Monday, April 25, 2016

山中心からクライミング中心へ

■ 始めた経緯

このブログは、登山の初心者が、一般登山から、アルパインへステップアップするにしたがって

 1)習得した知識を書きとめておくこと
 2)同じような立場の人に役立ててもらうこと

を目的に、スタートした。

■ 今ある環境を生かすことに

山梨へ来た当初は、これまで通り、お勤めをしながら、趣味のバレエを続けていく、という生活をしたいと考えていた。しかし・・・問題発生。仕事がない。大人のためのバレエ教室もない。以前と同じ生活はできない。

・・・というので、ONはヨガのインストラクターの資格を取得してヨガを教えることにした。OFFはバレエに代わる趣味を求め、様々に試行錯誤した結果、残ったのが、登山だった。

無いものねだり(仕事&バレエ)を辞め、あるもの(ヨガの仕事&登山)で、なんとかすることにした。

・・・という事情で、”(仕事がない&大人向けバレエ教室がない)山梨では”、という限定つきで、私自身の幸福の定義を、

”山さえ行けたら幸せ”

ときっぱりと頭を切り替えた。

その結果、一般登山者レベルを含め6年で、年間山行数50~60、年間山行日数100日以上、アルパインにも、クライミングにも、自前で行けるようになり・・・という結果が出せた。運命の不思議に、とても感謝している。


山第四章
http://stps2snwmt.blogspot.jp/2015/12/blog-post_41.html

■ 質へ

さて、当初は、このブログは技術メモ的なものとしてスタートした。

カモシカルンゼ
だが、その役目は終えつつあると感じている。もちろん、山を知る、ということについては今からだが、基本的な技術については一巡感がある。

今後は、書き留めた技術情報の質を向上することに、重心をシフトしたいと考えている。

その理由の一つには、ブログの趣旨がずれてきた・・・ということがある。

■ 山を取り巻く世界への驚愕

アルパインの世界を教わるにつれ、いわゆる登山の世界が、"中高年登山"という名の”特殊な登山”に、とってかわられ、オーソドックスな登山の伝統は忘れ去られようとしており、登山の世界の技術伝承が途絶えていることに、驚愕せずには、いられなかった。

その結果、現在、”本格的がつく登山”の技術・文化の伝承は、危機的状況にあるということが、実体験上で確信できた。

いわゆる”山岳会”と名乗る会でも、”アルパイン”の世界は廃れ、宴会山行と百名山登山が主流だ。

ちなみに山岳会の英訳は、”アルパインクラブ”であるのだが、実際は、地図を読んで道なき道を歩いたり、藪が隠れた冬をチャンスと狙って登頂したり、あるいは、岩登りを含むような山は、”山岳会”では、キワモノ扱いされてしまう。本来はオーソドックスなのに。

こうした実情のため、ブログに発見したことを記すと、山の世界の文化人類学になってしまい、技術内容とは離れて行ってしまう・・・

現在、山岳会では高齢化が進行し、若い人は組織を嫌い、新人が入会してこないため、技術伝承は難しくなり、アルパインへ行く人はほとんどいなくなっていた・・・。

それは、前からその世界にいる人には、発見ではなく既知のことなのだが、そうと知らない人にとっては、ビックリ仰天の実情だった。

■ 山の世界の現状

良く言われることだが、縦のギブアンドテイクは現在機能していない。技術だけでなく、登山の文化も継承が危ぶまれている。

本来のオーソドックスな登山が、王道の地位を失い、逆にキワモノ扱いを受けてしまうようになってしまっている。

聞くところによると、それは全国レベルで起きていることで、社会人山岳会は高齢化し、大学山岳部は存続の危機にあるそうだ。

交通機関の発達や登山道整備など、山に行く物理的な敷居は下がったものの、アルパインに行く環境(人的・技術的)は、非常に悪化している、というのが実情だ。

そのような現状の中では、技術体力が優位な人に求められるのは、無料のガイド役のようだった。

高齢化した山岳会の中で、無料のガイド役をすることは、”貢献”とは私にはどうしても考えられなかった。それでは、ますます、山の技術は後退して考えない登山を助長してしまう。

