今日はお寝坊… 昨日は夜9時過ぎまでボルジムで頑張っており(笑)、今日はお山に行く予定だったのに
早起きに失敗(笑) 目覚ましもならなかったから、これは神様が休憩しろと言っているに違いない(笑)。
早起きに失敗(笑) 目覚ましもならなかったから、これは神様が休憩しろと言っているに違いない(笑)。
■ ボルジム8回目
昨日は、難しいほうのボルジムに行って一日が終了。
ボルダリングは、これがどうお山とつながるのか、はっきり言って、てんで分かりません(失笑)ねぇ… 指はタイヘンです。左手の薬指、変です(汗)
昨日のボルジムは、甲府では一番課題が難しいところで、一番やさしい課題の、最後の一手がこなせず…敗退。ピンチという掴み方で左手なので、左の握力が足りないで次のムーブに足を上げるまで、左手で保持できないのです。
垂直の壁…これが外岩だったら…墜落。
いやぁ… 自分の限界をプッシュする、というのも、大変なことですね。
ボルジムは、私にとっては、ノルマ、って感じです。とりあえず、続けていれば、何かが開けるだろうと。一体何が開けるのか全然分かりませんが。
念のため、言っておきますが(笑)、外岩でマルチピッチするのには興味ないです!とりあえず!
希望は縦走路での安全歩行!! 今週末は楽しい縦走が待っているので楽しみにしています。
■ 凍傷の洗礼
昨日ジムに行ってきて分かったのですが… 今年私は凍傷の洗礼を受けていました…。
一人で天狗と北八つを縦走した時ですね。シャクナゲ尾根を通る予定でしたが、なんだか地図読みに不安があり通れず、敗退。
仕方ないので、安全パイの大きく中山展望台周りで帰ってきたのですが、ちょっと靴下が厚すぎたのかしら?
その後、親指の爪が黒くなり… 左足は血豆のようなものができて、取れました。
これは実は凍傷だったのだそうです…やっぱり。色がちょっと蝋のような白化した部分があったので、もしや…と思ったのです。いや~くわばら、くわばら。怖いですね。
といっても、この程度はよくあることらしいです。バレエの血豆とか魚の目と同じですね。 でも…趣味で体を壊してはいけない。
人間は、つい本来の目的を忘れてしまう動物。本来、山はたのしむためにあるもの。体を壊してまで頑張るのではなく。
怪我や病気がそのような事態を教えてくれる役目をしていると思いますので、次回からは凍傷にはならない程度に頑張らねば。
反省して、ファイントラックの足をドライに保つ効果がある靴下買いました。まだ冬山では一回も出番なし。
■ 選択と集中
最近、気分スッキリ!した気分です。なんか~憑き物が落ちた感じ。
人生で何を選んで、何を捨てるか。
その辺ですね。
4~5月は、正直言って少し鬱でした。講習会のせいです…。
登山を勉強する、学ぶということは、私にとって正解へ続く道だということは、しっかり分かる。
これはなぜ分かるかと言うと、
・どんどん吸収できて、苦痛でない
・楽しい
・楽しい
→ 結果、周囲が驚く
からです。こういう感覚が、神様がこれをやりなさい、と言っている時の感覚です。
私はこれで勉強が良くできたし、英語もマスターしたし、プログラミングもそうです。 バレエもそうでしたし、マーケティングの勉強もそうかも。私のマーケティングデビューは考えてみれば、華やかでした。一流企業のビジネスマンを押さえて、クラスでトップのマーケプランを机上の空論とはいえ書けてしまった。
さておき、
GO!という感覚は、簡単に言えば、ハマる、という感覚です。
楽しいから続く、というのは大事な要素で、これがないとエンジンがない。つまり、”情熱”というエンジンはかなり重要な要素です。
楽しいから続く、というのは大事な要素で、これがないとエンジンがない。つまり、”情熱”というエンジンはかなり重要な要素です。
それに情熱があれば、周囲がサポートをしてくれます。情熱がなければ誰もサポートしてはくれません。
東京まで出かけた厳冬期の講習会…本当に私は団体行動嫌いというか金魚の糞みたいなのは思考停止で大嫌い、なので、ドキドキしながら参加したのですが、とても楽しかったんです。
これは山でつながっている人の集まりに属しても良い頃合いかも?と感じさせられる一つの出来事でした。
■ 危機感
ところが、別の団体ですが、この春の講習会は、私にとって、「前向きなパワー」をくれるもの、火に油を注ぐものではなくて、むしろ「こんなんでだいじょうぶなのか?!」という危機感を高めるものでした…。
いや講習内容や、講師がどうこう、と言うのではなく、私自身が今まで身を置いていた世界との隔たりが大きかったのかもしれません。
どちらにしても、私は無性に不安をかきたてられたのでした。その不安が私を勉強に駆り立て…まぁ結果としては勉強つづきですから、それはネガティブな原動力であっても、登山に向かわせるエネルギーにはなっているのですが…。
神様が「北風と太陽」式に、人に何かをさせるとすれば、今まで、「太陽」方式だったのに、いきなり「北風」方式に変わった感じ(笑)。
これはどういうメッセージでしょうか?ちょっと真剣にやれってことでしょうか? というか、今まで山を舐めたことはないと私は思うのですが…。
それとも、神様が、私に求める水準というものが、私自身が自己満足する水準より高い、ということなのかもしれません。
私は、どっちの水準に合わせる気なのか、それを尋ねられているのかもしれないなぁ。
といっても私は私のありのままでしか、いられませんから、いくら限界をプッシュしたいと思っても、ふつーにボルジム通いを継続するくらいしかできることはないのですけど。 これが本格的なトレーニングを始めろ、という合図なのかしら?
でも、トレーニング…するにしても、楽しくなければ続かない。うーん?
そうこうしている間に、お山は夏山です(笑) 久しぶりに一人で山に行ってみて歩いてみたら、やっぱり自然の中を歩くのはいいなぁと思ったのでした。
■ 生かす発想
いずれにしても問うべきは、「与えられた環境を生かし切れたか?」です。
山登りをすること自体が、山梨に暮らしているという地の利を生かしたことだし、ヨガを教えているということも長年続け
た趣味で得た知識と経験を生かしていることです。東京に近いという地の利を生かして、積極的に出かけていますし。
時間と言う資産を生かして、読書の長らく続けています。ライティングスキルを生かすのは、ブログで。マーケティングに関しては、友人の手伝いで生かしています。英語は生かし切れていないですが、なかなか英語でページを書く、ということにしてしまうと時間がかかって他にしわ寄せがくる・・・週に一回くらいはやったほうがいいんですかね。読む方は常に英語に接しているので、情報収集では生かしていると思うのですが…。長年英語圏の人たちと交流を保っています。
と、いろいろ総合すると、私は、与えられた環境を、今、生かせているパーセンテージでいうと、自己評価で60%くらいだと思います。
これでも、甲府に引っ越してきたときからすると、まったくの持ち腐れ状態からずいぶん改善したとは思うのですが…
これを、70%、80%、と引き上げていくことだけが私のやるべきことなんだろうと。
与えられた環境を生かす。 それは、自分自身の人生、こうした人生を生きているということ、そのものに感謝する、ということですね。
逆から表現すると、感謝するには、自分を生かし切ることだ、ということです。
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