先日、甲武信小屋で新ハイのメンバーと一緒になった。
ハッキリ言って、聞いたこともないようなマイナーな尾根を歩いているのが、新ハイ。ハイキングで行ける標高の低い低山の一般ルートはとっくの昔に歩きつくして、名もなき尾根(といっても大抵の尾根はすでに歩かれているものなのであるが・・・)を日本全国隈なく歩いてしまいました・・・みたいな雑誌である。
玄人度はNo1と思われる、地味というより、渋い、いぶし銀のような山行が連なる雑誌だ。
中高年登山の最高峰というか・・・、そう中高年の憧れの星、エリートなんである。
高齢者と舐めてはいけない健脚者揃いであると見受けられる。ハイキングの価値観(苦しいことは避ける)でも、ここまで、突き詰めることができ、ここまでマイナーな山に登れる、という一種の磨き上げられた、最終形が新ハイの山だ。
■ 正確性
しかし、気が付いたのは、コースタイムは初心者の私たち夫婦よりはかかっていそうだったこと。
でも、日帰りの山を一泊しているのだから、5時間の山を4時間で歩いても、別になんということはない。
思うに、コースタイムは、
正確に予測できる
という正確性がもっとも安全に対しては重要なのであって、
ただ早ければ良い
という訳でもないと思った。別に5時間のコースタイムを7時間で歩いても、昼まで明るいうちなら、なんでもいいのであるからにして。
■ まずいのは、大きすぎる計画
決定的に、まずいのは、計画が大きすぎることである。
甲斐駒黒戸尾根は、5合目まで、3~5時間と言われている。私の足では、4時間20分かかるので、4時間半で計画すれば問題はない。
が、これが4時間で計画すると、問題になる。最初から遅れることが当然の計画になってしまうからだ。
黄連谷は、ガイド本にも2泊3日で出ていることが多い。そこを1泊で計画すると、やっぱりマズイ。
”山と足が合っている”という言い方をするが、日帰りの山を1泊にしたら行けるなら、そうすればいだけのことで、それも”山と足があっている”という内容になると思う。
一般に、標高差300mを1時間で歩くことが標準的とされている。
日帰りか、一泊か、水はあるのか、山によってザックの重さは決まってくるので、その決まってきた重さで、大体標高差300mを1時間で歩けることが、計画の基本になるのでは、と思う。
■ 電脳
新ハイのサイトを見ていたら、なんと電脳支部というものがあった。 何かと批判の多い、ネット登山ではあるが、中高年登山の最高峰新ハイでも、その利便性は認めざるを得ないところらしい。
こちら: 電脳登山部ネット支部
そうだよなぁ・・・。大阪では、80代のお義父さんも、毎年パソコンで年賀状作っているし、メールも普通に使っているしなぁ。
ネットは何より無料なので、貧乏人の味方である。
ただ”モダン”という言葉が、語義に反して、今では懐古的に聞こえるのと同じで、”電脳”という言葉が古臭く感じてしまうのが、ちょっと悲しいところ。
そう言えば、”サイバー”とか”ホームページ”という言葉もなんだか古く感じるような?最近では、ネットのことを”ウェブ”と言うし、リアルに店があっても、ウェブサイトがなければ、この世に存在しないも同然のようなものである。
■ 山が合う
山が合うというのは、どういうことなのだろうか?
と最近はあれこれ考える。
山は余暇なので、一緒に行きたい人と行くのが良く、会山行だと、一緒に行きたくなくても、義務、で行かなくてはならない。
山岳会は、義務が多いというのが問題の最たるところであるかもしれない。
しかも、義務がないと会則でしていたとしても、会員外と行くと嫌がらせを頻発するらしい。
それは基本的には、嫉妬というところなのだろう・・・
人が集まるところに嫉妬あり。
ということになると、嫉妬の嵐を乗り越えてまで、行かねばならない山があるのだろうか?
そんな面倒なことになるのなら、山には行かなくてもいいなーと私なんかは思ってしまう。
大事なことは、今ある時間を有効に使い、人生を楽しむことであり、複雑怪奇現象化することではないような気がする。
■ 損得勘定
おそらく、多くの人が、損得で判断しすぎなのだろう。
例えば、自分は確保しなくて良く、確保してもらうばかりの山なら、お得な山だ。
自分は行くスキルがないのに、行けるならば、お買い得品だ。
カチのフェイスのルートで11でも、ジャミングできるなら、10で登れそうなら、お買い得品。
そういう風に考えて、山に行くのは、なんだかさもしいような気がしないでもない。
単純に自分が本当に行きたい山っていうことで、山に行っている人がどれくらいいるのだろうか?
■ 山との駆け引き
登山は基本的に、楽しむためのものだが、”楽しい”の中身が、おそらく人それぞれなのだろう。
酔っぱらっていることが楽しいという人もいるし、酒がなければ何のため登るの?という人もいる。
が、わたしにとってはお酒は別に目的ではない。
色々考えると、山との駆け引きが楽しいの源泉だ。
山との駆け引きがめんどくさい、楽しくない、という人は多いな~と思う。それは私に言わせれば、山が好きなのではなく、宴会が好きなので、ゲレンデで宴会していればよいのだと思う。
■ 充実感
いわゆる”山との駆け引き”が具体的に何か?ということになるが・・・
・アプローチの負荷
・下山の負荷
・荷の負担
・リードの負担
など、作戦が必要、という部分だ。 作戦を立てる、戦略的思考というのが私の強みだから、それが発揮できるから、山が楽しいと思う訳なのだから。
”山との駆け引き”が全然ないのが、ゲレンデ。つまり、ゲレンデの良さというのはクライミングに集中できること。
逆にゲレンデで、集中しないといけないほどに、クライミングやロープワークが身についていない状態だと、ゲレンデでアップアップなんだが、山との駆け引きの部分がないとやはり、充実感と言うのは得られないなーと思う。
そうした山との駆け引きがない、楽しむだけの山、つまり、”ゲレンデ的使用法の山”だったら、きっとまったく充実感は得られないだろうな~と思う、今日この頃。
癒し山行もチャレンジ山行も必要だが、どちらにするにしても、主人公は人ではなく、山なのだ、山に人間側が合わせるのが本道なのだ、という点は忘れずにいたいと思う。