■ 山梨の幸せ
今日も甲府は快晴!そしてやっと寒い!山梨の冬は、素晴らしい晴れが多い。冬の山梨の素晴らしい快晴。
しかし、富士山は暴風のようで、北岳は雪雲で悪く、甲斐駒は最初は良かったが、曇っていた。
我が家からは八つは見えず。甲武信方面は良さそうだった。
冬は盆地の山が良い。
■ 買い物日和
今日は、久しぶりにカルディに買い物に出かけた。
糖質制限食の実験で、アガベシロップを買いたいと思ったのだが、近所に売っていない。
アガベシロップは、血糖値を上げにくい糖として知られている。つまり山で行動食として食べるのに良いかもしれない甘味料。
あとは、豆乳、トマト缶くらいしか買う予定はなかったのだが、今日は、トマト缶が激安の日で、なんと、通常98円なのに、78円!しかも箱買いすると、3%引きだそうで、思わず箱買いしてしまった・・・。18個入り。
ついでに赤ワインと珍しくグリューワインがおいてあったので買ってみた。山梨ではワインが他の地よりおいしいのは、ワイン産地で、皆の舌が肥えていて、まずいと売れないからなのだろうか?
最近、なぜか赤が飲みたい。元々赤はタンニンが苦手だったのに・・・。ワインの勉強もしたいので、今年は、山よりワインなのかもしれない。
目的はカルディだったが、ついででイオンによると、どこのスーパーに行っても売り切れのバターがなぜか30%オフになっていて、100gで150円。思わず2つも買ってしまった。パターは助かる。
■ パンとバターとコーヒーと
最近、自分の幸福が何に因るのか?ということをよく考える。
美味しいパンとバター、それに美味しいコーヒーがあれば・・・
というところ。でも、よく考えると、人生で一番幸福だったサンフランシスコ時代、フランスで食べたような、おいしいパンはアメリカには存在せず、酸っぱいサワードゥがあるだけだったし、しかもコーヒーは、激マズすぎてあきらめ、100パックで入っているような大衆向けティーバックでカフェインを注入しながら、生きていたんだった・・・もちろん、豆を買うようになって改善したが。
カリフォルニアでは食事はさんざんで口にあうものがないので、フルーツばかり食べていた。それで、りんごしか食べない週もあったりし、栄養学についての考慮は一切しなかったが、まったくアトピーも良くなったので、バランスのとれた食に対する敬意を失ってしまった(笑)。
・・・しかし、大阪に帰ると、そこは美味しいパン屋激戦区、というわけで、コムシノワやら、ブーランジェリータケウチ、エノテカ・・・毎日食べても飽きないパン。
今は大阪にいるころのように、パン屋に恵まれているわけではないが、それでも、自分でパンを焼けばいいのであるし、少なくとも、うまいコーヒーはゲットできているので、生きていて幸せだと思う(笑)。
素晴らしいお天気も幸せだし、大阪ほどは、空気が汚れていないのも幸せだ。フライングラッツと呼ばれる鳩が大量発生していないのもいい。それに、洗濯物がよく乾く!
・・・とまぁ自分の幸福を振り返る。ないものを見ても仕方がないので、あるものを見るべし。
■ 見直し
山の方向性は見直し中である。
カンタンにまとめると
求めたもの 原動力 結果としての限界や副作用
未知 好奇心・冒険 地理的空白の登りつくし、無知による犬死
↓
困難 探究心・Mな心 登りつくし、他者との競争、勝利への執着による死
↓
限界への挑戦 M? 肉体の限界を越えたことによる死(墜死・凍死)、愛好者人口減
↓
自己の限界への挑戦 M? 山に行こうとして行けなくなる矛盾、怪我
↓
放蕩 贅沢への耽溺 山の下界化、環境問題、自然の搾取、メタボ
↓
登山はどこへ向かうのか???
もちろん、これは大幅に簡略化しています。
一つの提案は、フィットネスの向上。山と自分の限界を比べ戦うのではなく、山に自分をフィットさせられるか?自分に問いかける活動。
こういう形にしても、山で思いがけない事故に遭う可能性はゼロにはできない。落石や雪崩はどこでも起こるし、スリップも同じ。
でも、疲れていても山に入るほうがいい、という価値観ではなくなるだろう。
山から下りたとき、ゆとりがゼロで、ギリギリだったことに充足感を覚える、ということもなくなるだろうし、準備不足で入山することに対する、ヒロイズムも無くなるだろう。
山に元気をもらうのではなく、元気な時に入るのが山なのだから。
■ 前例
若いときに、山で無理をしすぎて、変形膝関節症になった人や股関節の障害を抱えることになった人、凍傷で指を失った人を見て、普通の人は、「自分はそうならないように気を付けよう」と普通思うハズだ。
つまり、良い見本では決してない。
だから、他の人がこうありたい!と思ってくれるような、幸福な登山者であることは、新人獲得には、とても重要なことで、登山と言う活動に、どういう風な幸福があるのか?を示せなければ、その後に続きたい!という人も少なくなるのが当然だろうと思う。
そういう意味では、今のアルパイン人口の減少というか、不人気は、
楽しそうでないから、ヤダ
とか、
そもそも死にそうだから、ヤダ
ということなのかもしれない。
■ What turns you off?
これは、インタビューの決まり文句。 何がヤル気にさせ、何がヤル気を喪失させるか?というモチベーションについて聞くもの。
私の場合、即時退会!と考えるのは
1) 単独で行くより、会で行った方がより死の危険に近づくとき
2) 無料のガイドを要求されるとき
鹿柵ボランティアを始め、ボランティア活動など、わざわざ出ていたくらいで、世の中に役立つ貢献したいと思っている。
しかし、無料のガイドをすることは、世の中を、とくに山の世界をより良くすることには、全く役立っていない。
それどころか、依存的な登山者や人のせいにする登山者を増やすことになり、山の世界の後退に加担する活動となってしまう。
しかも、ありがとうと言ってもらえるガイドではなく、地図も持たず、自分ではリスク管理もせず、運転さえ自分は乗る一方で、連れて行ってもらって当然と思っている、無料奉仕活動であれば、なおさら。
先日、近所で買い物帰りに、よたよたと歩いている、おじさんがいた。
「いいお天気ですね」と声を掛けたら、少しの世間話になった。てっきり、普段、MY駐車場の上の階に住んでいる、オジサンかと勘違いしたのだった。その人はいつも駐車するときに、挨拶しているので。
立ち去ろうとすると、おじさんは、「明日のパン代がない」という。
それで、スタバのカードをあげた。中にはまだ3000円くらい使えるように残っていたから。
すると、オジサンは、「これってコンビニで使えるの。お金の方がいい」という。お金はあげられない、というとしぶしぶスタバカードを持って行った。
何が起こったのか、しばらく分からなかった。
今の日本は、困っていない人を困っている人が助ける社会になっている。
今の日本は、持たざる者が持てる者を助ける社会になっているばかりか、差し出したものに不服を言われる社会になっている。
それが、中高年初心者による、山岳会の無料ガイドとしての利用だと思う。
■ 割れても惜しくない皿
一方で、お皿を割った時、惜しくないと思える金額の皿を買え、というのは、よく言われる。
借金を申し込まれたときは、返済してもらうつもりではなく、なくなっても惜しくない額を差し上げてしまいなさいとも言われる。
これと同じことで、山行に同行者と行くときは、割っても惜しくない皿を買うつもりでいる。