このブログ、出来立てでいまいちアクセス数が伸びないので、あんまり期待していなかったのですが、
グラブバッグあげます
と書いていたら、ほしい人が見つかりました☆
いや~ネットのパワーは素晴らしい!
登山2年目の大学生の方ということで、大事に使ってくださるそうで、うれしいです♪
今日発送しました☆
グラブバッグは取り付けが一か所だけ難しいです。
それは左わきにつけるバックルの位置・・・
こちらを参考にしてくださいネ。
■ ネットは限界があります
最近読んだ山の雑誌では、ネットで参加者を募集したような”ゆるつながり”の登山者グループにいろいろな批判的なことも書いてありました・・・
けどなぁ・・・ネットって使い方次第なんです。使うのはあくまで人間だし・・・
遠く離れた友人知人とも、ほとんどリアルタイムで交流できますし。 それに無料ですし。
電話しかなかった時代よりうんといい。むろん、手紙しかなかった時代よりうんといい。
その前は手旗信号だったし。その前はのろしだったし。
テクノロジーというのは使い手次第の話で、使われずに使いこなすのが大事なのかな。
それに実際のところ、田舎にいればいるほど、ご近所は遠いわけで・・・結局ケータイメールが主なる友達との通信手段とすれば、いったい何が都会と変わるかしら・・・
■ 服が要らないナー
電車の生活ではなくなったので着るものにはホントお金をかけなくなりましたが・・・でも、よく考えたら、都会に出て行ったときは都会の人がホントに着るものに無頓着なのに実は驚いていたのでした。
そう、衣料品って都会のほうが安いので、都会の人はあんまりファッションにこだわらなかったりする・・・
むろん、仕事をしていてその仕事がスーツを要求するようなものであれば洋服代はかかるのですがでも、スーツ、結局仕事の経費だよな~。
結局洋服ってプレゼンなので・・・プレゼンする相手が少なければそんなにいらないんだよなぁ。
私も首都圏に出かけていくときは多少着るものを選んで行っています。でも着るものの選択はだれに会う予定か次第です。
たとえば先日は、用事は、山の集会、ヨガ、バレエ・・・このまったく異なる3つの世界で、共通な要素はなんでしょう・・・うーん。 どの集団にも違和感を与えず、かつ都会的なファッションということで、結局、
タイトなジーンズに、山用トップス、+ タイトな革ジャンでシルエットは都会風に。でも素材は山風に。そして、足元は登山靴、で山を主張しつつ、でもザックだとやりすぎになるから、デカいバッグにポアントとレオタード&ヨガウエアを入れる。お化粧っ気はなしでヨガらしく。レッグウォーマーはバレエ用を使って。 頭には毛糸の帽子。
となかなか頭脳を使わされたのでした。 山の会がなければ、たぶんタイトジーンズには膝までのロングブーツでヒールがあるものを合わせたでしょう。そうすれば都会度アップ。
今度も東京で前夜泊の山があるのですが、家を出るときから登山用の冬靴に厳冬期の冬用のカッコというのは・・・うーん。早朝でだれもいないならまだしも・・・前夜泊であれば・・・ちょっと変。
なので、なんとなく、ザックをキャリーケースに詰めて出かけてしまいそうです・・・
車だとなーんも問題ないんですけどね~ 社会復帰セット要りますよね。
Thursday, January 31, 2013
案内されても初登の意味
■ 案内されても初登の意味
日本の高山…登山の歴史の本には、初登争いの話が出てきます。
でも、登山史の最初の頃って、登山家はみんな案内人と呼ぶ地元の人に案内されて山に登っており、門外漢の私には、案内されたら、それって初めて行く場所、処女峰ではないんじゃないの?と疑問でした。だって今風に言ったら、ガイド登山…(汗)
が、『剣岳 点の記』を観て、疑問解決。
案内人は、登山者と一緒に、ピークへの登路を色々と一緒に考えてくれる人なんですね。
登山道はない。その道なき道をどう登るかを一緒に考えてくれる人が案内人。
それに必要な知識が…山の知識。尾根と谷を読む知識やどこに何が生えているか、気象のこと、言い伝えのこと、天気の読み方などなど。
案内人っていうのは、何を買われているか?というと、その山域に対する知識と経験、そして、山への直観、山勘(笑)!?それが判断の基準になっているために無知な人より合理的判断を下せる状態にあること。
知識と経験は、すぐには手に入らないもの。なので、案内人を雇うわけですね。
だから、案内人だって道に迷ったりする…特に濃いガスのときには…
映画では、「ライチョウが助けてくれた」ことになっています。ライチョウの生息域から現在地を同定したわけ。
というわけで、なるほどね~!と剣岳点の記を見て”案内人を雇って初登”の謎が解けた次第(^^)。
■ 航海術を山域でやるのが山
結局、登山の本質は何か? というと、道がない未知の場所(駄じゃれじゃないよ…)において、発揮される3つの力なんだと思いました。
1)道を見出す力
2)現在地を知る力
3)未知のことに対応する力
ただ悲しきかな、現代は、ほとんどの登山ルートにすでに道があるので、①の力はほとんど不要。
なので、山ヤさんは基本的に一般道での登山に関しては、まったく評価しません。
トレースがない山においても「赤布をたどる歩きなんてルートファインディングではない」以上終わり。まぁそれはそうですね。赤いリボンが道を示しているわけで。自分で見つけた道以外は価値がない。
いわゆる航海術と同じことを山でやるのが登山なのです。
それが登山の本質的な部分なんだな。 そうしてみると、海と違い、山には明確な道がある。
尾根、谷、そして稜線。
稜線なんて、最近は高速道路に見えてくるくらいです(笑)。絶対、ココを歩いてね、って感じがしますもん。
■ 現代はどうなったか?
