Tuesday, January 27, 2015

山岳会の記事 2005年岳人

■岳人2005年 6月号

ちょっと古い岳人をネット検索した折に、また別の古い岳人を発見した。

その号の特集が

  • 歩きを科学する
  • 補助ロープの活用術
  • マルチピッチのルートに挑戦してみよう
  • 平山ユージ 30の質問

と興味をそそられた上、180円くらいと格安だったので、購入してみたら、中に別の面白い特集があった。

『社会人山岳会の内在的課題に対する一考察』 

と題する記事だ。 ハードフリーという言葉を昔は使っていた、と先輩から聞いていたが、それが使われている様子を初めて見た(笑)。 2005年。今から10年前だ。

ハードフリーは今で言うフリークライミングのことだ。

この記事によると、山岳会の様子は10年間全然進捗していないようだ。今とあまり変わっていないみたいだ。

■ 記事の要約 

この記事を要約するとこうなる。

1)社会人山岳会の制約

  衰退の原因= 閉鎖性、封建制、反進歩性 ⇔ 会員個人の自己実現・ポテンシャリティーに対する制約

 ①二重在籍の禁止
 ②活動の制約 年間計画への強制参加、参加資格の制限、個々人の山行に関する制約

2)山岳会という社会集団

  ・趣味の「山」を通じて、自己満足できる組織
  ・本質的に排他的
  ・アイデンティティ

 今日、細分化された山の一分野で自己のポテンシャリティーをとことん追求するため、山岳会の束縛を嫌う者が増加しているのが現実である。

3)衰退への対策

 ・新人獲得
 ・入会希望者に会のコンセプトとキチンと話す 巧言令色は後で高くつく
 ・会員同士の交流を図る 
 ・年間山行計画の工夫 今日の時代では年間の山行計画は極力少なくして、出来るだけ束縛を軽くした方が時代に対応できる少なくした計画は厳密に実行すべき 最低限必要な仲間としての結束力は確保しなくてはならない

4)会員の自己実現

 組織としてのアイデンティティーの喪失 = 同人化

 同人化 = 他人との競争原理、実績主義、緊張感、= 自己実現全面展開

5)ハードフリーと山岳会

 ・ハードフリーは避けて通れない
 ・ハードフリー = 超個人主義・一人主義的、極度の競技性
 ・どこの組織にも属さないで一人で十分やって行ける
 ・アルパインと違い徒党を組む必要がない
 ・アルパインと異なり、困難ではあるが危険ではないことによる
 ・ルートは短く、支点は強固なので、アルパインと違ってクライマーにとり、ビレイヤーはさほど変わりがない
 ・フリークライマーは100%自分だけの世界に入って行く
 ・天上天下唯我独尊 極度の結果主義、実績主義

6)仲間意識vs超個人意識

 ・フリークライミングの超個人主義にとっては山岳会は不要であり、障害物でさえある。
 ・人と人の競争を回避する体質を破壊するもの

その相克を融和する手段は?

 ・フリークライミング、アルパインクライミングとも社会的には限りなく無価値、無意味な行為であることを強く意識すること
 ・これらの行為はたかがレジャーであり、単なる自己満足である。
 ・山に過大な意味を与えすぎる
 ・謙虚さとつつしみ深さが肝心である

フリークライミングの位置づけ
 ・本チャン、沢、冬壁、アイスなどの手段と位置付けるべき
 ・本人の努力
 ・フリーしかやらない者はハイキングしかやらない者と同様に入会すべきではない

以上、筆者要約。

■ 感想

感想その① 封建的というのはどういうのだったんだろう?

感想その② 半進歩性は良くないですね、常に進歩するほうが良いのになぜ?

感想その③ フリークライミングって超個人主義だったんですね~ 

感想その④ 山はやっぱり自己満足ですよね

感想その⑤ 山は自己満足と行っても、ハイキングしかしない、クライミングしかしないは不可、なんだな~

感想その⑥ これら対策は効果的なのだろうか?

感想その⑦ 会のアイデンティティを表現するのって、集団のアイデンティティの表現は非常にむずかしいのでは?

感想その⑧ フリーは手段に過ぎない 納得。

■ 山行管理は誰のためか?