連れて行く登山も、郷に入れば郷に従えと、やってはみたが、山の技術や文化の伝承に寄与するとは、私にはどうしても考えられなかった。

関連記事: 山岳会における新人教育は期待できない

■ 幸運なる出会い

このような逆境に進路を阻まれながらも、私の場合は、比較的悪環境下で、スムーズに成長できたほうのようだ。

それは、山ヤ同志の同志意識と言うものが働いていたと思う。アルパイン志向の人同士は、なんとなく、分かるものだからだ。

街でも、山でも、岩でも、アイスでも、同好の士に巡り合うことができた。

そのような幸運に恵まれた背景には、様々な理由があるが、ひとつには、仕事で培ったスキルを登山という活動に向けた、ということがあると思う。

 ・人に出会うスキル
 ・出会った人とつながるスキル
 ・その出会いを活かすスキル
 ・経験したことを統合するスキル
 ・経験を体系化して位置づけるスキル
 ・選択肢を複数持つ
 ・独学スキル

転機はいくつかあったが、一つ目は、昭和山岳会出身の長谷部さんとの出会いだ。北八つ帰りに立ち寄るパン屋で出会っているのだが(笑)。この出会いにより、山口輝久さんの本を知るようになり、『北八つ彷徨』を読み、ツルネ東稜や広河原沢などの記述を読んで憧れを温めた。

次の出会いは、登山ガイドをしている三上ガイドとの出会いだ。これは『八ヶ岳研究』を読むきっかけになった。言うまでもなく、『八ヶ岳研究』は八ヶ岳のバリエーションのバイブルだ。

次の転機は、南ア単独縦走中、出会った敦子さんとの出会いで、クライミングについて知るきっかけとなった。当時は私は”ぬんちゃくって何?”という登山者だった。敦子さんは、パートナーを墜死で失っている。

さらに、初めて出かけた谷川での山行が、雪山に開眼させてくれた。6人でラッセルしたトレースが40分で消えた。八つでは雪の何を知ったことにもならないのだと悟った。このときは地図読みはほとんどできず、講師に笑われる程度だったが、その後2年かけてマスターした。この山行がきっかけで、山をきちんと教わろうと考えるようになった。

入会秒読みだったが、偶然発見して申し込んだ大町山岳総合センターでの、リーダー講習に受かったことが、大きな転機となった。考えてみれば、このとき、山岳会で先輩の誰かにおんぶにだっこで山を教わるという路線からは外れたのだろう。ロープワークや確保、アルパインの基礎は、そこで教わったが、講習は数回でキッカケ程度でしかない。何を知らねばならないのか、自覚が促される、というのが講習の真の意義なのだろう。

しかし、助力なしに独学したと言うつもりは毛頭ない。

アルパインについては、師匠につき、1年かけて独学した、と言うほうが正しいように思う。

山で亡くなった知人の追悼登山で、三つ峠へ行った。その時、岩場で出会った人が鈴木さんだ。山に鈴木さんに出会うように、導かれたのではないかと思う。

アルパイン初期の独学に際して、もっとも大きな存在だったのが鈴木の存在だった。さまざまの文献の紹介や考え方の訂正をもらったり、初歩のルートに連れて行ってもらうことで、アルパインのなんたるかを示してもらった。

鈴木の強い薦めで山岳会に属した。師匠の薦めがなければ、所属しなかったと思う。山岳会については、高齢化と聞いていたので、最初から、あまり乗り気ではなかった。山梨の会は全部しらべ、もっとも良さそうな会を紹介してもらってから行った。さらに見学に行っても入会はためらわれた。例会があまり機能していそうではなかったからだが、勧誘を受けて、所属することにした。

会は家庭的で良い会だった。・・・が、地域山岳会だったので、その性質上、アルパインを志向している人は、ほとんどいなかった。宴会山行と日帰りのハイキングが主体で、オーソドックスに、地図読みの山を志向する人が、不遇であることが理解できた。クライミングはトラッドは難しく、かろうじてフリーが主体だったが、ルートに向けて、日常的にクライミング練習をするという環境にはなかった。仕方あるまい。

