、理解したものにNoと言い続けた

ら、今の場所に来ました(^^;)。 (って一体どういう事でしょうね?)

最も安全だと思った道を選んだら、今いる場所についたのです。

■ 私がNoと言ったこと

最初に、中高年登山にNoといい、次にツアー登山にNoと言い、そして、講習会にNoと言いました。

登山を何も分かっていない上、生活習慣病などの健康リスクを抱え、コースタイムでは登れない標準的な中高年登山客と登るくらいなら、若い人は単独の方がリスクが低い。

ツアー登山では、団体のペースに合わせなくてはならないより、一人で歩いたほうが確実に早く、その分危険が少ない。その上、大雨で行きたくないのに出発しなくて済みます。結局のところ、引率している人が自分より優れた判断をすると、どうして言えるのでしょうか…?

講習会は、非常に有用な仕組みです。私は他の人にもぜひ講習会こそに出て欲しいです。現存する唯一の有効な登山技術伝授の仕組みです。ですが、Noと言わざるを得なくなったのは、一緒に学んでいる人たちを見て、こんな人たちと一緒に登ったら殺される!と思ったからです。セルフは取らない、確保器は反対、支点は一か所、セカンドで登れるだけでビレイは止めたことがない、でも通用していると勘違いできてしまいます。

人工壁も、特定の目的を成就するのに、非常に有用な手段です。ですが、そこでグレードを高めていくことは、登山とはまた別の活動になっているのに、なぜそれこそが登山者のあるべき姿だと同調しないといけないのか…?

誰かにとって、人工壁で頑張ることが登山活動であっても良いですが、私にとっては、登山とは、あくまでも、山の中で行う活動でありたいと思いました。

そういう風に世の中の同調圧力にNoと言い、それでも成長を続ける…と、結局今いるところに来たのです。

昔の人は もしかすると、「Yes! これこそが私が求めていたものだ!」ということが、スーパーで品物を買うように目の前に並んでいて、選べば済む時代だったのかもしれません。

有名な人の自伝などを読むと、見つけるのが早期で、そして後はただ頑張れば良かったことがうかがえる描写が多いです。

”求めていたもの”そのもの、を創造しなくてはならなかった人たちはあまり多くないようです。

一方、今は、自分が求めているものをゼロから作り上げないといけない時代ではないでしょうか。

すでにありとあらゆるネタは販売済みで、特許も取られた後、なのに、どこにも自分の欲しいものは売っていないという状況です。

ないものは作るしかない・・・

ですから、そういう時代には、売り物でない、自分だけのオリジナルな登山を追求してきた人の意見だけが参考になります。

しかも、それとて、その人の場合はそうであって、自分の場合は同じ外的環境でもなく、求めているものも同じではないのですから、役に立つかどうかは分からないのです。

しかし、それでもフレームワークがないよりはあった方がいいに決まっています。

■ 山行履歴と記録からにじみ出る、その人らしい登山

今日一緒に出掛けた人は、カメラをする人です。表現者とは常に、自分が表現したいものを追い求めています。

それは、私の登山も同じだなぁと思いました。

登山の記録から、にじみ出るもの…それがその人の登山です。

カンタンに言えば、岩ばっかり行っていれば、岩が好きなんだろうし、沢ばっかり行っていれば沢が好きなんだろう、と分かります。

一つの山に通い続ける一途な人もいますし、人気の山にしか行かないミーハーな人もいれば、評判がすでに分かっている選りすぐりのルートしか行かず、開拓はしない美人好きの人もいます。逆に立派なルートには興味がなく、ちんけと言われようとも、開拓ばかりしている、新し物好きな人もいます。

山の難易度においても、どんどんステップアップして直線的な傾向であれば、上昇志向の強い人であろうし、逆に普通に行けば1泊二日で行けるところを2泊3日で行くような山ばかりであれば、リラックスを山に求めているのだろうと分かります。