③のリスク管理において、今は道自体が困難だったり、踏み跡がなかったりとリスクがあるわけではありません。そういう道はもうあまりない。安全な道になっているので、危険な道はほとんどない。
より危険、という意味での困難な道を求める人は、壁に向かうことになるのかな? そこんとこはよくわかりませんが、危機管理、という意味では、登山道自体が危険というより、むしろ登山者側の事情でリスクが大きくなった、のが現代的な特徴です。
つまり、持病が突然悪化したり、ねん挫で足をくじいたり…道ではなく登山者側の理由でガイドを頼む人が多い。一種の一回コッキリの保険ですね。これは、現代ならでは、ですね。 一回ん万円の保険代を払えるくらい豊かになった、ととらえていいかな。
逆に技術伝承(教育)の意味でも、現代は豊かになりました。たとえば、沢とか、冬山でテント泊…いきなり一人でやるのは微妙に心細い、なんてことだったりします。
一人でマスターしてしまえる人とそうでにない人に分かれますが、一般論的には、これまでは、無料で先輩から後輩に受け継がれたような内容をお金を払って伝承してもらうのが現代なのです。
むむ。母から娘へ伝承された家庭料理は、今や家庭料理の先生に入門して学ぶ時代、ってのと同じ構図ですね。あるいは会社に入ってから社員教育してもらうはずが今では教育済みの人を部品を買うようにポイと入れる時代、ってのとも似ている。とりあえずどの業界も伝承されない、伝言ゲームがうまくいっていない、という愚痴は同じベースにあります。
ってわけで、花嫁修業というか花嫁になってからのお料理教室が儲かり、社会人になってからの教育産業が儲かり…と同じ構図で、ガイド料を払うのも、現代的な豊かさの傍証ですかね。
まぁ今はそういう時代だということですね。 古い知識は持っていること自体が非常に価値あることです。
■ ガイド不足?
一説に、登山ガイドは登山ニーズに対して不足している、と一応言われていますが…ホントなのかなぁ?
このガイド不足っていうのは、一昔前の情報ではないかと。私が山を知らないちょいと前は100名山&ツアー登山ブームだったそうです。たしかに今山に行っていても200名山中の人とか、自慢話を聞かされたりします。
よく都会では新聞広告で見ました。 ○○新聞主催 花の○○山 ○拍×日 9500円 などです。バスでガーッと乗り付け、団体でぐるーっと歩き、バスに戻って、おしまい。つまんなさそー。
なので、登山というのは、おじいさん、おばあさんの趣味だと思っていました。山と古刹を巡って温泉に入り、旅館に泊まって、カラオケでも歌って帰る。たぶん、子供や孫が忙しくて相手してられないからかな~と。
でも今このタイプのツアー登山は弊害が明らかになって、尻すぼみ中です。
■ 未組織登山者
雑誌によると、今の山ブームの主体は、未組織登山者、と言われる人たちです。(私もその一人) で、未組織登山者を問題視する声は大きいですが…
ですが、これを問題視するのもなぁ…。核家庭が増えて一人世帯が増えたことを問題視するのと似ている(汗)。
未組織というのは山岳会に属しない、という意味らしいですが、ツアー登山にしても別に山岳会に属していたわけではないでしょう。ただの烏合の衆だったのは同じことで、ツアー登山より、未組織登山者のほうがグループのサイズが小さい分、環境に与える悪影響にしても、遭難した場合にしてもインパクトは小さい。
ツアー登山は何かあった場合の責任をツアー会社やガイドに転嫁してしまうが、結局のところ、スケープゴートに過ぎない。
それにこういっては何ですが、山岳会って属しても、結局、人が集まらず、2~3人のパーティの山行になるようです。ではあまり個人山行と変わりがないように思ったりしたのですが…?
グループから個へ。束縛からゆるつながりへ。これは時代の流れってもんで。逆らうのは無駄骨ですね。
今は、テント泊山行にしても、それぞれが自分のソロテントを持ち寄って、「ではおやすみなさい」と各自のテントに入る時代なのだそうです。私もそれがいいなぁ…。
■ リーダー不在? というか不要?
で、こうした山行で何が問題視されているかというと、リーダー不在です。
でも、ここで出てくるのが一般ルートを歩いている限り、それは登山ではなくて、登山のトレーニングにすぎないという話。
要するに特にルートファインディングする力は要らないわけですから、案内する人の存在意義自体が希薄なわけです。行ってみれば、それほど重みがない登山なわけです。登山ではなくて、登山のためのトレーニング。ルートを自ら見出すことなしで登れるわけですから。
そんな道でガイドしますって言われても…何のメリットがあるのってわけ。となると、価値があるとすれば、リーダーシップってことになるわけなんですが…
つまり、ガイド登山はリーダーをインスタントに買う、という行為なわけですね~。でもリーダーシップというのは、困難な状況においてのみ発揮されるので
一般ルートを歩いている限り、悪天候なら歩かない、と判断するなら、リーダーシップも最初から無用の長物になるわけですね。
ってわけで結局、今増えている未組織登山者はリーダーがいなくてもガイドがいなくても歩ける山しか歩いていないので、この層の人が育って一般ルートには
満足できなくなり、バリエーションに踏み込まない限り、ガイドの数は別に不足はしないんじゃないか? というのが私の見方なわけです。
だって、ゆるつながりの未組織登山者グループで登山しても、何の問題もないし…それこそ雨など緊急時はかれらは「自己責任」で行動しますよ。
というわけで、ガイドを必要とするニーズを掘り下げてみると、バリエーションルートに価値を見出し、行きたいと考えるような登山者が増える、という状況になるには、ある程度の教育がいる、というわけで、それまでは高齢者が主要な顧客となるのでしょうかね。
こんなのもフツーの登山者でも見れるんだもん |
Wednesday, January 30, 2013
『剣岳 点の記』を見ました☆
■ 『剣 点の記』 を見ました
図書館に行ったら、『剣岳 点の記』が貸出OKだったので借りてきました。なんたる偶然。
最近剣岳の遭難の話を聞き、特に興味がないので、尾根の名前や地名など知らなかったので、少々常識に欠けるかなぁと反省中でした。 なにしろ、登山者のあこがれの山ですからね。
登る気がなくても知ってるくらいは知ってても良いのかも。
普段、映画はあまり無理をせず、図書館で見れる範囲で、売れ残り専門で借りてきて観ます(笑)
■ 洗練されていておススメできます!
この映画は、今まで見た山岳映画の中では、ぴか一に洗練されていました!
と言ってもほとんど山岳映画見ていないのですが…(汗)
見た山岳映画は、次の3つ。
① 『岳』 = 超がっかり映画。
② 『運命を分けたザイル』 =大変シリアスなドキュメント。消化に悪いので食事しながら観るのはやめましょう
③ 『八甲田山』 =エライさんのプライドのために死ぬというやり切れない話。
とまぁこんな程度の知識なので… 比較も何も・・・(汗)って感じではありますが。
この『剣岳 点の記』は見た中では一番おすすめ!
