Saturday, January 24, 2015

古い岳人記事: 小川山ステップアップ

■古い岳人礼賛

今日は図書館で 古い岳人を借りてきた。

私は時々、古い岳人を借りるのだが、岳人の編集が現代の物とは、

 視野の広さ

という点で大違いなのを時々感じる。

しばらく前の記事で、

  • 八ヶ岳のステップアップが廣川健太郎さんに指南され、
  • 冬山のステップアップが菊池敏之さんに指南されていた

件は記事にした

今の岳人、また、山と渓谷には、

  山上駅から始まる山

という特集や

  ソロ登山特集

あるいは

  山ごはん特集

という特集があったとしても、(何も食当特集が役立たないとは言わないが・・・)

  • ワンシーズンを単位として、どう登山者がステップアップして行けばよいか?
  • 1年を単位として、どう登山者がステップアップして行けばよいか?
  • そのステップを上がったら、次はどこへ行けばよいか?

を指南する記事は非常に少ない。平たく言うと視野が狭い

雑誌を連載する編集者の視野が狭くなったのか、それとも寄稿を寄せる人たちの質が落ちたのか知らないが、基本的に、

 一時的で刹那的な喜びや勝利を語った記事

しか見ないので、そういう雑誌に率いられる登山者も、いきおい、そうなるのだろう。

■ソロが一番安全

まだ登山1、2年の頃、つまり山岳会も想像だにせず、クライミングもたしなむ程度、ギアも持たず、講習会も視野に入らない頃、どういう登山スタイルが最も安全だろうか?と山のベテランと議論して、それは

単独か夫と行く山

ではないだろうか?という結論が出たことがあった。

依存的な人と行けば、こちらの負担が増える。高齢者と行けば、救急箱替わり。初心者と行けば、ガイド代わり。弱い人と行けば、シェルパ代わり。

一般的な登山が可能な、健康で、なおかつ体力と判断力が健全な人にとっては、

 誰かと行くほうが安全になるとはあまり言えない、という結論

だった。

そのことを示しているような、2015年2月号の各山雑誌の特集だと思った。

■ 山にはその人の生き方が現れる

そういう風潮の中で、初心者の時期から、古い雑誌に出会え、八ヶ岳研究に出会え、北八つ彷徨を読むことができたのはラッキーだ。

でも良く考えると、私は特別な幸運に出会えたわけではない。多くの人が私と同じ機会を得ても、それを素通りしただろう・・・と思う。実際その現場を目撃したことすらある。

私が古い山の本を読むことになったのは、古老の岳人との出会いが元だ。

八ヶ岳研究を読むようになったのは、ピッケルの使い方を学ぼうとした人が渡してくれたからだ。

岩場で老練なクライマーに会ったら敬意を表するべきだ。

岩でも山でも、心ある人は皆が互いの安全を心配してくれている。

私は私が持ったのと同じ出会いを素通りしている人を何人か見ている。

最近思うのだが、その人がどんな登山をしているかを見れば、その人の生き方が見える。

依存して生きてきた人は何年たっても依存的な山をし、コツコツとした努力で積み上げることで成功を勝ち得てきた人は、その成功哲学と生き方が山に反映されている。

自分を過大に評価してきた人は、やはりどんな内容の山をしても、自分のことを顧みないし、山そのものは見ていない。

ブランド主義の人はブランド主義者のままで、日和見主義な人は、都合の良いパートナーシップを求める。

生き方が現れるの山だ。 山にはそういう側面があるのだから、恥じない山を続けていくことがより一層大事だと思う。

≪参考 岳人629号≫
「フリークライミングの故郷 小川山の味わい方」と題する、菊池敏之さんの記事がある。初心者からステップアップする小川山のルート名が記されている。

 特集はロープウェーで登れる山。

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