今日は朝から県立図書館に来ています。山口輝久さんの『北八つ彷徨』を読むため。
年上の山の友人が、明日、阿弥陀中央稜に連れて行ってくれることになっていますが、『北八つ彷徨』の中の『岩小屋の記』を読んできて欲しいと言うので、読みに行ったのですが、昨日に限って貸し出し中だったと話すと「岩小屋の記、読んで欲しかったです」という返事。
こういわれたら読まないわけにはいかない、と図書館です(笑)。県立は都合の良いことに『八ヶ岳研究』も隣に置いています。
■ 新しい登山の愉しみを見つけたい
新しい登山価値とはなんだろうか?と最近、特に考えます。
従来型のアルピニズムがすでに末期症状を呈していることは、登山4年目の門外漢にも感じられるほど濃厚な空気感ですし、かといって中高年が活路を見出した山のスタンプラリーゲームの百名山行脚にはまったく魅力は感じません。なにより、財布が持ちません(笑)。
登山という”総合芸術”から、スポーツという面だけを取り出したフリークライミングにもまったく魅力を感じません…。何しろ、私は女性で雄叫びあげて岩に飛びつくのが、かっこいい!とはどうしても思えないのです。
登山の映画などで出てくる登山の価値観は、どれも“命知らず”を賛美するもので、現実離れしており、そんなものをリアルにやろうものなら、私みたいなひ弱な女ではなく、屈強な若者であっても命が何個あっても足りません。
大体なんで映画では、アイスアックスを持てば、からなず空中ジャンプして氷壁に着地なんでしょうか(笑)?
槍穂に登った中高年の山自慢と同じくらい、煮ても焼いても食えないものはありません。
標高1700mに過ぎずアイゼンの必要のない茅ヶ岳の山頂で、「俺にはアイゼンがある!」と、ことさら”アイゼン”を声だかに叫ぶ御仁や(どこで使うん?)、五竜岳の山頂で「穂高でぇ~」と穂高穂高とウルサイ山ガールや「鶏冠でぇ」とウルサイ山おばさん(もう、五竜が気にいらないなら、そっちに行ったら?)、ダダの残雪の溶け残りが多少沢に残っているだけの場所で「雪渓があぶないから~」と触れて回るアンちゃん(そうじゃなくて丸太橋が壊れたんですよ)など、出会う度にウンザリさせられます。
そういう人に会いたくないからもう一般ルートの山には行きたくないくらいです。
基本的に登山者の山自慢の大部分は、”山の名前の響きの威嚇力”(=ネームバリュー)と”周囲の無知”につけこんだ、庶民的な誤解に基づくものです。
■ 魅力がない
一方、ホントにすごい登攀は今では専門的知識がないと理解できないものになってしまいました。
そうした先鋭的な登攀者の世界は、当然ながら一般登山者にとっては全く知覚の外でありますし、かといって一般登山者の知覚の範疇に入る山の世界には、今の日本ではどっちを向いても魅力的なものがありません。
下界がそのまま山上に移動したような、そんな環境で、どうやって自然と対話しろっていうんだ?って感じです。
それでも、日本で暮らす日本人にとって、日本の自然は、心のふるさとであることは疑いようもない真実です。
日本で自然がありのままに残された場所は、土地の8割が森林という国にあっては、山の中以外にありようがありません。
しかるに、日本で暮らす喜びの純粋なものは、やっぱり山の中にあるんではないか?と思うので、生まれ育った土地を愛するということはすなわち、その地を、つまり自然を、よく知るということなのかなと思います。
特に海外で水が乏しい生活をすると水の豊かな国に生活できるありがたみを強く感じます。
■ 自然に対する身の処し方
大昔に大勢の若者が憧れたように真摯にアルピニズムの情熱を傾けようとも、あるいは老後の、お金のかからない楽しみとしての山歩きを始めようとも、あるいは、オシャレして向かう山でも、向かうところは一続きで同じ山。
私はハイキングしかしないから遭難しないというわけにはいきません。
そこで行う行為の目的が違っても、舞台となる場所の、特徴、性質、そういったものは同じです。
たとえば、八ヶ岳の嶮しい山、権現岳の麓は天女山という、たおやかな女性的な名前の山があります。
天女山までならだれでも歩けるハイキングコース。
権現まで登る人はアルパインコース。
ですが、山域は同じなので、権現で嵐になれば当然天女山でも天候は荒れ、八ヶ岳おろしと言われる烈風が身体を吹き飛ばさんとする勢いです。
だから、自然の脅威から身を守る術において、ハイキングコースの人は知らなくて良くて、アルパインコースなら、知らねばならないということがあるはずはない。
知るべき内容は同じで、結局のところ、違いは困難度と体力度ということになります。
