■ 小刻みなステップ
登山をステップアップして行く場合、
できるだけ小刻みなステップを踏む
ということが、安全を高める、ということに異論がある人は少ないだろう。
例1)
・ガイドブックで体力度3の山を10個行ってから、体力度4の山に行く
例2)
・5.9が10本登れてから、5.10Aを登る
■ 山には順序がある
「山には順序がある」とよく言われる。
でも、その順序が示されている書物がないので、分からない人にはわからない。
例1)
一回目の山、高尾山 → 2回目の山、北穂
となってしまう。同じことがアルパインクライミングへステップアップしても発生する。
例2)
一回目の山、三つ峠 → 2回目の山、屏風岩
余談だが、昔はこういうことは起らなかったらしい。
■ たしなめてくれる人をもつ幸運
でも、指南してくれる人がいなければ、その”ステップの大きさ”に気が付けないかもしれない。
なので、必然的にたしなめてくれる、という人(=先輩)が必要になる。
そういう人がいない場合、突き進んでしまい、本人が気が付いたときには、にっちもさっちもいかない状況に置かれるということになる。
■ 受け止める心づもり 新人の素質?
たしなめられた時、聞く耳を持つか、持たないか、もある。
それは、人格的な面とリスク計算能力の面かもしれない。
素直であれば、「そうか」と思って聞くだろうし、合理的であれば、「指摘は合理的だな、そうだな」と思うだろうからだ。
したがって新人の素養の一つは
・指摘を受け入れる、人間的うつわ
・合理的なリスク計算する能力
だろう。見栄、意地、勉強不足などがある場合は、やはり”ちょっと危険かもしれない”となる。
■ 核心は死なないこと
私の場合は、人間的うつわには欠けている気がするが(すいません)、とても臆病なので、死んでしまうリスクを取ってまでは、山に行かない。
登山もクライミングも、基本的には、やってもやらなくてもよい、無為の行為です。
自分自身が行為に意味を与える、ということです。
自分自身が行為に意味を与える、ということは、山行の意味は、自分の心の在り方が決める、ということですね~
山はホントに自己満足の世界です。
そういう意味では、セカンドで行く山しか知らないということは、与えられる山頂しか知らないということで、とっても気の毒な気がします・・・
大学山岳部ではこの小刻みのステップが理解されない傾向がありますね。ある山岳部では登山歴のない一年生が最初に登った山がゴールデンウィークの西穂岳というのだから驚きです。ちなみにその山岳部は後に事故を起こしました。
ReplyDeleteそうなのですね。大学山岳部は、指導者が不足して大変なのでしょう。一般の社会人山岳会でも指導者が不足して大変です。 一般に、アルパインのルートにはルートグレードがあり、一級は前穂北尾根、北岳バットレス四尾根は3級になっています。それが分かるくらいの知識は必要です。心・技・体・知・経のバランスが重要だそうです。心と体力は十分と思いますが、技術、知識、経験に因る危険認知が欠如したまま山にいくと遭難になりますね。
Delete