Monday, February 4, 2013

生態系の輪を感じる・・・場としての山


■ お山で考えたこと

今回のお山でも色々なことを考えました。

どうしてお山に行くの? それは現実逃避ではないの?

でも・・・考えてみると、日本には自然…自然というより生態系が生態系のままに残された場所、つまり有機物が過不足なく循環している生態系は、高山のほんのてっぺんしか残されていないのです(汗)

人間の文明というものの行きすぎ…これは誰の目にも明らかでしょう…別に原発のことがなくても…

人類だけが生態系の循環の輪から外れて、本当は取り入れた分だけ出して、最終的には人間そのものだって土に返るのが普通なのに、人間だけが取り入れるだけで、自然にお返しする部分はゼロなのです。

それどころか、人間自身が立つ大地を汚染し、人間自身が吸う空気を汚染し、食べ物を汚染し…われわれ人類は自滅の道を選んでいるプロセスにあるのでしょうか??

よく、循環型社会に転換しなければいけない、と言われます。

けれども、その解はだれも示していません… 

■ 略奪的な人間のあり方

電気が石油によって発電されている限り、石油という地球の大事な資源を一方的に消費しているだけにすぎません。いわば地球の生物たちが貯めた貯金で食いつないでいる。

鉱石、天然ガス…すべて略奪的ですよね。 

自然から、略奪せずに与えられているもの…それは太陽や風、そして地熱、それくらいでしょうか。

日本では水もそうかもしれません。 水は世界的に枯渇し、不足している資源で世界ではすでに獲得競争が始まっています。その中では日本は例外的に水資源が豊かな国で、それが工業化を推し進めた原因ですが、その水資源富裕国日本でさえ、水道水は塩素交じりのため、良い水は買うものですし、源泉かけ流しの温泉は数えるほどに減り、また飲める湧水に恵まれた地域も数えるほどになりました。輸入ペットボトルの水をお金を出して買わなければならない時代は、家のそばに天然の湧水井戸があって無料で好きなだけ飲めた時代より、貧しくなったことの確実極まりない傍証でしかありません。

それと同じことが、結局は人間の世界で起きているんじゃないかと思うんです… 我々は 富んで行ってはいない。確実に貧しくなっていっているのです。

循環型の暮らしのヒント、あるいは、人が生態系から略奪せずに、遠慮がちに拝借していた頃の生活の質素さと反面の豊かさを味わうには…今では高い山に出かけていくしかないのです。

なぜなら山麓には基本的にトイレ、電気、上下水道完備の”別荘”しかないからです。自然と寄り添う暮らしではなく、花鳥風月的に自然を愛でるだけの暮らししかありません。実は自然破壊の最たるものが別荘開発ですし、それにともなう人口の流入です。人間は母なる自然にとっては迷惑な存在・・・

自然を愛しているつもりで別荘に引っ越してくる都会人にはきついかもしれませんが、大きな窓から山が見えるだけでは自然を知ったことにならないのですよね・・・そこにある自然がどのようなものか?体験知が欠けているからです。

やっぱり自然を知るには、本当の自然の中で暮らすしかないのです。が、そこにあるのはジレンマです。

自然には人間はいらない。 

だから自然に対する迷惑を最小にするため、人間は里で暮らし、自然と向き合うときは特別に自然のほうが胸を開いて入れてくれている、日本においては手つかずの自然というのは山岳地帯だけですから、結局は山が胸襟を開いて受け入れてくれている、と考え、その受け入れてくれた時だけお邪魔する、という行為が、つまるところ登山なのです。


■ 自然の都合で生きる

登山という行為は、何をするか?を自然の都合で決めます。 稜線に上がるか、上がらないか?それは風次第です(笑)

何を着るか? それも天気次第(笑)

そして、食べるもの…これも最近はいい加減になってきていますが、基本的に残さず食べる。

昔はお茶碗に一粒でも米粒を残すとだめでした。 今は豊かになりすぎて、残さないように食べると自分が太りすぎになってしまいます。

けれども山では全部平らげるのがマナーです。 海外でもWASPの人たちは、ソースまでパンで拭って、食べ終わった皿はまるで洗った後にみたいになっているべきだというのが良家の子女の教育です。私も夏山ではフランスパンを持って行って鍋はそれで拭きます。

つまり無駄にしない。

そういうことが当然であるのは山だけです。 もはや都会でそんなことをしていると、「貧乏くさい」とさげすまれる…以前会社で、雑穀交じりのご飯を食べていたら、「鳥のエサ食べてる」と小馬鹿にされたことがありました。

モノを大事にし、一つの物をたくさんの用途に使い回し、水と食料の無駄を省き、質素につましく身を寄せ合って寝る・・・・
そんな人間本来の謙虚な姿を擬似的にでも実行できるのは、今は山だけです。

だから山が好きなんですよね… 

別に山を克服しようなんて人は山好きの人にはいないと思います。ずいぶん山を知らない人には誤解されていると思いますけど。

No comments:

Post a Comment