Monday, September 30, 2013

伊藤新道への憧れを温める湯俣温泉

■ 秘湯・湯俣温泉へは川遊びのつもりで!

日本離れした景観・・・こんなのを見たかった☆
週末は秘湯で有名な湯俣温泉に行ってきました。

今回のヤマレコ

野趣あふれる手掘り温泉へ♪ 温泉に入るためだけのキャンプです。

川辺の温泉そのものは、整備がされていないので、湯温の差が激しすぎてイマイチでしたが、川遊びと思えば、盛夏におススメ。

湯俣温泉は、自然そのままの手掘りの温泉に入れるところです。

どんなところかな~と、七倉沢の講習会の時から気になっていました。葛温泉も良かったので、ぜひ夫と一緒に行ってみたいと思っていたので、夏の終わりのバケーション山行に仕立ててみました(^^) 

のんびりできて良かったです。

七倉沢での講習会
http://stps2snwmt.blogspot.jp/2013/07/blog-post_16.html

http://stps2snwmt.blogspot.jp/2013/07/blog-post_9436.html
これが墳湯丘。直径5mもあるんだそうです。
湯股温泉は河原に温泉が自噴しています。

温泉の噴き出し口は、三角錐の形をした巨大な硫黄の塊。

噴湯丘(ふんとうきゅう)と呼ばれ、国の天然記念物になっているそうです。


温泉好きには、とても萌え~なところ。

9月最後の週末は、秋の訪れを感じさせ、河原の自噴温泉に入るにはラストチャンスでした。

川の水は冷たかった~!

これが墳湯丘 温泉はあっちっち!です。



■ 竹村新道&伊藤新道

しかし、湯俣温泉、「訪れる人も少ない静かな場所」と書かれているのはなぜでしょう?

実は、竹村新道の起点なんだけどな。竹村新道は大人気の北アのおへそ部分に続くのに・・・(裏銀座)。それに超有名な北鎌尾根への登山口でもありますよね。

http://www3.wind.ne.jp/TITWVOB/wv/archives/2005/05kitakama/

また、ここは廃道ですが、伊藤新道の起点でもあります。以前、山の雑誌で見て、その日本離れした美しさにびっくり。ぜひ行きたい!!と思っていました。でも普通の人はいけません(><)。

http://www.kumonodaira.net/tokushu/itoshindou.html

現在は、廃道です。よほどの沢登りが出来る人しか通行できないのです。いや沢登りできても、激流なのでどうかな~?!っていう感じ。でも、きれいなんですよね~!! ぜひいつか行きたい!!!と憧れを温めています。

私はここを通行してどこかへ行く、というルートとして利用しなくても、この源流を見に行くだけの目的で、この美しい川の青さをぜひ見に行きたい!です

なので、今回は、

 ・ワイルドな自然そのままの河原の温泉も味わえ、
 ・伊藤新道の雰囲気も垣間見れ、
 ・北アへの上高地以外のアクセスポイントも確認でき、

という1度で三回おいしい♪ みたいな楽しい旅でした。

■ ラクラクの3時間&エメラルドグリーンのダム湖

アプローチは、ダム湖の脇を歩く、高低差のほとんどないラクラク遊歩道3時間です。

湯俣トレッキングコース
http://www.kanko-omachi.gr.jp/mountain/trekking.html

登山口である七倉山荘まで甲府から2時間半。そこからタクシーに乗合い、20分で高瀬ダム到着。ダムからはトンネルをいくつも潜り抜けて、エメラルドグリーンのダム湖脇の道を、奥に野口五郎岳~烏帽子岳の稜線を眺めながら、のんびり歩き、3時間で湯股温泉到着です。

半分は車も通行できる舗装路&整備された林道ですし、残り半分の道は人間しか通れないですが、ローラーでなめしたような平坦な遊歩道で沢の通過箇所は木道で整備されています。

途中に、第三発電所名無し避難小屋があり、避難小屋前は休憩適地。この道なら、どんなお年寄りも子供でも歩けます。さらに道は景色の変化に富んでいていて、楽しくハイキングできます。家族連れにもぜひおススメ。赤ちゃんを背負っても歩けそうです。

途中は、桂の木の甘い香りがいっぱい☆


■ テント泊?キャンプ?

湯俣温泉には、晴嵐荘という山荘がありますが、ここは、お酒の品ぞろえがすごい
お酒の品ぞろえがすごい!100年の孤独とかモスコミュールまである。


立ち寄り温泉ミシュラン
http://www.asahi-net.or.jp/~ue3t-cb/spa/yumata/yumata.htm

テント泊とキャンプの違いは何か?

私もよく分かりませんが、今回は、テント泊っていうより、キャンプって感じでした(笑)

縦走のように歩くことが目的なのではなく、宿泊が目的

なので、人参やごぼう、と、しっかり夕飯や食事を持って行きました。

私は事前の情報収集で写真の感じから、てっきり、自噴している温泉の河原でテント泊できるものと思って行ったのですが、実際は晴嵐荘のテン場を使います。 テン場はあまり広くはありません。20張くらいでいっぱいなんじゃないかな?

ということは、テン場なので管理されており、テント泊自体はそんなにワイルドなことはありません。な~んだ。ちょっとがっかり(?笑)です。文明のおトイレ&水場つき。

というわけで、初心者のテント泊デビューにも最適ですね。

我々の前に先着したパーティがいて、若者の団体様でした。ランドネ系だな~って一見して分かる感じでした。テントを5張くらいもっていたので、我々はそれを避けて、一番大きなテン場は使わず、端のほうにひっそり張ったのですが正解でした。

あとで温泉に入りに自噴している地獄に行くと、先行者の彼らが入っていたのですが、若者たち・・・日焼けした肌に金のネックレス…茶髪のロン毛。なんかクラシックな若者って感じだな~。なんだか黒服にドンペリのイメージの方たちだったので、きっとにぎやかなことが予想されました。女性もまじっていましたので、合コンキャンプ山行だったのかな?

山といえば、黒服ロン毛の軟派な若者とは正反対の、硬派で奥手なむしろ寡黙な若者のイメージでしたが、今は違いますね。いろんなタイプの人が山に来るのだ! 

というわけで静寂と自然を愛する私たちは、整備されたテン場から正反対の堰堤の脇にテントを張って正解でした。

実は崖下なので、張る場所としてはどうかしら・・・と言う感じですが…竹村新道の起点に近く、トイレも近い。河原に降りるのもラクラク。 ギリギリ上部の動きそうな岩のフォールラインの外。

■ 核心は徒渉!!! 

到着後、ランチをいただいてすぐに墳湯丘に出かけました。

墳湯丘、何が問題って、徒渉!!! 肝心の墳湯丘は対岸にあるのです(><) 川の流れが強く、早いので徒渉が大変でした…。

腰までつからねば渡れない・・・(汗)水が冷た~い! 温泉効果プラマイゼロですね(笑)

そして、温度差。温泉は温度が高く、「あちっ!」。高瀬川の水は歯の根が固くなるほど「冷めてっ!」…と言うわけで、やけどしそうな熱さか、キンキン冷たいかのどちらかなので… ああ、大変だった(笑)
こんな強い流れの川を渡るなら、フィックスロープでも欲しいところでした…冷たい~!!
”湯温の調整された普通の温泉の湯船のありがたさ”が身に染みました(笑)

夫はやっぱり男の子で、私が危険だと感じて、渡らないような徒渉点を選んで、対岸へ渡ってしまいました…。

私は良い渡渉点が見つからず、少し上流に歩きましたが、先に登山靴を脱いでしまったので、はだしで河原を歩き(汗)

途中に岩場が出てきて、それが巨大な大根おろしみたい。しまった!とは思ったものの、もう靴は脱いでしまったし…はだしの足、切ってしまいそう。

山に追われて落ち延びた、平家の落人ってこんな感じだったのかなぁ…(笑)。追っ手に追われて山中に逃げ込んだチャングムとか思い出してしまいました(笑)

いや登山靴ってものは、すごい文明の利器ですね。岩の上をラクラク歩けて。海岸でサンゴがびっしりついた岩の上を歩くときもこんな感じでしたっけね。

やっとなんとか渡れそうなところを見つけ渡ったのですが…冷たかった~。ホント激流という感じではない普通の川ですが、徒渉はタイヘンですね… 腰まで浸かって徒渉です・・・。

やっとこさの徒渉で到着した温泉は・・・、「あちっ!」OR「冷めてっ!」でしたので…夫はやけどしたそうです(^^;)

混ぜれば良いと思うでしょう?流れがあるから混ぜれないんですよ~ 1cmの差で水と熱湯って感じ。

しばらく、なんとかちょうどよい温度で浸かれる温度の場所を見出し、夫としゃがんだ後は、とてものんびり温泉気分♪とはいかず、風邪を引く前にさっさとテン場に戻りました、とさ(笑)

何しろ川の水が冷たい。温泉を楽しむ季節はこの時期がギリギリと言う感じです。これ以上気温が低い時期は、徒渉で凍えそう…入れるけど、出るときもまた徒渉なので凍えてしまいます。

対岸ではない場所にも温泉を掘ったと思しき湯船の形跡がありましたが、ぬるくて入れない・・・(汗)

…次回行くなら、普通の温泉のように裸になるのではなく、むしろ川遊びの延長で、テン場で水着(短パン)を着て、足元は沢靴で行くのがベストだと思います。実際、帰りはショーツに生足+登山靴で帰ってきました(笑)夫はパンツ一丁。

ショベルも持って行ったのですが、掘るよう余地はなかったです。どう使うんでしょう・・・?

帰りはニコニコ顔の団体登山のおばちゃんたちとすれ違いました。

■ 晴嵐荘

 雰囲気の良い食堂。掃除が行き届いています。
…というわけで凍え死にそうでしたが、晴嵐荘の内湯は、しっかり温かく、素朴でとてもなごめました。

写真は他所にあったので割愛。

誰もいなかったので貸切♪景色はありませんが、この湯はゆっくり入る湯というより、生活のための湯という感じでした。

この小屋は雰囲気が良い小屋でした。

お泊りの寝室や食事は期待できない感じでしたが、お酒とお湯の質はすごく良い。

お酒のために行く小屋ですね!


≪晴嵐荘 お酒リスト≫
スーパードライ
大雪渓
大信州

蕎麦焼酎 峠
いも焼酎 いっこもん
エキュベル
白州

マッカラン
ラフロイグ
タンカレー
ズブロッカ
カンパリ
シャルトリューズ
マイヤーズ
ヌ・ヌイ



黒部ラーメン
蕎麦

裸電球の脱衣場

これ、電気のスイッチが外にあり、分かりづらいです。

おトイレは清潔だけど、伝統的なぼっとん。



















■ キャンプ♪

今回はテント泊というより、キャンプです。 

しっかり内湯で体温を上げてから、今日の宴会スタートです♪ まずはビール。800円。山交の北海道物産展で買った、おいしいイワシのみりん干しがアペタイザー。

そして、スナックは、野外料理の元祖ポップコーン。

ポップコーンはアメリカの伝統食です。

ピルグリムたちが一冬を越せず飢え死にしそうになっているところで、ネイティブアメリカンたちからポップコーンで救われた逸話を持っています。

コレ、アメリカ人ならみんな知っている話。なのでこんなキャンプで食べるのに最適。

私は自宅でもときどきポップコーンしています。

ローカロリー&ナチュラルです♪
温泉卵 頑張って持って行った生卵


そして、夫に焚火を起こしてもらって、今日はすいとんの夕食です。(ホントはたき火禁止らしい。あちこちにたき火跡があったので普通に火をおこしてしまいました、良い子はマネしないでください)

私はいままで、アルファ米の袋飯にはちょっとなじめないものを感じていました。

しっくりこない・・・・

それはアルファ米やレトルト食品を、私自身が日ごろは食べないものだからだと納得しました。

今日は自分が日ごろ食べる食事と同じものを作ることに。人参とごぼうを煮て自家製の味噌をいれ、小麦粉の団子を入れて、出来上がり。

ラクラククッキングですが、温かい汁物はいいですね。お腹いっぱいになったところで、満点の星空。

頭上は天の川がうっすら白く見えるほどの星空でした。

ちょっと早めの7時半ごろにはシュラフにもぐりこんで、おねむさんモードでした。

■ ちょっと怖い

ただ、この場所はちょっと妖気っぽいというか、辛気臭いというか、幽霊とか出てるかもな~な感じでした。

夜は早めに休んだのですが、「チッチッ」と息を吸い込む音で鳴くセキレイが、私たちが干しているウエアをチェックしに来ているのが分かります。ときどき、誰も歩くはずがないのに、岩がゴロっなんて動く音がして、小動物かしら・・・?なんて感じ。

私は小心者なので、熊が出たりしたら嫌だな~、そういえば味噌味の汁を入ったまま外に置いてるよな~とちょっと不安に。熊に襲われたら、テントから出るべきか、それともテントにじっとしているべきか・・・うーん・・・などと不必要に悩みつつ・・・

動物が濃い時代は火は人間を守ってくれるものでした。ありがたい焚火。 

私の愛読書でも、幌馬車でアメリカを西へ西へと横断したパイオニア時代のローラ一家が、狼の気配を感じるときは、父さんは銃を抱いて、たき火を前に寝ずの警戒をし、横にはブルドッグのジャックが低く唸り声を上げながら、取り囲む狼たちに、牙を見せて、今にも発泡せんと構えている、父さんをバックアップしているのでした。人間の気迫が負けたら数で優位の狼が襲ってくるのです。もちろん、子供は寝なさいと言われますが誰も寝ない。赤ん坊以外は。

そんな時代の話に空想が飛ぶほど、なんとなく落ちつかないのは、山の稜線ではなくて、獣の濃い山の麓だからですね。なんかね~(ため息) 小動物の糞は一杯見ました。熊も平気でいそうです。

熊に関しては、「5月は奥山、10月は里山」と言われるので、今から低山歩きは熊警戒用意です。 

夫は呑気に盛大ないびきをかいており、それがむしろ獣を遠ざけるんではないかと、ウルサイより、ありがたい感じでした(笑)

とはいえ、ついに私もぐっすり寝て、明け方5時半ごろの目をさましました。おいしい温泉水を飲みに河原へ降り、少しお湯を飲んでから二度寝。 ココならテント泊湯治、なんて出来るかもですね(笑)

今回はのんびりバケーションなので寝坊大歓迎です。朝は、起き抜けの散歩に、”ちょっと上まで”と展望台に上がり、朝食をのんびりいただき、その辺で遊んで10時までのんびりしてから、下山。

■ 竹村新道は急かも・・・

竹村新道は、真砂岳を通りますが、一番手前の展望台というピークから槍ヶ岳が見えるそうだったので散策に行ってみました。

この道、もともと崖だよな~って感じでした。だいぶ古い道なので草も木も生え、足元はしっかりしていますが、すごく急だし、足場が登山道の割には狭いので、登山道としては難しく高度感があるほうに入るかなって感じでした。

竹村新道は難易度高そうですね・・・

展望台では無名のピークの後ろにちょっぴりだけ槍が拝めました。槍を眺めるならやはり燕岳がいいですね。

素晴らしい晴れなので、あっちに登っている人たちもきっと素晴らしい経験をしたことでしょう!気になるのは途中でヘリの音がしたことぐらいでした。


ここでも湧いていました~

本当に水がきれい!

