Thursday, April 7, 2016

立山 真砂尾根

■剣を展望する尾根

御坂山岳会の2度目の春山合宿は、立山の真砂尾根。先輩はさすがだな~と思える選択だ。ある岳人の心はどこに連れて行ってくれるか?に単純に表れる。Kさんのルート選択はいつも玄人らしさが表れている。1回目は鹿島槍鎌尾根。2回目は前穂北尾根。

真砂尾根からは剣岳が目の前に見える。

私は岩稜にはあまり興味がない登山者だった。興味があるのは雪稜。無雪期は基本的に空中散歩のような長い稜線歩きだ。それで剣や槍穂には、ほとんど興味なしで過ごしたが、残雪期に今のスキルで歩けそうなルートの候補に源次郎尾根は当然の選択として入ってはいた。GW直後限定でだ。

源次郎尾根は海外登山へのパスポートとなるベンチマークとなるルートだ。機会があれば行っておいても損はない。ただ剣は条例で5月20日までは冬山扱いで、経験者の同行がない計画は却下されるうえ、20日以上前に計画を提出しないといけない。私は高所登山はあまり興味がないので、色気をあまり出しているわけではない。ただ海外志向のある人には魅力なのだろう、という思いはあった。

真砂尾根に行けば源次郎尾根の偵察になるなとは思っていたが、行って見ると今年は雪が少なく源次郎尾根はあまり快適そうではなかった。登っている人もいなかった。

■ 調べすぎないでいく

今回の合宿のルートは、黒部ダム湖から内蔵助平を経て真砂尾根、立山三山から、雄山東尾根。この計画で、もっとも困難なのは、初日の黒部川遡行から内蔵助沢に入るまでだと思っていたので、初日のルートに関しては結構調べてから行ったが、真砂尾根そのものはあまり心配しておらず、調べなかった。調べすぎると面白くないからだ。尾根の登りだから明瞭だし。

最終日の立山三山は一般道だから調べていない。雄山東尾根は不安は終了点だった。危険個所がないかくらいは調べたが、出てきたのは、雪洞泊の記録だった。もう少し早い時期。私は雪洞泊をしたいと思って、今回は装備の中にツエルト代わりにグランドシートを入れているが、見たところ無用の長物に終わりそうだった。

■黒部川

初日は黒部ダム湖を出た瞬間から、急な下りだった。黒部川沿いには夏道があるが、当然、出ていない。そもそも夏でも使う人は少ないルートのようだ。ただ渓流沿いの道というものは、川の流れ通りに進めばよいだけのことなので、大きな意味でのルートファインディングが難しいことはない。

ここは、谷をただ下れば、下にもう川が見えている。後ろから来た単独の登山者が追い越して行った。我々はなんとなしに気乗りしない感じで、だらだらとしていた。内蔵助平まで3時間なので焦らなくても良い。先行者の様子をうかがいがてら、ゆっくり支度する。

急な斜面を踵を出してキックステップで降り、谷底に出ると、水量はすくなかった。壊れた橋があったが、水深10cmくらいだったので、私は普通に徒渉。皆は壊れた橋を利用。靴の中までは浸水はしないので問題はなかった。今年は徒渉が多い。その川底の橋を渡ったところで、引き返してきた男性登山者2名に会う。内蔵助沢との合流点で黒部川が水量が多くて渡れなかったと言っていた。ちょっと不安な情報だが、そのまま進む。女性が混じっているから、心配して忠告してくれたのかもしれない。

しばらく行くと、川が屈曲し、左手側には滝が見えてきた。空は快晴で、大タテガビン方面は切り立っている。おおむね左岸の雪の上を歩く。踏み抜いても、地面だろうと思えるところを選ぶ。雪渓の中心など薄いところや、融雪してしまったところの際など弱い部分を避ける。基本的には先行者のトレースがあった。休憩を2回。

内蔵助沢の出会いは、難所だった。左岸のままだと、かなり片方が切れたトラバースになる。ちょっとロープ無しに行く気がしない。先行者がピッケルなしで行こうとしていたがもどってきていた。ちょっとずるいが、その様子を見てから、ルートを決める。

