Sunday, March 23, 2014

権現 川俣尾根

2年ぶりの地獄谷に行っていました。新人歓迎山行なのに新人の企画(笑)。

前回は、メンバーのスキルをかんがみて、ツルネ東稜~ツルネ東稜から旭岳、権現を経由し、川俣尾根を地図読みして降りてくるという周回コースを改め、川俣尾根から権現をピストン。別名瑛太ルート(笑)。
川俣尾根上部からみた赤岳、中岳、阿弥陀岳





■地獄谷

地獄谷、私はこの場所の特性としては、バリエーションルート拠点と理解している。天狗尾根、旭岳東稜など色々なVルートがある。ツルネ東稜は通常下山路として使われる。

地獄谷に通い詰める人もいる。服部文祥さんの記事で、通い詰めた話を読んだことがある。八ヶ岳東面は西面と違って静かだし、地獄谷は入ってしまえば、いくつもルートがあり、ベースとするのに適している。快適な出合い小屋の存在が大きい。

2年前の前回は、私はまだ登山2年目。トイレが野外というのに、まだ抵抗があったほどだ。天狗岳には何度も登っていて、権現にアタック中だった。クライミングは知らない。 地獄谷は、一般に登攀をしない人は知ることがない場所なのだ。しかし山岳会なら知っていて当然だ。

■川俣尾根 権現岳に登る、最も易しいルート

権現岳(2715m)は八ヶ岳では最も難しい山だ。

主峰赤岳のもっともメジャーなルート、美濃戸から赤岳は日帰りで余裕で歩けるルートであり、たった4時間ほどで山頂に立ててしまう。

一方、権現は、もっともメジャーな天女山からのルートをとっても、4時間では前三ツまでしか行けない。権現まで健脚で5時間、普通なら6時間はかかってしまうのだ。

去年、より標高の低い小荒間から権現を登った時は7時登り始めで13時と6時間かかった。標高差も1500mもあり、日帰りは健脚向けだ。日帰りでないならテント泊しか選択肢がないのも玄人向けだ。

さらに小泉からのルートは道標も整備されておらず、地図読みが必要だ。そのせいか山田哲也さんのお気に入りルートでもあるようで、ヘリポート跡地でテント泊を岳人か何かで薦めてあるのを読んだことがある。

というわけで、今時の安易に流れる山系列の人には、あまりおススメできる山でない割に、健脚者は良く通っている。この山が静かだからだろう。ヤマレコピープルも多い。

何が言いたいのか?というと、川俣尾根からの権現は、距離&標高差ともに、権現の一般ルートより易しい、ということを言いたいわけなのだ。権現に、これ以上易しく登れるルートはない。

≪川俣尾根から権現≫
距離 8.5Km 標高差800m コースタイム登り5.5時間、下り3.5時間

≪権現大泉ルート(メジャールート)≫
距離 6km 標高差1400m コースタイム登り6時間 下り4時間 トータル10時間の山

≪権現小泉ルート(マイナールート)≫
距離 7.4km 標高差 1500 コースタイム登り6時間 下り4時間 トータル10時間の山

■ おススメの川俣尾根とアルバイトの川俣林道

川俣尾根は、権現の前衛のピーク、三ツ頭から延びている尾根なので、登攀組の下降路として使われることはない。

この辺りではもっとも静かな尾根ではないだろうか? 踏まれる回数としてはもっとも少ないと思われる。

出合い小屋までの林道は約7kmほどだ。2時間の林道と林道終点から沢沿いに30分ほどの登山道歩きで、出合い小屋につく。

今回の権現のピストンは沿面距離で片道8.5km、標高差で800mほどだ。そんなにデカい山とは言えない。

踏まれていない尾根を歩くのが楽しい山。道なき道をゆくのが登山の愉しみな訳なので。

登山に体力増進効果だけしか求めず、道なき道を行く楽しみを求めない場合、たぶん、一般道で普通に権現に登っていればよろしい、と言うことになってしまう・・・ので、これは玄人向けのコースだ。

