Thursday, January 15, 2015

核心とリスクテイキング

■ うれしい雪?

今日は午後から雪が降ってきました。昨日ブドウ畑に行って、「明日は雪ですよ!」なんて豪語してしまったので(笑)、ちゃんと?雪が降ってうれしいです。雪明りで外が明るい!

いつもは午後に出かける買い物も、今日は午前中に済ませてしまい、もう出かける用事はないので、のんびり、冬の雪の日を愉しんでいます。

昨日は、畑の用事は、家の中の用事と同じだな~と思いました。やり出すときりがない(笑)。

今日は、パンを焼いたので、パンが焼けている、かぐわしい香りが漂って、もうすっかりリラックス。家の中で過ごす日も良いものです。

■ 核心はクリティカル

英語には、たまに日本語にしづらいな~と言う言葉があります。クリティカル、という言葉もそうです。Criticalな〇〇という表現が多いです。

クリティカル、という英語に対し、日本語でぴったりするものは、”核心”ではないだろうかと最近、思いました。登山で”核心”と言えば、もっとも難しい箇所のことを言います。

例えば・・・

 時間核心 → 時間通りに登って帰ってくることが難しい、時間の管理が難しい。
           登山道に危険があるのではなく、のんびりすることに危険があるという意味。

 アプローチ核心 → ルートそのものではなくて、そこへ行くまでが大変と言う意味です。
              岩登りで良くあります(笑)。


■ 核心が重要

 核心が何か?

を中心に考えると、リスク中心の考え方ができるのではないか?と思います。

核心がなぜ重要なのか?というと、そこ一番難しい点なので、

 核心を理解しているか?いないか?

が、登山の成否を分けるからです。 

■ 計画で核心を見つける

山行計画を立てる人は、深く考えていなくても、ごく自然に、

 今回の山行の核心は何か?

を発想の中心にしています。 行動の指針をそれ中心に打ち立てるからです。

たとえば、道に迷いやすいという評判のルートであれば、道迷いの可能性がありそうな箇所を念入りに、事前チェックしてから望むでしょうし、時間が核心であれば、何時に折り返すべきか、それでも山頂に届かないときは何時まで許容できるか?というターニングポイントを考えている、と思います。

ただ、核心は何か?は行ってから、分かったりもします。たとえば、山自体は楽だったとしても、林道が降雪で埋まり、アプローチが核心だったと後で分かったりします。冬山では良くあります。

■ 共有が大事

核心が何か?を共有していないと、パーティに不協和音が響きます。 

時間が核心の時に、のんびりしている人がいると、その人の、のんびりさが足を引っ張ることになります。

時間の管理では、生活技術が問題になることが多いです。 スピードが核心のときに、なぜか余分な荷物を持ってきたいたりすると・・・ちょっとねー。

普通の登山にハイキングの価値観を持ちこんでいます。

そういう核心を見分けるには、おおよそのパターンがあります。

定着山行 → 重いモノを担ぐのは幕営地までにして、後は空荷でスピーディに行動。
          ライト&ファーストを意識していることが分かる。
          つまり、幕営してからが核心。
  
ヤドカリ方式 → 終始、衣食住全般を担ぐので、スロー&ヘビー。荷物が重いので、
           重さに耐えつつ、どこまで転滑落リスクに耐え、スピードが出るかが核心。
           下手に急いで滑落すると台無しなので、急がず急ぐのが核心。

こうした核心が何か?という考え方は、一般に自分で計画を立て、それを実行する経験が長いと、他の人が立てた山行計画に対しても、核心が何か?がよく分かるようになって来ます。

