甲府は今日は台風一過の素晴らしい晴れです。2013年は9月17日から秋。山では初氷。
涼しくなって、家事がやっとはかどるようになりました。これまで山を下りて2週間、家じゅうの整頓や洗濯をやりたいと思いつつ、体が付いていかず、ホントに苦痛でした。
今日は洗濯物を干すのも気分がよく、お天気ひとつで、人間の幸福はこんなにも左右されるのだと感じています。
そう、人間の幸福なんてほんの些細なことから生まれる… お天気さえよければゴキゲン♪ですね。
今日はずっとやろうと思っていて、けれども、暑さにまいってしまってぐったりして、できなかったことが出来る。
■ 後ろ姿の夏
一方で、夏の終わりに一抹のさみしさも感じています。
というのは…沢…です(ため息)。
あの逃げ出したくなるような夏の暑さ…から、本当に逃げ出して、沢のひんやりとした水にドボンと浸かる爽快感を感じられる季節が終わってしまった…(涙)。 とうとう今年は、そういう泳ぐ系の沢をひとつもしないまま、終わってしまいました。
しかし…こんなことを、暑い暑いと文句を言っておきながら、涼しくなればなったで考えるなんて、人間というものは、なんて愚かな動物でしょう。 失われて初めてその価値に気が付く動物ですね。私もその一人から免れ得ないってことですね(笑)
実は、沢をやる機会はあったのです。
…が、折からの大雨の後で出水が気になり、気温も低かったので、理想とするカッとした暑さ&ひんやりの沢では到底なく…入渓からレインウエアを着て鉄砲水を恐れての徒渉では…脳裏に移るのは寒さに凍える自分でした・・・と戦意が萎えて、取りやめにしたのでした。
ヤル気がみなぎっているときはそれでもやれるのですが、ちょうど条件的困難を乗り越えるタイプの山行には気分が萎えていた頃でした。体調もおかしく、雷の尾根を歩いたときの風邪がぶり返していましたし…
…という事情で、今年は沢はお預けですね。山の神様は、私には沢はまだちょっと早いとお考えのようです(笑)
昨日の台風で、もう秋の山行を企画する季節になってしまいました。
私の今年の夏山は尾根に捧げられたってわけなんだな。
まぁ山は、「尾根三年、沢三年、雪…」とかっていうんですってね。
急ぐことはない。 と言っても、山の趣味は甲府に居る間だけ、と決めていますから、あと何年甲府に居るか分かりませんから、何十年も山をやるわけではないんですが。
■ 貴重な知見
私が最近お山から得ている大変価値ある知見に「人生は自分のものであるようでいてそうではない」というものがあります。
出生、学歴、結婚、子供の有無、出会い…どんなものも自分で選んでいるように思えて、実は自分では選んでいない。
山は登りたくともお山が心を開かねば登れないのと同じです。意思の力の届かぬ領域を受容する心…。
人間の幸福は、ないものを数えることにはなく、あるものを数えることにある。・・・のは、皆、百も承知のことと思いますが、それが骨身にしみるのがお山です。何しろ、自然が相手ですからね。でもよく考えたら人生そのものだって、意のままにならぬものが相手なのです。
■ 登山とスリルとリスク
後立縦走…本来、特に志向していない岩稜帯…とっととやっつけちゃえ!感がありました…(笑)
一般的に現代の登山者にとって、登山の醍醐味は一体なんだろうか?と考えると、
・スリル
・挑戦
は、アルピニズムの伝統であり定番であると思います。ギリギリボーイズ系ですね。
現代はリスクフリーな時代。 リスクがない=危険がない=スリルがない=生きている実感に欠く、という構図は、おおよその山岳文学の基本的なテーマの立て方です。もう古臭いくらいかもしれません。
無鉄砲な荒くれ男が自分の力を試しに山に向かう・・・。
このテーマの立て方、最近の本では、マンガ『孤高の人』ですね。主人公は森文太郎…のちに妻の名で加藤文太郎になりますが、基本的に若き高校生の森君がクライミングに目覚めたのは、”墜ちたら死ぬ”ところを危機一髪、クリアする快感でした。生きてる!!!って感じ。
今の登山でも、たぶん、基本的な構造は同じで、生きてる!!!ていうスパイシーな感動が、辛さでいうと、ハバネロクラスから、七味程度のマイルドさに落とされたような感じでしょうか。
たかだか七味程度のクラスではあっても、それでも、一般的に登山者は、スリルと挑戦を求めて山にやってきているのだと思います。特に難しいとされる岩稜帯を歩くようなチャレンジ主体の山に来る場合は。
そこがお化け屋敷やジェットコースターなんかのスリルを味わう娯楽と登山の類似性。バンジージャンプをする人と不帰ノ嶮に挑戦する人の類似性。