結論すると、川俣尾根から権現はおススメできる大変良い静かなルートだ。量も多くない。今ならトレースがあるので地図読みが不安な人にも歩けます(笑)。

ただし、地獄谷までの林道は、約7km、2時間半が問題だ。この分のアルバイトをどう感じるかで、良し悪しの感じ方に個人差が出るものと思われます。

■ 流れそうだった山行

この地獄谷、実は山行が流れそうになったのを必死で食い止めた感がある山行だった。

最初に乗ってくれたのは69歳のI川さんだった。超ガッツのある山おばちゃん。日本中の山を登っている。生涯現役を地で行くような人だ。

その次に乗ってくれたのは会のリーダーの一人、K林さん。このところ、ずっと休日が山岳会の行事でつぶれており、家族内でのパパの存亡?が危ぶまれている。

その二人がそれぞれ、K子隊員(60代)、M野隊員(30代若手イケメン)を連れてきてくれた格好で、総勢5名の山行となった。みなさん、参加ありがとうございました☆

■ 避難小屋泊 定着山行

一日目は林道歩きのみ。メインは出合小屋での宴会。二日目がアタック。定番だ。定着型山行としてはテントを担ぐわけでもなく、体力的な敷居は低いほうにたぶん入る。

とはいえ、アタック日の行動時間がトータルで12時間となる山行は、どうも60代には厳しいようだということが、今回は学習できた。

実は前回も60代の女性とご一緒したので、想定が甘くなったらしい。その人はとても強かったんだろう。夫は前回の地獄谷は疲れた~と言っていた、40代だけどね・・・(^^;)

稜線でテントを張るという案も提案された。たぶん、アタック日の負担を減らす目的だったのだろう。私は、見積もりが少し甘かったようだ。

定着山行なので、歩荷の負担は2時間半の林道歩きだけであり、大した負担ではないと思っていたのだが、食当が回った時点で重さを要求してしまうことになってしまったのかもしれない。

食は豪華にすればそれだけ重くなるので、そういう意味では若い人向けかもしれない。しかし、疲れた体で運転するのとでは、どちらが良いのか、悩ましいところだ。

今回は
 K林隊長 リーダー
 N野隊員 サブリーダー 運転・会計 
 I川隊員 夕飯食当
 K子隊員 朝食食当
 ワタシ  企画・運転

という役割分担になった。私は、非食当の務めとして、たくさんつまみと酒を持参したのだが、結局、日本酒、ワイン、ウイスキーを持って行って、日本酒以外は封も開けず、丸ごと持って帰ってきてしまった。さらにつまみに持って行った、柿の種も封も切らず持ち帰った。

今回は食料は持ち込みすぎだった。

■ 言い出しっぺなのに体調が・・・(トホホ)

私は間の悪いことに前日、図書館で風邪を持ち帰ったようだった(^^;)。前の日、扁桃腺のあたりに違和感があった。

が、この時点で、山行が不可能なほどの問題ではなかったので、熱いお風呂に入って体温を上げ、ビタミンCを大量に摂取しておいた。体調が悪いときにここぞというタイミングが重なったら、私はいつもビタミンCの粉末を大量摂取することにしている。

その前日、夫はインフルエンザと診断された。インフルエンザだと、熱が出て二日は下がらない。

夫とは普段は一緒に寝ているが、当然、隔離病棟で、別の部屋で寝て、なおかつ夫の寝ている部屋には空気清浄器を入れ、さらに私は夫の風上になるよう配備する?(笑)という念の入れようで防備。

だからインフルエンザかどうかは分からなかった。インフルエンザなら当然山行には参加できない。

当日の朝、起きたら熱が7度7分あった・・・(汗)黄色の鼻水の塊が出てスッキリした。ウイルス感染は明らかだ。これはダメかとおもったが、出発は11時と遅かったので、早朝に大量のビタミンCを摂取してギリギリまで布団の中で身体をウイルスとの戦いに集中させる。すると熱は下がってしまった。7度7分は寝起きだったからかもしれない。水鼻が出るのは花粉症と紛らわしい。このところずっと花粉症で鼻をぐずぐずさせているのだ。

とりあえず、鼻以外の体調はベストとは言えなくても、3時間程度の林道歩きをこなせないほどではなさそうだった。

むしろ、問題は今日の夜の避難小屋泊でどれだけ温かく過ごせるか、だった。飛沫感染で人に移してしまうかもしれないリスクには、マスク着用することにした。食器は共有しないよう、とりわけ用に余分なスプーンを持参した。

この山行、私が言い出しっぺなので、私がいないと扇のかなめが欠けてしまうようなことになってしまう・・・が、風邪気味が分かったのが前日と遅く、よほど明らかに病気でない限り、山行撤回は難しい選択肢だった。主要メンバーでなければ、参加しないというのができたんだけど。

一日目は、林道歩きだけだし、それはむしろ体温を上げ、ストレスと言うより、体に良いくらいだ。食べて寝てしまえば、山の夜は長い。延々と体を横たえている、つまり休息していることになる。

この休息が休息でなく、寒気との戦いになってしまえば、体力を消耗するが、前回は夏用シュラフで済ませた場所だ。今回は冬のダウンシュラフも持っているし、像足もあり、防寒対策をすれば、寒さ我慢大会になるとは思えなかった。重さを取って寒さを選ばなければ済む話かもしれない?