一部右岸へ雪渓の上を渡って、解け残った雪の間を通って再度左岸へ。あの雪が解けたら、徒渉になるだろうが、うまい具合にずっと日陰のようで、渡れる状態だった。

内蔵助沢に入ると、雪渓が盛大に壊れ、巨岩の隙間に水を勢いよくしぶきをあげて流れていた。水量はむしろ黒部川より多く見えた。川幅が狭くなったこともあるだろう。出会いのところは迫力だった。ここまで来たら、遡上するだけ。読図はそう気にする必要はない。

しかし、なぜか雪渓の割れ目をビビりすぎて、だいぶ右岸を上がりすぎてしまう。川の真ん中にある雪渓の割れ目を避けたいのは分かるのだが、どんどん標高をあげて上がってしまい、墜落リスクを感じた。

去年GWに西穂高沢で、冷えたルンゼを駆けあがり、日が高くなり雪が溶けた頃合いに滑り降りるという山をやったが、その時は同じような傾斜でも上り詰めるのだったが、今回は同じくらい傾斜があるのに、トラバースで落ちれば、悲惨な結末が見えていた。休憩時に不安を訴える。沢のへつりでつい上がりすぎてしまうのと似ていた。

上がりすぎを解消しつつ下り気味に右岸を行く。滑落が怖い。滑落の危険がなくなったころに、向こうから男性登山者が降りてきた。うれしくなり手を振ったら、先輩に「手を振らなくていい」と言われる。救助要請かと思われるのだそうだ(笑)へぇ~。

私は一般道では、仏頂面を作ることにしているが、こういうVルートで出会う人には、みなニコニコすることにしている。もしかして救助してもらうことになるかもしれないんだし。おじさんは予想通り良い人だった。日焼け止めで変な具合に顔が真っ白になっていた。おじさんによるとずっとトレースがあるという。一度、左岸の支流に乗ったらそのまま戻らないで歩いて行けば内蔵助平に着くのだそうだ。私はよく分からなかったが、別に心配せずトレースをたどった。Kさんは後でその支流についてから意味が分かったと言っていた。

その支流の登りは私が先頭だった。上り詰めると内蔵助平の素晴らしい景色が待っていた。一本入れたいところだ。ところが先輩たちは一本入れたいと言っているのに行ってしまう。さっきまでは必要がないほど頻繁に休憩が入っていた。ところどころに針葉樹の生える雪の平原は真っ白でまぶしかった。日焼けを避けるネックゲイターを出す。

しばらく行って一本取ろうと言うことになったが、私は日陰があるところまで歩きたいと思った。こんな強い日差しに囲まれていたら、すぐに紫外線で疲れてしまう。少し先に疎林が見えていたのだが「日陰なんてないよ」とそっけない。この反応にもガッカリ。

あとはハシゴ段乗越へ上がるだけだが、先行者の小さな黒い姿が見えており、特段ルートファインディングに悩むことはない。ただ上がるだけ。途中、嫌味な感じにラッセル交代を言われる。この登りはだらだらしているだけで、特段すごいラッセルが必要なわけではない。午後になって雪が緩いだけだ。それでも、嫌味を言われたので、先頭を交代する。川俣尾根を思い出す。「もう交代してもいいよ」と言われたが、別に疲れてもいないので「いいですよ」と返事をする。

ハシゴ段乗越で休憩。その後少し標高をあげて、展望が良いところで幕営。まだだいぶ明るかった。翌日の行程が長かったので、もう少し先まで行ってから幕営した方が良かったかもしれない。初日はゆとりがあった。

■ ロープ

今回のルートのハイライトは、何と言っても予想以上の雪の無さでハイ松と岩稜を行った二日目。くたびれたが面白かった。

単純な雪稜だと歩くだけなので、考える必要がない。どういう場合にロープを出すべきなのか?という判断を学べた。

雪割れが多く、左右の傾斜がきつかったが、登りの勾配はそうなかった。雪は安定していて滑落のリスクは感じられなかった。あるとすればブロックの崩壊だ。なのでロープは前進のためではなく、そうした偶発的な事故から身を守るためのロープだった。ロープがなければ前進できない箇所は一か所もなかったが、そのためにロープを出した。岩とハイ松のミックス帯は遠目にみると、難しそうに見えたが、近づくと不安な個所はほとんどなかった。