私と夫は二人で山を始めた。山行の最初から、きちんと登山計画書を出して、登山口でポストに入れていた。

そういう感性からすると、登山計画書を出して、山岳会に山に行きます、という連絡をするのは、特に拘束と感じるほどの束縛ではない。

何しろ最近はメールで「下山しました」と言えばいいだけだからだ。ただついうっかり忘れる、というのは、何度かやらかしたことがあった。パートナーが出来てすぐは二人とも浮かれており、すっかり家についてくつろいでから、”あっ!”という訳だった。

でも、山行管理を嫌う人は多い

山で会って気が合いそうな人を何人か、山岳会にスカウトしてみたけれど、山行管理が嫌だから、入らないと言う。

みんな遭難、怖くないのかな…。

私は遭難を怖がっているので、単独だと小屋があったり、下界との遮断度が低いようなところしか行かない。逆に小屋さえあれば、無雪期も積雪期も単独は平気だ。むしろ歓迎。

以前、ベテラン山ヤに「山梨県境を一周したら?そしたら、みんなが尊敬してくれるよ」というような提案?挑戦状?をされた。とんでもないと一蹴した。

みんなに尊敬してもらうための山は、若き日のアルパインクライマーがやるべき山だ。

「山梨に来ちゃったから」みたいな理由で、趣味で本格的な登山をやろう、といような初心者の女性登山者がやるような山じゃないんでは?

むしろ、そんな危険な山を薦めてくるなんて、非常に無責任だと思った。

■ スキルアップするとリスクヘッジできる

とは言っても、最近は、お腹を空かせた熊がいる時期を外せば、藪山(登山道の無い山)も平気になりつつある。 昨今、熊の気配は濃厚なので、動物リスクは高い。

一方、厳冬期の登山道の無い山に、犯罪者が入ってくる余地は少ない。

つまり、私の登山技術が、犯罪者のそれを上回ってきたということで、私の当初の目的を達しつつある。

つまり「おばちゃんが団体で登ってこない山に登れる自分になる」、「犯罪者が登ってこれない山に登れる自分になる」だ(笑)。

そういう意味では、まっとうな路線に成長中か(ホッ)。

■ 山岳会=実家?!

私は、親の庇護のある家庭に育っていない。なので、親元から自立した時も、結婚した今も、何かがうまく行かなくなったとき、「ワタクシ、里に帰らせていただきます」という選択肢はない。逃げ場がない。

学生で18歳で親元から自立したけれど、自立そのものは容易ではあっても、何が困難か?と言うと、万が一失敗した場合の保険がないこと、だった。失敗は許されない。

自分で住むところを決め、自分で家賃を払い、自活する、そういうのは、何も困難はなかった。

しかし、やりたいことをやろうにも、思い切ったリスクが取れないのが、困難だった。

例えば、創業したばかりの会社のスターティングメンバーなどに誘ってもらったが、景気の悪い時代で、最低保障月収が生活費を下回ると、その仕事を取ることができなかった。(あとで結構大きな会社になった。外資)

チャンスにはリスクが付き物だが、リスクがマスクできていないとチャンスをつかめない。

それで、親元から職場に通う人が羨ましく、失敗した時、頼るあてさえあれば、リスクが高いが、リターンも大きい仕事をどんどん取れるのに…と思っていた。

リスクを取りたいのに取れない…という構造は、山の単独行と同じだ。

山岳会に属すことは実家がある、というのと似ている

会に属しておけば、突発的な問題が起きたときに身を寄せる場がある。

■ 会の束縛

手前味噌になるが、御坂山岳会には、束縛がない。それにはいささか逆に失望するほどだ。

私が、山岳会へ期待した機能の一つは、

Aという一つの山に行っていいかどうか?という判断が、自分では、なかなか難しいという時の判断力を補ってもらう、

ということがあった。

例えば四尾根などは、ルート情報を読み込んだけれども、やはり、今の実力でリスクを回避できる、という保証には感じられなかった。四尾根と間違えて二尾根に迷い込んだ人は遭難ギリギリのようだった。

山を選ぶとき、危険個所の有無は、皆調べると思う。

調べて危険個所がなければいいが、あった場合、どのような危険なのか?ガイドブックの書き方から、自分のスキルと比較して判断するには、行間を読む経験がいる。独特の用語使いがあるからだ。

たとえば、「初心者がいる場合ロープを出す」という用語使い。”アイゼンワークが怪しい人がいると、その人は他の人にとっては、なんでもないところで転ぶかもしれないので、ロープを出すべきで、ロープがないと、転んだら死ぬかもしれない場所がある”という意味だと分かるまでに3年くらいかかった。

私にとっては一般縦走路以上のルートは、未知の世界であり、自分で判断するには限界を感じる。

■ ベテランの方が視野が広いはず

私の師匠は山歴40年のベテランで、そうした人が持っている経験量と山歴5年がもっている経験量では、明らかに違うはずだから、視野は師匠の方が広く、私が見えないリスクが、はっきりと見えるはずだ、と考えるのが論理だと思う。

そういう場合、ダメと言われたら、どの点がどうダメなのか?ということが次の成長につながる。

ダメと言われたときに、いや行ける、という自信の根拠は何になるのだろうか?