翌日、体調を見てアタックが不安ならば、小屋に残ればいいのだ、そう考えて行くことにした。


■川俣林道にて 

20日はヤマテンから大荒れ情報が出るほどの低気圧の通過があり、荒れたお天気だったが、通過後の21日は、山梨側は大がつく快晴だった。

美し森駐車場 どんより~
この日は長野側に行けば行くほど、悪天候に突っ込む日で、天女山のあたりではヒョウが一時的に降ったくらいだ。上空に強い寒気が入り大気が不安定な証拠だ。

13時の駐車場には10台ほど車があった。

支度をして林道歩き開始。予定よりやや早く13時少し前だった。

私は38Lのバリアントに一回パッキングしたのだが、今回マットをかさばるけれど、防寒性がより高いサーマレストに変更したので、サーマレストを外付けしたくないばかりに、バリアントをやめ、60Lのアルパインパックにした。

おかげで、でっかい荷物みたいに見えるけど、そう重くはなかった。

みんなの荷物を見ると、大きくてびっくり。一泊二日だからそう大きな荷物ではないはずと思っていた。

林道を歩き始める。今年は雪が多い。隊長、K子隊員、私、I川隊員、M野隊員の順序。M野隊員がサブリーダーという位置づけだ。 セカンドは一般に一番弱い人の場所だが、雪道の場合どうなんだろう?

K子隊員はなんどもズボッと雪にハマり、そのたびに体力を消耗するのではないかと心配だった。隊長は、さすがの安定した山ヤ歩きをしていた。

私が思うには、小さな意味のルートファインディング、ズボっとハマらない場所を見つけるのが雪道歩きの初歩の一つの難関だ。

セカンドの人は先頭にピッタリくっつける間は良い。全く同じところを踏んでいるからだ。ところが一度ズボッとなるとその分遅れ、リズムが乱れてしまう。すると先頭から距離が離れ、さらに同じところを踏めなくなり、ズボ率が高まる。遅れまいと急ぐと、またリズムが乱れる。悪循環になり、体力を消耗する。だからセカンドで歩いている限り、ほんのちょっとでも遅れない、ということが、その場での核心になる。しかし、遅れないことに集中するため、肝心のルーファイを先頭から学び取る間がない。これは私の経験から感じることだ。

だから、セカンドが長かった人は体力はあるが、小さな意味でのルーファイが苦手な人が多い。それはそろそろトップを歩く時期だって意味なんだろう。


山ヤ歩きが出来ている人は、一人で歩いていた期間が長い。だから歩調の乱れがほとんどない。ズボッとハマることも少ない。結果として、体力の消耗が非常に少ない。基本的に、がむしゃらさとは無縁の歩きなのだ。自分のペースなので、本人はまったく疲れていないことも多い。

山歩きがしんどいかしんどくないか、は、自分のペースで歩けるかどうか?という点も大きく関係するのだ。

川俣林道は林道わきにはいくつか染み出しの氷があり、2年前は氷柱が大きく発達していた。バーチカルなので、アイスをやるようになった今、登れるのかもしれないと、写真に撮るのを楽しみにしていた。


今年は多雪の年なので氷柱の発達はイマイチで、アイスのフィールドによさそうな枝沢は、一つくらいしかなかった。






■出合い小屋

林道が終わると、残りは短い。30分ほどだ。出合小屋まで8つの堰堤を渡る。

前に来た時は30cmの大雪の直後だったが、水流が流れており、渡渉が何回かあったが、今回は渡渉は一回もなかった。大雪で埋まってしまったのだ。

出合い小屋は雪でかなり埋まっていた。その分小屋内があったかいのかもしれない???