高瀬川源流 もっと奥まで歩いてみたいな~



 地図をみると温泉マークは2、3個あるのです。これは二つ目の温泉マークかな?

こんな感じです。



 こうなっていても温度が悪くて入れない・・・(汗)


 この堰堤の手前の水量と奥では辻褄があわないので、トンネルで揚水地に送っているのでしょう・・・

 テント。 崖の下ですが、岩のフォールラインからはギリギリ外です。

力持ち?!
テントの中のゴミを出して撤収です。
■ 写真集


 ダム湖と北葛山かな~

高瀬川の林道と反対側の対岸ではガンガン山が崩れているのが見えました。

浚渫工事が大変なのは伺えます。

東電はもうお金がないから、工事もままならないらしい。でも浚渫しないとダムはすぐ埋まっちゃうね・・・
 ここから人間しか通れません。
 木道まであるラクラク道。

運動靴OKです☆

今回はキャンプ目的なので、サンダル外付け。

道が広い林道とわかっているので・・・



こんな風に乾いて開けて荒涼とした感じがあるところを見るとアメリカの大地を思い浮かべます。

お魚がいました☆

そういえば名無し小屋を過ぎたあたりで、リスもみました。

テンなどの小動物の糞は木道に一杯落ちています。マーキングらしい。

■ トンネル5個もあります!

 
 この道はトンネルだらけ

トンネル好きには大変おススメです。

夏は涼しくて、さぞ気持ち良いだろうなと思えました。















一番長いのがダムでタクシーを降りてすぐの高瀬 隧道。長くて涼しい~。



















ここはダム湖に東沢が流れ込むあたりです。

ダム湖には浅瀬ができていて、降りれます。

・・・が、水位が一日10mも変化するそうで、取り残されないよう気を付けないといけないですね。

間違ってもテントなど張ってはいけない。

 野菊はあちこちに・・・
 すぐ先に第三発電所。急な山の傾斜を利用している。

すごく急です!
 
 この道は、登山だけでなく

・魚釣り
・ダム見学
・エメラルドグリーンのダム湖
・温泉マニア
・家族連れ
・お年寄り

にも、楽しめる道です。 枝沢が一杯流れ込んでいたので、沢も登れるのかもしれない、と思いました。上に人工物がないので、なんだか沢、気持ちよさそう・・・。

結構人工物も多く、飽きさせない道なので、初心者向けの地図読み(というか地図を見る習慣づけ&地図から現在地を知る習慣づけ)にも良いかもしれません。

■ ウエア&装備

今回はキャンプメインなので、ぜんぜんウエアリングや装備にシビアさは要求されませんので、気楽に行きました。

次回は、夫にも海パンを持たせ、足元は運動靴、サンダル&沢靴だな~と思いました。 

核心は徒渉。なので沢靴のグリップがあるといいな~と。でも必要なのはその時だけですけどね。 

湯俣温泉までの林道は至って平坦なので、サンダル履きでもOKなくらいです。ヒールさえなければなんでもよい。ので、一番いいのは地下足袋&草鞋なのかもしれませんね(笑)

今回は秋のキャンプだったので、日中と朝夜の寒暖の差が激しいだろう、と予想して、シュラフは冬用で、ウエアを夏用にしてみました。これは正解。

少し暑かったものの、寒さは感じずに寝ることができました。


ウエアは気楽にこんな感じ。 Tシャツにチェックのシャツ。100円の麦わら帽子。



私が7kg 夫が8kg













裾をロールアップするのは、草むらをかき分けたりする道には泥や小石が入るので向かない。けれど、こんな道平坦で整備された、遊歩道なら、なんの問題もない。むしろ、スパッツつけているとあんまり考えていないみたいでカッコ悪いかもしれない・・・

ザックの外付けも同じ。ぶら下がっているのは100円のお好み焼きを混ぜるボウルです(笑)。シエラカップは高くて買う気がしないので。今回はすいとんにしたのでちょうど良かった。コップにもなるし。
途中で、支沢が一杯流れ込んでいるので水が飲める。

失敗はダウン。河原の温泉にも着ていったので、濡れが気になったので・・・やっぱり化繊のほうが良いカモ?・・・

買えの下着があと一枚合ってもよかったなって感じでしたが、お酒やら人参やら包丁やら持って行った割にはザックは軽かった。なんでだろう?やっぱり二人で分けて持つと最強ですね。

帰りに夫にザックを買いました。二つ並べてみると、私の60Lと彼の48Lではなんだかずいぶん違いますね。モンベルのアルパインパックはシンプルでいいザックだな~としみじみ・・・。

■ 参考サイト

高瀬ダム
http://dammaster.fc2web.com/nagano/1027.html

高瀬渓谷散策マップ
http://www.webmarunaka.com/nanakura/takase_map2.pdf

高瀬ダム
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%80%AC%E3%83%80%E3%83%A0

葛温泉
http://www.kanko-omachi.gr.jp/hot_spring/2010/02/post.html

晴嵐荘情報 (公式HPなし)
http://blog.goo.ne.jp/iroha-ramen-yamaaruki/e/9c9fa7f0d19e196b046395fc5da939fc
http://blog.goo.ne.jp/iroha-ramen-yamaaruki/e/9ab09b2d88ab752a077179fff803a426

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%AF%E4%BF%A3%E6%B8%A9%E6%B3%89%E6%99%B4%E5%B5%90%E8%8D%98

裏銀座
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A3%8F%E9%8A%80%E5%BA%A7
http://www.yarigatake.co.jp/route/route05.html

タクシー回送
http://nan-an.sakura.ne.jp/tozan/tozan/post-14.html

葛温泉かじか 登山者プランもあり、良心的。上品な旅館だったので親孝行で来るのもよさそう。
http://www.onjuku-kajika.jp/

大町の登山口情報
http://www.kanko-omachi.gr.jp/mountain/guide/

伊藤新道
http://www.sanken.osaka-u.ac.jp/dousoukai/tairiku/mountain.3.pdf

■ 旅のお会計

高速道路 1400円×2
タクシー代 2100円を乗合、 行き一人500円 帰り1050円
テント泊 500円/人
ビール 800円
ラーメン 700円
蕎麦   800円

七倉ダムカレー1100円 ビーフシチュー1000円

立ち寄り湯 800円/一人
休憩のアイスコーヒー 440円

一人当たり約5000円くらい 

■黒部の山賊

有名な『黒部の山賊』・・・読んでみたいけど・・・高くて買えない・・・(汗)

Friday, September 27, 2013

明日は温泉&焚火

■ 相手が行きたそうなところにお誘いする

今日はもう明日を楽しみにして寝るだけです♪明日はお山♪

…と言っても温泉地で焚火&キャンプするだけなんですが(笑)

今日は、もう夫の夕飯の準備もすっかり支度済みだし、明日のパッキングも基本的なところは終り、後は夫の帰りを待って分担するだけ。

夫は忙しいので、私ほど、色々な本を読んで山への関心を高める(というか憧れを温める)時間がありません。勢い、私の”行きたい”という気持ちに夫は圧倒され気味…です。

それは多少仕方ないですね。山って、一つ行くと、どんどん行きたいところが見えてくるので。でも、そんな中で彼も好きだろうなぁ~という場所が時々現れます。夫とはそういうところにゆとりがある日程で行くのがいいかもしれませんね。

夫の好きなのは温泉なので、行き先の写真などを見せたら、彼もすごく行きたくなったみたいでした。
彼にも楽しめるようなバケーション山行を組んで、後は私が個人的に行きたいところは、一人で歩く、それが今後は良い作戦かもしれないなぁ。

相手の行きたいという思いを強くしてもらうには、どうしたらいいか? それは、相手が価値を置いていることの情報を与えることではなんだろうなぁ。

だって、夫にこれから行く先が手掘りで入れる温泉がある、ということを伝えると、彼はとっても行きたくなったのでした(^^v)

これからは土日はバケーション山行、平日はチャレンジ山行ですかね(笑)

■ 防水マッチ

明日はたき火が出来るので、夏山でお世話になる袋飯ではなく、ちょっと手の込んだ鍋でもOKかな~って感じです。

と言っても大したものを作るわけではありませんが…そろそろ涼しくなったので、色々なものが食べれますよね♪

いつもコッヘルを持って行くときは、マッチとライターの両方を入れています。

・・・が、前回夫にテント泊セットを宅配便で送ってもらったら、コッヘルに、いつもの着火セットが入っていなかったので急きょライターを買いましたが、ライター、注意が必要です。

点火方法がこすってやるタイプ(フリント式)じゃないと点火しないことがある。ので、マッチも入れていますが、マッチはマッチで、湿気ったら付かない。 

まぁ夏山だったり、小屋が近くにあるようなテントサイトではそんなにシビアな要件ではありません。

何しろ、お隣さんが一杯いるので、「すいませ~ん、火をください」って言えばいいので(笑)。

おかげで、友達になれたりして、一鳥二石なぐらいかもしれません。

でも、これが、雪山で周囲に誰もいないときに、ストーブに火をつけようとして、ライターのせいで火が付かなかったら…

それは切ないでしょうな~!!!

だから、結局、こんなものが必要になるんですね~。 



じゃ~ん。 防水マッチ。

一番下のが、防水マッチです。ストローハットで夏山セール中で、安くゲットしました。こんなもの、セールにする必要なさそうな品ですが・・・

右のライター(電子式)は、前回のテント泊で急きょ必要で購入した者ですが、標高が高いと点火しないことがあるんです。

左のはフリント式で普段使っているヤツです。

両方100円ショップで売っています。が、

100円ショップで何気なく買うと、たいていが電子式なので、要注意です!

私は知っていたけど、右のを買った時、選択肢がなかったんですよね(汗)



なので、まぁ日ごろから心がけとして、フリント式&防水マッチのセットで持つことですね☆

と言うわけでキャンプのお供は

・防水マッチ
・ろうそく
・平べったいところがなさそうなテントサイトだったら、軽い板。

河原だと石があるのは当然なので…ペグは要りませんね。

早くダーリン帰ってこないかな~♪

Wednesday, September 25, 2013

山へメッセージを受け取りに行く

■ 山へメッセージを受け取りに行く 

今日はすっかり台風は空振りでした。大きな虹が出て、キレイな夕焼け。 

そろそろ、下界の暑さに高山に逃げ出す時期は終り、標高2000mくらいの山でも快適に楽しめる季節になってきました。こうなると日帰りで出かけられる山が出てくるのでうれしいですね!。 

私にとっては、山に行くのは、山へメッセージを受け取りに行く、そういう感じです。 

その時、”私”はただの受信器で、機械的に山から受け取ったものを吐き出す=文章化する道具、であるように感じています。 だから、山では、山から受け取り損ねたものはないか、と自分の中でいつも探しています。

 山を歩くときは、どんなメッセージを山から今送られているか、感じながらです。 その受信機の性能…それを上げる必要を常に感じています。世の中はこれを感性を研ぎ澄ます、というのかもしれません。

 そういう感じなので、山という趣味は、実はとってもヨガと似ている・・・ヨガをすると直観力が優れてきますよね。

 ■ どこへ続く道なのか? 