環境という意味の厳しさでは同じです。むろん森林限界以上の稜線上か森林限界以下の樹林帯の中かという違いはあっても、無防備で良いというほどの環境差にもならないし、もちろん丸腰で行く言い訳にもならない。
というわけで、”自然に対する身の処し方”という意味で、基本的な登山技術というものは、ハイキングであれ、登攀者であれ、すべての登山者に共通に必要な知識のはずです。
それが私が山における技術を求めた理由でした。
自分自身を守る術を知らずに、丸腰で山に入るのはアブナイなと思ったからです。
■ 人との出会い
山では特別に人との出会いが、その人の山の色を決定するものかもしれません。
私が人との出会いに想いをはせるわけは、この『北八つ彷徨』が、私が初めて読んだ山の本だからです。
スマートICがある双葉にプラテーロと言う天然酵母のパン屋さんがあります。ドイツ料理とフレンチのレストランが併設されています。たまたま出かけ、山の帰りだと言うと、このレストランの古老のオーナーからこの本を貸し出されたのでした。
北八ヶ岳が私はこのころ気に入っていたからです。山の帰りにパンを買いによるから、しょっちゅう行っているのがバレバレ(笑)「また行ってきたの?!」「はい!」「北八つが好きなら、いい本を持っているよ。この本を持って行きなさい」
そして、この古老のオーナーからは「私が書いたんだよ」と古い岳人の記事をオーナー自身が寄稿したものなどを借り、そこには、これもまた偶然を演じた記事がありました。それは古いツルネ東稜の紹介記事で、この年私たち夫婦は登ることになります。
ですから、私が古い山の本をよく読むのは、ひとつには、もともと私がブックワームであることもありますが、人との出会いも強く影響しています。
長谷部オーナーとの出会いの後、私たちはガイドさんに教えを乞うたのですが(だって普通の登山者にはガイドさん以外誰に教えを乞えというのでしょう?) その時、「どこに行きたいの?」と聞かれ、「川俣尾根」と返事をしたら貸してくれたのが 『八ヶ岳研究』です。独評登高会。 だから、これも出会いが引きつけた本です。
■ にゅうから川俣尾根へ
私と夫は北八ヶ岳のスノーシューハイクがすっかり気に入ったのですが、にゅうや中山展望台から硫黄岳や天狗岳が見えます。見えると行ってみたくなるのはもう、これは人の情というものです(笑)。
天狗岳は3回も登りました。すっかり満足していましたが、3度目で小屋で出会った男性が、若いガイドさんでした。「ストックでは杖にはなっても滑落を止めることはできない」と指摘されました。ごもっとも。
まぁ「丸腰だよ」とやんわり指摘されたわけですね。さわやかな青年、と思っていたら、同年だったことも反省を促しました(汗)。
そこで、山の教えを乞うことに相成ったわけですが…それが韮崎在住の三上ガイドでした。
三上さんとは以前に山道具屋で開催されたロープワークの講習会でも一度面識はあり、その時も不思議にご縁があるのではないかしら?と感じた覚えがあります。
しかしこの一瞬の出会いから、山行に参加することは思いもよらず(ガイド登山には興味がないので)、1年後の再会という感じでした。先方はもちろん、覚えていなかったと思います。
だだ、「ピッケルを購入したので使い方を教えてください」と言うと、「ピッケルより読図でしょ」という答えで(笑)、差し戻し審判をされているような恰好で、地図読みから出直しでした。
と言っても、あんまり地図読み教えてくれなかったんですけど… 三上さんの教え方は、それとなく、気づかせる、というような教え方なので、教えられているという実感に乏しく、感受性が鋭くない人には三上さんの指摘の的確さはたぶん分からないと思います。
たとえばの事例ですが…私は慎重な性格なので、山技術を教えてもらうにしてもいきなり雪山なんて行きませんから、最初に資質を見るために三つ峠の山行に日帰りで参加しました。なにしろ、何かあれば、命を預けるんですから、ちゃんとしたガイドでないと困ります。
この時、三上さんは途中のルートを変更して、無名の尾根を降りたんですが、これは私たちの山行の幅を広げさせるためですね。道なき道を歩くという発想には全くなかったからです。(ちなみに夫は元ボーイスカウトなのでオリエンテーリング大得意で、大会でいきなり2位とかなので、私より的確に山を見ていたと思います) このように今その登山者に不足している登山技術を的確に把握するのが上手なガイドさんです。
で、ピッケルの使い方を教わろうとしたわけですが…ピッケルって知らなかったけど、山男の命みたいな道具なんです。山男曰く、マスターオブクライムだそうです(汗)
恐れ多くもそんな大それた道具を気軽に手にして「ストックにするには短いし、この先っぽを突き刺して歩くほど、急な所、行かないし…」と、私たち山素人にとっては、微妙に使いづらい道具だなぁという感想でしかありませんでした。