ただ、雪が深くて枝を集めようにも枯れ枝は埋まってしまって拾うものがない・・・(汗)。

白樺の皮をはいで焚き付けにしようとしたが、残念ながら、十分な量、集めることができず、結局ダルマストーブをつけることができなかった・・・。

小屋につくと、驚いたことに避難小屋の中に2つもテントが張ってあった(--;)。テントを持ってこなくてもいいというのが避難小屋泊のメリットなのに。

片方のテントのおじさんに「テントを持ってこない人もいるんだねぇ」なんて逆にテントを持ってきていないことを非常識扱いするようなことを言われたのが、少々心外だった。特に相手は山岳会のようだったので。

避難小屋泊にテントは必携道具ではない。避難小屋ORテントであって、避難小屋&テントではない。

だだっ広い避難小屋でたった一人だったら寒いから、テントを張ることがある、それだけだ。


   2年前の出合い小屋

厳冬期に北岳に登っていた先輩が御池小屋の冬季小屋でテントを張って一人で寝ていた。例え、避難小屋利用を念頭に入れていても、冬の北岳にテントを持たずに出かけるなんてありえない。一方、地獄谷は林道歩き2時間少しなのは、すでに分かっている情報だ。山の質が違う。テントを持って行くなら、出合小屋から先だ。

この日の出合小屋宿泊者はテント二張りを入れて、9名。9人もいれば小屋は温かく、テントを張る必要はないはずなんだが、それでもテントを張りたいのは、たぶん、昨今、4人パーティで4テントだったり、食事も個食だったりする流れと同じことなんだろう・・・。

■ 21日の夜

食事は生米から炊いた炊き込みご飯だった!さすが山岳会!!私はまだ生からコメを炊いたことがない。燃料がたくさん要るような気がしてしまうのだ。それに味噌汁、海草サラダ、モツ煮込み。おつまみ一杯。M野隊員と私は全く同じウイスキーを持ってきていた。K林隊長は高級ウイスキーを入手していた。

失敗したのは、明るいうちにトイレを掘り出さなかったことだった。そのためにショベルを持って行ったのにショベルは今回完全に、おもし役しかしていない・・・。しまったなぁ。

夕飯も食べ終わり、酒豪もいなかったので、7時ごろにはすっかり片付いて、早くも就寝。

私は、2年前の質素な装備?とは異なり、今回は厳冬期用装備で、なおかつマットも防寒性が高いもの。ダウンパンツもあり、ダウンジャケットも着込む。像足さえある。

風邪については、ついてすぐ、念のための抗生物質を口の中に放り込んでおいた。

シュラフにもぐりこんで、さらに足をザックに突っ込む…ザックには冷やしたくないガスを入れておいた。全然快適なので、念のため持ってきたカイロは不要そうだった。

寝つけないのは、単純に日ごろの生活時間と寝る時間が違いすぎるからだろう。夜10時以降は眠気が襲ってきた。一番退屈だったのは最初の3時間だ。

出合い小屋は、窓まで雪で埋まっているはずなのに、室内を雪が舞っていた。外は風が強く、荒れ模様だ。吹雪いたりもしているようだ。

こういう風に寝ていると、ローラ・インガルスの描いたアメリカの開拓民の生活を思い出す…200年ほど前のパイオニアライフを描いた子供の本だが、ある日ローラが朝起きたら布団の上に雪が積もっている。まだ藁の布団の頃の話だ。昔の人はホントにエライ。この本には生きたまま足が凍りつき、動けなくなって死んでしまう牛の話も出てくる。子供心に恐怖に陥るのだ。そんな暮らしをしていた時期はまだ200年ほど前でしかない。今は本当に恵まれた時代になった。

山の夜は体力回復が一番の優先事項なので、ただひたすら体を休めることばかり考えていた。

今回は枕を持って行かなかったので、アイゼンが枕になってしまって、寝返りを打つたびに頭の位置でちょうど良い場所を探さなければならず、イケていなかった。風邪気味のせいか息苦しく、ともかく酸素、という感じだった。

ベテランのI川隊員は、マット無しで、銀シート数枚。寒くはないのだろうか。若手M野隊員は私同様、像足も持っていた。

装備については、世代間で重要視するものがだいぶ違うのかもしれない。私は山小屋泊でも、ダウンパンツは持って行く。ダウンの上下があれば最悪シュラフがなくても、なんとかなるからだ。