お山のスキルアップはしたいと思っているのですが、問題は、そのスキルアップが導く道が私の行きたいところなのかどうか?です。 

私は目の前に延びる道をすんなり歩くタイプではなくて、自分で決めるまで歩かないタイプ。 もし目の前の道を道があるからというだけで歩くだけなら、今頃は全く違う人生を歩んでいるでしょう。

 でも、私は、自分でこの道を歩く、と決めたら、結構困難でも何とか、やりくりして歩いてしまうタイプなのです。 二つ道が分かれたら、どちらかを選べとなれば、難しいほうを選ぶ。 ある意味無邪気さに欠けているかもしれません。

 ■ 道具としての山スキル 

山のスキルは”山からメッセージを受け取る”という成長のための単なるツールと言う感じなんです。

 ただただ、岩に登りたい!アイスに登りたい!っていうのはない… じゃ何をしたいのか? ただ、圧倒的自然の中に自分自身の身を置きたいっていう感じです。 

八ヶ岳の指すような寒気とか、冬の大菩薩でザックにいれたバナナが凍るほどの冷たい乾燥した空気、そういうのに身を置くの嫌いじゃないんです。 八ヶ岳はソロで歩いて実は凍傷になっちゃったしね。きれいな景色に見とれてウッカリです(汗) ただ、厳しい環境に身を置くと、何か忘れていた大事なことを思い出したような、原点に返ったような、そういうものを感じます。 もちろん、晴れた山も単純にうれしいんですが、晴れは単純です。ちょっとなら悪天候も実は嫌いではなかったりもします。そういう時の方が山が訴えかけることが多いような気がします。 

過酷な環境の中でむしろ、何かが洗い落とされるような、禊というか、浄化されるような、そんな感じを感じます。

 登山の価値には、
 1)未知の山であること
 2)より困難なルートであること
 3)美しい山であること の3つがあったそうです。 

今や日本には未知の領域はほとんどないので、未知というのは、手段とか、特定の条件下でのトライとか、矮小化した領域での未知、ということになるようです。 

でも誰でも行ったことがないところに行くのは多少の冒険で、それは楽しいものですよね。 

正直なところ、私自身は登山には多少の冒険は志向していても、より困難な方が価値が高い、というのはあんまり志向していません。

 困難さだけを目指すと、やはり無謀に走ってしまうリスクがあるからです。人間は行き過ぎを自制できない動物なので。たとえば、冬の悪天候下で鳳凰三山に出かけたのは、困難さに挑戦したと言えなくもないです。ただ私にはカバーできるリスクに見えたから出かけて、やっぱり正解で美しい景色に会えたら、充足感がありました。 なので、私の登山の充実感は、と考えてみると、リスクと安全を常に天秤にかけ、その判断が、危険から自分自身を守っていることの、完全な自己満足です。 登山で人に自慢したところで、私程度の山登りの人は履いて捨てるほどいるわけで、仕方ない。 やはり登山は自己満足の世界ではないでしょうかね? 考えてみると、昔から、他者からの評価を全然気にしない(ならない)のが私でした。

■ 内的成長 

あんまり他者評価を必要としない私ですが、なぜかなと考えてみると、自分で自分の中に問うて、今の登山が自分のスキルにマッチしていれば成功した、自分に甘さがあるようだったらダメだな、と自分で判定するからです。基準が自前。 

後立縦走、テント泊にしたのは、小屋泊だとラクラク過ぎて何の成長にもならないからです。それをテント泊にすることは、私にとっては小さなチャレンジで、それを達成したことは達成感につながり、私自身にとって満足が行く成長でした。 

槍より穂高が上、穂高より剣が上と、自分を他人と比較するという発想が、とてもイヤです。数を競ったり、体力を競ったり、ですよね。それは基準が自前でないからです。 

私が思うに、登山活動は自分自身との競争ではあっても人との競争はありません。 私にとっては、なんで山を人と比べ、競わなきゃいけないのか?って感じです。 

ヨガも競争を排すところがヨガなのに、このポーズできるか?じゃあこのポーズは?と、変なポーズができるほうがすごい、という競争でやっている人が多くて困ります… 体が柔らかいほうが偉いのなら、タコの勝ちになってしまいますよね(笑)

 ■ 荒涼とした平原 

私は、生命を感じさせない荒涼とした平原とか開けた土地が好きなみたいなんです。 行きたい場所として、脳裏に浮かぶのは、ブロンテの嵐が丘とかです。もちろん、話で読んだだけで実際に嵐が丘を見たことはありません(笑) 

宮古島に行ったときも、ロトルアやニューポート、あるいはメルボルンでも、しんと静まり返って、永遠に続くかのようなワンディングロードが続き、遠くに稜線が見え、その上に丸い月が浮かぶような場所で深く感動しました。 サンフランシスコに住んでいた頃は、よく海岸まで歩いてゆき、夕暮れの太平洋を眺めていました。

ホントに地球は美しいですよね。 山梨では、同じようなことができるのが、偶然、山ってことなのかな~と思ったりします。 

私は山岳総合センターの講習会で、岩登りのスキルを習っているので、岩登りは多少必要かなぁと思いますが、天狗尾根、前穂北尾根、阿弥陀南陵、北岳バットレス…うーん。 

私、行きたいのかなぁ??? 実はよく分かりません。 

だって岩って登っていたら目の前は岩しか見えないんですよね(笑)  

登りきったところで別天地が開ける、そういう展開が岩登りの愉しみと思いますが、私は、どこまでもどこまでも歩いていけそう、と感じながら歩くのが大好きなので…ジャングルジムに攀じ登るのが楽しいという感性とは、だいぶ違うのではないか?そう思っています。 後立は攀じ登った末に布引山での長く緩やかな稜線歩きが本当にご褒美だったので…八峰キレット他岩稜帯の困難は、そのためのアルバイトって、感じでした(^^;)

今の山の目標は 感度の良い受信機になること。

つまり、もっと自分自身の心をうまく表現できるようになりたいのです…。 山には出かけなければなりません。行きたい場所には自分で行けなければなりません。 

だから、そのために必要な技術があれば、必要なモノは必要なモノ。身に着けるつもりでいます。 そういう視点で言うと、ロープワークはセルフレスキューで必要かもしれません。

ロープワークってなまじっか知っているくらいで使うのは、まるっきり使えないよりアブナイ。 確実性を増すためには練習となる場が必要です。 

ただ…スキルが先で山が後ではなく、山が先でスキルが後だな、そんな風に思えるんですよね。

 その先に見える行きたい山。憧れ。それが大事なこと何ではないかと。

Tuesday, September 24, 2013

化繊のインサレーションの研究

前回の夏山縦走で、ちょっと肌寒いときがあったので、化繊のインサレーション(ダウンジャケット)が、あってもいいなぁ・・・と思っています。

どうしても欲しいものではなく、良いものがあったら買ってもいいなぁ・・・くらいの要求度なので、こういうものは、あらかじめ研究しておかないと買い損ねます。

そこで、ちょっとばかし研究です。 

研究の結果分かったことは、

化繊インサレーション、ベストはあまり商品数が多くない、

ってことです。

■ 対照 手持ちのダウン


ナンガのジャケット SSで224g コンパクトになる
224g 神田で1万円。

・不満: 濡れ&ジッパーの脆弱さ。
・気に入っている点: かさばらないこと&保温性

まずもって、化繊インサレーション購入動機は、濡れへの対策ですから、このナンガダウンと比べて、劣るものは買う意味がありません。

 ・あまり重くならない
 ・価格が高すぎない

 が条件ですね。











レイヤリングは

 1)アクティブスキンメッシュ
 2)化繊キャミ
 3)冬用ウール長袖アンダー(着ないときもある)
 4)夏ウールのTシャツ
 5)ロングスリーブのフリース(ホグのCoreQ。ストレッチ性のマイクロフリース)
 6)ゴアテックスのレインウエア

でした。冬用のウールのアンダーは小屋バイトで便利だったため。本来は暑くてイラナイな!ってものです。ただ、寝るときに寒いときなど、一枚足すのにアンダーを足した方が、レイヤーを足すよりあったかいことが多いのです。

ロングスリーブのフリースは、普段の山では、保温性の割に通気性が悪いので、行動中は切れず、行動を終わったら、ダウンの保温性に勝てず、というわけで、なかなか出番がなかったものです。
夏山の小屋では重宝しました。

シュラフはモンベルのNo3です。化繊オールシーズン用。 

全部着て寝て、ちょっと寒い日があったので、今頃は同じ装備だと寒くて寝れないですね(笑)。

で、化繊のインサレーションを検討中。

■ 候補 ベスト編

①ホグロフス BARRIER III Q VEST ¥11550 (税込価格)

・230 g  
・はっ水加工
・保温性
・断熱性
・ポケッタブルベスト

② Patagonia Women's Nano Puff Vest ¥18,900 (税込)

・防風性
・保温性
・シェルの下に着用
・風を防ぐアウター
・軽量で非常にコンパクトに収納可能
・60グラム・プリマロフト・ワン


U.L.サーマラップ ベスト Women's \7,800(税込)

・保温性
・運動性
・寒い時期の行動着
・汗や湿気に強いエクセロフトR採用
・軽量コンパクト
135g

★考察

胴体だけを保温するというのは夏には良い発想だ、と実感したのですが、それだとウールのTシャツがすでに役目を担っている。 

軽さではダントツモンベルなんだが、230gのホグもいい線ではないか。3000円程度の差なら
ホグのほうが断然着ていて気分がいいかもしれない。運動性を持たせていると保温性は犠牲になっているかもしれないという懸念があるし・・・ミドルレイヤーの勝負どころは保温性だと思うので。

商品数的には、化繊インサレーションは、ロングスリーブのジャケットが多いので、一応ロングスリーブも検討しよう。

■ 候補2 ロングスリーブジャケット

①BARRIER III Q JACKET  ¥14700 (税込価格)

・350g

②Patagonia Women's Micro Puff Jacket  ¥18,900 (税込)

・428g
・インサレーション&アウター
・耐水性
・防風性
・100グラム・プリマロフト

③Patagonia Women's Micro Puff Jacket ¥18,900 (税込)

・ 315g

④U.L.サーマラップ ジャケット Women's  \9,600(税込)
・198g

ファイントラック フラッフ ジャケット \32,550

・プラス一枚の保温着
・オールシーズン
・軽量・コンパクト
・230g

★考察

ファイントラック、なんて高いんだ! ダウンと互角に温かいんだろうなぁ!

手持ちナンガのダウンと軽さ&価格で互角なのは、モンベルのジャケット。でも温かくないんではないだろうか・・・ あまりに価格が良心的なので不安になるなぁ(笑)

冬はあまり濡れは気にしないで済むので、今のナンガのダウンで不満はほぼないので、とりあえず、雨が避けて通れない夏山や秋山のテント泊で、どうしようかな、となると・・・

A フリースベスト × 化繊インサレーション ジャケット

OR

B 長袖フリース × 化繊インサレーション ベスト

の組み合わせの、どちらかになる。  

寝ていて、寒いからもう一枚、というときに、フーディニを足すというのもなさそうだし、レインウエアは着たけど、そんなに保温性に貢献したとは思えない。

化繊インサレーション以外にも、化繊で言うなら、R2のような毛足の長いフリースを持って行くという手もあるが、これだと暑すぎるときにぬげなかったりするんだろうなぁ・・・

全体に見て、バリアQは価格もそこまで高くないし、重さもそれほど重くなく、あと一つ念のための保温用に持つのに、結構おすすめではないかと思った。

・・・ただ今日、Sundayに行ってみたらもう売れてしまっていた・・・残念。

店にはマウンテンイクイップメントの化繊インサレーションのジャケットがあったが21000円もした。

他のメーカーでも出しているのだろうけれど、ネットで検索する限りあんまりヒットしない・・・あんまり人気がないのかなぁ? 化繊インサレーションは・・・

やっぱり温かさではダウンダントツだしなぁ・・・でも、夏山では濡れるのはほとんど想定内みたいな感じなんじゃないだろうか・・・

小屋の布団も夏はなんだか湿っぽい。 すっきりとする日のほうがダントツに少ない。

濡れは、冬の八つより夏の北アのほうがシビアだと思ったんだけどなぁ・・・


Monday, September 23, 2013

読了 『登山の哲学』 竹内洋岳

■ ホームバディ満喫中

この3連休、ホームバディをやっています。なんのことはない家でのんびりしているだけです。

2泊3日の予定で、赤石岳&荒川三山なんていいな~♪
あるいはライチョウ沢キャンプ場で定着立山三山もいいな~♪
いやもう一泊二日でフルムーンの金峰山を夜間山行でも~♪
いいや日帰りで瑞牆山にカンマンボロンを見に行きましょう♪

・・・と山企画だけは、相変わらず豊富でしたが、夫の歯痛が山行キャンセルの直接のトリガーですが、家の中も超快適!なので、苦労して山に行く気がしないのです。

…というのは、さっき気が付いたところなのですが(笑)。

実際、この連休、わざわざ山まで行かなくても気持ち良いい!

