Friday, December 20, 2013

登山をいかに学ぶか?その③

■ MECEでない 

読者の方から、

 1)優れたガイドにつく 
 2)講習会に出る
 3)山岳会に入る
 4)独学

はMECEでないという指摘をいただきました。

 1)優れたガイドにつく
 2)講習会に出る
 3)山岳会に入る
 4)独学

の他に

 5)優れた師匠につく
 6)同じ目的を持った仲間と切磋琢磨する

ややこしいのは、山岳会です。

  2)+5)+6)=山岳会 

のような位置づけに少なくとも歴史的にはあったはずです。(私は知りません、想像するだけ)

つまり講習会もやってくれて、優れた師匠もおり、仲間と切磋琢磨することができた。

しかし、山岳会は衰退が叫ばれ始めて久しいものです。

衰退とは裏腹に登山人口は増えている、というまさに文字どおり歴然とした事実があるわけです。

■ 無料から有料化の流れ

じゃどうなってしまったのか?というと、山岳会が担っていた役割というのは、単純に考えると外注、アウトソースされた訳ですね。

それがおそらく

 ・一般ルート → ツアー登山
 ・バリエーションルート → ガイド登山

であり、両方とも、それまでのサービスが、無料→有料 へ移行した、ということですから、
基本的に社会が豊かになったことを示すものかもしれません。

■ 機能細分化

アウトソースされた、という意味では山岳会が担っていた機能が分解された、という意味です。

 ・講習会  
 ・良き先輩
 ・良き仲間
 ・安全の傘
 ・伝統

これらが分解された中身になるでしょうか・・・(他にありましたらぜひご指摘ください)

■ どこが時代遅れなのか?

問題は、「なぜ時代は、山岳会という組織にNoと言ったのか?」です。

まぁ平たく言うと、山岳会は時代遅れになったわけですが…考えられるのは組織のフレームワークの問題です。

つまり中身はニーズがあるのに、それを包んでいる枠組みが古く時代に合わなくなった、ということですね。新しいぶどう酒に古い革袋は合わなかった訳です。

・トップダウン型
・集合&団体行動を基本とする行動形式
・体育会系指導

などがパッと思いつく当たりでしょうか…(他にありましたら、ぜひ追加してください)

まぁ要するに、それまでは多少のネガティブな面があっても我慢していたことを、我慢しなくなったがために山岳会が担っていた機能が有料化されて、ツアーやガイドとなった、ということですから、ツアー登山やガイド登山が提供しているサービスの内容を考えると、何が求められているのか分かりそうです。

≪ツアー登山&ガイド登山が提供しているサービス≫
・集合場所に来るだけで最後まで面倒をみてくれる
・山行報告など書かなくて良い
・指導はされない
・登らせてくれる

まぁ要するに利便性ですね。メンバーシップは同じように求められていますが、発揮しない人が多いです。

基本的な「山に行きたい!」というニーズ自体は根強く存在し続けている…

そこのところは確実ですね。

■ HOW

したがって、問題の核心は”What”ではなく、”HOW”にあります。 

何をするかではなく、いかにするか? が時代により変遷した…

そこでより時代にマッチしたHOW、やり方を模索するべし、となるわけですが…

・非トップダウン型のフラットな組織
・少数を基本の行動単位とする行動形式
・非体育会系的指導 (文化的な要素の強い山行)
・簡便な参加方式
・山行参加以外の付帯作業、業務の軽減、もしくはゼロ化

をするのが、時代に受け入れやすくなります。

しかし… そうすると…

・例会なしのその場限りの登山集団
・リーダー不在のグループ登山
・体力&技術力なしの登山集団
・企画力なしの登山者
・自覚力なしの登山者

を作ってしまうわけで、誰が見ても分かりますが…遭難まっしぐら! ですね!!!

今年は遭難件数が過去最大だそうですが、これは去年もそのまえの年も聞いたようなセリフですので、結末はすでに歴史的事実の裏付けが得られつつあるわけです…

結局、こうした否定的要素を取り除いた、新たな組織形態が求められているわけです。

その解はまだ誰も出していない…というところでしょうか。

■ 緩い会

私が思うには、時代は大変進化して、地理的な制約が非常に小さくなりました。

私は20年前に当たる学生のころからメールで海外とやり取りしていますし、当時1分300円くらいだった国際電話は今では無料でスカイプチャットです。私は国際会議はネットでやっていました。