一方、岩場では、貴重な出会いが続き、現在も一緒に行くのは、基本的に山で出会った人だ。

特に、小川山レイバックで出会った岩田さんには、岩だけでなく、山のアドバイザ―をも、してもらい、とても感謝している。

また、山だけでなく、いかに山行を作るべきか?誰とどの山行に行くべきか?というようなソフト面のアドバイスを複数の方に指南していただけることにも、とても感謝している。

■ 今後

ただ、私の中ではアルパインは一巡し、今年はフリークライミングを頑張る局面に来たな~と感じている。

例えば、これまでアイスは、4級を登れれば良く、寝た氷を登れれば良いと考えていたので、特にムーブの習得は、必要ないと考えていた。岩も同じだ。

が、だんだん、アイスも慣れてくるに従って、傾斜が寝た氷は易しく感じるようになってしまった。(まぁ、段々がついている岩根アイスとかのレベルだが・・・)

今、興味があるのは、むしろクラックなどのトラッドクライミングとなってきた。だが、トラッドのためには、フェイスも必要で、フェイスは本当に女性には困難だ。今はムーブの習得のために、一時期、集中的に登り込みたいと思っている。

・・・となると、アルパインを志向する、このブログの趣旨とは少しずれてきてしまう。

そのため、フリークライミングの技術習得については、また別のまとめが適当だろうと思う。

■ アルパインを志す人へ役立つように

このブログは、自分自身が、アルパインの初歩的な技術を確認するための備忘録として、取っておきたいと思っている。

例えば、日本登山大系を知らない人は、山ヤとは言えない。

地形図を持ってこない人も山ヤとは言えない。

・・・が、今となっては、私にとっては登山大系を読んでも、記事にしたいという気持ちにはなれない。

私も一般登山しか知らない頃は、登山大系を知らなかったので、当時は、とても新鮮な気がした。

が、今では登山大系を見るのは、普通の事となってしまい、改めて”登山大系という本があります!”と、記事にしたい気持ちにはなれない。

・・・とはいえ、知らない登山者が多いのも事実だ。

また、周囲の人たちの様々な助力があったことを無駄にしたくない。

これまで得てきた支援を無駄にしたくない。

山の恩は、山の人、次の人にペイフォーワードしていきたい。

■ 教えてみたが・・・

実は、そう考えて、自分が教わったことを伝承するという義務を感じ、片手には収まらない数の人に基本のマルチピッチを教えてみた。

・・・のだが、結局、いくらロープワークができるようになったところで、

・その山に行くべき時期に行くとか、
・地図読みとか、
・装備の不備とか、
・判断力・認識力の問題

のほうが、単純にクローブヒッチができる・できない、という問題より大きいかもしれない。

装備不足、ルートファインディング、山の事前研究の軽視、などがあると、そもそも危険認知がおろそかになっており、そのような危険認知が疎かな人が、ちょっとした不注意で死んでしまう、ロープが出る山にいくべきなのか、そもそも疑問だ。

山は危険認知ができていたとしても、死の危険があるのだから、危険認知しない人には、もっとあぶない。

それはその人に親切な行為ではないかもしれない。

自分の命は自分で守るという意識を持つ必要がある。その意識ができているかどうか・・・それは、

 ・一般登山で必要となる知識については、すでに主体的に学んでいて、一通りの身を守るための知識はついている、

ということが主体性の目安になる。登山歴が30年であっても、地形図を山に持たないで来る人や森林限界以上の山にジャージで来る人は含まれない。

実際、私の周囲のアルパイン系の人というのは、別にこちらが教えなくても、『チャレンジアルパイン』くらいは知っている。

後進の人たちに参考にしてもらう程度ではあるが、役立ててもらうため、今後は、このブログは、コツコツと、これまで書き溜めた記事の再録、再編集をして行こうと思っている。

そして、私自身は、”山さえ行ければ幸せ”という、山中心の生活から、より身体能力のUPの方にシフトしたクライミング中心の生活にシフトして行きたいと思っている。

山梨では岩もとても良い。

 その時その時で、与えられたものを感謝して受け取ることが大事

だと考えている。つまり、置かれた場所で咲きなさい、ということだ。


≪関連記事≫
初めて読んだ本 北八つ彷徨
八ヶ岳のバリエーションルート

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