一方全然使わないのは、オーバーパンツ。あんな重くてかさばる物、と言う感じで、ほとんど出番がない。ずっとレインウェアで代用している。

■ 朝

朝は実は4時まで起きる必要はなかったが、3時過ぎに隣のテントの物音で起こされてしまった。

トイレで外に出ると月あかりで明るく、星空がとてもキレイだった。初めてきた2年前を思い出す。あの時もとてもキレイだった。

おいしいうどんの朝食。水を凍らせてしまい、再解凍に時間がかかる。5人だが6人前。お餅もあったが食べる人は少なかった。うどんが多かったからのようだ。コーヒーで締めてお終い。デポするモノをまとめ、5時半にゆとりの出発。

こういう手順などをイチイチ教えなくていいのが、山岳会の良さかもしれない。山を知らない人と一緒に山に行くと、例え小屋泊でも次に何をしたらいいのか分からない人に教えてあげるのに、時間がかかったりするからだ。

とんでもない人だと登山靴ではなくLLビーンのビーンブーツで来たりしてしまう。

■ 川俣尾根

川俣尾根へは、取り付きがやや難しい。

小屋のすぐわきの尾根でも登れそうな気がするが、念のため、岩がちな尾根の末端は巻いて、尾根の西側の横腹から取り付く。2万5千の地図でみると、なだらかに見えるし、単純な尾根に見えるが、実際が枝尾根と沢が交互に出ていて、尾根の方は岩がちなので、沢地形のところから取り付き、安定してから尾根に乗りあがるのがおススメだ。

足元はワカンかアイゼンか?というところだったが、表面が固くクラストした雪面だったので、まずはアイゼンに決定。取り付きでアイゼン装着。

顕著な尾根に乗るまでは山肌を直登するだけなので、どこを歩いても問題がないが、山肌の樹林帯の中に入ると雪の質が変わり、サラサラになってアイゼンではうまくとらえられない。早々にワカンに交代。

ラッセルはこないだ単独でシャクナゲ尾根に行った時と同様で、そんなにラッセルというほどのラッセルではない。足で解決でき、ピッケルを横持ちして搔いてラッセルするほどではない。

でも、体重の重い若手M野隊員はときどき踏み抜き苦戦している。こういうとき体重が軽いと楽だなぁと思う。

ラッセルの順番はこういう時は複雑だ。本来は重い人は後ろが良いが、体力がある人がラッセル先頭が確実だ。でも体力がある人は大抵体重もあるものだ。

体力の順で言うと、隊長、N野隊員、私、I川隊員、K子隊員になるのだろうか…?

小1時間ほどで枝尾根の頭に来た。少し展望がある。尾根になると雪面も変わり、クラストした雪面にワカンの歯を噛ませて歩くと良い感じだ。私はセカンドで登っていたが、尾根の頭あたりから、先頭にチェンジ。

 


ここは一度でも歩いたことがあるほうがルーファイの意味で楽だろうと思ったからだ。一般に雪山ラッセルではセカンドがルーファイ担当だ。というのは、先頭はラッセルに夢中だからだ。

川俣尾根の枝尾根から本流の合流点までワンピッチ。大抵、尾根と尾根がぶつかるところは、開けた頭になっている。

話が逸れるが、赤岩の頭は、”あかいわのあたま”だが、地蔵の頭は”じぞうのかしら”だ。 ううぅ…って感じ・・・(^^;)。

川俣尾根の本流に合流してから、2300のピークまでは非常に面白いリッジだった。ここは雪稜歩きが満喫でき、超お勧めだ。

二つのピークがあり、間は小さなコルになっている。私にとってはサイズ感としては、ちょうど裏山のツインピークスみたいな感じだ。

2300のピークから上は、もう気分が盛り上がるしかない、ダケカンバの疎林の中の快適極まりない雪稜歩き…お日様は明るく、左には富士山、右には赤岳と申し分ない景色。雪はまた軽くなる。



やがて、ダケカンバ帯から、短いハイ松帯に入り、1mあるかないか、くらいの、可愛らしい雪庇を超えると縦走路へ出る。

この雪庇の下あたりで、最後尾のI川隊員が「ここではガイドならロープを出すんでしょ?」と聞いてきた。

ちょっと弱気になったのだろうか?