このところ朝、窓を開けて寝ています。ちょっと寒かったりもし、うっかりしていると風邪をひきそうですが、辞められない。

窓から吹き込む、初秋のそよ風のたまらない心地よさ。

わざわざ山へ遠出して、テントで寝なくても、家のベッドで十分心地よい。

…というわけで…私は逃げ出すべき場所を失ったのかもしれません(笑)。

山好きにしてみれば、負け惜しみに聞こえなくもない。

これって負け惜しみ? その懸念を確認するため?(笑)、ためしに外に出てみたりもしたんですが…やっぱり今日は舞鶴公園で十分に素晴らしく快適でした。

無理して運転して遠出しなくても… 

朝8時の舞鶴公園。ガラーンとして誰もいません。夏の終わりとはいえ、まだグリーンの芝生。

そのまま座っても濡れることもなく、汚れもせず、つい気持ちよくてゴロンと横になる。

暑くもなく寒くもなく、そよ風そよそよ。

頭上には青い空。8時ごろの夏の空は一番青がキレイですよね。

夫は傍らで、好きなタブレットPCをいじり、私は伸びをしてヨガのポーズ。外ヨガ、素晴らしく気持ちが良い!その後はつい2人して、PCバッグを頭にうたた寝…

ああ~生きているっていい気持ち。 そんな感じでした☆

その後スタバでコーヒーブレイクとしましたが、祝日の朝はガラガラで、スッキリさわやかな空間でした。

■ 幸せになるための山

そもそも、私にとって山の趣味は、山梨での生活の充実度を上げるため。

だからガツガツ山に行く必要はないんですよね。

山梨に居て出来ることを丁寧にやっていく。それが大切。それは山梨では私に仕事がないからです。

退屈な日常、それからのエスケープ、という理由がなければ、山でリフレッシュする必要もないんだよなぁ…

考えてみれば、山を下りてから、もうずいぶん経つのに山に行っていませんね。

山充電が満タンというよりも、今は充電する必要を見いだせない。

満たされているってことですかね? 山には癒しを見出して通っていたのですが、癒される必要がない。

でも、それも山のおかげなんですが。 

山に行って、自分の置かれた状況に感謝し、環境を生かしていく、ということが、幸福の鍵だとしみじみ実感したから。

■ 読了 『登山の哲学』

たまたま図書館の山岳図書のコーナーで目についたので、竹内洋岳さんの『登山の哲学』を借りてきていました。

”私の山”についての考え方をまとめたいな、という思いがあるので、”哲学”という言葉に魅かれたんですね。

私は山で凄さを競う考え方はキライです。コースタイムの競争で早い方がすごい、とか、登った山の数競争ザックが重いほうがエライとか。

スゴイかスゴくないか・・・なんで、そんなにこだわるんだろうと・・・

コースタイムにしろ、山の数にしろ、ザックの重さにしろ、登山スタイルの違いじゃないかしら?

テント泊の人と空荷の小屋泊の人は違うスタイルで登っているだけでしょう。

■ アタックしないでプッシュする

山で凄さ争いは情けない・・・山を制覇するとか、アタックする、とか、そういう言葉にも少々表れていたりします。

そういう感性が嫌いだからか、私は、山頂でピースとか、ガッツポーズとかしません(笑)

だって、登山においては山頂ってプロセスの一部でしかない。

ホッとするのは下山だし、終わった、と感じられるのは、山行記録を書いて、まとめ終ってからです。

でも記録をまとめていると、もう次の山が見えてくるし・・・

余談ですが、ピースサインって日本人は訳も分からずやっていますけど、Victory(勝利)のVの字を指で作っているんですよ? 写真を撮る時にするもんだ、と子供に教えてしまっていませんか(笑)? 

竹内さんの本によると、今時、アタックなんて言葉を使うと笑われるんだそうです。

今では最後の登頂は、サミットプッシュというのだそうです。 自分を前に押し出す。

読んでみたら、この本、偉大なる登山家の山の哲学ではなくて、現代の若者の等身大の本でした。

山が好きでどんどん好きなことをやっていたら運が開けた、という話でした。

だから、あっという間に読める軽い本でした。 

この本を読んだ後、アマゾンのレビューを見てみたんですが、なんだか人々のレビューが、著者が訴えていることと、ずいぶん乖離しているような印象を受けました。

竹内さん自身は、高所登山を特別な能力の人が特別な努力をして成し遂げる偉業とは位置づけていません。

好きなことを突き詰め、やれることをやれるようにやってきたら、そこに8000mの山頂があった。すべてを登ろうと目指して登ってみたら、登れた、という感じです。

ところがレビューは、昔ながらの偉人・偉業説ばかり。

なんか、みんな本の内容をちゃんと読んでるのかしら?という感じです。

もちろん大けがしたりという逆境はありますけど、それは執念や根性ではなくて、いただいた命なんだなという感謝の心が乗り越えさせるもので、なにくそ~ではないんです。

執念とか根性とか、ハングリー精神とか、負けず嫌いとか、なんか違うと思います。もちろん、短期的に悔しい思いをした、とかそういうのは人間だから当然あるんですけど。

私が思うには、彼の人生の成功の秘訣は、生まれ持った性分の発揮です。

余談ですが、ヨガでは、その人のアートマン、その人らしさ、と言います。それが発揮された生き方がその人の生きるべき生き方(ダルマ)、とされています。

竹内さんのダルマ(その人らしい生き方)は、14サミッターだったんですね。だから無理も無駄もない。

■ (超人的な体力&スキル) → (時間&カネ)

私が思うには、実際のところ、日本の登山界には、お金と時間さえあれば、僕だって14サミット登れるな~っていう体力・技術のある岳人は、それこそ掃いて捨てるほどいるんじゃないかと思います。

今の日本の状態では、難しいのは山のスキルでも超人的な体力でもなく、時間とカネなのでは…?

それは竹内さんが指摘しているように、世界最高峰のエベレストでさえも”観光地”化しているんですよね。

公募登山をガイドする現地ガイドが、「ガイドとして最初にやる仕事は値札を外すことだ」と言うくらい、アイゼンを買ったばかりです!みたいな人が来るんだそうです。 

アイゼン履いたことがないのに冬の八ヶ岳に来てしまう山ボーイどころの状況ではありませんね(笑)

槍と同じように渋滞もあれば、テン場の取り合いもある。山ヤではない一般登山者が来るからゴミも捨てるし、山を荒らす。夏の北アとソックリのエベレスト。つまり俗化。

俗化=金さえれば誰でも登れる。

高所登山を取り巻く環境は、昔メスナーが登った時代とは違うんだろうと思います。実際はおそらく、昔の登山家に要したような、卓越した登山能力は必要なくなったんでしょうね。

ところが、一般の人の登山に対する意識は古いまま。

登山行為の変化、という現実の方が進化していて、意識は古いまま。 それを感じたレビューでした。

■ イモト

無論、周到に高所順応したり、トレーニングしたりは必要ですが、行ってQのイモトがエベレストにチャレンジしていますが、あれを見たら、誰だって、普通の人だって周到な準備やトレーニングがあれば可能なことだと分かるでしょう。

100年に一度の逸材だけが達成できる偉業ではない。ちょっと運動能力に優れ、人並み以上の忍耐と登りたいという情熱、そして機会とカネがあれば、やれることなんですよね。

何より金がなくてはチャレンジ権さえ買えない

昔の人は、行きたい行きたいという強い情熱に加え、超人的な体力や山ヤの技術が必要だった。今は後者はイラナイ。

では、何が必要になったのか? それは、たぶん、山さえできたら後は何もイラナイと切り捨てる、割り切りではないでしょうか。

たぶん、山に登ることそのものより、山に登れる体制(時間とカネ)を作ることの方が難しいんですよね。

大学の山岳部の時は色々と登る時間があっても、社会人になったら登れなくなるとか、高所登山に行く実力が合っても、家族を持ってしまって時間がないとか。

要するに山以以外の人生のその他の部分を切り捨てられるかどうか?

後立で一緒になった山ヤのオジサンは、高校山岳部から山をやっていたのだそうでした。社会人になり、ヨーロッパの山への遠征に30日間の休暇を願い出たのだそうです。20日は休暇が溜まっていたから、後の残りを許可してほしいと。会社の回答はNO。だからおじさんは若き日の情熱を消化させることができないまま、サラリーマンとして人生を送ったのだそうです。でも、振り返ると後悔はしていないのだとか。なぜなら、その時会社を解雇されなかったおかげで、定年退職後山に登れる今がある、と思うのだからだそうです。

つまり、ヨーロッパの山に行くことより、サラリーマン人生を捨てることのほうが一般の人にとっては大冒険なのです。

社会的自殺・・・一般の人はいくら山が好きでも、そんなに割り切ったことはできない。

昔の岳人だって色々な人がチャレンジしては、登山史に埋もれて功績を評価されないまま埋もれて行ってしまったんでしょうが・・・それでも登山をしたいときに、社会的自殺になることなく、時間やカネの融通は今の時代の人より、自由だったんではないでしょうか。

「金と時間」に縛られるという意味では、現代は、、豊かになったのではなく、乏しくなったのしょう・・・

だから、現代では、そういう割り切りができる環境を与えられる、ということがきわめて重要です。

山に登れる環境が提供され、その場にたまたま居合わせる、ってことが山に選ばれる、っていうことなのかもしれませんね。

たとえば、竹内さんは大学山岳部で最初の8000m級の山シシャパンマに登っているのですが、それ自体がものすごく稀有なことですよね。

大学で海外遠征することも稀だし、そういうチャンスが出てきたときに、逃さず掴めるお金がある、ってことも稀有です。まさにチャンスの女神は前髪があっても後ろ髪はない。

この時の資金は家族から出してもらったそうですから、それは環境でしょう。

出してくれる人がいなくて、あきらめた人もいるかもしれない。そのシシャパンマは彼を同年代の岳人から頭一つ飛び出させる一つの実績となり、呼び水のように色々な縁を引きつけているんですよね。それにうまく乗ってきた、運命の流れに逆らわなかった結果が、14サミッターと言う実績のようです。

ちなみに、稀有なこと=起こることが難しいこと=あり難いこと=ありがとう=感謝すべき境遇、ですよね。


■ 自分が何が好きで、何さえあれば人生が満足なのか? 

自分が何が好きで、何さえあれば人生が満足なのか? 

それをはっきり若いときに定義づけた結果の14サミッター達成。

逆境に抗して、がむしゃらな努力とか、血のにじむような努力で、超人的な体力を身に着けた、とかいう話ではない。

私は山野井さんの山もとても好きですが、生き方は、竹内さんの方がずいぶん肩の力が抜けています。

そんな内容の本だったのに、読者の感想は いまだに”偉業”&”不屈の精神””感動”…

時代が変わったことに人々は気が付かないのか…?

そこのところがとっても違和感でした。

■ あれもこれも求めない、こと。

今年の夏は初めて山小屋で働きました。とってもつらかったです…が、今となっては全然覚えていません(笑)

山梨に来て以来、「山梨に居る間は、山さえ行けたら私は幸せ」と自分で勝手に決めています。

山小屋では全然山には行けませんでした。それに軽くイジメにあっていたと思います。仕事を教えてくれなかったから。

山好きで意気投合する人も少なく、山への愛にあふれ尊敬できる岳人との出会いもなかった。山を歩けないので、岩場歩きのスキルもつかず、その上運動不足。

ただ・・・”山にさえ行けたら後は問わない…”と思っていたため、雨の日も風の日も、近くのピークに通いづつけました。

ライチョウさんに会えたら、それだけで幸せ☆ 朝日が見れたら幸せ。そう決めちゃう。

叱られても。失敗しても。意地悪をされても。悪口を言われても。

それに、最後に5日かけて山を縦走して帰ってきたら、全部チャラになってしまいました(笑)

そもそもこの山域を選んだ理由はこの山域の天気について詳しくなりたかったのとテーマが岩稜帯歩きだったからでしたが、最後の縦走でどちらも満足がいく知見を得られました。

竹内さんの本の読後感と、苦しかった割にその苦しさに対する印象が薄い夏の経験。

この両者を振り返って、幸福の秘密は、「○○さえしていれば自分は幸せ」と決めてしまうことなんじゃないかと思うんです。

自分は仕事さえできたら幸福とか、結婚生活が円満なら何も問わない、とか、子供さえ素直に育ってくれたら満足、とか、山にさえ行けたら出世はどうでもいい、とか自分の幸福の定義を決めてしまう。

切り捨てる。

そういうことが運命を切り開く鍵なんでは?と、ひと夏の実感とともに、著名人の著書から思ったのでした。

Saturday, September 21, 2013

地域研究とホームグランドの山

■ 地域研究とホームグランドの山

地域研究、という言葉をご存じですか? 

私が大学を卒業するころ、各大学では国の意向で組織改編が盛んでした。文学部は、地域研究科や比較研究科などに改名されたり。

同じ英文学を専攻しても、それまではイギリス文学かアメリカ文学かに選択を迫られたのですが、改変で、両方の文学をやりたい人は、比較研究へ、深く一つの地域を掘り下げたい人は、地域研究に進めば良いとなったわけです。

この場合の”地域研究”は、一つの地域を掘り下げればいいだけなので、文学のみを対象にせず、社会現象や経済、法となんでも扱うことができるのです。地域は限定されるが、対象はオールマイティ。なので、ジャズの研究論文や文学の中で出てくる料理の論文を書いたりする人も現れました。切り口が文学研究だけに限定されず多彩になった。

登山にも”地域研究”という活動があります。 

登山で”地域研究”と言った場合、一つの山において、尾根だけでなく、谷、壁、と様々なルートを開拓することのようです。

一つの山を掘り下げること。 

そうすると、尾根歩きだけでなく、谷をやらねばならない。 となれば、沢歩きの技術が、岩の箇所が出てくるとなれば、岩登りのスキルが、必要になるわけですね。 オールマイティな技術が必要となり、一つの山を知り尽くしている頃には、一通りの山の技術が身についている、というわけですね。

■ ホームベースの山 

登山を始めたころ、私は『町内の山』というサイトをよく訪ねていました。

町内の山
http://www.geocities.jp/chonai_yama/

このサイトはとっても面白かったのです。そこにホームベースの山を持て、という主張があり、なるほどな、と思ったのです。結構素直でしょ(笑)。

一つの山に何度も通う。そんな愛すべきホームベースの山を持ちたいな、と思っていました。

ホームベースの山の条件は

1)家から近い
2)四季折々の表情がある
3)ほどよいコースタイム
4)発展性がある

くらいではないかと思います。 要するに 近くて飽きない山

最初それは、私にとって茅ヶ岳でした。何しろ初めて県外の人を連れてザ・山梨の山として紹介して歩いた山ですし…。 最初の頃は、女岩へ行くだけでもなんだかやっとだったのに、今では往復4時間もかからない。ランチさえ持たずに行けちゃう。(まぁ山では何があるか分かりませんから、ちゃんと持って行くべきと思いますが) 今でもウエアや靴を下ろしたい時は、茅が岳に行きます。