連れて行ってもらった山行ばかりであれば、どんな難しいルートに行っていても、依存心の強い人ですし、難しいルートがなくても、自力山行ばかりであれば、それは独立心の強い人であると分かります。連れて行ってもらったルートに、2度目は自力で挑んでいれば、その人の真摯な姿勢が見えます。

結局、山行履歴と誰と行ったか?を眺めていれば、おのずとその登山者像は浮かび上がります。

凄いバリエーションルートが並んでいても、ガイド登山であれば、意味するのは、その人がお金持ちだと言うことです。

さらに言えば、一つの山行をとっても、その意味するところは人さまざま。

誰かを思いやるための山もあれば、自分だけの心の充足のための山もあり、チャレンジもあれば、ご褒美もあります。ただ山行のルート名だけ見ても、その山行の意味、特に個人にとっての意味は分かりません。

例えば、前穂北尾根は、一般的にはバリエーション入門の山です。会の先輩たちにとっては、後輩へ渡すプレゼントの山です。私にとっては、疑問解決の山でした。

■ 生き方が出るのが山

人生自体が、実際、いつの時代でも、非常に大きな個人の創作活動であり、結果でした。

ただ普通だから結婚し、普通だから子供を産み、普通だから、郊外に一戸建てを買い、普通だから犬を飼って、家庭菜園をしていれば、なんにも疑問を感じずに、これが人の幸せなのだと思えた時代のほうが異質だったのかもしれません。

それは、ただの趣味である登山でも全く同じかもしれませんね。

登山活動自体を大きく創作活動ととらえて、私は私の新しい登山の意味、価値を追求して行きたいし、たとえ、そうしたくなくても、結局のところそうなるなのです。

それは登山以外の趣味の世界でも同じでした。昔はだれもが目指したプリマ…を目指さないバレエもあれば、解脱を目指さないヨガもあり(叱られそう!)、新しい価値が想像できない人は価値を創造もできず、ただ皆が行くから行くレッスンに終わるに過ぎないのです…。

何年たっても何も積みあがらない・・・。「バレエは報われない」と言って去っていく人が多く、ヨガでは整骨院に行くことになって終わる人が多いと言うことから、逆算できる事実です。

彼女がカメラで自己表現を追求するとき、カメラ技術が必須だったように、わたしにとってはクライミングやロープワークは、登山を真面目にやるなら必須の技術と思えました。

私の中では、技術とはそういうことでした。ですから、今そうしたことがやっとひと段落して(まだ登山者としては半人前で、一人前としてはセカンド限定ですが)、

私は私の山に戻ってきたいよな~

というような具合です。

これからは心から自分が楽しいと思えるような登山をしたいな~☆

もう高い入学金は払い終わりましたかねぇ・・・まだ多少の未払い金があるのでしょうか(笑)。

 ■ 今日の飯盛山

朝は8時集合。一台に乗り合わせ、8時22分出発。

あれが飯盛山。

同行者は何度も来たことがある山だそう。

実は冬にも来て、ラッセルが必要だったそうだった(笑)

たしかにね~楽しくラッセルできそうでした。もしかして、女山まで行かなくてもよかったのかも?!
 南ア方面はかすんでいます。



 のんびりとしたカヤトの尾根・・・横尾山まであるけそうです。

次はP1656まで行こうかな。
 時代劇的な遺跡。

首をちょんぎられ、胴体だけになった遺体が埋められた場所らしい・・・

今日は、稜線をちょっと歩いて、引き返して飯盛り山まで行き、ぐるりと周回して下山。

下山完了、12:30.

ゆとり。

それでも午後は雲がちになった。

すごい音で、戦闘機らしきものが上空を飛び去って行った。



帰りは時間があったので、いつも時間がなくて寄れず、名前を知るだけであった、おいしい学校へ、寄ってみた。

この辺りはまだ桜が満開。

カフェでバナナタルトとコーヒーで600円。

今日歩いたルート。ここは色々歩けそうだったが、地図読みは不可。

というのも、ぐるりと鹿柵で囲われていて、それを乗り越えるのは人間にも苦労しそうだから。

分水嶺をのんびり景色を堪能しながら歩くのが良いところだと思います。

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