Tuesday, October 22, 2013

山でチャレンジを学ばなかったらどこで学ぶのか?

■ 「未知」は「チャレンジ」

最近、ちょっとガッカリする出来事がありました。

それはある人に来た仕事の依頼…その人にとって「やったことがないこと」「自信がないこと」でした。

つまり「チャレンジ」ですね。 ちょっと背伸び。

そんなとき、あなたなら、どうしますか?

「自信」は、やったことがないことに対して、恐怖と不安を感じ、それを解消しようと努力し、その結果、自信がなかったことができるようになった、という場合に生まれるものです。

なので、やったことがない仕事、というのは、お金を払ってやってもいいぐらい重要な成長のチャンスです。

自信がないことから逃げていると、一生自信というのはつきません。

どんなに人から褒められても、つかないのが自信なのです。自信と言う字が、自分を信じると書くように、自分で自分を信じないことにはどうしようもないからです。

■ 自信がないときどうするか?

しかし、自信がない事柄は誰にでもあります。

自信がない…そのとき、問うべきは、何がどう具体的に、自信がないのか?です。

自信の無さが”未知”にあるのであれば、一回それをやってみれば、いいだけのことです。未知は既知になります。 (秘訣その① 予習)

もし、個別のスキルにブレイクダウンでき、何か一つのスキルが不足しているのなら、それを身につければいいだけです。(秘訣その②:細分化)

たとえば、私は岩稜帯の縦走には自信がありませんでしたが、ボルジムという個別のスキルに細分化して自信を付けたわけですね。

あるいは、難易度を少し下げますね。立ちこむステップの幅を小さくするのです。(秘訣その③:難易度を下げる)

その結果、一回でもやれば、それが経験になり、自信になる。

重要なのは、やったことがないことをクリアしていくプロセスにしか自信というものは生まれない、ということです。

多少の恐怖や不安を感じつつもやったことがないことをやる…誰も歩いたことのない登山道を歩く。それは登山と同じこと。

もし、「不安」や「恐怖」を乗り越え、「未知」に「努力」でもってして、「チャレンジする」ということを登山から学ばないのであれば、一体何から学ぶのでしょう?

■ 頑張りすぎは、状況の理解を濁らせる

前回、東沢釜ノ沢では、私は歩くペースが速すぎました。 頑張りすぎです。

頑張りすぎるとどうなるか? 周囲を見渡す余裕がなくなります。

それは人生でも同じことです。

人は頑張りすぎると、「緊張」がします。要するにストレスです。そうすると心の持つ様々な機能が働かなくなります。 

具体的には、

・自分の周囲で起きたことを把握する
・どうするべきか判断する
・適切に行動する

こと=「思考」ができなくなります。つまり思考停止です。

山に例えると頑張ってハイペースで歩くと、足元だけ見て歩いている状態で、遠くを見ていませんね。道迷いしても気が付きません。無駄な動きが多いので同じことをしても余計に疲れます。

頑張りすぎで周囲が見えなくなると、次に

・自分に起きた出来事の意味を理解する
・どうして起こったのかという理由を考える
・どんな法則があるのかというしくみを理解する

つまり 知性=「マインド」も正常に機能しなくなります。

要するに、遠くに雨雲を見ても、今「雨具を着なくちゃ」と発想できないのがマインドが正常に機能していない状態です。 今やるべきことは未来からしか理解できないものです。

そのような心理的視野狭窄に陥る原因は、元をただせば、頑張りすぎ=歩くのが早すぎるから、です。

頑張ることで生まれる感情の緊張は、人生に様々な苦しみを生み出します。

頑張っているのに物事がうまく行かないのは、頑張りすぎのサインです。

やるべきことは立ち止まって、しっかり状況を確認することです。 たいていの場合はリンデワンデリングに嵌っています。頑張っているつもりで同じところを延々と堂々めぐりしているだけなのです。

頑張るべき事柄に取り組んでいるときは、物事が頑張らないでもスムーズに進みます。それが進むべき道のサインです。 登山だって充実感は消耗しているときには得られないでしょう。

山登りからでもいろいろなことが学べますよね!!






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