去年は実は三ツ峠をホームベース化しようと思っていました。高山植物の保護などの活動ができたので、山を深く知る機会があったからです。山で過ごす時間を長くしたい。 これは山好きみんなの思いではないでしょうか。

登山以外の活動ができるのは貴重です。登山道以外の場所に踏み入ることができるのは、保護活動ならではですし、ピークを目指す登山とは関係のない活動ですから、またそれはそれで登山とは違う形で、山とのかかわり方ができ、山をルートと言う線ではなく、面として知る楽しみが広がります。

鉄塔を作るオジサンたちの方が登山者より山を知っていたりするでしょう。それと同じですね。

また、大菩薩エリアもホームベース化できる可能性のある良いエリアだと考えていました。というのは、大菩薩嶺、意外に広大な山域で、東アルプスの南端と位置付けることも出来るからです。ホームベースとなる山には、そこから活動エリアを広げていける、という発展性も必要なのです。単独峰だとこうはいかないですから。

ただこうしたホームベースの山の発想は、同じルートを何度も歩く、という意味。

季節を替え、時間を替えて、同じルートを何度でも歩く。

同じルートを歩く、というのは、退屈なようで、結構、発見があります。何より山に行くたびに計画に時間を取られることがないので、思いついたら即、山に行けます。何度も行っているので、過去の自分との比較もでき、成長を実感することもできます。

つまり、山により日常的に親しむことができます。そういうホームベースの山で同じルートを歩くなら、地図を持たないで行ける場合もある。

初めての場所ではないということは、自分のテーマだけに意識を集中することができる。

たとえば、冬の靴の歩き心地を試したい場合、夏にも秋にも春にも歩いた道をもう一度歩くと、冬の道の歩き方だけに意識を集中できたりします。

歩く技術に特化しなくても、季節が変われば、また山の表情も変わる。 秋の風情だけを愉しみたい、という山の見方をすることもできます。

友人と連れて歩くなら、友人の相談に乗る、というテーマに集中することだってできます。テーマを絞り込むことができるわけですね。

実は、今年はホームベース活動は、山岳総合センターでのリーダー講習でとん挫中です

しかし、地域研究は、ホームベースはホームベースでも、同じルートを歩くことではありません。

■ 地域研究 = 総合的な山スキル

こちらに地域研究について書いた文章があります。
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 かっては山岳会において『地域研究』が盛んだった。 今や地域研究を標榜する山岳会はほとんど見あたらない。 地域研究に値する山域がなくなったのか、 山岳会の役割や会員の求めるものが違うようになったのか、 理由はいろいろあることと考えている。 

 実は私が所属している山岳会では、 地域研究を活動のひとつとしている。 ただ現実はほとんどなにもしていない状態だ。 ある時集会で、若い会員から『地域研究』って何ですかという質問があった。 その時は他に議題がたんさんあったので、誰もそれには答えなかった。 『地域研究』はもう山岳界では死語になってしまったのだろうか。 ここで私なりに『地域研究』というものを考察してみたい。 ただし個人が行う地域研究もあると思うが、 ここでは山岳会における地域研究についてである。 地域研究という定義・意義は決められたものではなく、 抱くイメージも各自それぞけだと思う。 以下はあくまでも私の個人的な考えである。 

 本題に入る前に地域研究の一般的な意味について調べてみた。 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると次のように定義している。  地域研究(ちいきけんきゅう)とは、国際関係学の一分野。 各地域の共時性に留意しながら、その地域の特色を他地域と比較しながら考察し、 当該地域の政治、経済、産業、法制度、社会、文化、民俗などについて広く研究すること。 国際関係論のように、複数の地域・国家の関係性に留意するというよりは、 個々の地域を独立的に捉えようとする。 

 私は山岳会における地域研究を次のように考えている。  「仲間たちがある特定の山域の種々のルートをトレースし、 その山域の全貌を明らかにする。 山岳会の存在意義を高めるだけでなく、 その活動を通じてグループの連帯感を養い、 各自の登山技術を向上させ、 山行を通じての個人的喜びを得ることに主眼をおいた活動である。 研究の対象は登山行為だけにとどまらず、 登山の周辺領域まで拡大されることが多い。」 

 過去には多くの山岳会が得意なフィールドを持ち、 地域研究的な活動をしていた。 ひとつひとつの山行は記録的な価値が低くても、 ひとつの山域での記録がまとまると、 その集積が価値を持ってくるものである。 山岳会はそこに自らの存在価値や満足感を味わうことができるようだ。 一流の登山技術を持たなくとも、 努力と熱意で一流の業績を残すことができるという一面もあった。 山岳会が求心力を求めるのにもよい活動だったのかもしれない。 

 ただ光がある以上、影もある。 地域研究には登山の対象を選ぶ手間が省かれるという面もある。 考えない山行が増え、 あこがれが次の山行を決めるという好ましい姿に遠いものになりやすい。 地域研究をその地域の地理的解明(踏査)に主眼をおくならよいが、 地域研究を登山行為の一部とするならば、 個人が地域研究から何を得、学ぶことができるかが重要となってくる。 組織の中に埋没するのではなく、 主体性を持って組織の中でいかに活動できるかが地域研究を活かせるかの別れ道になる。 多くの地域研究は目的ではなくよき登山者を育てる手段である。 このあたりの位置付けを明確にしておかないと、 組織も個人も満足する結果にはならない。 

 短期間に同一地域を集中的に登って何かを掴む。 これは情熱の発露として尊敬に値する。 しかしある地域への愛情は他を知ることによって深まることが多い。 他の山域をも広く歩き、比較の中での思考も研究に深みを増す。 私は登山を趣味にし始めて40年になるが、 地域研究の一員になったこともないし、 個人的に一つの山域を集中的に歩いたこともない。 一時期、地域研究を活動の中心に据える会に所属していたこともあるが、 私はあえて自分の好きな山に向かっていた。 今になって考えるとよかったと思う反面、 誇れる成果もない山行歴を振り返ると寂しい気もなくはない。 
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地域研究  http://www.geocities.jp/thansunjiti/blog/blog.html より引用

この解説によると、地域研究と言うのは、要するに、一つの山を総合的に知る、ということのようです。

尾根歩きだけでなく、谷も歩き、岩も歩く。 尾根も谷も壁も知ってこそ、○○山を知っていると言える。

そういう視野で見ると、最も易しい最短ルートを通ってピークを踏んだだけで、その山については終り、とする百名山ハンターの山歩きは、なんとも表層的に見えてしまうわけですね。一口かじっただけ、という訳です。

私は山岳総合センターの山の講習会に行っているので、地域研究とは何かについて質問してみました。

いただいた回答によると、昭和30~40年代は各山岳会で地域研究と言うものが盛んで、競って新たなルートを開拓していたのだそうです。

そうして、多くの山岳会が開拓していった、それらのルートは『日本登山大系』に収められているそうです。偉大なる遺産、日本登山大系! 

確かに日本登山全集には、後ろには色々な山岳会の名前が挙げてあります。

ところが、今では、日本登山大系はバリエーションのルート集と位置付けられています。

つまり一般登山者には関係がない世界ですね(笑) 一般登山者は尾根しか歩かない。

しかし、昭和30~40年代って言えば、『ALWAYS三丁目の夕日』ですが…ずいぶん昔の話ですね。私はまだ生まれていませんが(笑) 約50年前ということです。

■ ルート開拓=冒険

私は登山の新参者なので、登山の世界がどういう経緯をたどって今の現状に落ち着いたのか?

まったく分かりませんが、今では一般に登山と言った場合、一般登山者が未知のルートを歩く、ということは一切ありません。

日本アルプスの山々には登山道が整備されつくし、正直言って夏山では地図なしに歩けるくらいです。地図どころか、水筒だって持ってこないで歩いている人がいるくらいです。

その結果、道さえ見ないで歩く人も増えてしまいました。道を見ないで何を見ているのかと言うと、前の人のザックとか足を見ているわけですね(汗) つまり、人の後をついて歩くわけです。

そうすると道を見ていないわけですから、容易に道迷いが発生する。道がどんどん易しくなっているのに道に迷うという…矛盾した現象は、単純に道を見ていない、という行為から発生しています。顔をあげて道を眺める人には明瞭なものが、人の後をついて歩いている人には見えないのです。尾根しかあるいていないのに(笑)。

ので、ある意味、今の登山では、”未知”という要素は、”個人にとってまだ行ったことがない”というだけのことに凝縮されてしまいました。

人類にとって、何も新しいことがないのが今の一般ルートの登山。

そうなると、争点は、困難度や体力度、あるいは数になります。結局夏山はトレーニング、です。

…それで結局、”100個山に行きました”、とか、”体力自慢”、”雨の日だってカミナリの日だって行けるもん”、みたいなところに優劣争いが落ち着くことになる。

すると、当然の帰結としては、遭難が増えますね。

結局、未知ということ=冒険的要素が限りなく少なくなってしまった、というところが事の発端。


(未知という、あらたな地平線を見いだせない)

 ↓

(視野の狭い競争に陥る)

 ↓

(遭難が増えた)

というところに、現代の登山の苦悩があるようです。

(余談ですが、かといってあるべき理想像も描けてはいないらしいのです。)

■ 山ヤ養成基礎講座(笑)?

一個人の登山者が、登山者として成長しようと思った場合、ステップアップという発想は欠かせません。

そのステップアップは、一般には

 1)コースタイムの短い初級の山 → 中級 → 上級

と進むのが一般的な流れです。が、ここまでは一般登山者の山。普通の若い人はあっという間に上級クラスまで進んでしまうと思います。

そうなると、山ヤとしての一歩を踏み出すプログラムが必要になりますが…山ヤとしてのカリキュラムは

 1)ホームベースの山を持って一つのルートに何度も通う (入門レベル)
 2)一つの地域のルートを登りつくす (初級レベル)
   ・岩 
   ・沢
   ・雪
   ・藪 

ですね。

山行の企画に時間を割く必要がない分、ホームベースの山では、歩くことやウエアリング、季節の樹木、写真、その他、自分自身が興味を持っているテーマに専心することができます。

私も初年度は同じ場所に何度も通って歩けるかということや気温の感じ方、ウエアリングの適正度などに興味の的を絞っていました。

2)の地域研究に段階が進むと、歩く技術だけでなく、沢技術、岩登りの技術などのオールマイティの技術に手を広げることができます。

そこまで来てやっと山ヤ道の入門に立ったというところですね。

スゴイ山ヤ、というのはそこから先にずんずん歩んでいった人のことなのです。

ただ、そこから先へ進む人が少ないという嘆きは多所から聞こえてきますね(笑)。

■ ご用心! 山に登ろうとして山に登れなくなる、落とし穴

雪山をやっていると、よく山スキーを薦められますが、山ヤ志望者は気を付けないと山をやろうとして山をやれなくなる羽目に陥ります(笑)。

というのは、スキーをやるとどういう事になるかと言うと、スキー技術を獲得するため、スキーのゲレンデに通うようになってしまいます。

岩登りを始めると、岩をやるために岩のゲレンデに通うようになってしまうのと同じですね。

要するにスキー技術の獲得や岩登り技術の獲得のために山に行く時間がなくなり、山に行かなくなるのです。

アリがちなのは、夏は岩に通い、冬はスキーに通うパターン…すると、もう、山登りをしなくなり、山で朝日を見たり、星を眺めたり、テント泊したり、という楽しみはなくなってしまいます。

こうした危険があるのは、フリークライミング、スキー(バックカントリー)、そしてアイスクライミングですね。

元々は山に登るための技術だったものが、そもそもの動機とかけ離れてしまって、一つの技術局面だけがクローズアップされる、ということになり、専門化が進んだ、とも言えますが、その実態は、単純に山を見ていないで技術習得にアップアップ、とも言えます。

山に興味が薄れ、自己スキルのUPのみに興味の対象を絞り込まれてしまう・・・のは、現代の一つの病理とも言えるかもしれません。

現代人と言えば、人間中心の世界観…世界の中心は人間様だと誤解しているのが現代人なのですから・・・

山に行けば、人間こそが自然の一部であり、その逆ではないと分かるはずなのですが・・・。

このことは何度強調しても強調しすぎることがないように思います。世界の主役は人間ではない。

■ 結局は山が好きかどうか

そういう意味では、登山という行為は、結局は、山が好き、かどうか…山恋、山への愛情、それだけが純粋な動機となるべきものなのかもしれません。

そこの根本が怪しくなってしまっているのが、中高年者の登山ブームで、それは山が好きだから山に行くのではない人が多いことから分かります。 

彼らが山好きでないことがなぜ分かるのか?と言うと、やはり山を知ろうという姿勢というのは、計画を立てる、というところから現れるからです。

連れて行ってもらう登山には山を知りたいという動機が欠けているような気がします。一回や二回ではなくて、自分で行ける山にも行かないで、ツアーに流れるのは、違う動機が働いているからでしょう。色々な山が合ってもいいですが、山の愉しみの大きな部分を占める山企画・・・計画立てるのは山好きならとても楽しいワクワクするプロセスです。

山を飛び回る原動力の源が、山恋ではない…らしい。

それは、私が近年山を始めたところだというある中高年男性から聞いた驚きの一言が裏付けるのでした…

「山なんてどこでもいいんですよ」

まさに「100の山に100の喜びあり」とした感性と全く反対を行くのではないでしょうか…

このような状況に陥ってしまっている山の世界…なんとも悲しい状況ですね。






Friday, September 20, 2013

逆転の発想?