だってね、メッセージが良い。
「人は何をしたか?ではない、何のためにしたか? それが大事なことだ」
「何のために山に登るのですか」という問いに答える、素晴らしい解だと思いました。
あとは映像がきれいでしたし、長次郎さんという強力さんが泥臭くてよかった。ただ剣岳は100年前の姿ではなく現代の姿であるのは・・・まぁ致し方ないところ?
■ 昔の山登りが垣間見える
舞台設定が明治40年なので、装備も古く、山岳会は出来立てで、軍隊なんかも出てきて、最近読んでいる山の古書の世界を彷彿とさせます。
平賀文男さんもこんな草鞋で雪渓を登ったのかしら?な感じ。 雨合羽は蓑だし…帽子もあるけど、強力さんはみな編み笠をかぶっていますし…テントのことは天幕と呼ぶ。
小島鳥水という名前は登山史にはよく見ます。で、映画の最初のほうでは測量隊となんだか初登を巡って敵対モード… このころからプチブルジョワジーな感じを漂わせ、外国製品をちらつかせる、お金持ちの道楽って雰囲気はあるんですね・・・。
今も山は、輸入ブランドvsユニクロワークマンみたいな構図はところどころあります。
でもこの映画の良さはこの対立するグループが最後には「かけがえのない仲間」と互いを呼び合うことです。
■ 初登?
日本の登山の歴史って、初登が重要だったんですよね。
でも、日本って古くて小さい国…隅々歩かれているのが普通。
そんな小さな古い国に、バージンアイランドを女王陛下のために発見することに血道を上げた西洋的価値観を入れてしまった。 で初登が重要になってしまったんでしょうね。
私は、あんまり登山のことは詳しくないのもあって初登?それってそんなに重要?とポカンとするタイプです。だって日本だよ?みたいな(笑)
この映画でも、結局、登頂に困難を極めた剣岳の山頂に、な~んと錫杖があって結局は初登ではないのです。昔、行者様が来たことがあるんですよね。
で、登山を成し遂げた、登った、という価値が損なわれる…得られるはずだった栄誉も称賛も得られない。
・・・。
でも実は、登ったこと、その価値は損なわれないよ、そこが落ちで、メッセージです。
地図を作るため=市井の人々の役に立つため=困難を乗り越えた=称賛がなくてもいいじゃないか。
って構図です。
■ ああチャレンジ違い!
登山という行為はチャレンジのために登るんですが…一般の人から見ると、基本的に ”ああ!チャレンジ違い”という誤解を受けています。
チャレンジする対象が…登山をしない人は「自然を克服しようとする行為」が登山だと思っているが…実は登山をする人は「自分を克服しようとする行為」としか思っていません。
自然を克服しようとするのと、自分を克服しようとするのでは大違い!
実際、登山をすればするほど、自然は決して克服する対象なんざではないことを知る結果にしかなりません。
登山というのは、自然を畏れ、自然にひれ伏す行為なんです。
そこんとこがねぇ…世間一般からは超誤解を受けている山…そういう風に誤解している人は多数のご時世・・・
とりあえず 『剣岳 点の記』 楽しめました☆ あまり勉強にはならなかったけど。
尊敬する?町内の山 池上さんの辛口批評! そうなのか~
安寧は緩慢なる死
ここしばらく凹んでいました。凹んだ理由が今一つ自分でも上手に説明できず… なんだか鬱気味に…
■ 気がついてしまった(汗)
今年のお正月は南岸低気圧の接近で、温かい日と寒い日が交互だったので(これは雪崩が起きやすい条件を意味する)遭難が多かったです。
遭難… めっちゃ他人事だと思っていました。
山登りする人はみんな天気図みたり天気予報みたりするので、遭難が起こったような日はほとんどの人がどんな天候か?知っていると思います。
で、私は山登り歴が長くないので、「この天気図なら北アはパスよね~」くらいの軽い気持ちで、遭難のニュースが飛び込んできても「え~あの天気図で北ア?無謀~」というような気分くらいでスルー。
同じ日に鳳凰三山に行っている自分のことはまったく別物だと思っていました。 が・・・別じゃない!(鳳凰がアブナイという意味ではまったくありません)
なぜなら、登山がどういう遊びか?というと、「リスクを乗り越えていくプロセスを楽しむ遊び」なんですよね。
だから遊び方そのものが、遭難という名の失敗に至る論理的な構造を持ったもの、なのです。
今まで行けなかったところに行けるようになる。
今まで行けなかった天気でも行けるようになる。
今まで行けなかった短時間で行けるようになる。
できなかったこと → できるようになる
が楽しいわけで。 さらにいうなら、
できなかったこと → できるようになる
は人間の根源的な願い。 人間であるかぎり、捨てることができない欲求です。
■ あくまで遊び
私の中では登山というのはあくまで”遊び”です。 楽しいから行く。楽しくないときは行かない。
それは正しい。
しかし、登山に含まれる(楽しさ)は(つらさを乗り越える楽しさ)。
つらさ => たのしさ にだんだんと変換されていくんですね。 めっちゃM。
登山の進歩具合は、だから、その登山者がどれくらいの(つらさ)を(楽しみ)と捉えられるか?で大まかに知ることができる。
だから「ストイックですね~」とか「Mですね~」は山の世界ではほめ言葉です…(^^;)
そんなの変!と思うでしょう。 それがねぇ…山登りに慣れてくるとだんだんと変ではなくなっていってしまう。
たとえば、私たちは、去年の今頃は知りさえもしなかったラッセルさえも楽しみに(汗)。
でも、(つらさ)と(楽しさ)の天秤で、(たのしさ)がだんだん増していくのが登山っていう活動なんです。
だんだん、つらさはあんまり感じなくなる。人間は適応力のある動物ですもんね。能力が開発されていくと、つらくはなくなるわけですね。
でもその適応力を超える自然の驚異が襲うこともある。人は弱い。
あるいは楽しみを求める心から、そもそも、娯楽、レジャー、遊びなんだということをついうっかり忘れる。
■ 失敗なきところ、進歩もない
