■ 天気図萌え
お正月第一週目の甲斐駒ケ岳は、トレースもバッチリで、厳冬期としては、とても登りやすいということが知られている。
その正月明け第一週の中でも、さらに今年は、寡雪のため、コンディション的に夏道に近く、易しいだろうということが想像できた。
冬山の一番のリスクは何か?と言えば、風だ。
その風が、予報によると風速22mだった。風速22mといえば、耐風姿勢が必要になる風。風速26mだったら行くかどうか悩やむし、風速30mだったら決定的に稜線はない。
風と寒気を見極めるため、予想天気図と500hPaの天気図を見たが、予想天気図では等高線がのんびりして、登山日和。500hPAの高層天気図によると、-36度線は、はるか上。
それで、これは!というので、色めきたった。なんだか、山に行く前から、勝利が約束されているような気がする天気図だった。
予想図
実際 ほとんど一緒 |
■ 復習山行
この山行は、一般ルート&小屋泊であるし、私にとっては復習で、未知の要素がなく、ゆとりがあることが予想できたので、同行者を持っても良かった(同行者を探す時は、ベテランを除外して、常に自分にとって、無理がない山、つまり単独でも行ける程度で、同行者は保険程度、にしている)。
それで、雪山に興味があるだろう人に、声を掛けてみた。
その人は3日あるので、仙丈ヶ岳の地蔵尾根に行く計画だという。地蔵尾根は仙丈ヶ岳の中では長い尾根で、2泊3日だ。
失礼だが、その方の脚力で行けるのかどうか、心配になった。前回一緒に歩いた時に、たまたま持病が発病している時だったからだと思う。
また、地蔵尾根はテント泊となるし、バリエーションルートなので、一般ルートの甲斐駒と違って、気軽に「ちょっと、明日ご一緒に・・・」という山とは思えなかった。
それで、地蔵尾根はお断りしたが、その方は甲斐駒には興味がないという。興味は、人それぞれなので、合意に達せず、今回は、私は私のお山に向かうこととした。
意外だったのは、10日が悪いと言っていたこと。9日から先には大きな高気圧が出番を控えてまっていて、移動性高気圧の大きいのの下に入りそうだったので、予報を聞くまでもなく、10日は良いのではないか?と思っていたからだ。
冬は、冬型 → 移動性高気圧 → 低気圧 という循環を繰り返すと考えていたので、サイクルで考えると、週末は高気圧の下に入りそうだった。
■ 甲斐駒でお口直し
今年のお正月山行は、黄連谷右俣が予定されていたのに、この山行はいまひとつ、ヤル気が最初から欠けたような山行になってしまった。前の晩、お酒を飲んだのがまずかったかもしれない・・・でも大晦日だったしなぁ。
結局、代わりにクラックに行き、それはそれで、とても楽しかったので、良かったのだが・・・。神様がしばらくは、フリーに注力しろと言っているかのようだった。
フリーと歩きは、両立がとても難しい。フリーを頑張ると、歩きが弱くなり、なんとなく、がっかりした気分になる。
私はフリーを頑張ってはいるとは言えない状況なのだが、それでも、相手が必要なクライミングが、単独でも行ける山と比べると、優先度が上になってしまい、歩きが後回しになっている。
そうなると、大きな山はだんだんと出番が無くなる。でも大きな山が充実感には大事な山.