■ヨガ

今日もヨガで一週間が終わりました。

ヨガを教えていると、いつも出てくださるお客様には心から感謝を感じます。本当に感謝しか感じない。

お客様の体から、私が色々なことを学ばせていただいているからです。

今日もヨガを教えた後、色々と考えてしまいました。

ヨガを教えていて、少し残念なのは、ヨガ友が少ないこと。現代人の忙しさで、ヨガの研究を一緒に分かち合う人がいない・・・。私はバレエを長くやってきましたが、ヨガで使っている知識の土台は、ほとんどバレエで得たものです。

■ 探究心の分かち合い

バレエ仲間とあーだこーだ言いながら、長い時間、ストレッチをして、どういうポーズをすれば、体がどうなるか、どの筋肉に効くのか、聞かないのか、長々と探求していました。友人たちとこうしたらこうなるじゃない・・・で、こうして、ああして…とそういう時間が今はもうないのです。残念…。 

同じ趣味の仲間と同じ興味の対象を探求することができない…

それはお山の趣味でも同じことで、こうしてああいうルートを取ったらこういう山になって面白いとか
、こういう風にすれば、同じルートでも違う楽しみ方が出来るとか、そういうテーマや企画を立てる面白さを仲間同士で相談し合うこともないのが、ちょっと残念です。

ま、山の場合は、山で出会った人とそういう話になることが多いのですが…でも周囲の人とも楽しめたら、もっと楽しいはずなんですよね。

クルマ社会のせいか、山梨では、どちらかと言うと、そういう時間がない、もしくは都会生活者より取りづらいです。

今日は明日のお山の計画でルンルン気分だったのですが…夫が歯痛で明日は自宅でゆっくりしている方が安心…ということで自宅待機になってしまった。

ま、ちょっと残念ですが、山は逃げない。

■ 近所でもリスクが大きい山、遠くても安全な山

私はアルプス系の山にソロで出かけるのを怖いと思ったことは一度もありません。それは初心者のころからです。

たぶん、山小屋の充実した八ヶ岳で山をスタートしたせいですね。

でも、いわゆる里山は…とても怖いです。 動物も怖いし、(犯罪)も怖い。それに道迷いに陥った時のリスクの大きさも怖いです。通りがかる人が期待できない。

今、カンマンボロン(瑞牆山)に行こうかという案がありますが、このルート、あまり人が通らなさそうなので、私には、一人で歩く北アや南アルプス、八ヶ岳よりとても怖い場所です。

何しろ、何か起こった時に、山小屋もなければ、人もどれくらいの頻度で来るのか分からない。

一応クライミングルートがぎっしり詰まったエリアなので、人は通ると思いますが、道迷いの末転落など、目も当てられない状況に陥ったりしたら悲しいですよねぇ…

私は基本、単独行が好きなのですが、単独の場合は特に女性の場合、人目に出来るだけ印象付けておく、というのは非常に重要なポイントだと思います。私はそのために小屋に印象付けまくります。色々な人に”こんにちは!”です。

そういう事情を考えると、単独がふさわしくないのは、アルプスではなくむしろ里山で、こういう里山での冒険山行こそ、夫と一緒に楽しむべきなのかもしれません。

というのも、私が行きたいアルプスなどの山々へは、夫は時間の都合が付きづらいからです。

彼自身もそんなには興味がなく、夫の体力に合わせるとお金がかかってしょうがない(笑) 私一人ならテントでいいやって場所も、体力温存のため、小屋泊。

それも仕方がないな~と思います。

だって私は仕事がヨガなので、日中はほとんどヨガをしながら家事をしているような様相で、私が家事をしている様子を見たら可笑しくて仕方がないと思います。 だって朝起きてから寝るまでアサナのポーズをなにがしか取っています。歯磨き中は片足立ちで立木のポーズとか、掃除機掛けたら鶴のポーズとか…

なので私は体力の余力、のりしろ十分。一方の、夫はと言えば、帰りは10時を回ることもあるくらいなのです…もともと同じ職場なので事情は分かっている…そんな人が朝8時のバスに乗るために、夜中の3時起きで4時間運転して、そののち、5時間の山歩きをこなす、というのは少々無理がありますよね…

…というわけで、もしや、平日にアルプスに出かけ、休日は近所の里山を二人で歩くという逆さま作戦が実は逆転の発想なんではないか?と目下、検討中です。


山と伝承

今日もお天気が良かったですね♪

夫が週末山に一緒に行ってもいいって言うので、ルンルン気分で山企画中です♪

どこに行こうかな~

■ 読了 『山梨県の民話と伝説』 土橋里木

私は小さいころ、”お話”大好きでした。ただ”お話”をしてくれるマミーやダディ(笑)はおらず、ばあばもじいじもいない、核家庭に育ったので、もっぱらお話しと言えば、絵本でした。

絵本は私は早々に読破したのですが、絵本の全集が我が家にはズラリと揃えてあり、それらは、『世界の…』を冠する絵本たちだったので…イソップやアンデルセン、アラビアンナイト、そんな話が子供の頃にインプットされ、日本の昔話はそのうちの一つでしかありませんでした。ケルトの『石の花』、韓国の『安寿と逗子王』まであったから、かなり網羅的な全集だったんだと今思えば思います。

日本にはたくさんの”お話”が一杯あるのに、それらは伝承されなかったんですよね…

美しい絵本になって伝承されたのは、私とは文化的つながりがあまりない世界のお話。

そっちのほうが優先的に小さな幼児の頭には行っちゃったんですよね。私の愛読書『大草原の小さな家』では、親が子供にお話を繰り返し聞かせる姿が描かれています。それはちょっとうらやましい情景ですね。アメリカのパイオニアライフ、開拓時代と言えば、お話は荒くれ男やインディアンの話、そしてお話が終わると読み物と言えば、聖書とたまに届く新聞くらいでした。

そういう200年前の話を本で読んで、憧れる私。私はまだ絵本という現実に手が取れるものでお話を読みましたが、今の時代の子供は電子ブックのKindleで読むのかもしれません・・・(汗)

さて、この『山梨県の民話と伝説』を借りてきたのは、日本の山々には多少伝承的なものがあるからです。

地名にそれが時々現れます。 それで、ふと不思議になるので、調べてみたりします。

たとえば、鹿島槍の裾野には、カクネ里という地名がありますが… カクネなんていきなりカタカナ?と思ったら、隠れ里→カクネ里 の訛り。 平家の落人伝説がある場所です。

そういうことがちょくちょく起こるので、山の本を読みたい時は、登山の棚を覗くだけでは不十分で、時々は民俗学(388)の棚も見るわけです。で、ちょっとたまたま手に取った本がこの『山梨の…』でした。

山梨の山にまつわる話が出ているだろうというわけです。

■ 千代の吹上げ

金峰山には、「千代の吹上げ」という場所があります。断崖絶壁。ほかに「稚児の吹上げ」と書いている本もあったのですが、どっちなんだろうと思っていました。
http://stps2snwmt.blogspot.jp/2013/03/blog-post_5.html

千代=ずっと、 稚児=軽い ということで、どちらも風が強いことからきた地名かしら?くらいに想像していましたが、実は違う。

千代の吹上は、昔、大工の妻千代という女性がその場所から堕ちたが信心深かったために情けを掛けられ、吹きあげられて命が助かった、という場所なのだそうです。

これは『山梨の…』に書いてありました。ほぼ同じような話がこちらから読めます。
http://www.tsugane.jp/meiji/rekisi/sutama/minwa.html

■ 山の背比べ

八ヶ岳の有名な伝説と言えば、富士山との背比べですよね。 

でも、この本に寄れば、山と山が背比べする伝説は、八ヶ岳と富士山に限らず、多くの地方であるのだそうです。

最も古い記録は、近江の息吹山(叔父)と浅井岳(姪)。めいっこと叔父が競って、浅井姫が負け、その首が琵琶湖に飛んで行き、竹生島になったのだそうです。

あるいは岩手山と早池峰山白山と富士山立山と白山

どの山でも登山者は石を一つ持って登れば願い事がかなう、などと言われたのだそうです。また麓に「砂ぶるい」というところがあり、登山者は必ずそこで古いわらじを脱ぎかえて、人々が踏み下ろした砂は、その夜のうちに再び山の上に帰っていくものと信じられていたそうです。(『山梨の…』P40 )

今ではそれがストックには石づきをつけましょう、みたいな話になっていますね(笑)。

■ 八ヶ岳、ヘビ、泉、杖差し伝説

八ヶ岳は山梨と言うより、長野にある山のようでこの本では伝承は多くは掲載されていませんでしたが泉の話は有名なようです。

ここでお話が読めます。
http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=258&cid=28

杖を指して、そこから水が湧く、という話は典型的なようで、オリジナル、固有のものではないようです。

また、ヘビは水辺に多い動物なのでしょう。ヘビ=竜ということで、海のない山梨でも竜宮伝説があり、深い淵の底に竜宮がある、というお話は多いそうです。

おもしろいのはお椀を貸してくれるってところですね(笑)
http://www2.wind.ne.jp/nagaou/old%20tale/densetu/densetu.html

返さない人がいて、貸してくれなくなったのだとか(笑)・・・

■茅が岳 

茅が岳の孫左衛門の話は、どうも有名なのに、何度茅が岳に登っても、聞いたことがありませんでした。教えてくれる人がいなかったんだなぁ・・

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
孫左衛門(まござえもん)の話

むかし、江草の湯戸に孫左衛門というものがおったんじゃ。ある日、茅ヶ岳のふもとの屏風(びょうぶ)岩近くまで牛を追って草刈りに行ったんじゃ。すると、そこに見なれない二人の坊さんが囲碁をさしておったんじゃ。孫左衛門は二人のかたわらに立って見ているとな、少したって坊さんが豆を持たせて「もう村へお帰り。」と言われてたんじゃ。そう言われて、はっと我にかえった孫左衛門は、我が家へ帰りついたんじゃが、家に帰ってみると、驚くことに3代もの長い年月がたっておってな、まわりの衆(しゅう)は顔も見たことがない人たちばかりだったんじゃ。あまりのさみしさに再び坊さんたちのところへ行ってみようと思ってな、村を出る前に孫左衛門は村人に向かって言ったそうな、「もし、屏風岩へ薪(まき)を取りに行くんなら、私は江草村のものだと言いなさいよ。」と言い残して村を去ったそうじゃ。それからは、よその村の者がこの山に来ると不幸がおこり、江草の村人なら無事だったとさ。
ーーーーーーーーーーーーーーhttp://www.tsugane.jp/meiji/rekisi/sutama/minwa.htmlより引用

http://www.fruits.ne.jp/~mahirunohoshi/youkaiichiran.htm
にも同じ話が簡略されて載っています。八ヶ岳の天狗、の話も出ています。大天狗、小天狗ですね。

山には天狗尾根という地名はとても多いのですが、形から来たのか、興味がありますね。

さらに八ヶ岳では、私は同心、の意味が知りたいのですが、誰か知りませんかね・・・?

茅が岳には机という地名もありますが、それも伝承の地名ようですね。とすると、兎藪はどうなのでしょう?

■ 籠城

山にまつわる伝承と言えば、籠城、もあります。昔は山城に籠城した時、水が豊富にあるように見せかけるため馬の足をなまこめで洗ってみせたりしたのだそうで、そういう場所の地名が「馬洗い」「馬場」なのだそう。

馬場とは単純に厩のことだと思っていたので、へぇと思いました。岩殿山や韮崎の七里岩がそれらに当たるそうです。

■ 伝承の類型

伝説=土地に根差したもの
昔話=あちこちの土地で共通にみられるもの

典型
・民話  昔話として伝わるもの 笠地蔵など
・竜宮信仰  
・巨人伝説 ○○ボッチ 
・笑い話
・動物譚  カチカチ山など
・木の伝説
・石の伝説
・水の伝説
・塚の伝説
・坂、峠、山、谷、沢の伝説
・屋敷跡、城址の伝説
・信仰

こちらに類型の型の一覧があります。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%94%E8%A9%B1#.E6.98.94.E8.A9.B1.E3.81.AE.E5.9E.8B

昔話はあちこちの土地で同じような話が見られるようで、赤石岳には『雨漏り怖い』の話がありましたが、それは別の土地でもよく聞かれる話でした・・・ 他の土地にない話と言う意味では、伝説のほうが価値がありそうですが、類型的にみられる話がある場所は同じような特徴や由来を持っていると言え、それはそれで情報源になりそうです。

山では 「賽の河原」という地名はよく見かけますが、賽の河原と言えば、死んだ子供が集まってお地蔵様の庇護をうける場所なのだそうです。大体が岩がゴロゴロした開けた場所ですよね。確かによくお地蔵さんを見かけます。

また峠は、語源は「タワ」つまり、たわみ、であり、「たわみごえ」→「たわごえ」→「とうげ」という説もあるそうです。(柳田国男)

ガレは崖を表す言葉ですが、山梨では男性がモテたようで、おとらのガレ、琴時のガレは女性の恋心を疎ましく思った男性が女性を崖から突き落とす話らしいです。こわ~。昔から男性はモテてたんですね。

