Thursday, April 7, 2016

地図を持ってこない人

■会心の山 女山 北北西尾根 月例山行 

スタート8:30 山頂12:00 (3時間半)下山開始12:30 下山14:30 (2時間)
メンバー:5名

女山は川上村にある。その稜線の反対側、奥昇仙峡には、男和尚、女和尚という岩があって、ちょうど凸凹になっているので、川上村の男山と女山もそういう意味かと思っていた。だが、違うらしい。女山の由来はおっぱいの形だそうだ。そうか、ツインピークスなのか、と思ったら、それも違うらしい…では何か?というと、ふくらみの上に突起が付いている形が、おっぱいなのだそうだ(笑)。

女山は、快適な唐松、小楢、ブナの疎林だった。手入れがされている山なので、無名の雪尾根は夏でも歩けそうに見えた。山梨の冬の快適さは、このような名もなき里山の雪の上にあると思う。北面だが明るく、快適な雪尾根だった。

この山の素晴らしさは、一体何にあるのか?

それは、第一番目には、パーティ全体の力量にあった大きさだ。会山行はパーティの力量に合わせる。大きな山だけが山ではない。最初から力量に合った山を計画するのが人間の知性の使いようだ。小さい山でルートファインディングができない人が、大きい山でできるだろうか?山行の内容が易しすぎる、と思えば、水を担げば良い。

第二に、まったく記録の無い尾根で初登だ(笑)。高尾山などの手あかが付いた山にいくのとは違う。自分自身でルートを設定しなくては歩けない。その点でこの山行は探検だ。

第三に、その読図の範疇では、初級だった。間違える個所の無い尾根。先輩が口頭で伝えてきたラインを、後輩の私が地図を見てラインを引いた。先輩が頭脳で、後輩の私が手。頭脳と手の連携がうまく行った。

第四に、ご褒美があること。八ヶ岳の展望が素晴らしい尾根だった。

第五に、踏まれていない雪の上に、自分の足跡をつける楽しさが、ラッセルの大変さを補って余りあること。

第六に、降雪後の快晴のチャンスを最大に生かしたこと。冬の尾根は、樹冠から葉が落ち、冬の一番の脅威である風から守られている。そして、それは人間が手を加えたせいではない。この季節と雪という自然物を利用したものだ。私は力で山をこじ開けるような行為は好きでない。季節構わず、藪を歩いたり、地形を読まずにただ直進するような山…は、大雨でも行くツアーと同じで人間本位だ。自然へ寄りそう姿勢も、理解しようとする知性も感じられない。

アプローチに使った林道は、地図にあるより延長されていた。だましだ。地図だけを信頼しても、現場だけを判断しても、尾根を外す可能性があった。そこで、尾根の形状が確認できた時点で、早めに尾根に乗るという安全策を判断としてした。この判断は私がした。後で航空写真を見ると、延長された林道は沢に沿って進み、ずんずん尾根から離れていた。正解だ。小さな成功。

無名尾根の山を探してくるには、ベテランの経験の蓄積が必要だ。地図から歩くべき尾根を見つけ、実際歩けると確認するのは、豊富な経験が必要だ。私も頑張っているが、経験が浅いと地図を見て歩ける
尾根を見つけても、ハズレも多い。ベテランの出番はこうした点だ。ただ私はハズレの山もキライではない。

女山は登山道がない山だ。だから、地図を持ってこない人がいた時点で、集合口敗退とすることにした。単なるハイキングではなく、”登山”をしようとしているからだ。参加メンバー全員の休日が無駄になってしまうリスクがあった。

しかし、そのリスクをとっても、やはり”山岳会”であるからには、地図携帯は当然だ。”山岳会であるというプライド”を守れたのは、よかった。

山に行くときは地図を持って行く。これは何も過剰な要求でもなんでもない。地図を持っていないし、持ってくる気もないし、地図を読む気もないけれど、山には行きたい。これは、過剰な要求だ。

自分が企画した八ヶ岳河原木場沢を、一度不催行にした。私がリーダーとしてできることで、もっとも有意義な時間の使い方ではなかったからだ。何回、山行に行っても、積み上げることのない山にしないためには、地図読みの机上講習が必要だった。

しかし、先輩が助力してくれたおかげで、机上講習ではなく、会の力量に合った、充実した内容の山行を催行することができた。

11月には読図の伝達講習をした。地図準備の敷居を下げるため、リンクをクリックするだけで、国土地理院の二万五千の地図が表示されるようにもした。その後、標高差と距離のデータを伝え、自己判断できる材料を提供した。しかし、今回もっとも時間を投下したのは、前日に地図とルートの説明をするために、メンバーの自宅に出向いてくれた先輩だ。

自然は懐が深い。それぞれの人の力量にあった愉しい山が必ずある。山はどんな山だって、自然が教えるものがある。皆が同じ山を目指さなくていい。『第七級』でメスナーも言っていたが、自分で登ったⅣ級の方が人に登らせてもらったⅤ級より価値があるのだ。だから、どんなに小さくてもいいから、自分の山を登らなくてはいけない。どんなに小さくてもいいから、自分の力で山を登る。”自分の山”を少しずつ大きくしていく。そうして得た自信だけが、真の自信そして幸福を作る。

今回は、そういう意味で、身の丈に合った会心の登山だった。協力者のお2人と風邪を押して参加してくれた夫に感謝したい。

≪関連記事≫
快楽の雪稜

No comments:

Post a Comment