私の会では、基本的に誰と山に行ってもいいし、どこに行くか?も、任せられており、逆に、行ってはいけない山(当人の実力以上の山)にも特に拘束がないので、それは逆に不安を感じる要因だ。

その不安は、個人的に先輩や、師匠に相談に乗ってもらって解決している。

いくつか相談に乗ってもらえる先をもっているということは資産だとかんじている。

■ 責任

ある会では、新人は一年間は破線ルートはダメ、ということになっているそうだった。

入会前にそれが束縛に感じるかもしれないよ、というアドバイスをもらったことがある。(実際はその会には入会していない。残念だったような、そうでないような・・・)

でも、その会は新人に対して責任感のある対応をしている、ちゃんとした会なんだな、とその時、思った。

一方で、入会前から破線を歩けるような人には来てもらいたくない、という意味かもしれないとも思った。

■ 知識を授ける側のむずかしさ

レベル分けと言うのはどこでも悩ましい。

アメリカに行った時、最初アダルトスクール(英語学校)に入ったが、入学するときのレベル分けがある。101~109まであるのだが、108で入った。日本人で、106より下に入る人はいない。

登山でも、バラバラな実力の人が、一つのカリキュラムに入るのは、難しすぎる人と易しすぎる人の差が出てしまうだろう。

また覚えるスピードと言うのがある。ロープワークは50歳を超えると覚えるのが大変のようで、おことわりの掲示をしている登山学校の参加資格をみたことがある。しかし、結び目の練習こそ、一人でも、できる分野だともいえる。

本格的な登山をするときに知っておかねばならないこと(知識)は、一定なので、教える内容は一定だから、レベルが違っても、同じ内容で問題がないはずだ。雪崩れ講習の内容が、ベテランと初心者で違うことはなく、繰り返し学んで身に着けることが大事だ。それに同じことを学んでも身に付く度合いの多い・少ないはある。

■ ベンチマークは読図とクライミング

本格的な登山と一般登山、登山とハイキングを分ける境界線の第一番目は、読図だ。次がクライミング。

だから、

 読図をヤル気がない人、
 クライミングをヤル気がない人

は、山岳会ではお呼びでないんだな~と上記の記事を見て思った。

だから優れた山ヤは読図が皆きちんとできるし、クライミング力もバッチリだ。

■ アイデンティティ

私がもっぱらわからないのは、自分の会のアイデンティティ。

私自身は自分のアイデンティティをできるだけ明確に出すようにしている。ときどき、批判ももらうので、至らない点は修正して行きたいと思っているが、アイデンティティはきちんと出しておかないと、求めるものが違うと結局はうまく行かない。

しかし、そうすると必然的に、的が絞られてしまうので、広く浅くという訳にはいかない。

最近は、山に行く機会が減っても、自分の山をする方が良いと考え始めている。単独のリスクを自分の読図力でカバーできるようになってきたからだ。

■ どの程度、共有するか?

山を単独で歩いていると、色々な人に声を掛けてもらえる。単独で歩いている方が同行者ができる。心配はありがたいものだ。

私も山梨で出来た知り合いのほとんどが、山で会って、一緒に山を歩いた人だ。

そういう風に山で出会いがあるので、一度会っただけで次からいきなりテント泊山行や、ソロテント二つ、というのは、当人たちにとっては、あまり突拍子もないことではないのかもしれない。

私も初めて一緒に行く人とは、ソロテント二つの方が二人きりでテントの中に入るより安心できる。

登山口集合は、所在地がバラバラな集団にとっては、普通だし、ガイド登山では、本来はピックアップはガイド山行の行程に含まれていないが、現状は、慣行に流されてサービスで皆やっていることだ。都会のお客さんは車がないことが普通だからだ。

