ある人が何気なく発した言葉が、ひどく胸に響くことがある。
最近の一言は
「フレンドリーが一番です」
この言葉は奥深い。
その奥深さが分かるようになることが、成熟の証かもしれない。
クライミング力をプライドの源泉にしてはいけない。
登れることを鼻に掛けても仕方ない。
登れれば、楽しいし、登れなくてもそれなりに楽しい。それがクライミングの良さだ。
登れない人を馬鹿にする人は、例えて言うなら、がん細胞みたいなものだ。
結局、愉しくクライミングしないことで、自分が損をするのだ。そして、変なプライドをもつと、墜落リスクも高まる。
■ 美濃戸口の滝
先日行った唐沢の滝がプチアルパインチックで、強烈に面白く、ツボに嵌って、翌日も美濃戸口の滝に出かけた。すごく面白かったので、どこかにカチッとギアが入り替わったのだった。
結論で言うと、美濃戸口の滝は、まったく同じことをしたのに、唐沢の滝ほど面白くはなく、まぁ、こんなもんか、だった。
師匠と二人で色々なラインで、滝の形状を味わってみたら、どれも困難がなかったので、二人とも早々に飽き始めていた。
その時、誰もいなかったゲレンデに、3人の男性グループがやってきた。下の方でザックをまとめている。
案の定、同じ滝に来た。それで わたしから、「こんにちは~☆」と声を掛けた。
しかし、返事なし。
余談だが、挨拶は人と人との基本だ。あまりに基本的な社会マナーなので、挨拶できない人は、単純に、子供っぽく見える。
人見知りだから、という言い訳も良く聞く。が、それで許されるのは、子供だけ。仲間は許してくれるだろうけど、大目に見ているだけ。社会では通用しない。
だから、大人で人見知りをやっていると、どうしても子供っぽく見えるし、実際に子供であることは否めない。もちろん、悪い人ではない。
ただ精神年齢が幼く感じられる、と言うだけでなく、実際に人見知りを乗り越えられないのだから、本当に幼いのだ。ちなみに夫は人見知り派なので、私がいつもフォローしている。
子供っぽさというのは、クライミングでは、ちょっとリスクに感じられる。大事なこと…、例えば、ビレイでは、ブレーキハンドを離さないとか、そういうことを忘れるんではないだろうか?と不安にさせられる。
子供は責任能力を十分持たない。うっかりした、とか、自分が至らなかったから、ということで失敗を大目に見てやらなければならない。責任能力が問えない=子供。
だから、クライミングで子供っぽく見えることは損だ。リスクと認識される。
その3人を見ると、ひとりの男性が残り二人を連れてきた風だった。流行の明るい色のブランド物、ファッション山ウエア。
山でかっこいいことは悪いことではないと思うが、この時の印象は、”初心者だな”だった。全部新品だとそう見える。ベテランと初心者では、同じようにウエアが新しくても、印象が全然違う。
中の小柄な男性は、日焼けサロン的な日焼けの仕方をしていて、金のイヤリング。歌舞伎町にいる黒服みたいな感じだった。山よりスキーに、スキーよりサーフィンにいそうな感じ。
ひとりは太目さんで、他の二人をカッコいいと思って追従してワルを気取っているような感じ。残り一人は全然印象にない。きっと”黒服”の取り巻きだろう。
私の中にはワルの文化がない。ワルってかっこいいのだろうか?
これは違う人だが、右の人があまりよくないので参考に |
同じような印象をこの人たちに持った。
で、リードの準備をし始めたので、「右にも支点がありますよ」と教えたら、返事なし。まぁいいけど…。
で、登っている姿を見たら、可愛かった。全然下手くそだったのだ。
それでも一生懸命リードしているからエライ。怖いのだろう、そんなに氷をたたかなくても、もうすでに段々だらけなのに、これ以上叩けないくらい氷をたたいて、えらい大きな塊を落としていた。叩き壊して石橋を渡れなくしちゃうよ。
短いので、スクリューも一本、2本で一瞬で終わるはずだが、結構長い時間、かかっていた。私はその間に一本登って降りてきた。
ムーブは、全然ダメで、スマートさがなく、カエルのようになってしまっていた。
でも、教えたら、プライドがガタガタになって、メンツ丸つぶれと言うことになってしまい、立場が悪くなるだろうなぁ・・・。
・・・と思ったので、黙っておいた。
■ 教えてもらったとき
先月、講習会仲間だった飯田山岳会の友達と小滝へに出かけた。お見合い。彼と会うのは、すごく久しぶり。
私たちは、小滝で20本ノックくらいしたかったのだが、実際は、私は6本で腕がダメになってしまった。
その時は、となりにブナの会の4人、相模アルパインクラブの2人がいて、女性はわたしを入れて2人。ブナの会の女性は上手だった。きっとフリーもうまそうだ。フリーのムーブがバッチリだった。
その中では、私が一番下手くそな人と言うことになった。
だんだん腕がダメになり、ムーブもいい加減になってくる。
私が「えいっ!」とアックスを刺すと、「効いてない!」とか、「うん、今のはいいよ」とか、皆から声がかかった。
「足をもっと開いて」とか「三角バランスを作って」と、下からどんどん声がかかり始め…
