Thursday, April 7, 2016

初の自前沢

■ズミ沢

日時: 2014年8月24日 大菩薩 大鹿川ズミ沢 


山岳会に入会した目的は岩ではない。増してフリークライミングでもない。私は何がしたいか?というと、地元の雪と沢を一緒に”探検”してくれる、楽しい山仲間が欲しい!と思って、山岳会に来たのだ。

雪は、初心者からスタートした。ロープウェイで上がれる八ヶ岳の北横岳からスタート。4年かかって1月の甲斐駒黒戸尾根まで登れるようになった。しかし、沢は…。沢というのは、初級のただ歩けるような沢であっても、単独のリスクは高すぎて、一人で行くことはできない。誰かとパーティを組まないと、沢に入渓することそのものができないのだ。夫は沢は嫌だ、と言うし、それに、沢は年に一度か二度の、”山ヤのたしなみ”程度ではなく、夏の間は毎週末沢通い、というのが私の理想なのだった。貧乏なので、近・短・安を目指しているのが、私の山なのだ。

今年は、山岳会に入った!と、張り切って、沢に行きたがっていたのに、8月の暑い盛りというのに、沢山行が一個もなかった。どうしてこうなっちゃったんだろう?もちろん、仕方のない面もある。今年はアルパインクライミング元年だったため、初級のロープワークを身につける意味で、雪が終われば、岩をする必要があったからだ。だが、岩もつるべでやらないと、ロープワークという意味では、まったく意味がない。

相模川水系笹子川大鹿川平ツ沢(ズミ沢)は、沢ルート集で見ていて、目をつけていた。この日は、不思議なことに、一人でも絶対に行く気だった。誰も来てくれなくても、単独ででも行く気だった。自分が本当に行きたい山行の時は、そういう気持ちになることが多い。夏山1年目の初心者で単独、北岳・間ノ岳に登った時もそうだったし、翌年初めてソロテント泊を八ヶ岳で決行した時もそうだった。初めての厳冬期の単独北八つ縦走も同じだった。苦手の岩稜帯、後立連峰を4泊5日で単独テント泊縦走した時もそうだった。そうした、小さな階段をそっと上がる、ささやかだけれども、重要な転機の一つ…が、このズミ沢だった。そうした転機の訪れについては、”自分の山”をやっている人にしか、決して分からないと思う。累積したスキルが、ある日突然つながって、そのルートに行けるという静かな確信をもたらすのだ。

一人でも行くつもりだったが、会の先輩にして最高齢者、古希のI川さんが予定が空いているということで、急遽同行してくれることになった。先輩が心配してついてきてくれた格好だ。先輩とは、ありがたいものだなと思う。一人でも大丈夫、という確信があった沢だから、連れて行ってもらう必要はない。でも、I川さんは、いつもいてくれてよかったなと思わせてくれる。初めてお誘いした、登山道のない山、燕岩岩脈に連れて行ったときもそうだった。

他の先輩たちは、こんな初級の沢は興味がないのかもしれない。まぁ、スキルが揃っている人とだけ、山に行くのではなく、上も下も必要だと、最近は達観し始めている。それに、沢をしたいのは、私であって他の人ではない。私は同行者を見つけるという点でも、自立しなくてはならない。ただ正直なところ、女性の沢ヤを見つけるのは大変だ。それも地元で、となると、さらに難しい。

実は、この前日、岩のルートで、すごいのをやった翌日だった。太刀岡山左岩稜だ。このルートには、もちろんいつかは行く気だったが、ここはクライミングシューズで切り開かれたルートなので、私が求めるアルパインのルートとは、少し性格が違い、登攀の難易度が高い。最初の出だし1ピッチ目が、クラック5.9で、キャメロットのカム、NO3が、複数個必要だ。フィンガージャム、ハンドジャムがよく効く。つまりジャミング必須だ。しかし、クラック経験、合計2回の私の登攀力では、セカンドでしか登れないし、それでも、結局Aゼロしなくてはならないから、そんなに楽しいとは思えないのだ。いつか自分で登れるようになれば、きっと楽しいのだろう。それは一体いつなのだろうか?正直、あまりに遠くて、全く見えない。私の登攀力は、ハッキリ言って低い。安定したリードは5.8で精一杯。5.9は怪しい。