だから、登山口集合でない山を山岳会に入ってやるようになり、交通費が節約できることに、初めて気が付いた(笑)。

■ 成長の障害

2005年の山岳会の不人気の分析によると、要するに

個人の成長が犠牲になる

ということらしい。山岳会が、行きたい山に行ってはいけないと制止する事態が、若い山やにとっては煩わしいということなのだろう。

私も、個人の成長が集団の足並みそろえのために犠牲になるのは、ちょっと窮屈だなぁと思うタイプなので、なんとなく分からないでもない。

正直、土日は限られており、限られた個人の貴重な時間を、自分は得るものが少ない山行に費やすのは、ボランティアだ。

だから、成長したい人が成長でいないインキュベータ(保育器)は、インキュベータと言えない。

同行してもらった方が安全が高まらないパートナーはパートナーと言えないのと同じだ。

やはり、相手にとっても得るものがあり、自分にとっても得るものがある、というWIN:WINの関係を短いスパンでも、長いスパンでも維持して行くのが大事なのではないだろうか?

どちらかがWIN:LOSEだと考えていると関係はどんなことにしろ、うまく行かない。

10 comments:

  1. 初心者です。やっぱりある程度技術や知識が身に着くまでは山岳会はやめたほうがいいのかなあ。。。若かったら、何もできない知らないでも可愛がって教えて貰えるのかもしれないけど、若くもない経験も知識もないじゃ、お荷物ですよね・・・

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    1. そうですねぇ・・・山岳会にも色々なタイプと言うか特徴があって、中高年のハイキング主体の会もあります。ハイキング主体だからと言って、舐めていると、足が強くてびっくりします。この同じ雑誌の別の特集にもあったのですが、フリークライマーは全然体力無いです。歩けないみたい。それに若い人も運動不足だと歩けないです。20代でもクライミング中心の人は歩けないです。私もクライミング頑張ったら弱くなったので、ぶーたれています。

      お荷物かどうか?は、本人がどれくらい仲間に貢献しよう!と思っているかどうかにかかっているかもしれません。 

      本格的な登山の技術や知識って、知らないのが普通なので。逆に知っていたら山岳会に入る必要がないので、自分で同じような人とパートナーを組んで登ればいいだけになります(同人)。

      私は山岳会には2つ入っていました。どちらも教えてあげる、という会ではなく、教えてもらうという恩はどちらにもないです。講習会に行って、技術の紹介を受け、理解のほうは独学です。スキルのほうは自学自習。実践は、足りていないけれど、師匠やザイルパートナーと頑張りました。 

      若くて、何もできない知らないで、可愛がってもらう・・・は、幻想です。みな命がかかっているんです。
      ちやほやされるのは、1回目の山行だけです。あとは、自分で登れ!です(笑)。それが、結局は、本人のためなんですよ。

      登山は自分の力で及ぶ範囲が自分の山で、それでも及ばないところを助け合うという活動です。

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  2. この記事を読んで次のことを思い出しました。

    以前所属してた山岳会のコアメンバーが
    ロープを使うのを避けていた
    ということです。

    ※コアメンバーが総入れ替えになっているので現状どうかは知りません。

    表向きは次の理由がありました。

    1.懸垂下降は避ける。
     出来る限りクライムダウンで降りる。
     ルートを見つける目を養える。

    2.ロープを出さなくても大丈夫なルートを登る。
     ルートを見つける目を養える。

    但し、実状としては次のようなことがありました。

    1.リスクがあるにも関わらず、バックアップなしに登り降り、トラバースなどしている。

    2.たまにしかロープを扱わないので慣れない。慣れてないので、ロープを使ったほうが かえって危なくなるケースが出ている。(なので、より一層、ロープの使用を避ける)

    なので、私は その会の中では比較的積極的にロープを使ってました。

    また、「ロープの操作など含め、クライミング技術に習熟するため」に、他の会に移られるかたも居ました。


    ワタシも今まで山岳会のかたから「そこはオマエのレベルではヤメといたほうがええんちゃう?」と言われたことが無く、
    アドバイス欲しいなと思ったこともあるんですが
    そこは まぁ自分から個々人に積極的にヒアリングしないといけないと思ってます。

    後だしで突っ込まれたことがあり、「なんで言うてくれへんかったんですか?」「言うと余計意固地になる人も居るし…」なんて言われたこともあります。

    まずは性格直さなあかんのやろか。。。

    ちなみに、山岳会としては沢登りメインの会にしか入ったことがありません。
    今の会は個人山行のみであり、会山行とかはなしってことで 何らお膳立てが無く、ある意味、互助会的な感じではあるんですけど
    それは長所だと思ってます。

