Friday, January 30, 2015

会心の山 女山

■ 力量にあった愉しい山

登山をするにあたって、私には一つの想いがありました。

それは、自然は懐が深いので、

  それぞれの人の力量にあった愉しい山が必ずある

ということでした。

 皆が同じところを目指さなくていい 

ということです。 同じところを目指すのは一億総中流の時代の惰性かもしれません。

初心者も中級者もベテランも、それぞれの力量に合った楽しみがあるのが山です。

小さな山に行ったからと言って、学ぶことがない、ということはなく、なんなら、ザックを重くして行けば、歩荷トレーニングの山になります。ペットボトルトレーニングと言うそうです。

体力が無ければないで、山のサイズを小さくすればいいだけです。山に行けない、ということはない。10歳でも80歳でも、技量に合わせて、楽しめるのが山の良さだと思います。今ある資産を生かす山です。

そして、山の大小について、卑下する必要もありません。私が不思議で仕方がないのは、スゴイ!という内容の超曖昧な、他者承認を求めて山に登る人が大勢いるってことです。

それで結果だけを買う登山も多いです。登山は内容の方がより重要で、結果だけを問うのはナンセンスです。他人との競争に陥るのもナンセンスです。どうも百名山登山は、そのような性質が強いと思います。グレードを追いかける登山も同じです。

私は、低山だからと見下す人も大きい山を自慢する人も、本当は山が好きな人ではないのではないか?と思います。山に純粋でない人は危ないと有名な女性クライマーも言っています。

■ 会心の山とは何か?

私にとって、良い山、会心の山、 心にかない、期待どおりにいって満足できる山とは、女山北北西尾根のような山です。

では、なぜ女山がそのように会心の山になったのでしょうか?

期待と得た結果がぴったり合っていたからです。

・登山道の無い山を歩く(本格的な登山)

・山のレベルが参加者のレベルと合っていた

・自然のメリットを最大に生かせた(天候、雪、樹木、季節柄)

■ 月例山行

女山は、会の月例山行でした。

山岳会は、登山という趣味を共にする人たちの集まりです。 そして、登山は、『登山の文化史』の考えによると、指導標があるところを歩くだけのハイキングとは峻別されます。

山岳会が、まかりなりにも山岳会と自称し、”登山”を標榜していて、それは、”ハイキング”を標榜しているのではない以上、同じ山でも登山をすべきです。

例えば木曽駒はロープウェーで登れば登山ではなくなります。ちゃんと下から登れば登山です。内容が全然違います。

それで、地図読みの山というのは、山岳会が月例山行して行う山にふさわしい。

登山道がない山なのですから、地図を持ってこない人がいた時点で集合口敗退にする、としました。単なるハイキングではなく、”登山”をしようとしているからです。

■ 力量に合わせる

会山行では、個人の力量ではなく、パーティの力量に合わせるべきです。

会の山行は、本番の山のリハーサルです。本番の山は、力量を互いに正確に分かっていないと、できません。

易しいところで相手の体力や力量、考え方の癖をつかんでおかないと、本番の山で危険が増えてしまいます。力があるらしいけれども、どれくらいか分からない人と行くよりも、力量が正確に分かっている人たちと行くことが本番の山行では、安全性を高めます。危険な本番の山(冬山合宿など)を出来る限り、安全なチャレンジの山にしたければ、月に一度くらいは山行を共にして、相手をよく知っている必要があります。時間を掛けて、メンバーシップやパートナーシップを育てないといけない。

だから、私は、自分にとってより危険が増えたり、リスクが自分により大きく降りかかるのではない限り、会山行には参加すべきと思います。そうした山行から学ぶことがないということは言えない。

リスクを小さく設定した、小さい藪山でルートファインディングができない人が、よりリスクが大きな、大きい山でルートファインディングができるでしょうか?

山行の内容が易しすぎる、と思えば、ペットボトルに水を入れて担げばいいです。(ペットボトルの水は重くて疲れたら捨てることができます。しばらくはギアを担いでいましたが、ギアを担ぐと捨てられないと、アルパインクライマーに指摘されて水に変えました。)