私は「出しませんよ。どこにも危険がないから」と答えた。

このやり取りでガイド登山に対する誤解は深そうだな~と思った。長い間、山をやっている人はガイド登山自体の経験がない。だから食わず嫌いなだけのようだ。離山などはガイド登山がおススメの山。

私は山の先輩と行く山では、”良い先輩とはケツを歩いてくれる先輩だ”を地で行ってもらっている。大体、向こうも「ちょっと先行ってて。俺、ちょっと偵察してくる!」と放置プレイ全開だ。

私や山仲間のO原さんは、若いので、山を勉強中で、あれを教えろ、これを教えろと、計画段階でいちいちウルサイが、山行では面倒をみられる必要はない。今回、山岳会の山行で内容は何も変わらないと思った。

ガイド登山は、キチンと若いころ山をやっていたが、体力的に行きたい山に行くだけの荷をそろそろ担げなくなってきた・・・という人に実は向いている。

自分が行きたいところに行くのに、自分の持つべき荷を無料で背負ってもらうのは、気が引けるものだが、有料ならお願いしやすい。相手にもメリットがあるからだ。山岳会だと、自分の行きたいところに、先輩や会のリーダーが、そう、いつも都合よく空いているわけではない。

むろん、若くて体力増進中の人にはそんなサービスは百害あって一利なし、なんで、私たちには関係ない話なんだけれども。でも頼めばやってくれるというのは知っている。そういう人にありがたがられているサービスなのだということも知っている。

■ 実は長大な川俣尾根

三ツ頭の北の端のピークから、旭岳東稜を登っているクライマーが見えた。凄いなぁ・・・あのボコッと出たとこね~。

三ツ頭は南北に長いピークで、川俣尾根はその北のピークの端から発生している。実は長大な尾根で、美し森と天女山の間にある。

今回歩いたのはその上部の一部だけだ。三ツ頭の南端から天女山への一般道は伸びている。だから、私たちが歩いた川俣尾根の頭付近からは、三ツ頭の一般登山道は見えない。

だが天女山から上がってくるなら、長大な川俣尾根が歩いてくださいという風に、大泉からの一般道と並走しているのが見える。そういうのは、あらかじめ頭に入れてから来なくてはならない。

現在地が分からなくなってから地図を見ても遅いからだ。

■ 縦走路

縦走路に出て、一通り景色を堪能したら、すぐ下の樹林帯へ。そこにはテント泊適地になりそうな、小さなコルがある。

そこで休憩して、装備を装着。一般道だから全然要らないんだが、せっかく持ってきたので、ハーネスをつける。つけていた方が写真写りも良い(笑)

そのまま、ラクラク気分で、ポクポク山頂へ向かう。もう気楽なものだ。この日は大快晴で、前日の悪天候のおかげで空気は澄み、日焼けと雪目が心配な日で、皆サングラスだ。私は焼けるのが嫌でフードまでかぶっている。

私より日焼け対策している女性登山者もいた。もう顔も全部覆ってしまうのだ。ホントにこれから先のシーズンの雪山では日焼けが大問題だ。日焼けって甘く見ていると、ものすごく免疫系に悪い。実際今回の山でも日焼け対策したのに、やっぱりすごく日焼けしていた(^^;)。

私には一般道のこの縦走路は、もう核心でもなんでもないタダの、のんびり快適な景色を堪能するための歩きだった。極楽、極楽。

それに、この日は体調が悪かったので、最後のハイクアップは酸素欠乏症だった。なんと隊長が心配してきてくれたほどだ。いいのに・・・

朝から鼻からは透明の鼻が始終流れていた。でも、冬山では健康でも誰もでも鼻垂れ小僧になる。だから鼻が垂れても体調が悪いせいとは言えない。

しかし、鼻が詰まっているおかげで口呼吸になり、それが、喉に悪かったと言うことは言えそうだった。水分は十分とっているつもりだったが、足りなかったようで、一度もトイレに行かなかった。

ただ出来るだけ雪を食べていた。雪は冷たいのが口に入れるとさわやかでおいしい。水分としては
大した量にならないので、何度も食べないといけないのだが。雪山のハイクアップはホント、温かいのより、ポカリスウェットが欲しい道だったりする。裏山ラッセルで経験済み。とはいえ、本番の山の山頂には自販機はないし、雪は無料、ポカリは有料(^^)。

縦走路は相変わらずの歩きやすい雪面で、山頂は混んでいた

去年、標高差1500もある小泉口からの権現日帰りでは、同じ時期なのに雪が溶けて、トラバース部分は高所恐怖症の夫には怖かったらしい。今回はここは別に何でもない、ただの雪の斜面になっていた。