人の計画に乗っているばかりだと、「分かっていないね~」ということに陥りがちです。

■ 核心を共有することが大事

例えば、危険な所ではロープを出さないといけません。が、問題はどこが危険な所か?という共有の認識がなかなか難しいということです。

それを作っていくのも一つの登山活動です。背が高い人には易しいところが、低い人には難しかったりするのは普通です。

危険なところでロープを出すというのは、めんどくさがりには難しく、また、本当に何でもないところで、ロープを出すわけにも行かないので、加減は非常に難しいです。

私が最近、目安にしているのは

 前穂北尾根 5,6のコルから全部出す → 一般登山者(ガイド登山者)レベル
 前穂北尾根 3峰からしか出さない    → 山岳会レベル

です。ガイド登山では、ほんの少しでも滑落の危険があればロープを出し、そのスキルがないガイドは、ガイド失格です。

山岳会では、ガイド登山ではないので、ガイド登山でロープがでるところでロープを出さなくてもOKです。

が、より易しいところでロープが安全確実に出せるようにならないと、さらに難しいところでは切羽詰まっているので出せません。

ですから、出せないから出さない、というのはダメです。

という事情から、ロープ無で行ける!と思っても、最初のうちはロープを出す練習と思って、できるだけリスクを取らない精神が必要です。ロープはどちらにしても保険にすぎませんから。

保険を掛けておいて、アブナイ橋を渡り、慣れてくれば、ロープを出さなくても、自信をもって危ない橋を渡れるようになります。

滑落停止訓練と同じです。あれは使わない保険です。でも保険があることで、自信ができ、余裕を持って行動でき、さらに行動の安全性を高めます。

■ リスクは人に内在する

最近思うのですが、山のリスクに対し、大きな誤解があるのかもしれません。

例えば、穂高で滑落があったとしましょう。人は穂高がアブナイ、と思います。しかし、同じ穂高でも何人もの人が無事通過します。ということは、穂高と言う場所がアブナイのではなくて、人がアブナイのでは?もっと言えば、リスクの取り方の判断に誤りがあるのでは?

 場所がアブナイ → ×
  人がアブナイ → 〇

例えば、悪天候で行く、と判断する人と、行かないと判断する人がいます。 行くと判断した人は、霧に巻かれてルートファインディングを誤るかもしれません。

その際、

 A、悪天候で行くと判断した、判断そのものが悪いのか?

それとも、

 B、霧に巻かれてルーファイをミスした技術が不足していたのか?

議論が分かれます。

霧が出る、というのは不確定要因で、悪天候でも霧が濃くない場合もありますから、Aのリーダーを強いリーダーと称賛する人もいるでしょう。

結果、無事帰ってくれば、判断はOKだったということになってしまいます。が結果論にすぎません。つまりラッキーにすぎません。

Bの時点でルートファインディングと言う技術が不足している、と考えることもできます。ルーファイは、基本的な登山技術なので、リーダーだけが責任を持つのではなく、メンバー全員が進路には注意を払っているべきですが、メンバーの中に、「この道は間違っているのでは?」と気が付く人がいない時点で、力量不足の指摘は免れ得ません。たまたま気が付く人が誰もいなかっただけだと確率の話になってしまいます。

普段の何でもない山行で、仲間のミスに気が付いてやれなかった、と反省する心が大事です。気が付いてやれたか、やれなかったか?は、山行の振り返りで分かることです。なので振り返りは、山行が問題なくても大事。

そういった、

 ・ラッキーをラッキーと分かっているか?
 ・反省をするかしないか?

というような、ことも含め、全員の力量です。

本来は山岳会において、どの程度のリスクを取るか?とう落としどころは、この力量ならココ、あの力量なこれくらい、と、伝統的に受け継がれてきたものではないか?と思います。

それは一つの会だけではなく、おそらく、日本中の山岳会で、なんとなく共有されている、落としどころがあったのではないかなぁと思ったりしますが、実際はどうなのでしょうか・・・?

もちろん、各会にはレベルというものがあるので、社会人山岳会レベル、大学山岳部レベル、ワンゲルレベル、山の会レベル、と色々とあったと思います。

同じ山でもリスクをどこまで許容するか?判断においてどれだけ、先鋭化できるか?は、技術や体力だけでなく、精神的な成熟度の問題なのではないか?と最近考えます。 

精神面で充実していないと、リスクは取れません。リスクを取るとずるずると失敗の連鎖にハマっていくからです。

平たく言えば、普段の山行から、いつも考えていないと、リスクはどんどん上がるだけです。

ということは、リスク許容の範囲と言うのは、どれだけ考えられているか?に寄るのかもしれません。

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