最近は偵察山行が続き、大きな山がないので、もしかして弱くなっているかもしれないと思い、ちょっと確かめたい気もした。
2年前に甲斐駒に登頂した時は、まだ山岳会に入っておらず、2年たたず辞めてしまったが、山岳会に入会して弱くなっていたら、ご愁傷様だよなぁ・・・と思ったからだった。
結果的には、今回は
前回 7:00登山口 11:40 5合目 13:00七丈小屋
6:30出発 7:30 8合目 8:50山頂 13:00笹の平 14:10竹宇神社
今回 7:30登山口 11:40 5合目 12:30 七丈小屋
7:00 出発 9:00山頂、10:30七条小屋 13:10 笹の平 14:30竹宇神社
となり、特に前と比べて、体力は落ちていない。
登りで何組か追い抜いたが、追い抜いた人たちは、おおおかた山岳会で、黄連谷のほか、バリエーションルートを登るような人たちだったのだが、そのような人たちの普通の標準装備で、5合目に4時間で着くというのはなさそうだった。
私より先行していて、私が抜いたということは、私のコースタイムよりは遅いので、それではたぶん、4時間で着く、というのは未達だと思うが、一日目を七条小屋泊とすると、そう急がねばならない理由がない。
なんで5合目に4時間でつかないといけないのだろうか?二股まで早く行きたいのだと思っていたのだが、翌日の風が強い予報があったのだろうか?早くつきたい時は早出すればいいだけなのだが、早出が犠牲になっていたので、それも敗退の要因だった。
今回は、行く前から、良い山になる気配があった。天気図が良かったこと、朝家を出るとき、温かい朝だったこと。車中から見た甲斐駒は雲を被っていたが、近づくとモルゲンロートに変わった。
ワクワクして、心配は全然しなかった。小屋には14時までに入ればよいので、朝もそう急がなくて良いのだが、支度をしながら鼻歌がでそうなくらい、愉しみだった。
2年前は甲斐駒はすこし背伸びだと思っていたが、今回は背伸びとは思われなかったからだ。
ただ、慢心があってはならないと思い、装備は、単独と言えどもハーネス、ロープは用意した。
とにかく天気が良いので、気分が軽かったし、小屋がどれほど温かい小屋かも、よく分かっていたから、チャレンジ的な要素が少なすぎて、むしろソロテント泊にした方がいいのではないか?くらいな感じだった。
■ マイペース山行
黒戸尾根は、じっくり自分の脚を気持ち良く動かすことを心がけて歩いたら、全然疲れなかった。最近疲れた山をいくつかした、その疲れは、きっとオーバーペースから来るものだろうと思われた。
疲れ方でいうと、前回の甲武信の方がくたびれた。
黒戸尾根は長いと最初から分かっていること、アップダウンがあって、意外に平坦なことがあり、疲れてきたら、トラバースに出る、という感じだった。
山は、歩きだすと、一気に汗が噴き出す時間帯が来る。そこまで、大体30分くらいと思うが、その歩き出しで、オーバーペースに陥ると、その後は、快適に歩けないのかもしれない。
最初に飛ばすとダメで、その最初の汗が背中を流れるときまで、じっくりゆっくり歩くべきだ。
そうしていると、その後はあまり苦しまずに快適に歩けるような気がする。今回は少なくとも完全マイペースなので、全然苦しんでいない。
■ 100年に一度のチャンス?
そうやって歩いていたので、黒戸尾根はゴキゲンだった。特に問題になるような個所なし。
黒戸山までは普通の山。黒戸山の北側を巻く道は半凍結で滑りやすく、こけそうで怖かったが、アイゼンは出さずに済ませた。そこを抜けると、いきなり温かい陽だまりの5合目跡地に着く。5合目に着くと、テントが一張りと、洞のなかに生活の後があった。
5合目から先、伝統を感じる黒戸尾根らしい登山道になり、ハシゴの連続となる。しかし、そのハシゴも良く整備されていて、ロープも渡してあるし、心配がなさそうだった。2年前の黒戸尾根のほうがやはり大変だったかも?
