Wednesday, October 30, 2013

読了 『遭難の仕方教えます』 超ド近眼の山登り

今日は機嫌のいい晴れです。洗濯物が干せて、午前中の家事もすっかり終わってのランチタイムは、ここち良い時間帯です。

ウイルスによる風邪からアレルギー性の気管支炎になってしまい、家の中は主婦不在の活動停止状態になっていましたが、やっとカラダも回復してきて、それにつれ、家の中もだんだん秩序を回復しつつあります(笑)。

それにしても、私の”行きたい山リスト”は9月から一向に山の数を減らしていません・・・(><)

とはいえ、もう11月になってしまいました。11月始めの連休は、例年足慣らしで西穂独評へ行っていますが、今年は山ではなく、夫と慰安旅行です(笑)。 最初は山と思っていましたが、肺の調子がまだイマイチだし、ということで療養兼ねた温泉旅行を企画中です。温泉はいいですよね~。

■ 新たな商売ネタ? 地図読み講習会?!

最近、ふと思うのですが、「地図読み講習会」なるもののも…一つの業界の”陰謀”かもしれません。

陰謀と言うと心穏やかではない言葉ですが、陰謀とまで行かなくても、イノセントな嘘くらいの、平たく言えば、金儲け主義ってヤツなのではないかと・・・。

そう思うのは… いわゆる道迷いに”地図読み”講座って一切役に立たないだろう、と思うからです。

業界は

遭難No1は道迷いである
 
 ↓

すなわち登山者に地図読みを教えるべきだ

と、結論したいようですが、私が見ている限り、登山者の人が遭難するのは、地図以前の問題でした。

何しろ目の前に一本しか道がなくても迷っているのです。

①私が登山道を歩いていても、対抗してくる登山者は、ごく至近距離になるまで全然気が付いてくれないことが多い (顔を上げてゆくべき道を見ていない)

②目の前に明瞭な道があっても、私が座っているピークに向けて登山道がない場所を歩いてくるオジサン登山者に一度ならず2度も会った (それも15分くらいの休憩中)

もし、真摯に遭難件数No1の道迷い、による遭難を防ごうと思えば、登山者に必要なのは、地図読み以前に、顔を上げて歩く道を見る、というごく当然のことなのではないかと。

専門的な言葉で言えば、ルートファインディングですが、そんなこと言うまでもなく、単純に自分の足元以外見ない、超ド近眼みたいな山登りをする人が、特定の年齢層(60代、70代)に異様に多い印象でした。

足元しかみていなかったら、家の中に居たってちゃんと歩けません。こっちの柱にゴン、あっちの壁ににゴンとぶつかるはずです。

私が思うには道迷い遭難の多くはそんな状況での遭難で、地図が読めないから・・・というある意味まっとうな理由ではないような気がします。もちろん、これは単純な印象論です。

内容的にそのようにレベルが低く、道迷いと言えないような道迷い遭難を取り上げて、「地図が読めないと危ないから地図読み講習会に出ましょう」というのはちょっと的を得ていないのでは? 地図読み講習会というビジネスエクスキューズ?と感じています。

というのは、”自然に親しみましょう”というのも、いわゆる団体ツアーの単なるビジネスエクスキューズなんだろうな、と思うからです。30人も40人も連れていたら、自然なんかには親しめませんよねぇ?彼らが親しんでいるのは、街では今ではもう眉を顰められるようになってしまったバカ騒ぎ宴会でした。でなければ、「おねえさん美人だねぇ」などど、居酒屋まがいの言葉を掛けられるはずがありませんよねぇ?山小屋なのに。

■悪貨は良貨を駆逐する

こんな状況なので、本当に役立つ地図読み講習会の方は、人気が出ないのではないかと思います。

私は、雪山に赴きたいので、地図を読めることは必須の技です。なので、去年先輩にねだって、地図読みをやってもらいました。

私にはとても参考になる地図読み講習で、私は自分の地図読み能力にだいぶ自信をつけました。

そのとき得た知見ですが・・

■ 非自立の心理

その時ご一緒した方は、地図と地形から歩く場所を発見すると言う練習で来ているのに、どうしてもテープを探してしまうのです。 もうそれは心の習慣、となっているようでした。

地図を純粋に見てルートファインディングする練習で来ているのですから、わざわざテープなどがない場所を選んできているにも関わらず・・・です(笑)

まぁ磁北線を引いてきていない地図しか持ってこなかった方なので、本当に初心者なのかもしれませんが、たしか私より山歴長かったと思います・・・

どうしてこんなことになっちゃったのかなぁ・・・。

地図読み出来る人にとっては、ピンクテープや赤テープが、地形的に明瞭な場所にあると、まるで馬鹿にされているようで、腹立だしくすらあります。

私なんか5m起きにピンクテープがあるようなバリエーションルートはバリエーションなんて呼んではいけないのではないかと思ったりするんですが・・・。

このどうしても赤布を頼ってしまう、という心のくせ・・・が、どうしてできるか?というと、山に限らず、何事も、自分で判断しない習慣というものが、余りに長く続いた結果ではないのか?と思ったりします。

一般の生活でも人と同じにしておけば安心、と自分で考えない人は登山でも同じようにしてしまうのではないか?というわけです。むろん、憶測です。

■ 個人山行できる人には不要です

この『遭難の仕方教えます』は、ハッキリ言って、中高年の、団体ツアー登山者が読むべき本です。

夏のアルプスなどに個人山行で出かけていく登山者には一切必要がありません。 


 同じ理由で、いわゆる山ガール向けや一般登山者向けとされている『地図読み講習会』には一般登山者が出る必要は一切ないと思います。苦い経験があります。お金の無駄遣いです!

■ モノには順序がある・・・のが登山です

私はロープワークに初めて触れたとき、心もとない鎖場などではこうやって自己確保するんだ~と感動しましたが、自分で易しい山から順繰りに登って行き、鎖場があるような難しい山にステップアップした時、その自己確保術はまったく無用の長物となっていました。

それは私が正しく成長したのだということを示すのだと振り返って思うようになりました。

雪山の講習会では、講師は私たちの班に滑落停止の技術を教えるのはそこそこにして、ひたすら斜面をジグザグに歩くことをさせました。要するに歩く、という技術をマスターする前に滑落停止も何もないんですよね。滑落して止める前に滑落しない方が良いわけなので。

これと同じで、ハッキリ言って、登山と言うのは、少しずつステップアップするものです。

以前 「ステップアップなんて考えなくていいよ」と誰かに言われたような気がしますが、それはまったくの間違いです。

例え、後続の私を確保しながら、支点を作り、自分は自分でルートファインディングしてしまうというようなスーパーパンの先輩にくっついて歩くのであっても、ステップアップはかなり重要です。

というか、登山からステップアップする喜びと言うのを取り払ってしまったら、一体何が残るのでしょう?

いきなり冬の赤岳に行って登れたらそれはうれしいのでしょうか?では飛行機でエベレストに行くのと何が変わるのでしょうか?

自分の実力で登れることと、ガイドさんに登らせてもらうこと、そして、たまたまのラッキーで登れた山、それらの違いが自分で分からないということは、やっぱり登山者としての資質や思考が足りていない、という意味ではないかと思います。

そう考えられるということが、遭難を未然に防ぐ、ABS遭難を防ぐ、という意味なのかもしれない。

(ABS遭難が何かについて興味がある人はぜひ本屋で立ち読みしてください…)

遭難するなら恥ずかしい遭難だけはしたくないものです。

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