けれども、登山は山に登るので、地理的な制約が非常に大きい活動ともいえますよね。

さらになぜか登山をする人たちの間ではインターネットは敵とみなされる傾向があります…そればかりか拡大解釈されテクノロジー全般は敵という見方をする人も多いです…

が、GPSで現在地が分かれば、万が一の時も安心だし、今やメール以外で連絡手段なんて(たとえばFAXとか…)アリエナイ…不便すぎます。

また強いリーダーがいるリーダーシップの強い会も、独裁制から民主制の流れは否めないようです。
(独裁制のガイドツアーも知っています)

というわけで、昔から山をやっている人たちには否定されることの多い、緩い会が、いまのところ、妥協ではあってももっとも現実に即した形態になるのではないか?という結論になってしまいます。

■ ビジョン

これで形態は、妥協案とはいえ、固まりました。

次は中身となりますが… 問題は 同じ目的を持った、と言う部分です。

目的意識が不明確だと、誰でも参加することになってしまい、それでは崩壊まっしくぐら、です。

これはしかし、定義が難しい…価値観の問題だからです。

流行の言葉で言うと、ビジョン、とか、 組織だったらクレド―とか、ですね。うまくいっている組織には
かならずクレド―やビジョンがあります。

という訳で、同じ山行で同じ山に行っても いかに行くか?はそのビジョンやクレド―で決まるわけです。

同じ目的を持った人たちでないと山はツマラナイ…これは誰もが経験する真実ですね。

昔はこれが、伝統や地域的な結束だったのではないでしょうか?嫌な奴でも、気が合わなくても、地域的に同じ場所にいるから仲間として登る。 伝統はそれとなく、ビジョンを示して、会の大まかな方向性を決める。

しかし、今はそれが機能しなくなり、明確なメッセージ性がなければ人は集わなくなりました。

■ 子弟制度 個vs個

ここまで、山岳会という形に落とし込むことに、こだわってみてきましたが、実は山の世界は子弟制度も長く伝統にあります。

私が知っているガイドさんはある有名なガイドさんのお弟子さんです。山梨のジムは一人のクライマーから派生したお弟子さんがやっているジムがほとんどです。

なので、強力な個人のカリスマ性がある人が、弟子をとる、という形もある。

山岳会が提供していた子弟制度だとギブ&テイクが(集団)対(個)となりますが、師匠とであれば(個)vs(個)となります。

A) 山岳会(集団) vs 会員(個) 
B) 師匠(個)    vs 弟子(個)

つまり B)のほうが痛みが大きく、リスクが高いと思います。 私個人はB)タイプの人です。友達は少なく深くを好みますから、関係も狭く深くを好みます。

■ 切磋琢磨する仲間

私は 今、仲間と切磋琢磨する、という選択肢を見つけたいという感じです。ところが、山岳会のところと同じで、同じビジョンの人はなかなかいません。

最近、私は一緒に行く山仲間の、

 ・体力
 ・スキルレベル
 ・山経験度

は重要ではないと思っています。

体力が私より上で、スキルが私より上で、山経験がさらに豊富、であっても、私自身が一緒に行きたくない人もいるからです。 体力やスキルがない人と山に行くには山を選べばいいだけだし。

となれば、行きたい人というのはどういう人でしょうか?

■ 行きたい人を発見するために行きたくない人を考える

価値観と言うのはその逆を考えれば明らかになりますから、その逆を考えてみます・・・

・山にゴミを捨てる人
・連れて行ってもらうのが当然だと思っている人(権利意識が強い人)
・弱った仲間をおいても山頂に行きたい人(わがままな人)
・人間的に心が弱い人
・ギブ&テイクではなく、一方通行な人
・愚痴が多い人
・山自慢をする人
・山に一か八かのスリルを求める人
・すぐくじける人
・準備を周到にしない人
・お酒に飲まれる人
・山そのものに興味がない人
・人の話を聞かない人
・ミーハーな人
・時間にルーズな人

人間ですから、多少の怠惰や羽目を外すということは大目に見あってフォローし合うのが、よき仲間と思いますが、ちょっと大丈夫かなと思うのは、

登りたい気持ちばかりが強くて、リスクに無頓着な人

です。 リスクに無頓着と言うか、リスク自体に気が付いていない人も多いような気がします。

それは、たぶん、勉強しないからですね。勉強しないのはやっぱり山自体に興味がないから。

山のことは山に入れば学べるとはいえ、人間は一人だけでは観察眼に限界がありますから、やはり感性だけでなく知識で感性を補充するのも必要かもしれません。

ガイドさんでも山を勉強しない人はたくさんいるようで用心、と思っています。

しかし、ここまで考えても、一緒に行くべき人を発見するのは、大変ですねぇ・・・・

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