アイゼンなんてものも、同時期に使用しはじめますが、アイゼン歩行って難しいって言われても、どこが?くらいの感想でしかありませんでした。
技術的には、このような、稚拙な、認識の無い状態であったわけです。当時の私たちは…
それでも…私たちは自分たちだけの力で、天候判断し、ルートの情報を集め、気温の低さや風の強さなどの環境の過酷さに備え、地図を用意し、そこに赤線でルートを書き込み、谷と尾根に線を引き、素人なら素人なりに、「安全だ、大丈夫だ」と思われるときにしか出かけていないので、山の神様はそのような勉強熱心な登山者に牙をむくことはないようです。
むしろ私たちを驚かせたのは、そのような”楽しい判断”をガイド任せにして、まったく登山の判断スキルの無い参加者がほとんどだと言う事でした。
私たちは天気図なんて何枚も見てましたから。雪がなさそうだとみると、予定山行日を変更させたくらいです(笑)。
私たち夫婦はその後三上ガイドの案内で川俣尾根を歩くことができました。これはとてもバランスのとれた過不足ない良い山行で、素晴らしい好天に恵まれ、お山の神様がもろ手を挙げて微笑んでいるように思われたのでした。
■ 私たちの求める山
三上ガイドは面白い山ヤです。川俣尾根に行きたいと言ったらツルネ東稜へ、八幡尾根を歩きたいと言ったら、金峰山黒平ルートへ、ロープワークの確認をしたいと言ったら、黒富士東尾根に連れて行ってくれ、こちらのリクエストを山行に仕立てるのが得意なガイドです。
でも、普通に「初心者なんで北横岳」とかいうのは苦手なようです。なので、三上ガイドに依頼したい人は今の自分の率直な登山者像と将来自分がどんな山をしたいのか伝えておくと、そのための山を組み立ててくれるかもしれません。
この出会いは私の山のカラーをある種方向づけたようで、私は難しい山にどんどん手を出していく、そうした技術追求型の山には興味がありません。
どんどん高い山に行く、という高度追求型の山にも興味がないようです。
ただ自然度が高いところに行きたいと思うと、岩稜という岩の要素がどうしてもでてきてしまうので、多少の岩登りは甘受しなければならないようだということで、クライミングジムには少し通いました。
成果は夏山の縦走が楽だったこと、それと先月はクライミング強化月間で一か月通い、初めて壁でリードできたことでした。
スキルを高める活動には、なかなか興味が持てません…でも山登りするなら、それは義務だと思います。
何しろ、山では女だというだけで足手まといですから。努力してもできないことはありますが、努力できることをなんとかしておくのは、もうマナーとでも言うべきものでしょう。
でもまぁこれ(クライミング)は当人の資質もあるかもしれません。永遠のトムボーイ(お転婆娘)を心地よく感じる女性は少なからずいますから。
私はお転婆ではありませんでした。ただ、弟がいたのでよく喧嘩はしてましたけど。
では、私たちが求める山はどういう山なのか? それはまだ模索中です。よく分かりません。
ただ私たち夫婦は山頂を買うガイド登山には興味がなく、実際、誘われても断って行かないくらいです。
私にとってはガイド登山はなんというか背中を押す感じのものです。
やはり経験の不足により、リスク判断が保守的なので、行けない場所がたくさんあるのです。そうした経験不足による、保守的判断で行かないようなところに、「行ってもいいよ、大丈夫だよ」というようなものが、私たちのガイド登山です。
私たち夫婦が求める山の方向は、低くても自分で登った山であり、多少間違っていても自分でリスク判断した山であり、それは結果として身の丈の山にならざるを得ません。
実際のところ、今年一年講習会などに出て身に着けようとしていることは、雪山2年目で連れて行ってもらったツルネ東稜にどうやって自分たちだけで行けるようになるか?ということと全く同じです。
そういうわけで、初心者コースの高見石に登って、仰ぎ見た天狗岳に登るのに2年、そして、その天狗岳で仰ぎ見た赤岳に登るのに3年ってわけです(笑)
■ のぼれちゃった、そこはかとない自慢
そういう登山をしているので、事前にあこがれを温めることもなく、ただ何となく、晴れているから、八ヶ岳にでも登ろうか、と出かけて、他の登山者の後をついて歩き、登って行った先が赤岳だった、という登山者に、私たちが拍手を送ることができなくても仕方ありません。
以前、どこを歩いているかも知らず前の人について行ったら、鋸岳だったという、おばさん登山者に辟易した覚えがあります。 そこはかとない、のぼれちゃった自慢です(汗)。
でも、そんな登山、何が面白いの・・・?
