■ 何のために登るのか?
イケイケ登山と称されて、喜ぶ人はいない。
一方、ポジティブシンキングを歓迎しない人はいない。
ポジティブシンキングと言えば、楽観主義だが、状況が楽観できないときに楽観することは、危機感がない、と称される。
和を尊ばない人はいない。 一方で、安全を尊ばない人もいない。
安全と和が、対立構造にある時、どちらを取るのか?
急いで歩かなければ日が暮れますという時に、楽観視して、疲れているのだからと和を尊べば、本当にもうワンビバークになってしまうのだが、そこら辺はとても線引きが難しい。
ホワイトアウトしたGWの仙丈ヶ岳で、夫に走れ!と言ったけれど、それは夫ともちろんいじめるためではない。ホワイトアウトから逃げることができれば、別になんてことがない登山が、掴まれば、九死に一生のビバーク体験になってしまうかもしれなかったからだった・・・。
彼にはそのような”隠れたリスク”を読み取る能力がなかったし、”そのリスクから逃げるために自分の下山スキルを磨く意識”もなかったので、それ以後、そこに彼と行きたかったのは、私自身のエゴに過ぎないと反省し、彼とはGW仙丈ヶ岳レベルの山に行くことはあきらめ、一般ルートで小屋が空いているところしか行っていない。
命を懸けるほど、山が素晴らしいのかというとちょっと疑問だ。
それよりも、登山をすることで、何が得られるのか?と言うことを考えるほうが良い。
■ 健康
登山をする人の第一義的な動機は健康ではないだろうか?
ところが、健康を目的にした趣味で健康を害す人はけっこう多い。ヨガもそうなのだが、頑張りすぎて、整骨院のお世話になるようになったら、頑張りすぎ、というより、本末転倒だ。
本末転倒してしまってはいけない。
健康のための登山と言うことを考えると、おのずと、狙えるサイズは決まってくる。
1)心拍数をあげずにゆとりを持って歩けるペースを発見する
2)そのペースで一日8時間、歩ける距離を出す。標高差も。山のサイズが決まる。
3)そのサイズの山に登る。
4)その山が楽に登れるようになってきたら、その上のサイズの山にチャレンジする。
・時間のかかりすぎは実力不足を示している
時間のかかりすぎは実力不足を示している、というのは、何も40代の山初心者が本チャンの北岳バットレスに挑むときだけに適用されることではありません。
・山には順序と言うものがある
ということも、大人になって登山を始めた人には特に心しておかねばならない注意事項だと思えます。
誰それさんが行っているから行きたくなるのは、山に魅かれているのではなく、隣の子が持っているおもちゃが欲しくなるのと同じ原理です。しばらくすれば忘れる程度の欲望です。
登山で大事なことは、
・万全の準備を怠らず (計画時は強気)
・実行時には、引き返す、計画縮小する、勇気を持つ(実行時は弱気)
ということです。
■ 予備能力
予備能力(いざとなった時に持ちこたえる能力)は、20代で平時の4倍、40代で2倍、60代になるとゼロと言われています。
つまり、(いざという時)を避けることの重要性は、60代ではもっとも厳しく、40代の倍、20代の4倍、厳しく(いざという時)を避けなくてはなりません。
一度の(いざという時)が、(最後の時)になってしまう確率は、20代の4倍にもいたる、ということなのです。