(リスクを取るという行為)と(達成感)は物事の表裏ですから、(リスクを取る)という行為が一般社会にない現代という時代、・・・というか日本人の特殊な心性の一つである、リスク嫌いからか(?)・・・、人は娯楽として、多少のリスクを伴うもの、を求めているのかもしれません。つまり、人生や社会生活において”リスクを取る”ということをしなくなったからですね。
私とて、その例外には入らず、(天候リスク)や(単独行リスク)、(女性であることのリスク)や(体力が不足しているリスク)、(転滑落リスク=技術が不足しているリスク)、(経済的リスク)、(道迷いリスク)などの諸々のリスクを乗り越えて、(無事下山)したときには、とても達成感がありました。
誤解を避けるため、ちょっと強調しておきたいのは、達成感があるのは(登頂)ではなくて(無事下山)です。 登頂で喜ぶのはまだ早いのは登山者の常識。だから、80歳でエベレストを登頂しても下山でヘリを使った三浦さんが色々と議論されていますよね。下山まで山は終らないのが登山。
★登山における様々なリスクとリスク回避法
天候リスク → 観望天気・天気図の知識を勉強する
単独行リスク → 人の多い山を選ぶ、山で同行者と歩く
体力リスク → トレーニングをする、無理のない計画をする
転滑落リスク → ボルダリングジムに通う
道迷いリスク → 地図読みを勉強する、よく気をつける 高度計
経済的リスク → 節約
女性であるリスク → 人の多い山を選ぶ、同行者と仲良くする、小屋番さんに顔を知ってもらう
子供連れリスク → 人の多い山、易しい山を選ぶ
達成感に話を戻しますと、その達成感はおつりが来たくらいです。
今振り返ると、私はこの手の達成感から、早く卒業したかったんだな。
■ チャレンジすることは良いことです
私は挑戦することには、とても価値を置いてきた人間です。チャレンジ好き。
それは私の経歴が物語るところでもあり、18歳で親元を離れた自立から、20での海外への渡航やその後の転職の回数、独立、引っ越し好き、などなど・・・仕事自体の中身も、開発や開拓営業、新事業開発と、チャレンジ続き(笑)。
1)自分で自分の取り組み対象を決める
2)この取り組みにおいて達成とは何か?を自分で定義する
3)その達成に何が必要かを細かくブレークダウンし、一回に一個ずつ片づける
4)小さな勝利を重ねる。失敗には固執しない
5)時期が来れば、積み重ねが自己目標の達成につながる
6)目標を再設定する
このサイクルを延々と回してきた…私の毎度のパターンです。
お受験から始まり、語学、バレエ、最近では登山が加わりました。時々人から「自信にあふれて見える」と言われるのは、一つにはこの行動パターンを比較的早期に身に着けたせいかもしれません。別の一つのコツは、そもそも判断の指針を内なる神以外にゆだねない、ということがあります。
取り組もう!と思ったことに対して一定の(自分なりの・・・ですが)成果を得る…のは、もう慣れっこ。
なので今、登山と言う趣味で、また6)の目標再設定、のステージにいるってことが、自分でもよく分かります。
登山においては、今は目標に”岩”を据えるかどうか?そんなところが争点です。
ただ…今日はふと思ったのですが、もしかして、これらの行動パターンを塗り替える、新しい行動規範が私には必要なのかもしれませんね。
振り返ってみると、私にとって行動の原動力は、スリルへの希求心ではなく、好奇心、でした。
知らないものを知りたいという思い。 好奇心とかあるいは探究心と言った方がいいかもしれません。広げるより、深める志向にあるので。
■ 卒業してどこ行くの?
登山における”スリルを味わうことによる喜びとリスクを乗り越えることによる達成感”…
それらを卒業して、どこに行くのか?
実はそこんところはよく分からないのです(笑)。ただ、スリルは私は登山には一切求めていないですね。
でもまぁ、山のことは山に聞くしかないわけで、行ってみないと分かりませんね。行けば分かる。
それが山の良いところでもあります。
また、それが自分に問う、ということの実態でもあります。
自分の内なる神に問う・・・には、やっぱり山に出かける。(それはヨガでもバレエでも瞑想でもいいんですが・・・)
また山かいな!!ってな結論になってしまうところが、すでに山バカ?!な感じではありますね(笑)
剣、もとい立山、が私を呼んでいる・・・かな?! |
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