Friday, February 8, 2013
歩荷力と暗記力は似ている
■ 歩荷力?
歩荷力というのは、何キロの重さを背負ってどれだけ歩けるか?ってことです。
私たち夫婦はまだ山登りを初めて丸2年、現在3年目を成長中で… 装備はほぼ最新。
山登りで担ぐ重さは山にどれくらい長く滞在するかによるため、手軽~本格に
1.日帰りハイキング
2.日帰り登山
3.山小屋泊
4.避難小屋泊
5.テント泊
6.雪洞泊
とするなら、今 4.5くらい。夏山は1年しか知らない。テント泊は冬はしたことがない。
私には今の私の体力は、私の登りたい山を快適に登るには十分で、特にトレーニングの必要を感じていない。
とりあえずその体力はどれくらいか?というと、10kg7時間は平気です。
夫は少し重く、11~12kgを背負ってくれています。
これは別に何の自慢にもならない、ごく平凡な、健康な中年のごくフツーの体力だと思います。
■ 体力に合わせて選べるのが山
山では体力体力の呼び声が盛んですが…でも、山の良さって、その人の体力に合わせてコースが選べるってことなんですよね。
だから、好きな山に快適に登れるんなら、別に体力トレーニングする必要はないんでは???
山で体力自慢するのって、なんか妙に日本人っぽい・・・だってそんな外人想像できない。
それに、体力体力の呼び声が盛んなこともなんだか日本的メンタリティを感じる。
背後の価値観が一本化されている・・・ 体力も好きな山も人ぞれぞれ、っていう信念より、○○山に登る=すごい=エライという価値観への未練・・・その価値観の強固さを感じさせる・・・(汗)
■ トレーニングを目的化すると山は無味乾燥になる
でも、歩荷力ってそれを目指して山登りすると苦行にしかならなりません。
何しろ山歴ん十年の人だって、歩荷はツライ。
しかし、山では、荷物が重いことは体力があることを当然ながら意味します。
帰ってこれるところまでしか行ってはいけないのが山。
体力があることは、山深いところまで行って帰ってこれるということを意味し…
基本的に登山者は皆できるだけ奥まで行きたいわけで…
つまり、こういう論理の流れで、体力ある=すごい登山者となってしまう。
けど、それは奥まで行ったから体力ができたんであって、決してその逆ではない。
体力がある人なら一杯いる。その辺の道路工事のおっちゃんらだって体力は一杯あるわけです。
■ 単語の暗記
子供のころ、何を隠そう、英語は赤点でした。 flower とか綴れなかったし、暗記はことごとく赤点で常に居残って再試験を受けさせられていました。
私は結局、高校でも頑固に赤点を貫き(笑)、単語は本格的には暗記しなかったのですが…
今TOEIC900超えているし…IELTSは8寄りの7ですし…ノンネイティブとしては十分以上の英語力。
英語が好きで楽しくて勝手に覚えちゃったんですよね、みたいな感じなのです。だから苦労はしていない。
でも、今私の単語力は日本の平均値をかなり押し上げるほうにいるでしょう…
苦労しないで得れるなら、わざわざ嫌な思いしなくていいのではないかと思うんですよね。
■ 気が付いたら、アラ、15kg! みたいなのが、いい路線では?
だから、思うんですよね。
歩荷力ってそれを自慢にしたりそれを目標にしていると、単語力自慢と同じで、山の楽しさを見過ごすんではないかと…
寒さを忘れる楽しさ! それが山ですから。
山が楽しくなって、今週末も、来週も、と歩いていて、気が付いたら、アラ、15kg! みたいなのが、
いい路線と思うんだけどなぁ。
でも、今みたいに夏より歩きやすい雪山を歩いていても、体力はつかないな。
ベースキャンプに着いたら荷を下ろして空荷で歩く…それが定着型の山行なので、テントを追加しても、夏山で担いだのと実はそんなに変わらなかったりする。
ヤドカリみたいに衣食住を背負って、点から点へと移動しない限り…特に体力アップの必要はないとするなら、結局は山小屋が存在し、テント指定地が存在する山を歩いている限り、特に体力は要りません、ってな話になる。
となると、やっぱり、体力の前に、読図とルートファインディング力がある。
読図して行きたいところを見つけ、ルートファインディング力でそこに行く。
そういう山をしない限り、小屋もテントサイトもあるんだから、別に歩荷力は必要自体が希薄なんだな。
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