ズミ沢には単独でも行くつもりだった。それは、敗退が容易だからだ。それは何と言っても、登山道と並走している、ということによる。滝子山への道証(みちあかし)地蔵登山口からの道だ。単独であるというリスクが低い。転んで怪我をしても、失神でもしない限り、登山道へ出ればいいだけのことなのだった。

こういう確実に安全圏に近いルートの持ち駒を、一つでも持っているのは良いことだと思う。というのは、連れて行ってもらう山行が常態化すると、常に同行者がいるため、安全圏に近い、こうしたルートはおざなりになるからだ。自分がリーダーで連れて行く、という視点や単独という視点がないと、安全圏近接のありがたみは、理解できないだろう。自分に取り切れる責任に限界がある、という認識が、こうした安全圏が近いルートの価値を上げるからだ。連れて行く相手の安全を保証しないといけないことまで考えるとそうなる。しかし、連れて行ってもらう山行が当たり前になってしまうと、自分も相手の安全を担保している一員なのだ、とは発想できず、なんだ、こんな易しいところにしか連れていけないのか、という発想になってしまう。つまり、主客が反転してしまうのだ。つまり、連れて行ってもらっている側がふんぞり返る。それは、昨今の山の世界で著しい。

私は暑い日は、岩より、やっぱり沢が快適だと思う。かんかん照りの夏の暑い日に、涼しい木陰に入って、清らかな小川のせせらぎに耳を傾けるのは、心が休まる。水の流れというのは、焚火の炎と同じで、いつまで見ていても見飽きることがない。そういうものこそ、たくさん見るべきで、現代人はテレビを見すぎだと思う。

私がしたいのは、涼を求めるための沢であり、不快な日差しと、夏の暑さと、人混みを避ける沢だ。オイルサーディンの缶詰のごとく、寝床に詰め込まれる夏山の小屋には、一抹の未練もない。それは、ひと夏、小屋で働いて思い知った。せっかく日本には、日本にしかないオリジナリティあふれた登山スタイルがあるのだもの、それを愉しみたい。夏は沢!冬は雪!というのが、私がしたい山なのだった。自然と戯れる山。

入渓してみると、沢にはちょうど良い日だった。水は冷たく、気温は蒸し暑く、木漏れ日はキラキラしており、水の冷たさは心地よい。そういえば、私の初めての沢は、7月だったというのに、寒くて凍える沢で、雨の中、ガタガタ震え、唇が紫になった。2度目の沢は、なんといきなり2級の沢に行ってしまい、沢というより、外岩デビューで、スタンス極小で、腕がプルプルするような、際どいトラバースを経験させられた。要するに、このズミ沢以前は、沢ではまったくいい思いをしていないってわけで、それなのに、しつこく沢にしがみついている私は、やっぱり”物好き”なのだろう。

というわけで、このズミ沢、私の数少ない沢体験の中では、かなり貴重な楽しい沢になった。これまでの岩登りの努力の結実を実感する沢になった。

ズミ沢はガイドブックによると、難所がないと書いてある。ただ行ってみると、難所がないというのは、沢登りベテランが遡行図を書くからだろうと思われた。いくら初級の沢とは言っても、4級のクライミング力くらいは必要な感じだった。完全なウォーター・ウォーキングレベルではない。2~3mの小滝が連続し、核心は2段12mの大滝だ。その他、6mの滝、最後の3mの滑滝も、巻くか、ロープか、すごい用心か、のどれかが必要だ。つまり、完全にロープワークゼロ、という訳にも行くまい、という感じ。小滝は3級。スメアリングの楽しい練習場になる。5級の場所はないが、作ればあるのだろう。3m滑滝は、登りたければ、登れるらしいと、後でネット検索して、ガイド山行の記録で知った。ほとんどフットフォールドがないような滑滝だったが、あんなの登れるんだろうか?まぁ、3mなので上手な人はボルダ―感覚なのかもしれない。

