山に行くと嫌なことを忘れる… そんな風に思って山に行く人は、実は少なくはないようです。
雄大な自然や厳しい環境で生きる動物たち、それに過酷な環境に適応して生き延びたお花、水と風が気の遠くなるような時間をかけて浸食した地形、それに満天の星空…私たちは星の光が何万年もかかってたどり着いているのをすでに知っています…
そういう自然の在り方を見ていると、どんなに自分にとって大きな悩みであっても、その悩みがちっぽけなものに思えてくる…
それは誰しも経験があるのではないでしょうか。
そして、もし、誰しもが同じように思うのなら、それは真実なのではないでしょうか?
■ 問題は大きな目で見るといつでも小さい
約10年ほど前、久しぶりにサンフランシスコに行き、旧友を訪ねると、ジムおじいさんがいました。
ジムは定年退職した元・看守でした。大男で身長はアメリカ人の中でも大きく、私なんか子供に見えるくらい。ジムは学生が入れ代わり立ち代わり住む大学近くのシェアハウスで、ガレージを改造したインローと言う部屋に住んでいました。インローというのは義理の(in-law)という意味で、嫌々ながら引き取る義理の親を押し込む部屋とくらいの意味です。でも実際インローはトイレもバスも上の階とは別で、かなり住み心地が良いものです。ただガレージ改造なので床が…ね。
ジムは出会った時から年寄でしたが、さらに年を取ってそしてアフリカ旅行から帰ってすぐでした。感想を聞くと「アメリカのことなど心配しなくなった」そうです。なぜ?と聞くと「アフリカでは今日死ぬか明日死ぬかの戦いだ。アメリカではあと30年後に年金がないと言って騒いでいる」と…
たしかにそうですよね。先進国の我々が持つ不安なんて、「老後が心配…」などとまだ起こってもいない未来を考えて心配になり、今生きている現在の時間を台無しにしているのです。
今この同じ地球上で、飢えて死んでいる人がいるというのに、私たちのもっぱらの関心は、痩せること、なんですから。
明日死ぬかもしれない人たちの現実と日本で毎日温かいものを食べることができるのに痩せることを目的にしないといけない人たちの現実…その差は生まれ落ちた場所の差だけ!
地球的視野でみると、先進国に住む我々の悩みなんて悩みのうちに入るのでしょうか…
たとえば山の問題と言えば、鹿が増えて困っている、と言うことになっていますが、鹿が増えるのと、同じ日本人なのに飢えて死ぬ人も出つつある貧困問題ではどちらが優先すべき重大な問題なのでしょう…
一方では老いて仕事に就けないからといって、人に食べ物すら与えず、一方で野生で(つまり無料で)生きているだけの鹿をただ増えすぎたからと言って打ち落とすために税金をつぎ込む・・・のが、私たちの生きている社会なのです。
■ 大自然の目線で自分の問題をとらえなおす
そうやって、大きな視野で自分の問題をとらえてみる。
それが重要なんですよね。
だって、な~んだ、そんなことで、ウジウジ、イジイジしていたのか、と、自分で自分がばかばかしくなってくる…
それが、精神の平衡を取り戻すってことの意味だと思うんですよね。
それは何だっていいんだろうと。海でも山でも。星でも。石でも。
だから、人は、海や山の大自然に触れ、自然の大きさ、大きな視野を思い出させてもらいに山にいく。
そうして精神の平衡感覚を取り戻し、また元気に人間界のいざこざに対処できるようになって帰っていくんだと思います。
それが自然と人間の正しい付き合い方なんじゃないかな?
人生とはままならぬもの。苦しいことは次々にやってきます。そう考えると・・・
生きるために山に行く、というのはそういう意味であながち大げさな言葉ではないと思うのは私だけでしょうか?
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