脅威やリスクに対面したとき、正しい対処法は、よく知ることです。
危ないことには近づかないのではなくて、対応力をつける。逃げるのではなくて取り組む。
大まかに言えば、人類の進歩の歴史なんて、それでしょう。
リスクを減じて、人間の適応力を増し、快適性を上げる、その努力が人間の進歩の歴史。
努力をするということは失敗もあるという宿命から逃れられない・・・
けれど失敗ゼロを目指せば最初から「行かない」「やらない」になります。それは「進歩しない」という道を選んだということ。
チャレンジ、そして進歩には失敗がつきもの。チャレンジや進歩が人間性そのものならば、失敗を恐れる心、チャレンジを否定する心は、人間性そのものを否定することになる…
と失敗を否定することは、大きな目で見ると、生きながら死に向かう、ということですね。
安寧…それって緩慢なる死って意味だったんだ…
享楽的な生き方、それこそが生きている実感を持てない理由のもっとも根源的なものです。
大体、寒い屋外から部屋に入ると暖房なんてつけていなくても家の中が温かい、ということにだれだって気が付くでしょう。
つまり、生きることの根源的な喜びは、受け手側、受信側の都合によるのであって、環境によるのではない。
そのことに私は最近気が付いてしまったのです。
私が登ったのは、剣や明神みたいなプロの山域ではなく、安全な鳳凰三山ですが、それでもその登山という行為の中で働くメカニズムである(つらさを乗り越えるプロセスが楽しい)という点は同じ…。
つまりこの道をどんどん先に歩いていけば、今は点ほどにしか見えない遭難という名の失敗の可能性も、徐々に大きくなっていく…そういう道の上に私は立っているわけですね。お山を愛し始めた時から…。
…そこんところに気が付いてしまった…(汗)
今立っている道。 今いる地点から、先を歩くか歩かないか、それは自由ですって言われても…。
人間には生きるか生きないかの自由あります?ないでしょう。
生きるか、生きるか、生きるか、しか選択肢はないのです。
はぁ… 登山って生きることと同じですもんね。そりゃ道があれば、前に行く以外に選択肢ありますかね?ないよな。
と、いうわけで、道の真ん中に立って、その道が緩やかであっても実はのぼりで、その道はどこに続く道かを知ってしまったんですね~(汗)
こりゃ気合を入れなおさなくちゃなんないんじゃないですか…
あ、でもカモシカ君だって、やってるんだよね・・・カモシカ君はカモシカ君の課題を・・・
人間だけが逃げるって選択肢をも与えられている・・・あるいは立ち止まって何もしないって選択肢を・・・
それをもしかしてもの珍しそうにカモシカ君は眺めていたのでしょうか・・・
Sunday, January 27, 2013
3年目の三ッ頭
久しぶりにガッツリ感のある山登りをしてきました。今回のヤマレコ記録はこちら。
夫が「いつもの…」つもりで、考えないでも登れる山として選んだであろうチョイスでしたが、意外にもコースタイムを食い、今日はガッツリ疲れました(^^) 山って不思議ですね。
ただ今日は絶好の山日和で、稜線は無風!驚くべき登山日和でした。強い寒気。晴天。無風。ちらっと赤岳行けばよかったと思ったのでしたが、実は赤岳だけガス… 前日は強風だったのにこの時期の八ケ岳の稜線で無風なんて!! 前日の予報では風速15mだったのに!!
夫は登りに少し自信をつけてくれたそうです。それが一番の収穫でした。
私は今日はザックが重かったのであまり早く歩けず、結構疲れました。
実は、最近、山登りにヤル気を喪失していたのですが、やっぱり、あの山もこの山も行ってみたいな~と思いました。見ているとあそこを歩きたい!って思うんですね。
厳冬期のこの時期は、気温が低く、ザックについたり、ゲイターについたりした雪が体温で解けたのがまた凍っていて、久しぶりにピリッとスパイスの効いた寒さを味わった感じ。気持が良い!
そして、今日はいっぱい転んで雪と戯れました♪ 満喫。
■今日の三ッ頭
りりしい北岳さん |
じゃん!今日の権現と赤岳 不思議と赤岳方面だけがガス |
編笠山と青年小屋 茅野市も見える |
かもしか君が逃げもせずこちらを不思議そうに見る。人間なんて見慣れているだろうに。 |
変わった形のえびの尻尾ができていました。これは氷だった |
岩についた面白い形のえびのしっぽ |
富士山のあごに不思議な雲が |
買ったばかりのワカンをためし履き・・・ |
わかんは、最初にスノーシューの威力を知ってしまったためでしょう・・・浮力が足りない気がしてしまう・・・ 今日は装備を色々持っていってザックが重かった・・・ アイゼンは要らなかったのでただの重しでした(汗)。
舞茸丼 680円 |
予想外に時間が掛かったので晩御飯は外食で済ますことに・・・(笑) なんだか意外に長い山行だった。
清里カレー 800円くらい? |
今回はコースタイムが予想以上にかかった。不思議でした。今までで一番時間が掛かった。
【初回の前三ッ 2011年1月9日】 前三ッまでで、トータル5時間半
冬季通行止め 8:00
天女山山頂 8:20
1800m石柱 9:30
2000m標識 9:50 (以降、登山らしい登り道)
前三ッ頭 11:10
下山 13:30
【初めての三ッ頭 2011年2月5日】 三ッ頭までで トータル6時間
7:30 天女山登山口入り口
8:00 天女山
8:30 天の河原
10:15 前三つ
11:05 三つ頭
11:30 下山開始
12:30 ランチ(樹林帯のテント泊跡地にて)
1:30 下山
【敗退で前三ッ 2012年1月28日】 前三ッまででトータル6時間
8:00 登山口
11:45 前三ッ
14:00 下山
【今回のコースタイム】 三ツ頭まででトータル9時間
7:17 天女山登山口入り口
7:44 天女山
8:23 天の河原
11:40 前三ッ
ランチ休憩
12:58 三ッ頭 (奥まで)
14:28 2000mの道標
16:31 下山
何にそんなに時間が掛かったのか?というと雪かな?