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    1. 会山行がない会=同人、ですね。 

      結局、みな他人事になってきたんですよね。行ってはいけないところに行ってしまえば、死んでしまうかもしれません。でも他人事だから、つっこまない。突っ込んでくれる人は、心が優しい人です。

      それだけ”会”としての結束、友情が少なくなってきてしまったのかも??? 本当の優しさより、当たり障りの無さを選ぶ、ということなのかな。

      今回の女山では、本当の心の優しさということをみな誤解していると思いました。

      地図を持たない人を山に連れて行ってくれる人は、サービス精神旺盛な人とは言えるかもしれませんが、優しい人ではないです。本人の成長にはつながらないからです。

      本当の優しい人は、地図を持たないとダメだ、それはあなたが危ないんだよ、と言ってくれる人です。

      みなスキル未満の人をスキル以上の山に連れて行ってくれる人を優しい人、いい人だと勘違いしています。

      私は、「今のあなたには四尾根は難しいのでは」と言ってくれた先輩に、とても感謝しています。

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    2. 今の会では 有事の際に動いていただいてますので、会山行が無かったり、行先について何も言ってくれなくても、「しょせん他人事と思ってる」とは口が裂けても言えません。でも他の会だと、そういう「しょせん他人事」というようなところもあるのかもしれませんね、具体例を知らないので憶測でしかありませんが。

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    3. なるほど。 うちの会もです。 たぶん、会の存在意義は、有事の際の相互扶助、なのではないでしょうか?

      しかし、”そもそも有事にしない”という姿勢が、もっと求められている時代だと思います。

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    4. なるほど、有事予防ですね。表現の自由の問題と似てて、チャレンジ精神を尊重するのか、有事防止のマージンを取ることを優先するのか、バランスというか、その辺が今の私の所属の会ではポイントなのかもしれません。考え方によって、対応が随分と変わってくると思います。なんかあっても到底助けに行けないとこに突っ込んでる人も居るし…

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    5. バリエーションしましょ!というサイトが気に入って良く見ていたのですが、アイスのルートに単独で行くような、ハマり具合のブログ主の方のサイトでした。

      でも、私自身も、「これくらい行っていいかな?」と思ったりすることがあります。たとえば、夏の阿弥陀南陵にソロで行きたくなったりしていました。ソロの人の記録もあり、無雪期ならノーロープで抜けれそうに見えるからです。 でも、易しいところでロープが出せない人が難しいところで出せるはずがなく、ルートに行きたいという気持ちより、登山力を上げたいという気持ちを大事にすることにしました。

      私はルートの難易度に対しては、欲をださないのが大事だと思っています。誰かが〇級に行ったから自分も、という発想は良くないみたいな気がしています。ルートって天候や、雪、同行者でも、だいぶ難易度が変わるからです。その時々の判断が必要です。八ヶ岳の初級バリエーションは条件が良ければだれでも行けるそうです。ただし、条件(気象判断)を誤ると地獄。稜線に出たとたんに強風に吹かれてあっという間に凍傷になります。そういう条件の時に、小屋までほんの何十メートルの位置で行動不能になり、死んでしまった例を遭対協の先生に聞かされました。条件の良いときしか知らないで、ジムのクライミング力だけの判断で行ってしまう、という危険があるようです。

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    6. バリしまは私もみてましたよ。八ヶ岳のことは知らないですが、沢登りでも水量や、どんな人と行くかとかで随分変わってきますので、ご尤もと思います。沢登りでも、何級とかのレイティングをしたり、それをアテにする人が結構多いんですが、私は級は気にせず現場での判断を優先します。ついでに言うと、なんかの記録で「右岸を巻いた」とあれば、左岸を巻くか直登するかしたくなります。なので、バイアスかかかってしまうので過去の記録は あまり見ないようにしてる時もあります。

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    7. 「右岸を巻いた」・・・の後のところ、笑ってしまいました(^^)。きっと私の師匠と気が合いそうですよ(笑)。

      私も記録は、今年のアイスの様子はどうか?とか、自分のレベル以上の場所には行かないようにする、というために見るのであって、記録どおりであることを確認した(笑)、にならないように気を付けています。

      現場の判断力と言うのが、一番身に着けるのが難しいことですが、今日のアイスはとっても勉強になりました。 私は経験者とまだ同行したい段階ですね。

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