でも何も突き落とさなくても・・・突き落とさないよう気を付けましょう。っていうか突き落とされないようにしようっと。

http://www3.town.minobu.lg.jp/lib/shiryou/minwa/stories/minobu0006.html

http://www3.town.minobu.lg.jp/lib/shiryou/minwa/whatsminwa_c05.html


それにしても作者の土橋里木さんはすごい方ですね。祖母、祖父から聞いた話、というのがよく出てきます。でも、土橋さんも明治38年生まれ…存命なのか、どうかですね。

おばあちゃんの膝で昔話を聞けるような時代に生まれたかったなぁ・・・

Tuesday, September 17, 2013

自分の登山を見つける

■ 今日から秋です

甲府は今日は台風一過の素晴らしい晴れです。2013年は9月17日から秋。山では初氷。

涼しくなって、家事がやっとはかどるようになりました。これまで山を下りて2週間、家じゅうの整頓や洗濯をやりたいと思いつつ、体が付いていかず、ホントに苦痛でした。

今日は洗濯物を干すのも気分がよく、お天気ひとつで、人間の幸福はこんなにも左右されるのだと感じています。

そう、人間の幸福なんてほんの些細なことから生まれる… お天気さえよければゴキゲン♪ですね。

今日はずっとやろうと思っていて、けれども、暑さにまいってしまってぐったりして、できなかったことが出来る。

■ 後ろ姿の夏

一方で、夏の終わりに一抹のさみしさも感じています。

というのは…沢…です(ため息)。 

あの逃げ出したくなるような夏の暑さ…から、本当に逃げ出して、沢のひんやりとした水にドボンと浸かる爽快感を感じられる季節が終わってしまった…(涙)。 とうとう今年は、そういう泳ぐ系の沢をひとつもしないまま、終わってしまいました。

しかし…こんなことを、暑い暑いと文句を言っておきながら、涼しくなればなったで考えるなんて、人間というものは、なんて愚かな動物でしょう。 失われて初めてその価値に気が付く動物ですね。私もその一人から免れ得ないってことですね(笑)

実は、沢をやる機会はあったのです。

…が、折からの大雨の後で出水が気になり、気温も低かったので、理想とするカッとした暑さ&ひんやりの沢では到底なく…入渓からレインウエアを着て鉄砲水を恐れての徒渉では…脳裏に移るのは寒さに凍える自分でした・・・と戦意が萎えて、取りやめにしたのでした。

ヤル気がみなぎっているときはそれでもやれるのですが、ちょうど条件的困難を乗り越えるタイプの山行には気分が萎えていた頃でした。体調もおかしく、雷の尾根を歩いたときの風邪がぶり返していましたし…

…という事情で、今年は沢はお預けですね。山の神様は、私には沢はまだちょっと早いとお考えのようです(笑)

昨日の台風で、もう秋の山行を企画する季節になってしまいました。

私の今年の夏山は尾根に捧げられたってわけなんだな。

まぁ山は、「尾根三年、沢三年、雪…」とかっていうんですってね。

急ぐことはない。 と言っても、山の趣味は甲府に居る間だけ、と決めていますから、あと何年甲府に居るか分かりませんから、何十年も山をやるわけではないんですが。 

■ 貴重な知見

私が最近お山から得ている大変価値ある知見に「人生は自分のものであるようでいてそうではない」というものがあります。

出生、学歴、結婚、子供の有無、出会い…どんなものも自分で選んでいるように思えて、実は自分では選んでいない。

山は登りたくともお山が心を開かねば登れないのと同じです。意思の力の届かぬ領域を受容する心…。

人間の幸福は、ないものを数えることにはなく、あるものを数えることにある。・・・のは、皆、百も承知のことと思いますが、それが骨身にしみるのがお山です。何しろ、自然が相手ですからね。でもよく考えたら人生そのものだって、意のままにならぬものが相手なのです。

■ 登山とスリルとリスク

後立縦走…本来、特に志向していない岩稜帯…とっととやっつけちゃえ!感がありました…(笑)

一般的に現代の登山者にとって、登山の醍醐味は一体なんだろうか?と考えると、

・スリル
・挑戦

は、アルピニズムの伝統であり定番であると思います。ギリギリボーイズ系ですね。

現代はリスクフリーな時代。 リスクがない=危険がない=スリルがない=生きている実感に欠く、という構図は、おおよその山岳文学の基本的なテーマの立て方です。もう古臭いくらいかもしれません。

無鉄砲な荒くれ男が自分の力を試しに山に向かう・・・。

このテーマの立て方、最近の本では、マンガ『孤高の人』ですね。主人公は森文太郎…のちに妻の名で加藤文太郎になりますが、基本的に若き高校生の森君がクライミングに目覚めたのは、”墜ちたら死ぬ”ところを危機一髪、クリアする快感でした。生きてる!!!って感じ。

今の登山でも、たぶん、基本的な構造は同じで、生きてる!!!ていうスパイシーな感動が、辛さでいうと、ハバネロクラスから、七味程度のマイルドさに落とされたような感じでしょうか。

たかだか七味程度のクラスではあっても、それでも、一般的に登山者は、スリルと挑戦を求めて山にやってきているのだと思います。特に難しいとされる岩稜帯を歩くようなチャレンジ主体の山に来る場合は。

そこがお化け屋敷やジェットコースターなんかのスリルを味わう娯楽と登山の類似性。バンジージャンプをする人と不帰ノ嶮に挑戦する人の類似性。

(リスクを取るという行為)と(達成感)は物事の表裏ですから、(リスクを取る)という行為が一般社会にない現代という時代、・・・というか日本人の特殊な心性の一つである、リスク嫌いからか(?)・・・、人は娯楽として、多少のリスクを伴うもの、を求めているのかもしれません。つまり、人生や社会生活において”リスクを取る”ということをしなくなったからですね。

私とて、その例外には入らず、(天候リスク)や(単独行リスク)(女性であることのリスク)(体力が不足しているリスク)(転滑落リスク=技術が不足しているリスク)(経済的リスク)(道迷いリスク)などの諸々のリスクを乗り越えて、(無事下山)したときには、とても達成感がありました。

誤解を避けるため、ちょっと強調しておきたいのは、達成感があるのは(登頂)ではなくて(無事下山)です。 登頂で喜ぶのはまだ早いのは登山者の常識。だから、80歳でエベレストを登頂しても下山でヘリを使った三浦さんが色々と議論されていますよね。下山まで山は終らないのが登山。

★登山における様々なリスクとリスク回避法
 
 天候リスク → 観望天気・天気図の知識を勉強する
 単独行リスク → 人の多い山を選ぶ、山で同行者と歩く
 体力リスク → トレーニングをする、無理のない計画をする
 転滑落リスク → ボルダリングジムに通う
 道迷いリスク → 地図読みを勉強する、よく気をつける 高度計
 経済的リスク → 節約
 女性であるリスク → 人の多い山を選ぶ、同行者と仲良くする、小屋番さんに顔を知ってもらう
 子供連れリスク → 人の多い山、易しい山を選ぶ

達成感に話を戻しますと、その達成感はおつりが来たくらいです。

今振り返ると、私はこの手の達成感から、早く卒業したかったんだな。

■ チャレンジすることは良いことです

私は挑戦することには、とても価値を置いてきた人間です。チャレンジ好き。

それは私の経歴が物語るところでもあり、18歳で親元を離れた自立から、20での海外への渡航やその後の転職の回数、独立、引っ越し好き、などなど・・・仕事自体の中身も、開発や開拓営業、新事業開発と、チャレンジ続き(笑)。

1)自分で自分の取り組み対象を決める
2)この取り組みにおいて達成とは何か?を自分で定義する
3)その達成に何が必要かを細かくブレークダウンし、一回に一個ずつ片づける
4)小さな勝利を重ねる。失敗には固執しない
5)時期が来れば、積み重ねが自己目標の達成につながる
6)目標を再設定する

このサイクルを延々と回してきた…私の毎度のパターンです。

お受験から始まり、語学、バレエ、最近では登山が加わりました。時々人から「自信にあふれて見える」と言われるのは、一つにはこの行動パターンを比較的早期に身に着けたせいかもしれません。別の一つのコツは、そもそも判断の指針を内なる神以外にゆだねない、ということがあります。

取り組もう!と思ったことに対して一定の(自分なりの・・・ですが)成果を得る…のは、もう慣れっこ。

なので今、登山と言う趣味で、また6)の目標再設定、のステージにいるってことが、自分でもよく分かります。

登山においては、今は目標に”岩”を据えるかどうか?そんなところが争点です。

ただ…今日はふと思ったのですが、もしかして、これらの行動パターンを塗り替える、新しい行動規範が私には必要なのかもしれませんね。

振り返ってみると、私にとって行動の原動力は、スリルへの希求心ではなく、好奇心、でした。

知らないものを知りたいという思い。 好奇心とかあるいは探究心と言った方がいいかもしれません。広げるより、深める志向にあるので。  

■ 卒業してどこ行くの?

登山における”スリルを味わうことによる喜びとリスクを乗り越えることによる達成感”…

それらを卒業して、どこに行くのか?

実はそこんところはよく分からないのです(笑)。ただ、スリルは私は登山には一切求めていないですね。

でもまぁ、山のことは山に聞くしかないわけで、行ってみないと分かりませんね。行けば分かる。

それが山の良いところでもあります。

また、それが自分に問う、ということの実態でもあります。

自分の内なる神に問う・・・には、やっぱり山に出かける。(それはヨガでもバレエでも瞑想でもいいんですが・・・)

また山かいな!!ってな結論になってしまうところが、すでに山バカ?!な感じではありますね(笑)

剣、もとい立山、が私を呼んでいる・・・かな?!



Monday, September 16, 2013

テント泊の秘密・・・

今日は午前中台風でしたが、午後には上がりました。とりあえず、先週借りたテント泊の本を返しに図書館へ。

テント泊縦走を始めてみたい方は、ぜひテキトーな書籍を5、6冊読んで、家でテントは張ってみて、やってみたらいいと思います。

連泊のテント泊縦走、やってみたら、あっけないくらいに簡単なことでした。

新たな境地に目覚めた私です。

その新たな境地とは、な~んだ、というようなあっけなさを伴ったものです。

テント泊縦走って快適です。一体なぜこのように快適な旅を、大変なことだと勘違いしてしまったのかしら?



先週は、すでに読んだことがあるテント泊関係の本をごっそり借りてきた。・・・のは、再読して確認したかったのかな・・・この感触の差を。

テント泊縦走は、重荷を背負ったツラくて苦痛な長旅ではなく、ただただワンダラスで快適な旅でした。ソロの危険もアルプスなんだから無し。

新たな心境で、テント泊の本に目を通すと、そもそもの誤解の発端は、「テント泊縦走するには20~30kgの重荷を担がなければならない」という部分にありそうでした。どの本にもそうあるのです。

実は、私が背負ったのはたぶん14~15kg。最大時で16kgでしょう。帰宅してザックを測ったら、12kgしかなかったのですから。

特段、軽量化していませんが、無駄なものは持ち歩かない性分です。食事も夏だから腐るので、凝ったものは持ち歩いていませんし。

そして、この重さがどれくらい堪えるか?個人差があると思うのですが、30kgなんて、よほどの山岳部の人でも苦行になりそうだと思うのですが、どうなんでしょう?

小屋のバイトの屈強な若い男性でも、28kgなんか担いで5時間も歩くと肩が先に悲鳴を上げると言っていましたが・・・若くて健康な男性でも快適に担げるのは、20kgがせいぜいではないかしら・・・ 

というか軽量化できるなら、どんな体力の人にとっても軽いほうがいいし。

私は自分の歩荷力、どれくらいか分からないので、心して、春ごろは歩荷訓練しましたが、もしかして、しなくても、15kgなら最初から担げたのかもしれないなぁ…。

ずっと前に金峰山の話を登山者のおばさんにされました。「7時間!タイヘンよ~!」 それで、金峰山は長らく敬遠していました。 でも、真冬に行ったら、金峰山、タイヘンどころか、とっても快適でした。

新穂高で温泉に浸かっていたら、霞から降りてきたという登山者のおばさんは、「12kgが限界!」と力説。 長年歩いていて、強そうなおばさんでも、そうなのか~ じゃあ、文系のアタシなんて・・・と思ったのですが、しばらく担いでいると12kgって私にとっては歩行ペースを遅くするような重さではなかった。

初めて登った北岳は7時間の登りと言われてビビっていたけど、5時間しかかからなかった。
遠見尾根は標準コースタイム6時間ですけど、そんなにかかったことありません。4時間半だよなぁ。

なんだか、情報に、キャリブレーションが必要なのかもしれない?  