■ 初級の山

この女山が良かったのは、パーティ全体の力量に合った山だったからです。

パーティの力量としては、

 ・山のサイズ 小さ目
 ・ラッセル負担
 ・地図読みは初級
 ・難路ではない

が自分たちの力量でした。

≪山のサイズ≫

山のサイズは、標高差500、距離往復8kmくらいで、体力に合わせています。

≪ラッセル量≫

雪山になるのでラッセルは当然ですが、ラッセルの負担量は、山のサイズ、雪の量できまります。

この時期は雪の量が少ないので、ひざ下ラッセルです。コースタイムは、

 ひざ下=無雪期の1.5倍
 ひざ上=    2倍

と昔読んだ山雑誌に書いてありました。が単なる目安です。勾配や雪の質(降雪直後は大変)にも寄りますし。

ラッセルや山の大きさというのは、そのまま心肺機能の大きさです(笑)。単純に若くて(若くなくても)体力があれば、たくさんラッセルできる、それだけです。

私は力で山をこじ開けるような行為…たとえば地形を読まずに、尾根だろうが藪だろうが、ただ直進するような山…は、あんまり知的には感じられず好きでないので、最初から力量に合った山を計画するのが人間の知性の使いようだと思っています。

≪読図≫

女山の読図は、登りだけですし、地形的に迷い込やすい箇所もない尾根なので、シンプル。つまり初級です。下の方で林道とぶつかる点がスタート地点なので、林道終点を利用できる点でも初級です。

  初級地図読み 
  ・登り
  ・シンプル地形
  ・林道利用 取り付きで迷わない

今回は、先輩が口頭で伝えてきたラインを、私が地図を見てラインを引きました。先輩が頭脳で、後輩の私が手です。頭脳と手の連携がうまく行っていることも重要でした。

今回、実際に行ってみると、林道は地図にあるより、延長されており、地図だけを信頼していると、林道が尾根沿いから離れる可能性がありました。そこで、尾根の形状が確認できた時点で、早めに尾根に乗るという安全策を判断として、しています。この判断は私がしました。

逆に、下山では林道の方が楽なので、林道が確認できた時点で早めに林道に乗っています。ので、往路と復路では、GPSの軌跡が違います。

この判断は正解で、後で地図を見ると、Googleの航空写真では延長された林道は、沢に沿って進み、ずんずん尾根から離れます。
的確な所で尾根に乗っている 的確な所で尾根から降りている

実際は存在する林道が2万5千の地図にはない

≪道の困難度≫

道としての困難度も低いです。岩も、藪も、凍ったところもなく、ほぼ尾根通しに快適に雪の上を歩いています。これは、登山道の無い山をほぼ初めて歩くのではないか?という人もいたからです。つまり、初心者向きです。この山はそういう意味では、入門レベル、と言って良いと思います。

登山道と非登山道では、だいぶ歩きやすさが違います。無雪期は特に違いを大きく感じます。積雪期でもよく踏まれた八ヶ岳の一般道などは、無雪期より歩きやすいくらいですが、そういう意味での歩きやすさの度合いが、初めての人にとって、非常に歩きにくい、ということがない、というのは重要なポイント。

私が初めて登山道でない山を歩いたのは、地図読みツアーで行った高川山の西側の尾根ですが、トラロープが張ってあるような難路で、左右が切れ、黒戸尾根より急でした。地図読み初級という山行で行ったのですが、とても参加者の力量にあっているとは思えず、大勢の人が一度にトラロープをつかんでロープが暴れるので、ひとりで行くよりむしろアブナイと思ったくらいです。

■ All for One One for All

女山は先輩が探してきてくれた山です。

無名尾根の山を探してくるには、ベテランの経験の蓄積が必要です。私も地図読みを頑張っていますが、地図から歩くべき尾根を見つけて来て、またそれを実際歩けると確認するのは、豊富な経験が必要です。

地図を見て、尾根自体が歩けると思っても、アプローチが困難だったり、尾根の下部が法面で取り付きから困難ならまだしも、下山でアウトになってしまったら大変です。また地図からは植生は大まかにしか分からず、行って見たらハズレの山と言うこともあります。(興味がある人は横山厚夫さんの本がおススメです)

そういう意味で、地図読みで使えるような尾根の候補をどれくらいネタとして持っているか?は登山者の実力を測る一つの物差しになります。

そして、そういう力をこそ、ベテランにお願いすべきです。ベテランの出番は、こうした点です。

私は、自分が企画した山行は、一度不催行にしました。河原木場沢醤油樽の滝です。

その理由は、メンバーの内容を見て、私がリーダーとしてできることで、もっとも有意義な時間の使い方ではなかったからです。もっとも時間を有意義に使うには、地図読みの机上講習をすることだと思いました。会全体のレベルアップには、一番必要なことは何か?と考えた結果です。

