さらに考察を進める。
■気が付いたこと
・地図読みは、動機がそもそも持ちにくい (動機となる可能性のある項目:安全・静かな山道・雪山・沢・岩)
・地図読みの面白さは、そもそも分かりにくい (困難の達成感ではなく、冒険や発見)
・一般的には、秋に地図読み講習(支払)をして、3月にそのスキルを使う山(報酬)が来る。
・動機を持つまでに長い時間がかかる
・マスターするのには、それほどかからない
一般に、山の閑散期の11月が地図読み講習の適期とされているが、覚えたことを忘れないよう、近いほうが良いかもしれない。シカの食害のおかげで、山梨では年中地図読みできるので。
・地図読みの面白さは、シナリオ想定にある
・世間で言われるほどの危険はない
■ 何が動機になりそうか?
どちらにしても、動機を与えなくてはならない。
動機は何が動機となるかは個人による。 私の場合は、雪山を至上価値としているので、雪の山が歩けることが動機だ。
≪想定できる動機≫
・中高年登山者の遭難NO1原因は道迷い → 非中高年には当てはまらない
・静かな山道 → 平日歩く人には当てはまらない
・雪山 → 一般ルートの雪山しかやらない(やれない)人には関係がない、
トレース追従専門の人には関係がない
・沢 → 沢をしない人には関係がない、人気の沢には下山の踏み跡がすでにある
・岩 → ゲレンデだけの人には関係がない、人気ルートには踏み跡がすでにある
■ 時期の差
地図読みをマスターしたいと考える動機が何か?を考えると、
フリーの岩場しか行かなければ、基本的に(地図読みをしないとたどり着けない場所)に行くニーズがそんなにないため、あまり岩は動機になりづらい。
結局、あまりニーズがないなら、そのスキルなしで済んでいるのだから、やらなくてもいいのではないか?とも思えてしまう。
すべての人がアルパインスタイルを目指さなくても良いんだし・・・。またアルパインはアルパインでも、残置を追いかけていって、下りは一般道というようなアルパインであっても、読図力はいらない。
結局、雪への志向があるか?ないか?が分かれ目かもしれない。
雪も人気ルートだけ行くのであれば、基本的にトレースがあるところを歩くので、人気ルートを条件にしているとイラナイ。
結局、総合すると
・登攀の困難さ
・メジャールート
を志向していれば、読図力については、動機の面で置いてきぼりになる可能性が高い。
それは逆に言うと、読図力があることの指標になると言うことだ。
あまり人気のないルートを困難を求めずに歩いている、ということのインデックスになるということだ。
■ 読図が必要になるタイミング
本チャンをしたいと思えば、読図は必要になるが、自分がリードする予定がなく、ついて行くだけなら、その必要は生まれない。
本チャンに行くようになって、3年ついて行きつづけた人を知っている。一般ルートでは、道間違い常習犯だ。岩が登れても、一人で一般登山ができないという、いびつなことになっている。
ただ、すべての登山者がバランスよく成長しないといけないわけでもないだろう、と思う。
何しろ登山は趣味なんだし。
現代は、昔とは違って専門性の高い分野に枝分かれしてしまっている。なので、一つの分野に興味がわいて、それを突き詰めるのが間違っているとは言えない。
岩のグレードを上げるのが楽しくなれば、一つの岩場に通いつめるので、岩は上手にはなるが、歩荷力は落ちるし、山の外的危険については、ハイキング客並みの判断力しか育たない。生活力も同じだ。みんなを待たせても平気の登山者を作りがちだ。
ベテランはなぜオールラウンドな力をつけているかというと、結局、一つ一つのタイムスライスではいびつな形であっても、全体の登山経験の時間が長いため、結局すべての分野でスキルを身に着けた、ということになるからなのだろう。
まさに尾根3年、岩3年、沢3年、雪3年をやって12年でオールラウンド登山者の出来上がりという訳だ。
今では岩3年の中には、スポーツクライミング3年、アルパイン3年、フリー3年、ボルダリング3年のようなことになっているのかもしれないし、、尾根3年の中には、海外のロングルート3年とか、雪の中には黒部3年、ヒマラヤ3年、パタゴニア3年とかそういう風になっているのかもしれない。
ともかく専門化、細分化が進んでいるから、全般的な成長、オールラウンドな力と言うのは、つけにくい時代であるのだろうと思う。
それに加え、パートナーが必要な山になると、その時得られるパートナーに依存する。岩が好きな先輩がいれば、一緒に岩に行くのが良いことになるし、それが沢が好きな人だったら、沢になるだけだ。
運よく自分と同じ好みの先輩に気に入られればいいが、そうでないと、自分がしたい山はいつまでたっても出来ない。という事情で、私は雪稜は全然充実していない。
ちょっと話がずれたが、今回の考察で分かったことは、
クライミング寄りで登山経験が浅い人が読図をマスターしていることは期待しづらい、
ということだ。誰しも時間が限られているのだから、それはそれで仕方がない。
だから30年、40年と山をやっている人のありがたみがあるわけなのだ。
昔は山岳会や山岳部では、歩きを重点的にやり、読図を新人には教えていたのだそうで、好むと好まざるとにかかわらず、読図を身に着けなければ、クライミングにもいけなかった。
今の時代はそうはなっていないし、そうあるべきか?というのも、意見が分かれるところだと思う。
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