今回はノーアイゼンで、キックステップを切りながらの登り、全然早くは進めませんでした。
普段コースタイム通りの山登りをしているのでちょっと意外です。
そして下り…普段下りはのぼりの半分くらいで降りてしまいます。
でも今回は下りも結構時間が掛かった!柔らかい雪質で足を取られ、雪と戯れながら降りて着ました。 雪が柔らかいと降りるのも結構バランスを崩しながら…ガッシガッシ降りれなかった。
うーん?でも、ヤル気の問題もあったのかもしれない?
■ 歩き方
ただ、私は何度も来ている山で退屈だったので、今回は夫に先頭を歩いてもらい、歩き方を色々工夫してもらいました。結果夫は結構疲れず歩けたのだそうです。
歩き方は私がラクに感じる歩き方です。
① 右足に乗る 完全に乗る、足の付け根を伸ばす
② 左足に乗る 完全に乗る 足の付け根を伸ばす
右足、左足と、必ず一瞬片足になるようにしっかり乗ってから次の足を出す。
出すときは、膝をそろえて、軽くひざから下を蹴りこむようにして無理に太ももを高く上げない。
私は夫の歩き方が気持が急いているせいで、右足に完全に体重が乗る前に左足に重心が移っているように思えたので、変えてもらったら、苦しくなく歩けたそうです。
ちょっと自信がついた、と言ってくれて、とてもうれしい!
私はキックステップのときだけでなく、いつも右と左を完全に重心移動させています・・・そうすると
そんなに早くは登れないのですが、片足が常に一瞬休むので疲れない気がするんですよね。
本当はもっと上手な歩き方があるのかもですが・・・
■ 下山?
今日の核心は下山って感じでした。いつものようにサクサクと降りれない・・・(汗) 雪質が柔らかく、ふわっとしているので、崩れて、転げながら降りてきました・・・・
まぁ雪と戯れることができてそれなりに楽しかったのですが・・・シリセード用の板を持っていったのですが、(100円ショップの)、ぜんぜん役に立たない上にバリッと真っ二つに割れてしまいました!
やっぱり-15度はしんどいんですかね~?
Saturday, January 26, 2013
登山はM系?
「でも○○山は大変だったでしょう?」 と聞かれた。
でも 返答に困ってしまった。
考えてみると、登った山で大変だったことについては、あんまり覚えていない。
今まで登った山で何を覚えているか?というと、大変だった部分ではなくて、美しい風景しか覚えていないんだな(笑)。
寒さも覚えていない。
不快感も覚えていない。
バテたのも覚えていない。
ただ覚えているのは、美しい白い白い稜線が、まるでどこまでも続くかのような様子だったことや
空中を歩いているかのように永遠に歩き続けたいと思えたこととか…
結局いいところしか覚えていないから、また戻っていくようなことになる。
ごく最近、気がついたんだけど、本格的な山ヤさんは、ドMだ(笑)
そのエム系の山に一体何を見出しているんだろう…?
私は全然Mじゃない(っていうかどちらかと言われればSではないかしら?)ので、そのエム系の人は山の一体何に喜びを見出しているのだろうか?と思うわけなんだな。
誰か説明してくれないでしょうかね…
KiKiさんのガイド登山独標を見て
2012年11月の西穂 |
昨日は、帰ってきたらTVでKiKiさんのガイド登山をやっていました。
場所は西穂独標。 実は独標までは初心者コースなので行ったことある…
見ながら、私はガイド登山はあまり興味ないけど、西穂山荘は山荘でありながらテント泊もできるのを思い出しました。
私たちみたいな初心者のテント泊デビューには手ごろな場所かもしれませんねぇ。
ちょうど八ケ岳の黒百合ヒュッテとか赤岳鉱泉みたいな感じ。
■ 境界線にある小屋
考えてみると、流行っている小屋は、同じ特徴がある。
・ガイド登山までは必要がないけれども個人で登れる山
・アルパイン的雰囲気を持った山の麓にある
・ベースキャンプ型
・小屋泊もテント泊も選べる
・アプローチ自体はラク
西穂山荘、黒百合ヒュッテ、赤岳鉱泉、涸沢小屋もそうだし、穂高山荘も…。
そこまでが個人が趣味で楽しく登る限界点なんだろうな。そこから先がホントは、リアルな登山なんだけど、今は”本格的な登山”という風にアポストロフィーをつけて区別される世の中になった。
だから逆に言うと、そういうところに行っている限りは別にガイドさんは必要ない訳だ。
2010年登山2回目の独標 快晴で山好きになるきっかけになった山行 |
TVを見ながら、やはりガイド登山の醍醐味は、一般ルートではなくて、道なき道を行くバリエーションに絞られるのではないか?と思ったりしたのでした。
というか、基本的には、山登りという行為そのものが、道なき道を歩むというロマンを多分に含んだ行為なわけで、それを抜いてしまうと骨抜き…(汗)
どこぞの外人に「日本にあるのはアウトドアアドベンチャーではなくて、マウンテンサイドピクニック」と揶揄されても仕方ない。
マウンテンサイドピクニックではなく、アウトドアアドベンチャーにこそガイドが必要だと思うんだな。
■ 初心者はロープ、の意味
日本のお山の登山道…一般ルートであれば、登攀、というような要素が出てくることはまずない。
3点支持で充分歩ける場所ばかりだ、と言われています。
でも、「初心者がいる場合ロープを出す」と書いてあるルートガイドは多い。うーん、矛盾だ。
2012年の独標 どちらかというとまだ夏道 |
それはアイゼンワークが心もとない、とか、歩き方があぶなっかしいから、というのがロープの必要性の根拠なんですね。
ちゃんと歩けるなら要らないけど、ちゃんとは歩けないから要る。
そうなると、ロープを出された時点で逆に言えば、
「あなたのアイゼンワークはちょっとあぶなっかしいですよ」
と言われているという意味だと理解するべきかと…(^^;)。
本来、イラナイ場所ですから。
そういう場合は、もっと歩き方が確実になるように、練習するべきなのでしょうね。
■ 歩くことに習熟する?