「アックスを振る時は剣道の竹刀を振る時みたいに・・・」
「剣道って言っても女の人に分かるかよ」 (・・・私のために争わないで?(笑))
「男性の例えは、分からないよね、最後に引くといいのよ」
と、ブナの会の女性も横に来て振り方を教えてくれた。
最後は、終に「このアックス、効かないんじゃない?」それで、「僕のん、貸してあげるよ」という話になった。
振ってみたら、「あ!ホントだ~」
一家総出で、末っ子のスキルアップ対策に出た感じだ(笑)
それでありがたいな~と思った。和気あいあいってこういうことだ。みんなで上手になるってこういうことだ。
・・・と身を持って体験した。
この”場”の形成には、ベテランの存在感が一役買っていた。父親の安全な監視の下で、楽しく遊ぶ子供たち、な感じだった。
相方は、ムーブはきれいで無理があまりなく、力んでいない。ちょっと鼻が高い気がした。誰も彼にはアドバイスしない(笑)。
私は、この時はすごく力んでいたのだろう…
■ 本当のところの分かり方
翻って、美濃戸口の滝だが、
黒服組のとなりで、私がリード練習を始めた。皆、注視。
降りてきて、「こっちのラインは、もうそろそろ片付けますから、使っていいですよ」と言うと、初めて黒服グループが口を聞いてくれた。
それで、私の方が上手だったんだナーと分かった(笑)。
単純な人たちだ。悪い人たちじゃないんだろう。損してるよ~と教えてやりたいが無理だろう。
この事件で、私はカエル登りよりは実力があり、フリーが上手な人よりは実力がないことが分かった。
でも、カエル登りでもリードを頑張るくらいなんだから、頑張らないといけない。
■ 初心者は愛される
2度目の小滝へは、会のサクちゃんとアイス初めてのキリちゃんと、前に一緒だった飯田の友達と4人で出かけた。
となりは6人の各会の寄せ集め部隊。さらに二人後でクライマーが来た。
さくちゃんは今年のアイスは初だったので、たぶん、ガチガチに緊張して登れないのではないかと思ったら、ゆとりのクライミングで、なんか問題どこにもなさそうだった。なんだ~。足慣らしOKって感じ。
キリちゃんはアイス初めて。だから、クランポンの調節から。
女の子は女の子が教えた方が良いから、振り方から教えた。それで、周囲の人も、「あ、初めてなんだな~」と分かってくれたみたいだった。
キリちゃんが登り始めると、小滝にいる全員がフリーズ状態になって、自分が登る手を止め、キリちゃんにアドバイス。
「次、右足」 「次は右手」「足は蹴らないとダメだよ~」「サッカーで蹴るみたいに」
初めてアイス |
いきなりバーチカルだからなぁ…
そして、二人目、三人目が登り始めると、もう誰も注目しない。それぞれのパーティで好きに登る。
またキリちゃんの番になる。このラインが短くて簡単だよ~と一番楽なライン。
すると、また全員注目。下から「頑張れ!」「腕を閉じろ!」「ちょうど真下にスタンスがある!」と声がかかる。
登っているほうは、色々声がかかりすぎて、どうしていいか分からなくなっている。
それでも、粘っていると、さらに皆の士気が上がる。「そうだ!いいぞ!」「そこでちょっと休んで」「三角形を作って」
やっと登り終え、降りてきて、「癖になりそう…」と言った時には、全員がにっこりした。
めでたく一本完登だ。
プレッシャーではなく、励ましを与えること、これが大事なことだ。
■ 登れるようになりたいのは普通
思うに、クライミングにおいて、登れるようになりたいのは、人間が生きることにおいて、成長したいのと同じだ。
進化するという一方向しか方向性はない。
だから、誰がクライミングしても、回を重ねれば重ねるほど上手になるし、回が重ねられるか、重ねられないかは、ただ都合によるだけだ。
都合がついて登れるようになった方がリードすればよく、リードできるほうがより楽しいのであるから、別にリードしたくない人がリードしなくても構わない。
子供の成長に、色々なスピードがあるように、クライミングだって、個々人にふさわしい成長ペースがあり、個人の中でも成長は線形的ではなく、ある日突然プラトーを脱し、上手になったりする。
毎日毎日、クライミングすれば、誰もが上手になる。
だからと言ってなんだろう?クライミングはしょせん遊びだ。
絵がうまくても実生活に特に役立たないように、クライミングが上手くても、実生活に特に役立たない。
遊びに人生を掛けてしまってはいけない。自分を賭けてしまってもいけない。
クライミングが上手い人と妬むようになったら、それは少しヤバいかもしれない。
ただの遊びがただの遊びでなくなってきている傍証だ。
何事も下手を羨ましがる人はいない。だから、と言って、上手だからって、それが人格のすべてではない。
つまり、登れるほうがエライのでもなんでもない。カッコは良い。でもカッコ悪くても別にかまわない。
遊びだから、本人が楽しく登れれば、正解なのだ。
超特急クライム |
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