しかし、先輩が助力してくれたおかげで、机上講習ではなく会の力量に合った山行を催行することができ、とてもよかったと思っています。

■ 地図を持ってこない人がいた時点で集合口敗退

また、地図を持たない人が一人でもいた場合、集合口敗退にすることにしました。

≪参考≫カッコいい山ヤの判断力

これは、同じ山でも全員にとって登山とし、ハイキングにはしないためです。いくら山行を重ねても学ぶところがない、そのような山にしない、という点で、”山岳会であるというプライド”を守れてよかったと思っています。

でも、これは、新人でしがらみがないからこそ取れる悪役でした。嫌われ役は誰だって取りたがりません。新人なら、まだ守るものは何もないので、できます。

しかし、ただ突き放すだけでは良くないと私だって知っています。

私の方でも、地図の準備に対する敷居を下げるためにだいぶ労力を投下しました。


  1. 11月に読図の伝達講習(他のところで習ったことを会員に伝達する)を行いました
  2. 地図の本を差し上げていました 
  3. この山行についての地図準備の敷居を下げるために、ヤマレコで山行企画を立て、リンクをクリックするだけで、国土地理院の二万五千の地図が表示されるように準備しました
  4. その後、標高差と距離を伝えて、自分自身で参加したいのかしたくないのか?判断できる材料を差し上げました(通常は登山者自身が、こうしたデータを自分で用意して自分で判断します)

しかし、今回もっとも時間を投下したのは、前日に地図とルートの説明をするために、メンバーの自宅に出向いてくれた先輩です。

私が地図を準備しない人が一人でもいたら、集合口敗退にすると宣言していたからです。

参加メンバー全員の休日が無駄になってしまうリスクがありました。しかし、そのリスクをとっても、やはり山岳会であるからには、地図携帯は参加の必須条件にすべきだと思います。

なぜなら、会山行は本当にシビアな山行の練習だからです。本当にシビアな山、例えば積雪期の北岳など…では地図を持たないメンバーなど考えられません。


■ 自然を生かした山

1月にしかできない山行、降雪の直後しかできない山行は?と考えると、低山の雪山ハイクがおのずと上がります。

逆に低山を愉しむには?と考えても、登山適期はやはり冬です。冬は藪が薄くなり、木々の樹冠の葉が落ちて、展望が利き、夏は暑くてたまらない不快な山々も快適そのものだからです。

自然を味方に付ける、とでも言いましょうか。

冬の山の一番の脅威はです。

風だけは、どんなに強い岳人がいても、跳ね返すことはできません。だから富士山では毎年誰かが亡くなっています。

しかし、冬の低山では、樹林帯なので、樹林が風を遮ってくれます。それなのに頭上には日陰を作る木の葉がなく、お日様の光が優しく差し込み、冬の低山ハイクはまさに快楽登山です。

足元も雪があれば、無雪期より歩きやすい場所も少なくありません。雪=怖い、と頭から決めつけることがなければ、雪の道はむしろ、平坦でフリクションが良く利き、登りやすいことも多いです。怖いのは凍って滑りやすくなった場所で、雪にアイゼンが必要なことは少なく、薄く凍りついた滑りやすい道にアイゼンが必要です。

用心することがあれば、日が暮れる前に安全地帯に逃げ込む、ということだけでしょうか。

■成功体験 vs どーせむり

私は、小さなステップを重ねて、成長して行くプロセスが、人間にとっては大事だと常日頃から思っています。

それは、今の時代が、”どーせ無理”という時代だからです。

先日はFBでこのようなスピーチが回ってきて、強く共感しました。

”どーせ無理”と考えて何も努力しなかったら、”絶対ムリ”になります。

その反対は、何とかなる、ですが、どちらも自分の努力を放棄している点で似ています。

実際は、”何とかなる”のではなく、”何とかする”のが真実です。主体性です。

どーせ無理と考えて、何かをしない言い訳にするのは良くないことだな、という考えを持っています。

何が可能になるか?はやってみるまで分からない。

やりもしないで最初から投げ出す態度では山に行けない、というのが、山が人を育てる一つの面ではないでしょうか?

山というのは、きちんと向き合っていたら、いつも何かしか、答えてくれる、そんなものではないか?と思います。

それが山の良さ、である、と思うのですが、みなさんはいかがですか?



2 comments:

  1. 計画通りにはいかなかった、期待していたものはなかった、が、別の何かを得た
    というのがワタシにとって「記憶に残る沢登り(もしくは 山ボード)」になってます。

    キャッチフレーズは「記録に残る沢登り」よりも「記憶に残る沢登り」です。

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    Replies
    1. すばらしい! 私もそういう山ができるように、頑張りたいと思います!! 

      期待と違う山ができるというのは大ベテランの証です。

      記憶に残る山。 どれだけ素敵な記憶をいくつも作れるか?それが大事なことだと思います。

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