そうなると、今度はどうやって肝心の「歩くこと」を身につけようか?ということになりますが、これは登山以前の問題なんだろうな。
歩くのは、自分でしかないので、どんなに拙くて、どんなに心もとなくても、自分の歩きは自分でしか作れない。
そうなると、遅かろうが膝が持ち上がらなかろうが、何だろうが、自分で歩くしかない。
歩くことに習熟するには歩くしかないわけで他にはどんな方法論もない。
こんな風に書いてしまうと、ほとんど無味乾燥なトレーニングに見えて、ツマラナサソウだけど…
でも実は、色々と目を楽しませてくれる要素があるのがお山。
お山は四季を通じて色々と違うので、小さな発見を楽しんでいれば、足のほうはひとりでに、できちゃう、っていうのが山歩きの良さなんだな。トレーニングしたつもりでなくても勝手にトレーニングになってしまうのだ。
つまり、プロセスを楽しんでいたら、大なり小なりかかる時間の長さは色々あるだろうけれど、誰だって足ができてくる。プロセスを楽しむことが大事なだけなのだ。
ある意味、平日の低山歩きなんていうものは、バレエに例えるとレッスンに備えて家でやるストレッチや基本のパの反復練習に似ている。
大体バレエ好きの人は誰に言われなくとも、レッスンでできなかったところを家であれこれやってしまうもの・・・結局レッスンではヒントをもらって帰ってきて、家であーだこーだとやるわけなんだな。
そうこうしているうちに、レッスンは、上達する場というよりも、主体的な自分の練習成果を確認したり、表現したりする場という風に意味合いが変わってくる。
最初は誰でもレッスンについていくのに四苦八苦なんだけど・・・逆に言うと、レッスンで成長するのではなくて、自宅で成長する…(ので主体的に取り組まない人は成長しない。)
先生はただ成長の軌跡が大きく乖離しないか見張っていてくれる人になる・・・。
登山も実はそんなものかもしれない。 どこで身につけるのか?というと、自分で歩く時間で自分で身につけるんだろう。
どんな山に行っても何かしら学ぶことはある。こないだはサーモスにコーヒーを入れちゃいけないなってことを学んだんだった(笑)
KiKiさんのガイド登山西穂独標、そんなことを考えたのでした。
Tuesday, January 22, 2013
夏沢鉱泉は冬の宿
■ 夏沢鉱泉は冬の宿
夏沢鉱泉は、夏はなんでココにとまる必要があるだろう?って場所にある。登山口からすぐ。
私の場合素通り。 夏はオーレン小屋の前にテントを張ってベースキャンプ型で空荷で稜線を往復するのがラクでいいだろう。
でも冬に硫黄岳に行こうかと思ったら、俄然輝いてくるのが夏沢鉱泉なんだな。オーレン小屋は冬季はやっていない。
赤岩の頭から硫黄岳に登ろうと思うと、赤岳鉱泉になるが、美濃戸まで入れればラッキー、美濃戸口から歩くことになるかもしれない。すると、アプローチだけで3時間。 東面の本沢からだって、本沢ゲートは使えないので、稲子湯から歩くことになってしまい、本沢温泉に宿泊するとなると、そこまでの樹林帯歩きで一日だ。
というわけで、俄然、夏沢鉱泉は冬の宿なのである。
厳冬期は超人気。週末は予約が取れないのだそうだ。
硫黄岳は、山頂が広い広い山… 軽やかな丘陵って感じ。風がものすごいんだけど…
根石岳はこぢんまりした広場的な小さなピークで遊ぶ山だった。 結構気に入ったんだけど、
根石岳方面なら、夏沢鉱泉からだとほとんど樹林帯を通る道と夏沢峠からの稜線伝いの道が
ある。どっちにしても樹林帯でほとんど危険がない。
で、そんな夏沢鉱泉宿泊で、雪山講習しちゃおうって企画があるそうなのだ。詳細はこちら。
ピッケル、アイゼンワーク、など…私もちゃんとやれているのかイマイチよく分かんないだけど…
参加したほうがいいかなと思ったら、「あなたにはイラナイ」と断られてしまった。
ほんじゃ、冬のテント泊の寒さの厳しさを味わいに本沢温泉に泊まろうかな…本沢温泉の冬の宿泊はホントに寒いらしい(笑)
何しろ厳冬期の八ケ岳にテント泊する達者者からの情報だから確実。 そこで寒さに慣れろ、と去年、出合小屋に泊まるっていうので寒さ対策を悩んでいたら指南されたくらいなのだ。
まだ泊まったことがない本沢温泉。夏だったら、日帰りできてしまうから、宿泊する必要がないんだな。 でも、冬の露天風呂は入れるけど出れないらしい(笑) 寒くて。
残り2席…だそうです。 ウチのだんなさんいいのかもな?
Monday, January 21, 2013
オシャレな登山者
■ 読了 『私の山道具』
読了と書いたけど、実はこの本は読む本ではなくて、見る本。一種のスタイル集なのです。
スタイル集と言うのは、ファッションの着合わせを掲載した本。
山でファッションコーディネイト… ありえないだろうなぁ…私の山の先輩の辞書には。
山で必要なものは服以外にも一杯ある。どうやってコーディネイトするほどの数の山服を持つんだろうか?
私の場合は、装備にまわすお金で手一杯でコーディネイトするほどの量の山服はもてない…。
夏は夏の山服をずっと同じのを着たきりだし、冬は冬の山服を着たきりだ。
紫のダウンとオレンジのダウンどっちを着る?なんて状況にある人が一体いるんだろうか…?