真砂岳と言えば、去年の初冬の雪崩事故を皆が思い浮かべるだろうし、全層雪崩の時期でもあり、大きな雪割れがある。が、誰もビーコンを持って行こう!とは言わない。当会の3月のビーコン講習って超意味がないよな~。誰もビーコンもっていないのだもの。それより、12月に富士山で雪上歩行をした方が、会の実情に合っている。雪崩が起るようなところには最初から行かない会なのだから。

先輩のKさんとの会話で、いつも面白いことがある。去年の鹿島槍鎌尾根では、「え~、これスタンディングアックスビレイの練習ですか?」「いや本番!!」。前穂北尾根、「(セカンドのK村さんに)K村さんセカンド少し張ってみて~」。Kさん、「これ本番だから!!」。今回の真砂尾根では、ハイ松と岩のミックス帯に嫌気が差し、「え~これってアイゼントレ?」と愚痴ると「いや本番!!」いつもKさんは、「これが本番だ~!」と叫んでいる(笑)。

つまり私にとっては、”練習”に感じられるような場所で、いつも本番ナノダ。つまり、それくらい安全のマージンを一杯取ってもらって、連れて行ってもらっているということで、大感謝している。おかげで死の危険を感じたことはない。

■ 出会い

今回面白かったのは、内蔵助山荘での出会い。

真砂尾根終了点は小屋がある。9時間歩いて、みんなヘロヘロ。みると小屋の人が見えた。マズイ!隠れろ!!とは思ったのだが、疲れて伸びている我々。誰かが「小屋にビールないかな~」とつぶやく。小屋が開いていないのは知っていた。

でも、このままコソコソして、小屋の人に「ちっ!」と舌打ちされるのも面白くない。それで「ちょっと挨拶してきてもいいですか?」と偵察隊に志願した。

小屋の人は、二人いて、いい人だった。「山岳会?幕営?真砂尾根上がってきたの?そうか~、しかたないな~。小屋のトイレ使ってよ。山を汚さないようにね!」とのこと。恐る恐るビールのことを聞くと「あるよ」。この情報を持って帰ると、場の空気が「でかした!」と言っていた。

しかし、そのビールは小屋の人が担ぎ上げたものを分けてくれるらしい…。それではビールを取り上げてしまって悪い、ということで、担ぎ上げたお酒の肴を持って、”分け前にあずかりに”全員で小屋前に行った。押しかけ宴会だ(笑)。小屋の方は「天候が悪いときに助けを求めてきた山岳会はいたけど、こんな晴れの日に来た会は初めてだよ~」ホントに!

それにしても暑い春山で、ビールの誘惑が抗しがたかった。歩いた距離はそうない。ただロープを出していたら、時間がかかったので、それで疲れてしまったのだ。山って、長い間、戸外にいるだけで結構疲れるものだ。

今回は、先輩たちは軽量化で、お酒もおつまみも省略したみたいだった。若手のM野さんも緊張が続くリードでお疲れの様子。今日は雄山まで行く予定だったが、ビール、と聞いたとたんに、誰も異議なく、内蔵助山荘で幕営決定だった。それで、今夜のサバ缶、キャベツの塩漬け、新玉ねぎとわかめのサラダ、N澤さんが持ってきてくれたコケモモのお酒を持っていった。ビールは一人2缶!KさんもN澤さんも楽しそう。みんなすっかり赤ら顔だった。

私はちょっと遭難救助の経験がある先輩たちに連れられていることが鼻が高い気がした。1シーズンいた小屋では一番話が合ったのは遭対協の人だった。滑落事故が多い小屋だったので、夏の間は彼らが詰めていた。

稜線の小屋には、ホントに無謀と言えるような登山者が大勢来る。一例として、私が小屋入りした4日後に、37人パーティのツアーが支配人の制止を押して大雨の中、4時に出発、5時に滑落事故を起こし、女性一人死亡、男性一名重症。ヘリは当然飛ばないので、救助隊が麓から一般コースタイム6時間の道を3時間で駆け上がってきて、男性を担ぎ降ろした。

