■ 読了 『スピードハイク入門』
この本は、トレイルランを”ランなし”にしたもの。
第一章は、装備
第二章は、体作り
第三章は、歩き方(実践)
第四章は、コースガイド
各章で、一般登山との違いは
装備 → ・ローカットシューズ
・小型のウエラブルザック
・保温着と中間着の兼用
・雨具とウインドシェルの兼用(これって登山でも普通の事では?)
・肌に汗を残さないレイヤー
体つくり →
全身持久力
巧緻性 (普通の登山ではあまり問題にされないが穂高ではいるかも?)
敏捷性&平衡感覚 (同上)
柔軟性 (怪我の予防にいると思う)
食生活(糖質制限)
歩き方 →
行動計画 = 安全にばてず、迅速に歩く、体力温存
速さの具体例 ハセツネコース → トレランの半分
歩き方 = 大腿四頭筋に頼りすぎない、地形に合わせて歩く
登りペース =体に聞く 220-年齢×0.75 ボルグスケール
下りは優しく
フラットは早く = 親指と人差し指の当たりで着地
トレッキングポール
ペース配分 =地図活用
実感の数値化 = 見通しが立つと焦りが無くなる ※セイコーアルピニスト
行動食 =BCAA
入山前 =未精製の炭水化物 水
下山後 =BCAA タンパク質
呼吸
コースガイド →
乾徳山
北八つ
鳳凰三山
早池峰山
妙高
富士山
天城山
六甲
季節のアドバイス
ボルダリングエリアのラン
■ 感想
実は、内容的にすでにやっていることだな~と思ってしまった。
特に大腿四頭筋に頼りすぎないなどは、バレエで良く言われること。ハムスと臀筋を使う。
食事も大体同じことをしていた。山の朝ごはんは、玄米餅だし、行動中はアミノバイタルなどを飲み、下山後は食事している。バテがひどいときは、BCAAを下山後も取る。(山ではそこまでシビアでないのでしないが、ムサシはすごい!全然疲れが蓄積しない)
今後やろうと思ったのは、ペース予測。実は、地図読みでベアリング図を書くので、あと標高何メートルで登り、なだらかかどうか、などは、把握していたが、それをペースに置き換える、ということは、想定していなかった。
でも、ごく自然な成り行きとして、地形に合わせて歩くのは普通のことだ。登りはゆっくり、下りは慎重に、平坦な所ではさっさと。
■ スピード?
特に何の努力もしていないのだが、勝手に歩くのが標準コースタイムよりは早くなった。
単純に、コースタイムのほうが、遅くなったのだろう(笑)。
あんまりスピードのこだわると、修業になってしまい、山の楽しみが無くなる気がするが、愉しんで歩けるなら、早いのは取り立てて、不都合なことではない。
例えば、自分が救助の伝令をしなくてはならなくなった場合、早く歩けると、それだけ救助を早く呼ぶことができる。
■ 3つの方向
それにまた、自分自身のフィットネスを向上する、という意味では、
・距離を長くする → 持久力
・スピードを速くする → 心肺能力
・重さを重くする → 筋力
の3方向しかない。まだ、取り組んでいないのは、スピードという方向。
最近は、重さの事はあまり考えずにパッキングしていて、わざわざ軽くしよう!と努力することがあんまり、なくなってしまった。
それは、早く歩きたい!という気持ちが薄れたから、ということもあるな~と思う。ほっといても、暗闇に追いつかれることはないので。
おっと、山を舐めているのか(笑)?
それにしても、初心者の頃、あまり重さやスピードに煩わされることなく、好きなように雪の山を徘徊出来て良かったな~。
最初から、重い荷物を担がされ、急いで歩かされたら、たぶん、山なんて何にも楽しくないと思う。
だから山を好きになるには、易しい山に行くことが大事だ。
■ ギリギリは充足感につながらない
私の場合だが、黒戸尾根の充実感は何によるのか?と言うと、
ゆとり
に、根本を発している。下山後も、温泉に行って癒さなくてはならないような疲労感や筋肉痛はないし、技術的にも難度は感じなかった。
これは、クライミングでの達成感と同じで、クライミングもまぐれで高グレードが登れることより、確実に5.9が登れることの方がうれしい。
できないことをやるかもしれないという、事前の精神的緊張も無かった。
ゆとり=安全マージン
もちろん、初めてのことをやる時の、未知に対する精神的な恐怖感を乗り越えることも楽しい。
一歩を踏み出すのは、いつだって勇気がいるものだ。
しかし、それは一瞬のこと。未知を次々と求めつづけても、すぐに飽和することはすでに歴史が証明している。つまり、未踏峰が無くなったように。
楽しみの要素ではあっても、第一義的に求めるものではない、だろう。
では、登山の楽しみに、何を求めるか?ということだが・・・。
困難性の追求が、登山界ではテーマとして掲げられたが、困難性を追求すると、最終終着駅は死であることは、登山の歴史が証明してしまっている。副産物は、他者との競争だ。
登山の歴史で言うと、次には、自分自身の能力の限界へのチャレンジが来たようだ。つまり、他者との競争ではなく、自分を相手に戦う、ということだ。
私も自分へのチャレンジは好きだ。しかし、自分の限界へのチャレンジは、成長期の人間にはふさわしいが、成長期を過ぎた人間には、故障や怪我による早期引退という、自己矛盾を抱えてしまっている。
その後の登山の流れでは、限界へのチャレンジへの反骨精神からか、放蕩が来たようだ。向上より、快適性。山に下界を再現し、山で喰らい、山で飲む。
この方向性も、大きくは環境問題となって行き詰まりを見せているし、個人の面、山宴会のほうも、年齢に勝てず飲みたい酒もドクターストップだ。考えてみたら、そもそも酒や宴会自体もそんなにすきではなかったのだろう・・・この方向も行き詰まりは明確だ。
というような流れを概観すると、
登山をを趣味にする人が持つにふさわしい次なるテーマは、自分の中の確実性やフィットネス、山と自分の適合具合の向上、とでもいうようなことではないだろうか?
自分自身と山との快適性へのチャレンジだ。これなら、自分の肉体が変化する限り、永遠に求められるテーマではないだろうか?
ま、そういう意味では、肩こりがある人には、クライミングはいいのかもしれません(笑)。クライミングしていたら、ダイエットしたくなりますしね!
おススメ
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