山道具屋さんによると、山を始めるには10万円、冬山を始めるにはプラス20万円と言われているそうだ。
で、この山ファッションスタイル集…でも、私もこの手の本に惹かれる口だから分かる…
都会の人が憧れる山のスタイル…。『白雪姫と七人の小人』に出てきそうな愛らしいログハウス風の山小屋。オイルランプの夜。茶色く焼けた古い本に、手垢がしみこんでぴかぴかになった木製椅子。暖炉。木のマグに注がれる熱いコーヒー… 質素な食事もおいしく感じる、ゆったりと流れる時間。
というのは実際は今、山小屋では、靴の脱ぎ場もない混雑しきった玄関口、3回に分けて呈され、
急いで食べなくてはならない食事、雨合羽を干す場所の取り合い、夜の大音量のいびきと2人で1枚のおふとん、あるいは盗まれてしまうストック、などにすっかり置き換えられているんだけど…。
でもね、憧れですから。 憧れるのは自由でしょう。
で、私もそういう憧れから、自然の中を歩くことに目覚めた、と思う。
ただ単に山梨には、神宮前も代官山も自由が丘もなかったから…こうした物質的な面で満たされることがなかっただけだ。
学生の頃は、古着屋で服を買うためにわざわざ電車で1時間かけて神戸元町の高架下に通って米軍払い下げの店で1本300円の軍パンを10着試着して、私の一本を見つけてくるのに血道をあげた。アメリカから持って帰った白のお皿のセットは重くて重くて、でも割りたくないから機内持ち込み。そんな私だったから、もし環境が与えられていたら、それこそ山ファッション路線を突っ走っていただろう。無論、都会には高い山服もあっと驚くような低価格で売っている古着屋があるに違いない。ファッションは創意工夫の発露先なのだ、都会では。
山歩きには不要のククサ…でもザックにをぶら下げているのは私の小さな抵抗…山の何を愛するのか、見た人はきっと察してくれるだろう。いや、もしかして「またファッション優先の新参者か~」と思われるのかもしれない。
山には2つの現実があるように思う。
この間、中山峠越えで天狗岳に登った。黒百合ヒュッテ宿泊。
小屋に着いてラーメンを食べているとちょうど硫黄岳から歩いてきた、という男性が小屋に到着した。体格の大きな大柄な男性だった。バラクラバにゴーグル、ハードシェルにオーバーパンツというものすごい防寒体制で、マムートのマンモスマークが見える、黒を貴重にしたファッションだった。とってもお金が掛かっている感じ。「ものすごい風ですよ」とのこと。嵐の中を歩いてきたみたいにどっかと腰を下ろす。
その山に彼が小屋についた後で出かけて行ったのだけど、その時間帯だけだったのかもしれないけれど、風は無風の地帯もあるくらいで、雪は閉まって歩きやすく夏山より気を使わずに済んだくらいだった。むろん、私がその山を登るのがもう5回目だったってのもあるかもしれない。翌日、同じ目的地だった彼は、ルートは違うはずだったけど、結局私の後を追う形で歩いたようだった。
明らかに後ろをついて来ていたのは何でだったのだろう?定番以外の道に興味を惹かれたからかもしれない。
山小屋では単独行の女性登山者が私以外にももう1人いた。ロングスカート。素泊まりだったみたいで夕食は手作りだった。その荷物を入れている袋はマリメッコだった。ウチにもいくつかマリメッコあるけど、マリメッコと分からない柄をわざと選んである。彼氏は山男で山小屋がない南アの新南部なんかが好きなのだそうだ。だからいつもテント泊、と笑う。販売業だから平日が休み、と言っていたので、勝手にアパレルだと思っていたら「え?なんで分かるの」って驚いていたけどオシャレな人だったからだ。
昔出たお通夜で、私と義理の姉以外の参列者たちからパジャマとシートパックが出てきたときには驚いた。私の山の先輩にとって、ロングスカートで過ごす冬山の夜って、そんな感じなんじゃないんだろうか…
でも私はこの彼女とは志向が似ている。持ってきた酒も日本酒だったし(笑) 朝起きて出るときは彼女はアイスクライミングブーツを履いていた。
平日の黒百合平… おしゃれな登山者に会える場所・・・?それは、燃え盛る焚き火を囲んで、皆でひとつの鍋をつつき、ありあわせの衣類と質素な装備で挑む山男の世界とはまったく違う。
焚き火から飛ぶ火で穴が開いたセーターや使い込んで色あせた傷だらけのザック。
マンモス印のついたブランド山パンより作業ズボン・・・GPSではなく、カウンターアサルト、そんなスタイルがかっこよく見える。そんな世界もある。
この2つの世界は遠くへだったっているようだけど、実は愛しているものは同じだと思うんだけどな。
Saturday, January 19, 2013
山ブームに思う
■ テント泊とキャンプの違い
山のテント泊とキャンプ場で行うキャンプは大いに違う。
キャンプ場には、電源も、炊事棟も、トイレもあるけれど、山のテントサイトにはない。
そんなこと、当たり前のことだけれども、初めて山登りをする人は基本的に日帰りのハイキングからはじめるから、電気も水道もあまり必要自体がなく、せいぜい麓にちゃんとトイレがあればいいや、ということなので、あまり事の重みに気がつかない。
一泊するようになっても、山小屋には水道はないけれど、電気はあるし、トイレもある。
だから、9割がた普段どおりの文明生活が送れるので、やっぱり事の重みに気がつかない。
ところが、テント泊になると、やっと少し気がつく。トイレ、どうしましょう? お水、もう1Lしかない。
突然、自分の持っている水の量が、自分の歩ける行動範囲を規定していたりすることに気がつく。
自分の背負える荷の重さが、そのままイコール自分の歩ける距離だったりする。
だからテント泊が流行るのは良いことだと思う。
■ 人間は弱い
そこで芽生えるのが、野生動物への敬意の気持(笑)やつらはすごい。人間なんかよりすごいじゃないか!
