Tuesday, February 5, 2013

Just as you are でJust as it is を味わおう!


■ 山梨に転勤になったら、山登りをしませう(笑)♪

最近、山で凹みぎみだったから、ついうっかりしていて気が付かなかったんだけど・・・

よく考えたら・・・ 

ゆっくり楽しんで3年目に”うらやましいなぁ!” ”いいなぁ!”と思っていたことを叶えました☆

私たちは山梨に来ているから山登りしてます、っていうような都会からの転勤者です。

何しろ山登りしている理由が、「山梨では山登りが一番いいって思う!」っていう理由。

山梨に転勤になったら、山登りをしませう(笑)♪

■ カネではなく、時間にモノを言わせるノダ!! 

基本、妻、時間リッチです♪ っていうか、時間しか資本がない!!

そこで、作戦としては、金にモノを言わせて時間を買う、という都会人時代のセオリーからは卒業です。

今持てる資源でのベストストラテジーは、時間にモノを言わせる作戦に転換です(笑)

カネではなく時間をかける。 カネと時間は、現代の二大資産です! 

カネがあって時間がない人は金をかけるのが合理的戦略。
時間があってカネがない人は時間をかけるのが合理的戦略。

私たちは、今、時間をかけて達成するほうが金をかけて達成するより合理的です。

■ 祝・2年越しの達成!!

先週末は、本沢温泉から夏沢峠に登り、箕冠山、根石岳を経て、天狗岳に登り、中山峠で降りてきたのですが…

よく考えると・・・これは2年越しの達成でした! 

2011年の3月5日、ほぼ丸2年前… 初めての天狗岳登頂でした。

その頃は、まだアイゼンは6本の軽アイゼンしか持っていないし、ピッケルもなくストックしか持っていない。 初心者と馬鹿にされつつ、恐る恐る、こわごわと雪山に登っていました。

その時であった若いガイドさん・・・ を天狗岳山頂から見送る・・・うらやましい! それ、つい先日、夫と二人で叶えてきました♪ 

よく考えたら達成に祝杯を挙げるシチュエーションでした☆

当時は装備も貧弱で、山も知らず、馬鹿にされても言い返せない・・・のは、山のこと、全然わからなかったからですね~。

ただお山はいつも私たちには「おいで」と言ってくれていました。なので、非難を受けつつも、山登りは続け、それから、2012年は、「アイゼンとピッケル教えてくださーい」プロのガイドさんにお願い。

基本、ニーズが出てきてから、そのニーズを埋めています。雪の山に行くには雪山講習が必要なので、雪山講習をやってもらったのですが、

「ピッケルなんかより読図でしょ!」 というツッコミ!

そうですよね~って納得。

「どこに行きたいの?」と聞かれ、「川俣尾根」と言ったら出てきたのがツルネ東稜。

そして、4月にツルネ東稜へ…これはとっても楽しかった♪

この山で、”本格的な登山”とアポストロフィをつけて、区別される登山の本質的な部分を一口味あわせてもらいました。

一般登山者の山登りしか知らなかった私たちはカルチャーショック!

こりゃ~全然違う話じゃーん!って 直感的に理解したのでした。 

だからこれは同時にエポックメーキングな山でした。

というのは、この山行で、自分で歩いているとはいえ、花鳥風月的に自然っていいね!っていう山登りから、

 素のままの人間が素のままの自然の中を歩いて解決する行為

を知ったからです。ライバル、カモシカ君(笑)

 より素のまま・・・ just as you are でjust as it is を味わう。 

それは登山においては重要な価値観です。

できるだけ、ありのまま、自然のまま、人工的な作為を加えない・・・それは、装備に対してもだし、歩く道に対してもです。

よりシンプルに。より質素に。より簡潔に。より無駄なく。よりありのままに。

なにしろ、山登りっていうのは、ありのままの自然を愛する行為なのですから!

■ 体力?

そのための体力。そこに差はあるのが普通です。でも差がある体力は、隣の人と比べるための体力ではないのです。

力あるものは力ないものを助けるための体力。体力がない人はないなりに頑張るための体力。

体力と登山について語るのがやたら難しくなってしまう原因は、体力というものが個人のプライドとあまりに密接につながっているからです。

体力があると誰しもが言われたいし、誰しもが思いたい。 体力に関しては客観視するのが難しいのです。

けれど、体力というものは、落ちていく一方の一方通行の電車の上に皆が乗っているという点では、おそらく10代でもないかぎり登山者の9割が同じ立場にあります。その点に関しては、20代も40代も60代も80代も変わらない・・・それは真実でしょう?

落ちていく列車にのりながら必死に登り返そうとしているのが人間の共通の姿ですね。

ので、体力自慢は不毛な自慢です。 

だって、そもそも自然の中でのサバイバル能力・・・どう見てもカモシカ君の勝ちです(笑)


■ ありのままとテクノロジー

ありのままの自分で、ありのままの自然に向き合う・・・

テクノロジー嫌いは山の業界に根強いです。けれど、それが、これはテクノロジーの進化(つまるところ人間の努力)を嫌うという意味になってしまってはよくない。

テクノロジーが個人としてみた場合の人間力そのものを弱くする、というのは真実です。テクノロジーは両刃の剣。剣に明治に登った人のほうが、今剣に登る人より確実に人間の生命力は強い。

けれども、一面テクノロジーは人類という種族全体の進化しようという努力の成果です。その努力は基本的に他の人類を助けたい、他者の役に立ちたい!という思いで成立した努力です。
パソコンを開発した人も携帯を開発した人も、人類に良かれと思って開発したんでしょうから。

それに、今、山でゴアテックスを否定する人はいないでしょう。山におけるテクノロジーの否定は、大局的にはゴアテックス否定と同じです。

■ 聖地 = 山


これは山の先輩の言葉・・・

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一生懸命歩いて、自然の中に身を置いて、素晴らしい風景景色を見る。

自分の足で歩いて、自分の力で攀じ登って、目の前の自然を 克服したようだけど、本当は自分との闘い。

一人だろうが、パーテーだろうがいつも自分と向き合える場、それが山かな?
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向き合っているのは、自然という名の神であり、自分であり、内なる神ということなのです、たぶん。

外在する神と内在する神が一致する場、それが山なんですよね。

つまり聖地、なのです。

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