前回は、笹の平でつけたアイゼンだが、今回は7丈小屋までつけなかった。
5合目から7合目へは、ハシゴや鎖場が連続するが、そう長くはない。5合目でテント泊するか、2俣でテント泊するかが黄連谷をやるときの定番かと思っていたが、実はそうではないらしい。
7丈小屋泊がどうも定番らしいのだ・・・。行って見ると、第二小屋に泊まっている20人のうち、ピークハントに来たのは二人だけだった。
体の大きな、そして声も大きな、男性が入ってきたのを皮切りに、アイスのルートガイドで有名なガイドさんも入ったらしく、小屋は満員となり、20人のうち18人までがアイスの人だった。
となりになった山岳会の人たちは、追い抜いてきた人たちで、大型ザックだったので、テント泊だと思っていたら、小屋泊で、篠沢をやるのだそうだった。大武川のほうの研究はしていなかったので、まったく知らず、へぇ~と思った。アプローチは黒戸尾根で同じなのだった。
この辺はアイスをする人には楽しいエリアなのは知っていたが、甲斐駒自体がまだ、私にとっては金峰山や八ヶ岳と比べ、お近づきになっていないエリア。
黄連谷の混雑を考えると、篠沢にしたのは正解のようだった。
後のパーティは、みな右俣か左俣で、左股は特に大滝で渋滞が起きるとあらかじめ分かる人数だったようで、夕方それを小屋番さんが大声で知らせた。
正月前後に記録が上がったので、今年は雪が少ないことが知れ渡り、100年に一度のチャンス!ということらしい・・・惜しかったなぁ。
でも、足並みそろえがまだだったのだから、仕方ない。ルートへ行くというのは、ゲレンデに行くというのとはまた違うものだと思う。
凍結は年末は今一つの記録が諏訪山岳会から出ていて、坊主の滝は巻いていたが、一度冷えたのでよさそうだし、予報はずっとマイナスの気温だったので、今週は凍結に問題はなさそうだった。
・・・というので、黄連谷は、非常に登りやすい、当たり年らしい。のだが、こんなに大勢が入ったのでは、大渋滞かもしれない。
アイスのルートはビレイしている時間がとても寒いし、渋滞で待つのが寒い。
・・・というようなことを考えると、この日は、自分のペースで登って帰れるピークハントの復習山行にしていて良かったかもしれない。
■ 小屋で
小屋の中は相変わらず、ストーブ一つしかないのに驚異的な温かさ。小屋は食事をださないためか、到着するとおしることコーヒーのパックをくれるが、今回はそれに温かい野菜ジュースまでもがついていた!びっくり~!
小屋代は4600円と、2年前に来た時から100円アップしていた。
それにしても、とても暖かく、毛布だけでも、夜中に暑いくらいだった。お湯は有料になっていた。
山岳会が二つ三つ入っていたので、にぎやかだった。私は単独だったのだが、隣の会の仲間に入れてもらって楽しく過ごせたのがうれしいことだった。
突撃隣の晩御飯で、鍋を見せてもらった。トマト味のスープパスタだった。私は単独なので、あまり食事に凝りたいとも思えず、前に買ってあって使っていない賞味期限が切れそうな袋飯の消化デー。ずっと非常用に入れているもの。「それだけ?」と言われるが、七条小屋はおまけをくれるのを知っていたので、あまり持ってこなかったのだ。
ピークハントだとそうお腹もすかないし・・・。お腹より水が核心な感じだ。沢とか、とってもお腹が空くんですが、なんででしょうね?クライミングもあまりお腹がすきません。
小屋でビールを買っても700円だそうだった。お酒も一人だと、テント泊で寒さが予想されるのでもない限り、そんなに欲しくないかな~と思い、今回は必需品のコーヒーやナッツやシリアルバーなどを持って行った。シリアルバーは、冬は通常食べないのだが、今回はあまり寒くなさそうだ、というので、これも安く買ったものを消化デー。単独は基本、余りもの消化デーだ。
八ヶ岳で会った人たちと再会。会を辞めてしまう前に会った人たちだ。聞くと黄連谷の左俣で、雪崩に遭ってヘリで運ばれたことがあるのだと・・・そんな大変な目に遭ったのかと驚く。
それにしても、谷の中でビバークする計画は、やはり、小屋泊で空荷で谷をスピーディに抜ける計画と比べると、とても体力的な負担が大きいのではないだろうか。
谷中の一泊でツエルトに夏シュラフ、しかも食料も軽量化で絞ってあるとすると、体力を奪われそうだ。もちろん、稜線より谷の中は風はなさそうだが、底冷えしそうだ。耐寒訓練になりそうだったから、行かなくて良かったのかもしれない。