素っ裸でどこまでもいけるんだ。人間はシェルを一枚、ダウン一枚ダメにしただけで即座に
低体温症という命のリスクに晒される。 自然界の中で何を食べたら生き延びれるのか?それも知らない。どうやったらお家に帰れるのか?そのための嗅覚もない。
人間は弱い。 その事実が身につまされる。
人は水を携行すべし。人は火を携行すべし。
マザーネイチャーは美しく気高くとも、ちっとも人間を特別扱いはしない。
■ 厳しいのが自然
一般に都会から来た人は自然を知らない。というか、自然の美しさしかシラナイ。
なぜなら、写真が伝えることができるのは美しさだけで、厳しさではないからだ。
遭難者の写真が出ることはまずない。白骨化した動物も見ない。どれほど寒いのかも実感としては
分かるようには報道されない。
数々の美しい風景写真が都会人の頭にインプットされ、山を見て、あ、写真と同じだ!とか、TVと同じだ!と言って感動する逆さま現象が起きているのだから。
だから、自然と親しむということにセンチメンタルな思いを抱いていても、都会人のせいではない。
誰もが同じ環境におかれたらそうなってしまうだろう・・・。
地下鉄とインテリジェントビルが回廊や地下で繋がった、雨が降っているのかどうかも分からない生活が日常なのだから。青白い蛍光灯の下で、昼も夜も関係なく働く、生きたロボットが人間ってわけなのだから。都会では人間性はすでに喪失されているように思う。
そんな息も詰まる環境では、”自然”というものは、デフォルメされ、一つのスタイルに作り上げられている。 新車のコマーシャルとなんら変わらない。一つのプロパガンダとなっている。
それは寄せては打ち返す波と同じことで、流行という一時の浮かれ話に過ぎない。別にそんなブームがなくても、そんな中にも自然の営みは淡々と続くし、続いてきた。
森の○○、自然歩きの○○・・・ 色々なキャッチフレーズが飛び交うけれど、結局は、小枝を箸置に使いましょう的な、基本的には、都会人の自然への郷愁を具現化したもので、それは一つのスタイルに過ぎない。
本当の自然の中っていうのは、小枝を箸置きにしましょう、なんて悠長なことは言ってられない。小枝が箸そのものだったりするわけだ。あるいは狩りをしなくてはいけなかったり。
いくらナチュラルでも、コットン100%を着ていたら、雨が降ったら山では冷えてとんでもないことになってしまう。
自然の厳しさを垣間見ると、そうした山ブームの皮相さが透けて見える。そして怖くなる。
自然の中に行き続ける人のタフさに敬意を抱くようにもなる。
ところが、自然の本当の姿を知る人たちは、都会人の遊びでしかない山登りや昨今の自然ブームには、冷ややかな目さえ向ける。
が、皮相とも言える山ブームからホンモノの自然愛好者を育てる義務があるのはむしろ自然の何たるかを良く知る彼らなのではないだろうか?
まぁそれはさておき、
・・・そうした、自然ブーム、登山ブームの奥行きの浅さは万人が理解しておかなくてはならない。
それはただのスタイルであり、一過性のものなのだ。かっこいいサバイバルジャケットやダッチオーブンを使った料理が一般受けする。
それでも、人が自然に目を向けない世界より、向けている世界のほうが良くないか?
■ 自然度と体力度
もし、雪山をやっていれば、衣食住を背負っていないことのリスクはとても大きい。たとえ山小屋があっても、だ。
そうした意味で、衣食住を背負う山行が視野に入ってくると、山小屋よりもずっと自然度の高い場所に目を向けるようになる。
すると、驚いたことに、日本では本当に自然度の高いところは、実はもうほとんど残されていないということに気がつく。
これまでは山にトイレがないことに嘆いていたのに、これからはこんなところにまで林道が来ていることを嘆くようになるのだ。
本当の自然は、どこに残されているんだろう?
そう実は、もうほとんど残されていなかったりするんだな。
開拓されつくし、味わいつくされた土地、日本。日本は古い国だから未開の地、ラストリゾートというような秘境はもうない。
けれども日本の自然の再生力は偉大だ。ほっとくとすぐに自然に帰るのが日本の自然なのだ。
という事情から、結局は、人の手が入らない場所=不便な場所=時間がかかる場所=秘境となる。
そうなると次は、その人自身の体力が、歩ける距離が、担げる重荷が、自然度の高さとつりあうようになるんだな。
要するに 体力がなければ自然度の高いところにいけない。ただそれだけ。
ココでジレンマ…沢も籔も人目につかないほうが自然のままに残るから返ってよいのではないか?
体力がなければいけない場所が体力のない人にも行けるようになってしまえば、もう既に自然破壊の一歩を踏み出したことになる。 いわゆる俗化、だ。
このようなジレンマが延々と繰りひろげられるわけですね。
People come and go.
人がいない山と人気がある山が永遠に世代交代を繰り返しながら、自然の再生と破壊が繰り返されていく・・・それが日本の自然の在り方なんだろうな。
そうして大事なものだけがひっそりと誰にも知られることなく去っていくのだ。
ウルトラライトダウンの保温実験
■ 山用ダウンとユニクロダウンの対決
そういえば、先週の大雪の日は、あまりに退屈だったので、ダウンジャケットの保温実験をしました。
結果…意外なことにユニクロのウルトラライトダウンは結構あったかいのではないかと…
《調査方法》
・まったく同じガラス瓶に湯をつめる
・それをそれぞれのダウンにくるんで、時間経過とともに温度変化を調べる
《結果》 11時実験開始
15時 ユニクロ ナンガ
42度 44度
17時 35度 37度
20時 28度 29度
最初はナンガのジャケットが2度ほど保温力が高かったけど、時間の経過とともに大差なく(1度の差)なってしまった。
■ ナンガのジャケット
ちなみに、ナンガのジャケットはコレ。私の超お気に入り。
軽さが気に入っています。このジャケットは東京神田の小さな山道具店で買いました。メルボルンは寒いので、何か一つ、持って行くなら絶対にダウンだろう、と。 以前ニュージーランドを旅したことがありましたが、アレも寒かったので反省を生かして。
ナンガのジャケット SSで224g コンパクトになる |
このジャケットは暖かく、そして何が良いって程よくダサい。
あまりにファッショナブルすぎる山ウエアはどうも自意識過剰になってしまいます。山にまで行って
人目を気にするのは小心者の証ですが、最初に行った山道具屋さんはユニクロ批判がきつかったので。(ユニクロを受容してしまうと山の高い道具が売れなくなってしまう?)
このナンガのダウンは最近の輸入品のダウンにあるファッショナブルさがなく、ダサい。
結局、この少しのダサさ加減が落ち着く・・・。
これは基本的にはコンパクトダウンなのですが、厳冬期の八ケ岳でもぜんぜんこれ以上は要らない感じです。
■ユニクロウルトラライトダウン
本当に薄くて温かいのは評価できると思います。
が、私はもう一回買うとしてもナンガがいいかな。
着た時にふっくらモコモコに見えるのは、ナンガ。ウルトラライトはスッキリしています。カラーも豊富。
夫は、1万9000円もしたモンチュラのフリース(今なら半額で売ってる・・・汗)が気に入って、ずっと着ているのでこのダウンは出番がほとんどなく、雪山でもほとんど着られていません。
ので、安いユニクロのウルトラライトダウンで充分。
私はフリースはどうもキライです。いつも防寒着はナンガのダウンだけ。夏も冬も。
冬のテント泊をするとしたら、モコモコフリースは要るかもしれませんね。
それにしても、結構優秀なユニクロなのでした☆
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