Tuesday, May 3, 2016

中堅化

■ 心の充足とはなんであろうか?

最近、越沢バットレスに行って、満ち足りた気分になっているのだが・・・それは一つには後輩のことがある・・・。

後輩のO君は、まだ大学生で23歳と若い。 山ヤで23歳なんて、もう今伸びなくてはいつ伸びるんですか?な感じなのだが、問題は山岳会に所属していないこと。

山岳会に所属していないことが何が問題になるのか?というと、その人の登山者としての成長を考えてくれる先達がいない、ということだ。

登山者としての成長には、ペースはどうであれ、これをしたらあれ、あれができたら、次はこれ、とやるべきことのステップが、大まかにあらかじめ、あるものだ。

それは年のスケジュールに分割されている。今の時期は新人は岩トレシーズン。 例えば、新人の時期に適切な岩トレを受けていないと、例えばフリークライミング歴5年なのに、ヌンチャクを掴みながらリードするのを不思議と思わないような人が出来上がってしまう。まぁ、極端な例だが、しかるべき時にしかるべき教えを受けている、というのは重要なことだ。

O君が山岳会に所属しない決断をしたとき、私は焦った・・・。

今、この時点で、彼の”直属の先輩”は、私だ。 彼は私に着いてきてくれた後輩なのだから。

となると、私に彼の成長を方向づけてやる責任がある。・・・が、正直私は山ヤとしての経験は浅く、前途有望な若い人の指導は荷が重い。

例えば、GWは奥穂南稜を考えていた。初級のルートだ。でも彼は雪上訓練のまともなのを受けていないので、連れて行けない。

しかし、今年の奥穂の状況はひどく、遭難多発しているし、何よりGW中の穂高は、上から人が落ちてくることのほうがルートそのものの危険より大きいくらいの山なのだから、今年奥穂を逃したことはそう惜しいことでもない。

それより、もっと問題だったのは、岩トレ、岩でのマルチピッチの習得チャンスが失われてしまう・・・ということのほうだった。

それで越沢が成立したら、なんとホッとしたことか。これで先輩としての務めが一つ完了。

そして、今、しみじみと、まじめにやっているな~ワタシと、充足感に包まれている、というわけなんである。

■ 役目

充足感というのは、果たすべき責任を果たしたときに、私の場合は訪れるもののようだ。

だとすれば、欠乏感は、何によるのか?それは果たすべき責任を果たしていない、という自覚によるのかもしれない。

私の果たすべき責任とはなんなのであろうか?責任を役割、と言葉を変えても良い。

そのヒントは、やはり、誰もが立場を順繰りに変えていくということにあるかもしれない。

最近は、まったく初級者、ゴマメの立場に立つことはなく、どちらかというと、ベテランと初級者の間に入っていることが多い。

気持ちの良い後輩の行動を見て、自分が初心者のときもこのように行動で来ていただろうか?と思ったりする。

後輩が頑張ってくれるだけで、先輩は行った甲斐があったなーと思うものなのだ。

自分が後輩の時は、先輩に付き合ってもらって悪いな~といつも感じていたが、先輩の方も、ちゃんと役目が果たせたな~といい気分でいたのかもしれない(笑)?

そういうことを考えつつ・・・ うまく回っていくこの循環は一つの生態系だな~なんて悦に入っているのであった。

充足したので、夫との山を今度は充実させないといけない。

こうした充実感を以前は仕事で得ていたような気がするが、今のところ、それは私には山になっている。

有給の活動だけが仕事ではないし、仕事だけが自己実現の手段ではない、という気持ちだ。

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