■ 登頂日
そうこうして夜が更け、就寝となり、朝は3時くらいから、早朝発メンバーが起き出す。私は日の出とともに歩きだす予定で、7時歩きだしにしていたので、早いメンバーたちの支度を聞きながら、できるだけ睡眠時間を多く取ろうとする。
7時出発でも、一人だと支度も早い。6時に起き、コーヒーを入れ、袋飯を食べる。トイレに行き、さらにお湯を飲む。お湯は持って行った分を朝に消化してしまったので、小屋から少し二日目の分をもらったが、結局ほとんど消費しないで済んでしまった。
装備を片づけ、必要なものは身に着ける。ハードシェルを着て、下はレインウェアのズボンを履く。
手袋はまだインナーのままでよいだろうと、冬手袋はカラビナでぶら下げる。カメラと携帯をすぐだせるようにし、毛糸の帽子をかぶり、ヘルメットを被り、アイゼンを装着して、ピッケルを持つ。今回は、鎖が出て怖いところでは、セルフを取れるように簡易ハーネスを付け、もし怖くて懸垂しないといけないと思ったら、お助け紐を出す予定で、ロープを持って行ったので、すぐ出せるようにしておく。
小屋出発は予定通り、明るくなった7時としたら、外にガイドパーティがいて、どうも一般客の出発を待ってくれているようだった。ガイドパーティだから、気を使っているのかもしれない。
もう一人の同宿になったピークハントの人は、6時半ごろ出発していた。薄暗いくらいでも歩けるし、小屋から8合目までは、あまり危険箇所はないので、問題ないと思った。
私はヘッドライト歩きは避けて、普通に明るくなってから出た。高山病になってしまったという方も明るくなってから下山を開始していて、「どうして暗いうちに出るのだろうね」なんて話をする。
時間にも余裕がある時に、わざわざヘッデン歩きをしなくても良いかも?と思う。選べるなら、選ばないかもしれない。
しかし、一方で、状況的に強いられた時に、できるようにしておく、ということは重要で、年に一回くらい夜間山行(カモシカ山行とも言う)が合っても良いと思う。皆で歩けばそう、怖くないものだし。
そういう夜間山行にふさわしい山というのは、登山道が明瞭な山で、黒戸尾根は、ヘッデン下山の可能性があったので、ずっとヘッデンでも歩けるかどうか気にしながら歩いたが、笹の平あたりまでは、暗くなる前に降りていたいかもしれないとおもった。鎖場や梯子をヘッデンで歩くのはあまり気が進まないものだし、中腹は、登山道のとなりに新しい登山道が出来ていたりして、歩いたことがあれば、たぶん大丈夫だろうけれど、ずいぶん久しぶりだと勘が働かないかもしれない。
■ 風
登頂に際して、もっとも気になった風だが、天気図の方が合っていたようで、びっくりするくらい風がなかった。
前回も風がない予報だったが、今回も風は全然なかった。20分ほど、のんびり山頂に滞在した。
八ヶ岳は雲を被り、黒々とした赤岳が見えた。あまり良さそうではない。北岳や地蔵は快晴で、富士山には8合目あたりから、空気の層が見え、大気は安定していそうで、富士山も登山日和だったのかもしれない(登らないが)。
8合目までの登りでは暑いくらい、手袋もインナーしかいらなかった。朝早い時間のほうが風が強かったらしく、下りてくる人は、風が冷たかったと言っていた。
大体日が高くなると、風も緩むことが多いので、すこし出発を遅らせて良かったと思った。
昨日出たときは、モルゲンロートに染まる山を見た。今日は、日が出てから、山の一番良い時間帯8~10時の快適時間帯に、山の稜線にいた。
周囲には誰も同行者がおらず、快適だった。途中、岩の段差が多いところが出てくるが、前に来た時はすっかり雪で隠れていたところだった。こうなっていたのか、という感じ。ホールドスタンスはいっぱいあるので問題ないが、鎖はありがたく使った。
山頂に着くと、仙丈ヶ岳が見える。仙丈ヶ岳のほうにいっている知人は大丈夫だろうか・・・と気にかかる。
山頂にいた人たちと写真を取り合う。若いイケメンお兄さん二人だった。
擦れ違いがシビアなところですれ違いたくないので、後続のガイドパーティを少し待った。なかなか来ないな~と思っていたのだった。
やっと登ってくるのが見えたので、山頂を出発する。すれ違った人たちは、苦しそうにしていた。
思うのだが、どんなペースであっても自分のペースで歩けないと、やっぱり苦しいのではないだろうか?