後続を待ちながら、M野隊員が、「今日なら富士山登頂できますよ」と教えてくれた。たしかに富士山には横に平べったい雲が5合目の下にあり、大気が安定していることを示している。「きっと富士山もこんな雪ですよ。今日なら風もないようだし」 さすが富士吉田の人だけあって、富士山にはとっても詳しいのだ。

私は実は富士山には登ったことがなく、去年も6月は天候がイマヒトツだったため、実現していない。6月を外すと、富士山には興味がない。

11時権現山頂。11時半、下山開始。下山も同様に樹林帯のコルで装備の支度を。アイゼンはしまう。

三ツ頭で川俣尾根に降りていると、後ろの一般登山者から「天女山に降りる道ですか?」と声がかかった。

ここにも地図、というか、地理関係を頭に入れていない人がひとり、というわけだ。私たちは東進しており、天女山が南にあると分かっていれば、出てくるはずがない質問なのだった。事前になぜ地図を見て地理関係をあたまに入れてから山に登らないのだろう? 

K林隊長「こーゆーことになるから困るんだよなー」 確かに・・・。 一般道につながる非一般ルートは交わるべきでない人種が交わってしまう危険があるということだ。

大雑把な区分で、登山に健康増進を求める人は一般道の方が向いていると思う。本格的な、と今では形容詞をつけるようになってしまった登山が向く人は、世間が誤解しているように、いわゆる健脚である必要があるのではなく、むしろ、勉強好き&冒険好きな人である必要がある。

でなくては、道なき道を愉しむことができないのだ。そして、たぶん、道なき道を歩いているうちに、体力なんて必要なものがちゃんとつく。それが順番なんだろう・・・。

■ 下山

川俣尾根の上部はダケカンバの疎林で、ラクラクのシリセードで楽しかった♪

もっとたくさんシリセードしたかったが、すぐに2300につづく尾根の屈曲部に出てしまい、シリセードには斜度が足りなくなる・・・。

リッジは藪っぽいので、歩きで。ここは、登りでつけたトレースをたどるだけなので、誰が先頭でも同じことだが、一応隊長が先頭で。

2300の尾根の端に出ると、2年前に来た時に同行者が付けた赤テープが一つだけポツンとある。そこから、本流から外れるということを示すためにあるのだ。彼女はまたこの尾根を歩いたのだろうか…。60代だが海外登山もこなす人だった。このテープを指して「オレはテープ嫌い」とは先輩の弁。それも2年たっても残ってるのがすごい。

ここから下は、北斜面となり、クラストした雪面で、隊長はキックステップで切り抜けられるが、技術が未熟な下っ端―ズはアイゼンを自主的に装着。下りのキックステップは登りよりコツが必要な上、脚力がないと疲れるんである。

なんとなく隊長は不服そうなのであったが・・・(笑)。固くクラストした雪面が良く滑り、シリセードしようとしたら、ただの滑落になってしまった・・・(^^;)。登りはワカンの爪を使って、楽に登れた場所だった。

■ 最中雪の登りにはワカン

表面が体重を支えるか支えないか、くらいにクラストした最中雪の場合、ワカンがあれば体重が分散されて、雪面のクラスト層を壊さず、かつワカンの爪のブレーキで登れるようだ。

でも同じ斜面でも、下りは、ツボ足だとフラットフッティングだと滑るし、キックステップを上手にしないと雪面が固い。アイゼンだと、うまく行けばフラットで切り抜けられるが、アイゼンを履いても踏み抜くときもある。

結局、前の人の踏み跡を歩いても歩かなくても、大して歩きやすさには変わりがない。

そうこうしている間に、尾根に合流した点に来て、休憩。山とのお別れが近い・・・。

山肌を降りる局面になると、もう踏み抜きまくりだが、それでも危なくはないので、ガンガン降りる。行きは急だなぁと不服に思ったのに、帰りはもっと急でシリセードができればいいのに・・・、などと都合の良いことを考える(笑)。

さらに地形図には表れない沢地形のところに出たら、上がまた厚くクラストして固そうだったので、再度シリセードを試みる…も、アイゼンを履いたままやってしまったため、引っかかり、ただの滑落停止になってしまった。

そうだ、滑落停止訓練はアイゼンを脱いでやらなくてはいけないんだった…。しまった、遊んでいるつもりが、事故の原因を自分で作るところだった(汗)。でもクラストした所は良く滑るが、滑りすぎてシリセードには向かないことが分かった。