登山道と並走しているという利点により、入渓点も好きに取れる。嫌になったら、登山道を歩けばいい。なんという気楽な沢だろう!ただ一部では、登山道は、はるか頭上で、沢との高さが離れ、その間は険しく急で、とても登れそうには見えない泥壁だ。それでも、少し戻れば、ちゃんと登山道へ上がれる箇所が必ずある。その心理的安心感は大きい。

ただ残念なことに、今年はどの沢も大雪の影響で、倒木が多く荒れているようだ。植林された杉桧などは、根が浅いので、すぐに倒れてしまう。ズミ沢も荒れていた。「荒れてるね~!」とI川さんが声を上げる。ちょっとこれは通過困難だな、という箇所があり、そこには、富士山の形をした、特徴的な大きな岩があった。そこは、もう倒木が幾重にも折り重なって、突破は不可能と見てとれたので、さっさとあきらめ、登山道へ逃げる。適当な場所を探して、また入渓するが、歩けないわけではないが、こう荒れていて、さらに登山道も並走しているとなると、人間は弱い生き物なので、つい楽な方へと傾き、ずっと登山道を歩いてしまいそうになる。易しい沢は、克己心の必要な沢でもあるわけだ。

I川さんは、着実に後ろをついてきてくれる。「ケツを歩いてくれる先輩はいい先輩だ」と山の先輩に教わった。教えてくれた人もケツを歩いてくれたが、その時は、ラッセルが嫌なんだろう…くらいに思っていた。ちょっとした小滝で、一応、I川さんを振り返っても、お助け紐など、まったく不要そうに見える。逆に、そんな申し出が失礼になってしまうのではないか?というくらいだ。「I川さん、強いな」と思う。だって、私の母ほどの年齢だもの。私はI川さんの年齢になった時に、これができるのだろうか?と考えてみると、まったく自信がない。こういうのが、実力なるものの理解の仕方で、実力を見ることが、その岳人への敬意や尊敬ということにつながっていくのだろう。

ただ、実は、正直なところ、「お助け紐を出して」と言われても、私も出してもらって登った経験がほとんどないので、はて、どうやって出しましょうか…となってしまうかもしれない。というわけで、ちょっとしたところを難なく超えてもらって、助かった。良いセカンドは手がかからないセカンドのことだ。つまり、トップは手を抜くことができる。

反面、トップの私に技術がないために出せないロープ、ということもできる。どうしたら、こういう技術がつくのだろうか?そういう風に考えると、多少背伸びであっても、連れて行ってもらう山行も大事だと分かる。連れて行ってもらう山行では、サポートの出し方を学ぶのだ。前日の太刀岡山左岩稜では、ここで欲しい!と言うところに、良い具合でスリングが出してあって、連れて行ってくれた先輩の実力を感じさせられた。それをできるまでには、何度かセカンドとしての苦労を重ねないと、登れない人の気持ちが分からないだろうし、分からなければ、サポートも的確に出せず、サッと超えれば済むところで、不必要に難所を作ってしまう。不必要に時間がかかって、コースタイムが押せば、それはそのままリスクになるのだ。

途中、たくさんのトチの実が落ちていた。私はトチの実を見るのは初めてだった。I川さんに「これ何でしょう?」と聞いたら、すぐに「トチの実よ」という返事が来て、やっぱり山の先輩と来るといいな~と思う。山の花もそうだし、山の小技もそうだ。

2段12mの大滝は、遡行図では真ん中の乾いたところを登るようになっていたが、真ん中は悪かった。丸く膨らんで、外傾している岩が、水流を二つに分けているが、水流の少ない方は、茶色く、見るからにヌメヌメで、とても登れない。真ん中にスリングが残置してあったが、これは敗退用のようだ。結局、惑わされて登ったものの、降りて、右端から登りなおした。ロープを束ねている間に、I川さんが先行してくれた。このことで、ルートファインディングをもっと学びたい!と強く思った。この滝は「モチヶ滝」という名前がついているが、遡行図には、名前の記載はなかった。