ひと夏そんなのばかり。私のことはオジサン登山者は居酒屋のねえちゃんと間違えていたと思う。

小屋の方の一人、T谷さんは山梨でブドウ畑をやっている友人がいらっしゃり、ご自身がフリーのクライマーでもあるようだった。剣八ッ峰経験者で、11時下山になった話などしてくださった。小屋の支配人の佐伯さんは、佐伯姓ということで、山と生きることを運命づけられた方。改築したてのこぎれいで快適な小屋はリピーターが多い小屋だそうだ。次回は夫と再訪したいと思った。

初めての立山でそんな面白い思い出が出来て良かった。立山は観光地化された山岳地帯だ。私は観光地が好きではない。それで警戒していた。これが普通の一観光登山者として立山に行っていたら、わたしのことだもの、立山が嫌いになったかもしれない。

■ 下山日

3日目は早朝の良い時間帯に立山三山の稜線でうっとり逍遥した。びっくりするような雪庇が出来ていた。下山は、雪がないと言う理由で雄山東尾根を辞め、山崎カールを下った。

山崎カールについては知らなかったが、うまいルート取りができたと思う。こういう雪渓を降りるときは一番のリスクは、上から何かが降ってくることだ。それを知ってか、先輩たちは後ろ(笑)。

そのまま、室堂に下ると、まだ午前中の早い時間帯だった。1万円近くと少々高い乗り物代を払って、観光客気分を満喫し、11時半には扇沢着。

雪が緩んで、滑りやすい時間帯に、疲れが溜まった二日後の下山で、急なことが多い尾根の末端にいるような、素人っぽい登山でないのが御坂山岳会の売りだと思う。

山岳会に入るとき、私は山梨県下すべての会を検討し、6つの会を打診し、2つに入会した。一つはザイルパートナーが所属していたから入っただけの会だった。現在は退会している。

とんでもない危なっかしい技術で、北岳バットレス四尾根に行かないといけない羽目に陥りそうだった。御坂山岳会の良い所は、そのような青臭いところがないところだ。大人は予想できるフォーストビバークはしません。

■ ペース

課題としてはペース。男性の登りペースは速く、しかも休憩が長い。背の高い人の歩幅は、小柄なわたしには大きく、登りは、オーバーペースに陥っていた。休憩が長いと、体がリセットされ、悪循環。ペース合わせは課題だ。

逆に下りは、若さの勝利かもしれない。山崎カールの下りでは、つらい人もいたのかもしれない。私には自己申告されるまで分からないが、足の不調があったようだ。私は登山を初めて間がないので、”新中古車”と呼ばれている(笑)。酷使される関節類が、ガクガクした経験はまだない。

登りはコースタイムと同じか、早くても8割くらいだが、下りはコースタイムの半分くらいまで短縮しようと思えば出来る。登りは体力、下りは技術というわけで、体力の衰えつつある、中高年登山者らしいプロフィールといったところ。

体力は40代平均で別に強くも弱くもない。が、40代が当会では若手の部類に入るという、相対的な理由で、40代平均が”強い”に入ってしまったらどうしよう…と不安になる。

今回の春山合宿には土産話ができた。後日、都岳連の岩場のレスキュー講座に申し込んだら、なんと小屋で会ったT谷さんと再会。来月にも一緒にレスキュー講座に参加する予定だ。

■ データ

2015年4月30日(木)~5月2日(土)
参加者:4名 (内女性1)
山行タイプ:春山合宿 テント泊縦走 雪稜
行程: 
4/30 黒部ダム(8:10)→黒部川(8:25)→内蔵助沢出合(9:33-9:46)→丸山東壁下(10:35-10:45)→内蔵助平ハシゴ谷寄り(12:38-13:08)→ハシゴ谷乗越(14:22-14:48)→2080m地点(15:00)
5/1 2080m地点(5:15)→2220m地点(5:55-6:05)→2310m地点(6:40)→2390m地点(7:15-7:38)→2500m地点(10:20-10:36)→2584ピーク(11:35-11:55)→内蔵助山荘(14:27)
5/2 内蔵助山荘(5:15)→真砂岳(5:29)→大汝山(6:31-7:00)→雄山(7:20-7:44)→室堂(9:28)

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