下山はあっという間で、予定の15時より早く14時半ごろ降りてしまった(^^v)。

■帰りの林道

出合い小屋に戻り、デポした荷物をパッキングして、残り2時間強は消化試合という感じだ。

行きには気が付かなかった鹿の死骸が2頭分あった。あと1頭はどこにあったんだろう…?あのまま朽ちていくと、スゴイ状況を道行く登山者は見ることになる羽目になりそうなところで、鹿さんはお亡くなりになっていた…(--;)。

前回はカモシカに2度も会ったのに、今回はカモシカには会わなかった。その代り鹿を何度も目撃した。鹿の警戒音を何度が聞いた。鹿は誰に向けて警戒音を出しているんだろう?鹿仲間に人間の存在を知らせる為?この辺の鹿は駆除の対象になっているはずだ。

帰りの林道では、地面に人間以外のアニマルトラックがいっぱいついていた。アナグマかタヌキかそれくらいの感じだった。動物たちは、なんで動物の道ではなく、この道を使うのだろう?

とはいえ、アニマルトラックがあると、つい森の中の動物たちの楽しい生活を空想してしまう。案外、昔話、おとぎ話というのは、まだ人が自然と近く暮らしていた頃、退屈しのぎに空想したものかもしれない。イソップもアンデルセンも動物の話が一杯だ。日本だってウサギとカメや、ブンブク茶釜など動物だらけだ。

そういえば、動物の話でいうと、日本のごんぎつねという話は切ない話だったなぁ…。日本ではキツネは嫌われ者ではないが海外ではFOXというとずるがしこいヤツみたいな意味だ。

そういう事を考えながら歩いていたら、後続者たちが追いついて来た。出合小屋で一緒だった人たちだ。聞くと世田谷の山岳会だと言う…東京方面の人は山への情熱がすごい。山梨に住む人がどれだけアプローチで恵まれているか、と思う。

みなでカンパンを少しかじり…ちょうど非常食を消費できて良い。もう非常事態はない。・・・というか、結構みなバテているので、今こそ、その非常事態かもしれない?!

さらに少々うんざり気味な帰りの林道を黙々とこなして、やっとこさ駐車場。ああ~喉が渇いた、と自販機に向かうも、冬季閉鎖中…ガックシ。

帰りは、子供が多くて幼稚園みたいになっているパノラマの湯で、一風呂浴び、食事して会計処理して解散。私は消化の負担にならないモノを食べたかったので、とろろごはんとおそばのセット。

私だけが甲府で他の4人は一台に乗れたので、一人帰宅だった。八ヶ岳からの運転は慣れているのであっという間だ。

帰宅したら、夫が心配顔で待っていた。「遅いよ~」 下山報告すべきだったと反省(^^;)。まぁ、ちょっとはドキドキさせないと、結婚生活にも新鮮さが失われるから、ちょうどいいのかもしれない(笑)。夫が大親切で感動した。

熱いコーヒーで一服して、お終い☆ すごく楽しい旅だった。雪稜が充実していなかったので、白い頂を見れて良かったです♪ 

次は編笠方面に縦走したい。

■ まとめ

何がどう、とうまく表現はできないが、2年前のツルネ東稜は大きな分岐点だった。

それ以前も、山はマイブームであり、元々雪山が好きで雪山ばかり行ってはいたのだが、ツルネ東稜は、私の発想の中には全くなく『八ヶ岳研究』を貸し出されることがなければ、地獄谷を知ることも、なかったわけだ。

あの山行で何かに開眼したのだ。そこで経験したことをミニチュア版であれ、自分で山行できるようになったことは私にとって意味が大きいことだった。私が開眼したように、誰かが開眼する手伝いになればうれしい、と思う。

ただ・・・山の本を読まない人は意味が分からないかもしれないなぁ・・・とも思う。みなさん、『八ヶ岳研究』、読んでください。図書館にあります。

私には、『北八つ彷徨』『八ヶ岳研究』は八ヶ岳の必読書です。日本登山大系も好きです。

≪反省点≫

・定着型山行としては、もっともラクラクコースにしたつもりだったが、それでも12時間行動は、万人向けとは言えないようだった。

・会の山行でも地図の事前の読み合わせが必要かもしれない。

・食当は歩荷力の領域かもしれない。

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