その2段12mの「モチヶ滝」を抜けると、今度は6m滝が出てくる。この滝は登山道から丸見えなので、かっこよく登りたい。一般登山者から見れば高い滝だが、見た目ほど難しくない。どんくさい人でなければ、初心者でもノーザイルだと思う。

すぐに最後の3m滑滝が見えると、もうご褒美のフィナーレだ。上は見事な滑になっていて、ウォータースライダーなどして、遊べる。童心に戻って、二人で小一時間遊ぶ。ランチを食べ、登山道を下山して15時。近所の温泉に入って16時という具合だ。ただ下山の登山道は、道迷いはない明瞭さだが、一般登山道としては、難路の”危険個所あり”のルートとされている。沢が初級だからといって、並走する登山道も初級とは限らないということだ。道証地蔵登山口が登山口の正式名称。途中、沢の方へ、深く切れているトラバースが長く続く。

ズミ沢は、地図上は”スミ沢”となっている。この周辺の沢の中では、水量が多い沢だそうだ。沢ヤの間では、濁った発音の”ズミ沢”で通じているらしいが、スミ沢が地図名なのは、水が清く、澄んでいるからではないか?JRの笹子駅から歩いて1時間くらいで、入渓できるため、車がない首都圏の人にも使いやすいことで知られているようだ。記録は、易しすぎると文句を言っているものが多い。そういう人はフリーのルートで遊ぶべきだ。前述したが、ズミ沢はガイド登山でも使われている。

遡行時間は、マックスに楽しんで3時間、下山小1時間と、ちょうど気楽な日帰りの沢にいい。地図読みも不要だ。誰でも遡行できるので、親睦を目的とした山行にも良さそう。この沢がつきあげるのは、滝子山ではなく、となりの大谷ヶ丸だ。

ズミ沢では、私の欲しい”登山技術”とやらは、どうやら自然界の山の中を自由に闊歩するための知恵であり、どういう箇所で、どういう風にロープを出したら、より安全に通過できるのか?そういう経験則的なことだ…と、確認する山行になった。冒険的な山行をしたかったら必須の技術だ。

この易しい沢を自立した登山者として歩くには、最低限のクライミング力が必要だし、地図読み、初歩のロープワーク程度のことには、不安を持っていないことが、前提条件、精神的な安全の担保になる。そうしたものを意識し始めて1年。1年で初級の沢歩きをマスターした、ということになる。この達成は、私だけの力で成り立ったわけではない。岩場で偶然出合い、師匠となってくれたベテラン山ヤの師匠、人工壁でビレイしてくれた仲間や先輩、どれどれと先輩が連れ立って行ってくれた岩場でのクライミング…、料金を支払った講習会の受講だけでなく、たくさんの人の助力があった。そうした支えがあっての一年間の努力。総決算は、このズミ沢で黒字化だ。

If achievement had no price, it would be of no value...と言う。ズミ沢は小さな易しい沢だが、その沢をして、達成感ある、味わい深い思い出の沢にしたのは、一年の間に費やした努力だ。ズミ沢を価値ある沢にしたのは、そそがれた心の量なのだ。今回同行し、個人的な達成とその感動を分かち合ってくれた先輩だけでなく、ここへ至るまでの、長いようで短い1年間…東沢釜の沢の講習や、アイスクライミングでのルートデビュー、マルチピッチの岩デビューやゲレンデでの練習…そうした山行の積み重ねで、様々なアドバイスと貴重な時間をくれた、師匠や山の先輩たちあっての達成なのだとしみじみ思う。

想いがないと誰も手助けはしないが、手助けがなくても、想いは達成できない。二つは常にメロディとリズムのように、音楽を奏でるには絶対に必要な二つの要素なのだ。この二つが揃った奇跡が山を作る。想いと出会い。だから、山は面白い。

≪山小屋のこと≫
http://stps2snwmt.blogspot.jp/2014/11/blog-post_7.html

No comments:

Post a Comment