まぁそんなこんなで、やってみたら、周囲が言うような3Kのキツイ、キタナイ、キケンではなかった。

そういうわけで、テント泊での縦走にも、単独行=ソロにも納得感を深めました。

…というか、なぜ雑誌『Peaks』系は、ソロでのテント泊縦走がメインなのかについて正確に理解しました。

それはその山行形態が一番合理的だからなんだな。

体力・資力・時間の関係で。仕事で忙しいから組織だってやっている暇がないし。

…と深く納得しました。

山ガールなんてもう古いと都会の山道具屋は言います。

「連れて行ってもらう」先を探す人より、「山の技術を身に着ける」ことに興味がある人が多いみたい・・・

そんな人たちがステップアップしても受け皿がない・・・

・・・というわけで、スポーツクライミングに流れていくんだろうなぁ。

グレードさえあげておけば、いずれ機会が来た時に、その力は邪魔にも無駄にもならないわけですし。

今の時代、受け皿はクライミングジムしかないわけで・・・

私なんかは、山、ほとんど悪ノリ的な感じ(笑) 何かにかこつけてヤマ! 今日だって「ランチ何にする?」 「あ!山食研究で、マルタイ棒ラーメン!」そんな感じです。

これは以前はバレエだったり、温泉、だったわけで、趣味なんて、そんなものかもしれません。
 

Sunday, September 15, 2013

おススメ☆ 日本山岳ルーツ大辞典






昨日は、とっても直観力が優れた日だったようで、図書館でぶら~っと歩いていたら、こんな本を発見しました。




『日本山岳ルーツ大辞典』




山の本・・・って発見するのは結構難しくて、山岳というカテゴリーは単純にスポーツとされていて、結果、たいていの図書館の登山関係の書架は、大変乏しいものになってしまっています。




自然化科学的視点も、文学的視点も、ゼロ。スポーツ登山=征服、です。探す人のテクがひつようとなるのですね。




この素晴らしいリファレンスも例にもれず・・・ 大型書籍、リファレンスのところにありました・・・(汗)ので、普通の人はたぶん、めったに行かないエリアだと思います。




この本の素晴らしいのは、山の名前の由来が非常によく分かることです。

山岳の地名は、実は結構安直なものが多いです。横岳とか、横に長いから横岳。 とはいえ、山の場合、名は体を表している、ということが多く、編笠山は本当に笠のような、キレイな三角錐をしていますよね。




私が山名で知りたかったのは、地形語です。 地形語、というのは、地形を表す言葉。




たとえば、ホトと言えば”山のくぼんだ所”という意味です。 (別の意味もあります(笑)) 保土ヶ谷が有名ですね。  




こういう知識はたとえば、土地を売買する人などには有力な情報になり、地勢の強弱、低地、湿地、丘陵地かそうでないか、などを理解する助けになります。




基本的には古い地名は土地の性質にあった地名が付いているみたい。古い地図など見ると、たとえば、淀屋橋には本当に橋があり、道頓堀は本当に堀です、あ、これは現代もか(笑)




不動産屋さんは詳しそうな知識エリアですが、一般現代人にとっては、なじみが薄く、土地を売買するときくらいしか知識としては必要ではないかもしれません。




この本はその知識不足を補う良書でした。 この本にはその山にまつわる伝承や、舞台となった小説なども紹介されています。 これもすごく助かりますね。




■ お勉強♪




以下、私が小一時間でパラパラとめくった備忘録です。




青 = 湿地を表す。 山肌が水浸し。




易老 = 石廊 = 石の廊下がある




空木 = 卯木 = 卯木がいっぱいある山




仙丈= 千丈(高い) 千畳(広い) 千枚畳が敷けるほど広い平地が高いところにある、の意。




タル = 垂る = コル




遠見 = 眺望のよい




ひかげ = 古語で、日の光、のこと。 反対語 影待ち




洞 = 洞窟。 山体に洞窟がある




大峰 = 大は美称。 美しい峰、の意。 見るからに美しい、ということ。




霞 = 地形的に 霧が立ち込める山、の意。




金沢= 鉱脈がある地に流れる沢 の意。 渋い水。




かまなし= 釜=かま=滝。 滝がない山。




金峰山 = 黄金浄土としてあがめられる山











確かに・・・


五竜 = りょう は地元の方言で断崖。 岩肌に何本もの岩稜が走っている、の意。 

更科 = 更=サラ = 崖崩れ。 科=シナ=段丘状。 




伏 = 傾斜地




蛇 =蛇崩れ がけ崩れ




蛇抜け = 山抜け = 崖崩れ




ソバ = 崖が切り立ったところ




高千穂 = 高 =高いところ、千=高いところ、穂=高いところ。




たつば = 立つ場 = 猟師が獲物を待ち伏せている場所




七倉 = くら = 崖・岩場 たくさんの岩場の意




ノロ = 淀んだ、砂泥地、  ex.野呂川




薬師 =薬師如来の意。信仰登山。




アベ = 低湿地




甘利 = 余り = 余り部  小さい集落の意。




石丸 = 石まら = 魔羅    古代の子孫繁栄やエネルギーのシンボル 




乙女 = お止め = 入ってはいけない の意




九鬼 = くき = 小高いところ、の 意。




黒 = 山肌が真っ黒、の意。 金鉱を有している。




節刀=せっちゅう = ホオジロのこと。 ホオジロが多い山。




先頭星 = 千頭 = 房、峰だらけの山。 ピークが多い山。




転付 = でんつく = カミナリの音、の意。落雷が多い、の意。




木賊 = とくさ =砥草 = シダ植物が多い の意。




ドノコヤ峠 = 「どの小屋?」 と聞くほど小屋が多い の意




ボーコン沢= 亡魂 




瑞牆=神城の垣松 洞窟の中に大日如来の梵字(サンスクリット語)がある。




アサヨ= 浅夜 = 日の出が早い山 の意。




■ 小説など




白馬岳: 新田次郎 『強力伝』

八ヶ岳: 新田次郎 『縦走路』 堀辰雄 『風立ちぬ』

赤岳: 新田次郎 『疲労凍死』

上高地: 芥川龍之介 『河童』

 Kindle版無料


槍ヶ岳: 森村誠一 『日本アルプス殺人事件』 近藤信行『小島鳥水』




■ 山の神=妻?




そういえば、妻のことを山の神と言いますよね。 山の神は、口うるさい、のだそうです(笑)

日本では山の神様は、女性なんですね。 そして、多産で、嫉妬深いのだとか・・・山の神はオコゼのお供え物を喜ぶのだとか・・・ 自分より醜いものを喜ぶのだそうです。なんか屈折してるなぁ・・・




芥川の河童を読んでみましたが、これは河童の国に人間が旅した世界の話でした。人間界の風刺。

とりあえず、カッパ界では、男性河童は女性の河童に追いかけられ、かじられているようでした(笑)




山梨県と長野県の山をさらっと見ただけですが、崖、岩場、崩落地を示す言葉が多いといことが分かりました。”ひかげ”が現代では真逆の、日の当たる場所を指す、なんて・・・




キレイな山名のところはやっぱり出かけて行って風光明媚なようですね。 




行きたい山、おもしろい山は山名で選ぶ、というのもアリですね。 




たとえば、空木岳に登るなら、卯木の木がどんな木か知ってから行きたいもの。







■付録




おススメ山の本  外部リンク いっぱい♪

http://homer.pro.tok2.com/sub10-3(hakingtrails-5yamanobook).htm



読了 『黒い画集』 ”遭難” ‐ 鹿島槍での遭難劇!

今日は雨の音で目覚めることができ、シンプルで贅沢な幸せを味わっています。

実は昨夜は夜更かししました。というのも、私にしては珍しく、小説を読んでいました。普段、私は日本の小説はまったくと言っていいほど読みません。読むのは、海外の著者が書いた本が多く、最近はリック・ウォレンを読んでいます。

でも、昨日はわざわざ県立図書館に出かけて、松本清張の『黒い画集』を借りてきました。

■ 山と出会いと本

特に楽しい山に行くと、「山に行ってきました♪」という報告メールを各方面に出します。

それで先日の、後立縦走ソロテント泊4泊5日も出しました。
(山行報告はこちら。http://stps2snwmt.blogspot.jp/2013/08/blog-post_29.html )

そんな山ヤさんの一人から、

”新潮文庫に松本清張の「黒い画集」という、短編集があります。その中に「遭難」という短編が、ちょうど鹿島槍からキレットにかけてが舞台になっています。機会があったら読んでみてください。”

と、教わっていました。この方は、両股小屋に出かけたときにバスの中で出会った方でした。

”鹿島槍”、”キレット”、”遭難”… 興味津々なキーワード。

これは読んでみたいな!と思い読んでみたのですが… 怖かった~。

■ 鹿島槍においての遭難劇

舞台は、まさしく鹿島槍です。それも私が歩いた時期とも重なり、舞台は8月31日お盆を過ぎた夏の終わりの山行。そして、低体温症による遭難劇でした。

山行は、鹿島槍~五竜を2泊3日の予定で歩く設定。今も、さもありなん、ですね。

小説の中の遭難は、キレット小屋にたどり着く手前で悪天候につかまり、引き返す途中で道迷い、ビバーク、救助が間に合わず遭難死という流れ。いや、これもさもありなん、ですね!

メインとなる舞台は、大谷原~冷池~鹿島槍南峰~北峰~八峰キレットです。 南峰から牛首山という尾根に濃霧によって迷い混んでしまい、ビバーク→低体温症で、3人パーティのうち、一名死亡、という話です。 

コース的な話でいうと、今は、鹿島槍に登るのに、大谷原出発はマイナールートです。こんな道です・・・ 

赤岩尾根
http://www.naganoken.jp/mount//chushin/k-alps2/kashimayarigatake-au.htm

今は、赤岩尾根を使うのはメジャーではなく、ほとんどの人が爺ヶ岳をつないだ柏原新道を使います。
たぶん扇沢のほうが交通手段があるからだと思います。柏原新道は歩きやすさで定評がある道ですしね。
一方の赤岩尾根終点の大谷原はマイカーのみ。ですが、実は、大谷原からでも、スキー場を突っ切る道で、簗場(やなば)駅まで歩けます。これは、山行でご一緒した山ヤのおじさんに教えてもらいました。

と言うわけで、私が歩いた道で、この遭難劇に合致するのは、冷池からの、長くてゆったりした稜線をもつ布引岳を通過して、鹿島槍南峰、北峰を通り、キレット方面へ一行が下る道でした。 

■ 牛首尾根と主稜線の相似性

牛首という言葉で私が連想したのは、実は、五竜と唐松岳の間にある牛首と呼ばれる鎖場(滑落死者も出ている)でした。

こんな視界不良の中・・・
が、そうではなく、牛首山というピークが鹿島槍南峰からの派生尾根の先にあり、その山に濃霧によりウッカリ入り込んでしまうという話でした。

天候もこの時期のこの山でありえます。私が歩いたのも、濃霧と強い風の中でした。



地図を確認してみると、ちゃんと牛首山があります。牛首なんて地名は日本中にありますもんね。牛首は地形語で、牛の首のように長く緩やかな稜線、ということです。

この遭難が成り立つために、この鹿島槍南峰~牛首山への道が、南峰~冷小屋までの道とソックリだという状況設定となっています… 

これは本当にそうなのかなぁ・・・?興味津々。





私も濃霧の中、南峰を歩いたので、そこから遠方は見渡せず、西に派生する尾根には全く気が付きませんでした。

← これ南峰で取った写真。この右手側で、牛首尾根に迷い込みやすい?

実は北峰は少し登り返しがあったので端折ってトラバースしか歩いていません。濃霧で視界不良、どうせ何も見えないので行かなかったのです。



松本清張さんは、この、鹿島槍南峰から派生するという、牛首尾根を歩いたんだろうか…

とするとすごい人だなぁ!!
これが布引山までの稜線道 ステキでしょう

確かに地図を見ると勾配と言い、道の雰囲気は地図から見る限りそっくりで、昭文社の山地図には、「悪天候時、牛首尾根に迷い込まぬように」とあります。

…というか、この尾根、歩けるんだろうか?






地図です。大まかな位置関係が分かる。ルートラボより拝借。

と思いつつ検索すると、ウィキペディアによれば、実際は牛首尾根には登山道はないようですね。

が、見るからに歩けそうな尾根なので、踏み跡くらいはあるかも?ですね~。

うっかり間違うというのも、地図に書いてあるくらいですし。

■ 北股本谷

完全密室の山岳犯罪は、最後は、鹿島槍北峰から北股本谷で締めくくられます。

この北股本谷、今は山スキーの滑降ルートとして使用されているようです。バリエーションとして書いてありました。 積雪期のルートなのかな?

にしても、冬に谷を歩くのは気が進みませんねぇ。何しろ、後立の信州側って、とっても急なので。

このルートは実際、かなり急な下りのようです。短編の中では、初冬に下りで使います。赤岩尾根を下るより短時間で大谷原にたどり着けるのです。 

ここで二つ目の完全犯罪が成立する…

遭難を装った山岳密室犯罪、そこまでうまいこと行くかいな!というツッコミはもちろん、大あり!!

でしたが、それより何より、作者の松本清張が、牛首尾根だの、北股本谷の実際について、山をよく知っていなければ、書けない舞台設定。

そっちのほうが、なんともスゴイな~と思ってしまいました。 

さらに私には小さな発見が…(笑)。

阿祖原温泉にいくには、下の廊下を通るのが通常ですが、なんか…この牛首尾根、阿祖原温泉に直通するっていう感じに突っ込んでいます(笑)。

ちょっと興味をそそられる尾根ですね。まぁ歩かなくても、あれがその尾根だと思いながら、歩けばいいか。

■ 不倫の話がメインです

松本清張さんってすごい小説家なんだな~と納得した私ですが、文学部卒としてみると、少々、話の流れに無理がないでもないな、という強引さは多少あるエンディングです。

基本、この『黒い画集』で集められている短編集のテーマは ”不倫” だそうです(汗)

この鹿島槍山行の動機も・・・ おっと、これを言ってしまっては次に読む人が楽しくありませんね。

■データ集

ウィキペディア 鹿島槍
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BF%E5%B3%B6%E6%A7%8D%E3%83%B6%E5%B2%B3

吉田二郎 鹿島槍研究 (1957年)  なんとアマゾンでたったの2500円!
検索したら山梨県内には蔵書がなく、信大に1冊あるのみ。 この辺の岩場はもろいので登るのは大変そうですが、そういうのが好きな人には良い本なのかもしれませんね!

ヤマレコの鹿島槍 北股本谷 滑走記録
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-302903.html

当方のアマゾンレビュー

http://www.amazon.co.jp/review/R2WYGE2TLQLGSD/ref=cm_sw_r_fa_asr_xJGBG.1W5618W


http://s-moriwaki.at.webry.info/201011/article_2.html

余談ですが、『黒い画集』の中には”天城越え”も収録されています。