下りに八ヶ岳の広い広い、すそ野を眺める。あの長いすそ野を全部歩きたい、という人がいるだろう、と師匠は言っていたっけな。
できるだけ標高の高いところまで、人工的な手段で行って、できるだけ楽に登頂することが価値があるように、いつからなってしまったのだろう・・・
山に登っていたら、普通は山の尾根の起点ってどこだろう?という気持ちになるものだ。甲斐駒から見ると、八ヶ岳の尾根のスタート点は、今登られているよりももっと実は長いように見える。
八ヶ岳の手前には、長い七里岩があるが、七里岩も八ヶ岳の一部だなという感じが、ありありとする景色だ。夫と見たい景色。彼もジオラマのように大地を見るのは好きだと思う。
私は全体像を把握するのが好きなのかもしれないな・・・そんなことを思いながら下山する。
景色を楽しみながら、できるだけゆっくり下りたいため、山岳会のパーティには先を越してもらう。
そんな調子でゆっくり下った。小屋まで下ると知り合いに再会した。あれ~と喜び、互いに近況を報告する。彼女はヒマラヤに行くことになったらしい。
小屋番さんは、宿泊者多数で苦労した話をしていた・・・どうも昨日は稀に見る混雑日だったようだった。
■ 下山
七条小屋まで降りれば、あとは普通の山なので、ウエアを片づけ、ヘルメットを取り、ピッケルをストックに持ち替え、普通の帽子にする。
アイゼンは、黒戸山が終わるまではつけていることにした。これは正解で、下りの黒戸山は、飛ばせた。
水平なところは、平地歩きで、脚をストレッチしながら歩き、登りは小股で3点支持で、下りはなんとなく飛び石歩行になってしまう。いつも思うが、登山で使っているのは、ムーブで言えば、ほとんどオポジションなのではないだろうか?
笹の平手前は地面が凍結していて、普通の地面に見えるところも滑る。それでも、登りより下りの方が楽だし、早かった。
2パーティほど追い抜く。あまり登ってくる人はいない。印象に残ったのは、ロープとアイスギアをもった初老の人。単独だった。一人でアイスを登るのだろうか?
笹の平手前で、大きなザックの男性の登山者に追いつく。抜きつ抜かれつしながら、だったので、結局一緒に歩いた。
大倉尾根で荷揚げしているのだそうだ。大倉尾根と言えば、男性35kg女性25kgの歩荷訓練に選ばれている尾根。
色々と山の話をして、楽しかった。カメラも三脚も入れて、重そうなザックだった。テント泊は、鳳凰が目の前に見えて、とても良かったそうだ。
たしかに今回はあまり冷え込まなかったし、風も予報とは比べ物にならない静かさだったので、テント泊も良かったかも・・・だが、それだと小屋で出会った人たちと出会えなかったかもしれない。
帰りは、彼を韮崎まで送ってあげたら、下山後のソフトクリームを奢ってくれてうれしかった。
いつも山のご褒美はアイスかソフトクリームってことになっているんだな(笑)。
No comments:
Post a Comment