たとえば、屈強な若い男性であれば、赤岳~横岳~硫黄岳の八ヶ岳縦走路の核心部も雪の状態が良ければ(他の登山者が歩いた跡であれば)、別に特段の困難もなく、歩けてしまうのが普通です。
たぶん確率で言えば私だって歩けます。実際、八ヶ岳では80%のケースはそういう状況であり、悲しき哉、それが八ヶ岳が人気がある理由でもあります。
それは結局、道のコンディションによっては、ロープを出すコースだという知識がないまま、リスクが何か?を全く知らぬまま、歩いてしまえるのが山だからです。
そこで人は増長し、自分には雪山のリスク判断能力がないのだと気づかないまま、山に向かわせてしまいます。そうした機嫌のいい時の山に騙されないようにしないといけません。
そうした、無知と無知ゆえの増長を増長と気づかぬまま進んでしまう人間の姿は、下界で放射性廃棄物の処理方法の確立しないまま、次々に建設される原発と同じメンタリティを感じさせます。
事故が起こってから初めて気が付く。
長く山男時代を過ごした、多くのガイド諸氏は無知による失敗の痛手をこうむり、苦い経験を通じて生き残り、生き残った人だけが、備えと用心の大事さを覚え、保守的な判断をするようになります。
生き残りというのは、大げさではない言葉です。山で死んだ友達を持たないガイドはいない。
(その事実を知っていたがために、私自身今年知人を一人山で失い、私のような稚拙な初歩的な登山者にも山で死んだ知人が出来てしまったこと・・・に戦慄を覚えました。私とてラッキーの生き残りかもしれないのです。というかこれから入ろうとする道はラッキー以外の生き残り策がない世界もしれないのです。)
けれども、私が思うには、そうした死を伴う試行錯誤ではなくても、先人の失敗から学び、最初から保守性的な判断の重要性や、備えることの大事さを学んで、小さな山から、下から山を積み上げていく山スタイルがあってもいいんじゃないかと…。
象徴的に言うならば、向こう見ずと命知らずを競う男性的な登山ではなく、確実な判断力とその判断の的確性を競う女性的な登山です。
■ 想像が当たった時にうれしい
登山は3回楽しいものです。
一回目は企画するときが楽しいです。2度目はもちろん、山行自体が楽しいです。3度目は今度は山行記録を書いて反省している時が楽しいです。
3度目は1回目で想像していたことがどれくらい的中したか、私は自分自身をそんな視点で評価しています。
成功裡に終わり、予想が当たっていたら満足です。一回目の企画の段階で、どれだけ熱心に細部まで企画したか?が、山行が予想どうりに進むか進まないかの分かれ目なので、企画の充実度が、山行そのもの充実度を決めるともいえます。(とはいえ、未知の要素があまりにない山はタノシクナイですが)
そういう意味で、山の企画を温める時間もなく、山から帰ったら帰ったで、山を振り返る時間もないような登山は一体何が楽しいんだろう?と思うのですが・・・。
山に憑かれたように次から次に行く人は何が楽しいのかしら?と思います。
もちろん、私と夫が北八つに通ったように、同じ山域に行けば、企画は1回で山行は3回も4回も出来るのですが、それは一種の地域研究のような感じで、通ったことのないルートを通って同じピークを踏む、というようなケースです。
■ 赤岳西面の山域
今回は実はそのケースに当たり、赤岳さんが私を呼んでいるかもしれません(笑)
先日赤岳に登頂したところなのに、また明日、阿弥陀中央稜です(中尾根でもいいです…笑)、そして土曜日は知人と南沢の滝めぐりです。
このエリアは実は冬季は避けていました。というのは人がとっても多く、うんざりさせられるからです。
(2月の赤岳近辺は大都会です… その分初心者には安全安心です)
例の『岩小屋の記』ですが…山口輝久さんの書いたところでは、
・八手の藤吉
・マムシ仙人
・中尾根に岩場
とあります。中身は読んでいただくとして、岩小屋というのは、泊まり場として魅力的ですね。私はまだ泊まったことがありません。
11月に予定していた別の山の岩小屋探検山行は、体調が悪くて流れてしまいました。
実は『八ヶ岳研究』の方にも”中山の岩小屋”として同じ記載がありました。これは山口さんの記載ではありませんでしたが。
明日、岩小屋確認できるでしょうか・・・ 今回のスパイスは岩小屋かもしれません(笑)
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